山奥の魔女と生贄
昔々あるところに罠に掛かってしまった子狸がいました。
子狸が痛くて怖くて悲しくて泣いていたら、人間のおじさんがやってきて罠を外してくれました。
おじさんは助けてくれただけでなく手当てを施し、りんごまで分け与えてくれました。
数日が経ち、怪我が治った子狸はお礼をするためにおじさんの家を訪ねます。
このところの日照り続きで大したお礼の品は用意出来なかったけれど、おじさんのおかげで怪我が治ったのがとても嬉しかったのだと、まずは伝えたかったのです。
子狸は、きっと優しい笑顔のおじさんが迎えてくれると思っていました。
しかしそこにあったのはあの日子狸に向けてくれた優しい笑顔ではありませんでした。
おじさんと、おばさんと、小さな子どもが泣いていたのです。
きっとみんな痛くて怖くて悲しいのだと思った子狸はそっと三人に近寄ります。
するとおじさんは子狸に教えてくれました。
連日の日照りは山に住み着く魔女の怒りなのだと。
怒りを鎮めるには生贄が必要なのだと。
そして、ここに居る子どもが生贄に選ばれてしまったのだと。
子狸は生贄がなんなのかはわかりませんでした。けれど、おかあさんと離ればなれになるのがとても寂しいということは知っていました。自分が、とっても寂しかったから。
そこで思いつきました。自分には覚えたての変化の術があることを。
それを使えば、自分が子どもに化けて生贄になることが出来ることを。きっとこれが罠に掛かった自分を助けてくれたおじさんへのお礼になると思ったのです。
そうして、子狸は生贄になることになったのでした――……
「はぁぁぁ! いい話ねぇぇぇ!」
私は玄関先に連れて来きたばかりの子ども――実際には子狸だったが――の額に手を当てて彼の記憶を読み取り叫ぶようにそう言った。
なんか山の麓で知らない人たちがごそごそやってるなとは思っていたのだ。
静かになったので様子を伺いに行ってみるとおかしな祭壇のようなものが作られていてその中央になんともみすぼらしい子どもが座らされていた。
その子どもの手には手紙のようなものが握らされており、それが魔女宛だったのでなんか変な儀式的なものでも始めたんだな、と思っていた。
さすがにそれが日照りをどうにかするために生贄を捧げる儀式だったとは思わなかったけれど。
「生贄をささげれば日照りをどうにかしてくれるとききました」
と、子どもの姿をした子狸が言う。
「そんなこと言ったってこの日照りは私のせいじゃないわよ。天候なんてそう易々といじれるわけないでしょう……。まぁ、とにかくずっとその姿で居るのも辛いでしょう。狸の姿に戻っていいわよ」
私がそう言うと、子どもは目を丸くして自分の頭を触り、お尻を見る。
「耳も尻尾も出ていないわ。あなたまだ子狸なのに変化が上手なのね」
褒めながら頭を撫でてやると、よほど嬉しかったのだろう。にんまりと笑って狸の姿に戻った。生贄という言葉が理解できなかったからこその反応なのだろうな、と私は子狸を抱き上げてソファに腰を下ろした。
私の膝にちょこんと座り、もっと撫でてくれと言わんばかりに手のひらに擦り寄ってくる子狸はそれはもう可愛かった。
「黒! 黒ちょっと来て!」
部屋の奥に声を掛けると、黒猫がひょっこりと顔を出した。
「来客ですか?」
「そんなとこ! なんかね、麓の村の人たちが生贄だっていってこの子くれたのよ! 飼ってもいいかしら!?」
私の問いかけに、黒は二本の尻尾をゆらりと揺らす。
「生贄ならば返すわけにはいかないでしょう。しかしなんのための生贄ですか?」
黒の声は至極冷静だった。
「日照りをどうにかしてくれって言ってるみたい」
「……出来るんですか?」
「出来ないねぇ」
いくら私がそれなりに凄腕の魔女だからって、さすがに天候までは変えられない。この世界に来たばかりの頃に一度試してみたけれど、空にだけはどうしたって干渉出来なかったのだ。風を起こすくらいなら出来たのだが。
しかしこのまま何もせずに居たら今度はガチで人間の生贄を遣してくるのではないかという懸念がないわけではない。
子狸の記憶を見るになんやかんやあったらしくうまい具合にこの子が来てくれたからよかったようなものの、人間の子どもなんか連れてこられたって面倒見れる気がしないもの。
「魔女さんは魔法が使えるのでしょう?」
膝の上に居た子狸がきょとんとした――ように見えた気がした――顔でこちらを見上げていた。
私はその可愛らしい顔を両手で包むようにもふもふして口を開く。
「そうね。元々はここじゃない世界の普通の人間だったのだけど神様の手違いで死んでしまってね。侘びと称して魔法がある世界に転移させてもらったの。破格の魔力と破格の寿命付きでね。だから魔法は使えるのだけど……」
