7−4
「あちゃぁ…」
優華さんは俺の近くに寄ってそう言った。沢先輩は、優華さんと何かのアイコンタクトを取ってから、明日香が走っていった方向に向かって走り出す。
「…何やってんのよ」
優華さんは苦笑いしながら俺にそう言ってきた。
「その、なんていうか」
「なんで五十鈴ちゃんから離れようとしなかったの? 何で今、明日香ちゃんを追いかけないの?」
なんで?
女性恐怖症の俺は、五十鈴に触られて体に力が入らなかったからだ。
馬鹿にされたように言われて、軽くイラッときた俺は気持ち任せで、その体質を優華さんに告げようとした。
「……俺」
「女の子に体を触られたりすると、固まったり、意識が飛んだりするんでしょ?」
優華さんは俺よりも先に、俺の症状を話し始めた。
「なんで、知ってるんですか?」
「そりゃ、もう…私だからとしかいいうが無いよね」
ニッコリと笑った優華さんの笑顔で少し体が落ち着いたのか、俺はゆっくりと体をほぐすように動き出す。
「分かってるなら、さっきの答えも必然と出てくると思うんですけど」
「ううん、分からない。ほら、今意識があるんでしょ? なら明日香ちゃんを追えたじゃない」
「だから、それは!」
「体に力が入らなかったから? そんなの言い訳でしょ?」
「……」
その言葉に、俺は何も返せなくなっていた。
そうだ、怖かった。確かに怖かった。明日香を追いかけて、俺は明日香に何をいえばいいのか分からなかったし。
前にも似たようなことがあったから。
「ね?」
「でも」
優華さんが俺のこの言葉に反応したかのように、大きくため息をついた。
「男に『でも』は要らない」
「…すみません」
「謝る相手が違うでしょぉ…」
優華さんは頭を抱えながら、近くにある細長い椅子に座った。優華さんは俺に、ここへ座れといわんばかりに、自分の横を叩いている。
俺は何も考えず、それにしたがった。
「風紀君」
いきなり名前を呼ばれ、俺はふっと優華さんのほうに目をむける。
ぎゅぅ。
優華さんが力いっぱい、俺の体を抱きしめてきた。
「ちょ、ちょ!」
俺は声をあげて、優華さんの体を押して離れる。
「はぁっ、はぁっ!」
息が乱れ、上手く息が出来ない。
「なっ、何やってるんですか!?」
やっと息を整えた俺は、優華さんに向かって声を張った。
「ほら、出来たじゃない」
「何を!」
「突き放すこと」
……。
「なんで、それを五十鈴ちゃんにしなかったの?」
「そ、それは…」
どうして、五十鈴を俺は突き放さなかったのだ?
恋愛感情なんて、これっぽっちもない。
「な、んで?」
俺は困惑していた。優華さんのその質問に、俺自信の感情に。
「何ででしょう?」
優華さんはなぞなぞを出しているかのような、誰もが安堵する可愛らしい笑顔を俺に見せた。
「…嫌われたくなかったから?」
「どうでしょうね」
「いや、俺は五十鈴のことは好きじゃない」
「うん」
「じゃあ、何でだ? 何で、俺は…?」
五十鈴を突き放さなかった? なんで告白されたとき、俺は明日香がいるからと叫ばなかった?
五十鈴を悲しませたくなかった…から?
友達として、あいつの笑顔は大好きだった。
その笑顔が見れないんじゃないかと思って…。
そう考えていたら、知らぬ間に涙がこぼれていた。
「風紀君…」
「優華さん、俺…俺…」
明日香が大好きなのに。
「戸惑った、でしょ?」
明日香が大好きだっていうのに!
「ビックリしたんでしょ?」
五十鈴を放っておけないからっていう理由だけで、俺は明日香を傷つけてしまった。
明日香を泣かせてしまった。
その言葉を心の中で呟いた瞬間、亮平のあの言葉が頭を過ぎった。
『明日香を泣かせるような、明日香を幸せに出来ないような奴にお前がなるなら、俺は遠慮なく明日香を奪っていくから!』
りょ、うへい?
「亮平君」
優華さんの言葉に、俺はびくっと反応した。
「明日香ちゃんのこと好きなんだってね」
なんで、それを知っている?
「風紀君、それ昨日知ったんでしょ?」
「どうして…?」
「亮平君から聞いちゃった」
エヘヘ、と笑いながら優華さんは俺に“ごめんね”と呟く。
「明日香、泣かしちゃった」
「そうだねぇ」
アハハと笑う優華さんを見ながら、俺は言った。
「明日香を泣かせたら、亮平に取られる…。明日香、明日香が」
何を考えているか分からなかった。過去のトラウマか、どうかは知らない。
「明日香、離れないで」
涙が止まらなかった。
そんな俺を見て優華さんは俺の背中を思いっきり殴った。
パシン!
ホテルの廊下中に響くほど大きな音が鳴った。
痛さで声が出ない。この人、いったい何をしたんだ…?
「じゃあ行っておいで。明日香ちゃん、今は私たちの部屋にいるらしいからさ」
「ゆ、うかさん?」
「ほら、ぐずぐずしないで!」
優華さんがニッコリ笑うと、俺は決意を決めて立ち上がった。