-ゴブリン集落編5-
目が覚めた。
心は曇天の空の様に、晴れることはなく起き上がる事を拒絶している。
だが、ゴブリンの身体はそんな意志を嘲笑うかの様に、絶好調である。
どうにも冒険者との戦闘を経験したことで、この身体は少しだけ成長したようだ。
以前よりも身体を巡るエネルギーと言うのだろうか、チカラが漲っているのだ。
-グギャギャギャ、グギャギャ
集落のゴブリン達は相変わらず喧しい。
彼らは何を思い生きているのか。
(能天気バカ共のことだ、どうせ何も考えちゃいないか)
呆れと羨望が入り混じった思いを抱くも、起き上がる気力が湧かない、いっそ夢だったのでは、と淡い希望を持ち冒険者の倒れていた場所へ視線を動かせば、そこにある亡骸に気付きため息が漏れる。
ふと視界に写り込んだ影に鼓動が速まる。
冒険者と出会う前に聞こえた喧騒は、集落のゴブリン達のものだった。
冒険者は複数いたのに、ほかのゴブリン達は無事だったのか?いや、宴を終えて寝静まる頃を見計らってきた冒険者達が一体も狩っていないはずがない。
先程までの億劫な気持ちはどこかへ吹き飛び、急ぎソレに駆け寄る。
-この世界では存在力-通称マナ-と呼ばれるものがある。それは物質を構成する上で欠かす事の出来ない力であり、概念なのだ。
自身のマナを高めるには、マナを持つものを殺すことで他者からマナを奪うことが出来る。また、マナを高めることにより、その存在はマナを活性化させることで、より強固な存在となる。
また、この世界での食事にはマナを含んだ物質を食べるという側面もあり、食べる事で自身の存在を維持していくのだ。
老ゴブリンの様に戦えぬ存在は、冒険者達にとってはエサでしかないのだろう。
見逃される事なく、抵抗も許されずに殺されていたのだ。
頭を殴られたような衝撃だった。
この世界で唯一、自分に優しくしてくれた存在だったのに、その存在を奪われたのだ。
これまで普通に生きてきた。
波風立てぬようにと気を配り、いつも胡散臭い笑顔を浮かべ、広く浅い交友は八方美人も驚きの良い顔しいだった。
自分の意見など持たない、誰かの受け売り文句を口にして虚勢で生きてきたのだ。
(それが今じゃなんだっ!!)
向けられる敵意、殺意に足は震え。
この世界に蔓延る強者たちの影に怯え。
研鑽を積む事なく、周りに流され生きようとしていた。
自分は生まれ変わっても弱者なのだと。
所詮は誰かにとっての歯車でしか無いのだと。
何かを始める事もなく、全てを諦めて自分を正当化しようとしていた。
変わるんだ。
誰の意志かは知らないが、偶然に得たもうひとつの人生だ。
何もせず奪われてたまるか。
何も為さずに死んでたまるか。
かつての様な息苦しい世界じゃあない。
全てを喰らって生きてやる。
この身体に漲るチカラは、冒険者を殺したことで手に入れたチカラなのだろう。
この身体に刻まれた本能が、マナの存在を教えてくれる。
喰らえと、全てを喰らい這い上がれと。
集落より聞こえる喧騒から遠ざかり、夜の訪れを知らせる羽虫達の合唱に耳を傾ける。
視界の先には、以前は手も足も出なかった剣鹿が佇んでいる。
多分だが、こちらに気が付いていながら食事を止めることが無いのは侮られているのだろう。
(せいぜい気を抜いてやがれ)
手にした鉄剣を握りしめ、その瞬間をただ待つ。
かつて、赤鬼と対峙した際に身を潜め一瞬にして牙を剥いた存在の様に息を潜め、ただ待つ。
-グギャギャギャ
-ギャギャギャオギャ
その時が来た。
能天気バカ共なら懲りずに挑むであろうと踏み、ひたすら待った甲斐があった。
自身から注意の離れた一瞬を逃さず、地を這うほどの前傾姿勢で加速し剣鹿との距離を詰める。
気が付いた時には既に遅い。
鉄剣で形を整えた剣鹿の角は、その鋭さを活かすために改造してある。
長年生きてきた老ゴブリンの骨は枝なんかより何倍も強固で、易々と折れる心配も無い。
それらを軸にして作り上げた投擲槍は、ゴブリンの小さな身体のリーチの短さを補ってくれる。
-ビュィイイイインン
全力の加速から急停止。
全身をバネの様に使い放たれた投擲槍は、風を切り剣鹿の首元へ迫る。
慌てて首を振り叩き落とさんとする剣鹿の動きは速く、渾身の一投は惜しくも弾かれる。
だが、最下層種族のゴブリンが簡単に強者を狩れるとは思ってなどいない。
軋む身体に鞭打ち、再び全力の加速。
鉄剣を握りしめ、自身最速で剣鹿へと迫る。
狙うは脚、一本でも奪えば後は動けない剣鹿を遠くからチマチマ削る作戦だ。
-グシャリ
振られた角が脇腹を削るも痛みに構わず鉄剣を振り抜く。
-ケェェェェエエエン
振り抜いた鉄剣から伝わる手応えと剣鹿の鳴き声に自然と笑みがこぼれる。
(強い種族である事に甘えて、俺を見下した傲慢さのツケがこれだぁぁぁぁああああぁあ!!)
そこからは一方的で戦いとも呼べないもので、まさに狩り。
弱者である新参ゴブリンが、森の強者である剣鹿を狩ったのだ。
脇腹から流れ出る青い血を気に止めることもなく、ひたすらに鉄剣を振るう姿はまさに修羅悪鬼のそれである。
遠目から見ていたゴブリン達も剣鹿を倒したことに歓喜し、傷付き歩く事も困難になったゴブリンと剣鹿の死骸を担ぎ集落へと戻って行った。
ゴブリン生活はまだまだ続く。