正直魔力も寿命も普通でお願いしたかったのだが、人間と神様では普通のスケールが違う。もはや出来ないことなどないくらいの魔力といつになったら死ねるんだとぞっとするくらいの寿命、それが神様の思う普通だった。
人と共に暮らしたところでみんな自分よりも先に死ぬのだと思い、怖くなった私は猫又の黒を連れて人が寄り付けない山の上に住むことにしたのだけど、山奥の魔女という字面の怪しさに、ついに生贄を放り込まれたわけだ。
困ったな。
「ここから麓に向けて放水でもしてみますか?」
と、黒は言う。
「それくらいなら出来るけど、すぐに干上がっちゃうでしょうね」
放水なら出来るけど肝心の日照りを解消するわけではないのだから、どう考えても焼け石に水だ。
しかも湿度が上がって蒸し暑くなるだけだろうし余計迷惑になりかねないし、自ら魔女の怒り説を濃厚にさせたくはない。魔女が我々を蒸し焼きにしようとしているって思われちゃうかもしれないじゃない。
「とりあえずここから麓に向けて風だけでも送ってみるけど」
コンコン。
私の言葉尻を遮るように、玄関をノックする音がした。
きっと友達である鴉がつついているのだろう。私は子狸を抱き上げて玄関へと向かう。
「はいはいどうしたの……ひぃ!」
鴉は人の姿に化け、傍らに人間の子どもを連れていた。ついに村人が人間の子どもを生贄に!? と思ったらどうやら違うようだ。
「えぐっ……たぬき、食べないであげてっ……」
子どもはそう言いながら泣きじゃくっているわ、抱いていた子狸はあわあわしてるわ、そういえば最初に子狸が化けていた子どもと瓜二つだわでなんとなく察した。
生贄になるはずだった子だ、これ。
ちらりと鴉を見遣ると、彼も困った顔をしていた。
「山の中腹あたりで魔女に会わせてくれって泣いてたから連れてきたんだけど……」
「ありがとうね。生贄は家族として歓迎するから食べないわよ」
鴉に礼を述べてから、子どもに声を掛ける。
この子はおそらく自分の身代わりで生贄にされた子狸の身を案じてやってきたのだろうし、この子狸と違って生贄の意味を理解しているのだろう。知らないって幸せよね、と未だ私の腕の中に居る子狸にそっと頬を寄せる。
「村では日照りで困っているのよね?」
子どもに尋ねると、こくりと頷いた。
「お隣のおじいちゃんと川向こうのおじいちゃんが死んでしまいました」
熱中症かなぁ。
私は子どもを待たせ、スポーツドリンクのレシピを書いた。水と塩と砂糖とレモン果汁を混ぜる簡易的なものの。
そのついでに手紙も書いた。生贄は不要だという旨と、今回は子狸の自己犠牲精神に免じて助けるが今後頼りにはしなでほしいという旨を。
そして水分補給を怠らないことと、育てやすい野菜の苗をお裾分けするのでこの日照りを頑張って乗り越えなさい、と。
この日照りは私のせいじゃなく、ただの季節性のもの。いずれ通り過ぎるんだから。
子どもに手紙と、早く育つように魔法をかけたレモンの種と、同じ魔法をかけた野菜の苗を持たせて村へと帰した。
「ここには二度と来ないのよ」
去り際の子どもにそう言い聞かせて。あと生贄は返さないから、とも言っておいた。飼うって決めたんだもん子狸。
そんなことがあったのは、もう何十年前のことだっただろう。
「あの村も随分と繁栄したわね。もう村じゃなく立派な街だわ」
私は私の隣で街を見下ろしている化け狸に声を掛ける。
「そうですね。魔女さんのレモンのおかげです」
そう、私があの日照りを乗り越えてもらうために渡したレモンの種を、村人達は大切に大切に育てどんどん数を増やし名産品にした。
それを足掛かりにじわじわと繁栄していったのだ。
子どもを生贄にしなければならないほどの立場であったあの家族が中心となって。
「あなたが助けた子どもの子孫達も随分と増えたわね」
「僕を助けてくれたおじさんの子孫達です」
もう子どもの代わりに生贄になったことの意味を理解しているはずなのに、この子は相変わらずだ。
「あなたが底抜けに優しいまま成長してくれて嬉しいわ」
いつの間にか私よりも背の高い青年に化けるようになった狸の頭を少し背伸びして撫でてやると、狸はあの時と変わらず嬉しそうににんまりと笑って狸の姿に戻るのだった。
「さあさあ、今日のおやつはアップルパイにしましょう」
「僕りんご大好きです」
「知ってるわ」
「僕魔女さんに撫でてもらうのも大好きです」
「じゃあおやつの後は思う存分なでなでしてお昼寝の時間にしましょうか」
「わーい!」
ツイッターで見た『#魔女集会で会いましょう』ってタグが猛烈にツボで自分もやってみたくなった結果の短編でした。