第十二話 行ってみな、お姫様が待ってるぜ ~黒ずくめは苦労人?~
一人、椅子に座り込む男。シュヴァリは暗がりの中、自らの右にはめ込まれた仮面を撫ぜた。
なにか、なにか言い知れぬ予感がする。体の奥がざわつくような、何者かに急かされる如き焦燥感。
「……アリシア、は……どうした……、ジーン、か……」
ゆっくりと椅子から立ち上がると、普段は会議用に使われる安作りの机にどっかと腰掛ける。
傍らに置いていた巨剣を抱きかかえるようにして、彼は目を閉じた。僅かな安息。暗がりの中にだけあるはずの、静寂が齎すはずの彼の安息は。
その瞬間、全く機能する事がなかった。いやに耳鳴りがし、焦りだけが募る。
「……何かが、俺を、急かして、……いる……」
何者かが、この俺を。
そう自覚した時、彼の安息への求めは消えた。同時に、体の底から湧き上がる衝動がその身を突き動かされる。
振り上げた腕で座っていた机を叩き壊すと、熱く、獣のような吐息を残してテントから出た。
「ジーン! キバルト! どこだ、来い!」
彼らの野営するその場所に山を揺らすような怒号が響き渡り、他の黒ずくめとなんら変わらぬ姿の男が一人、シュヴァリの元へ歩み出る。
怒鳴るな。皆、休んでいる所だ。
腕を組み、嘆息する男の背にはジーンと同じく大剣が収まっている。そんな彼の様子に気を留める事無く、ジーンは何処だと苛立たしげに問う。彼の言葉にはキバルトと呼ばれる男も疑問を感じているようで、姿が見えないなと並ぶテントを見回した。
「確か、ガキの面倒を見させていたな。トバリとか言ったか。おい、お前ら! ジーンを連れて来い! ガキの面倒は引き継げ!」
トバリ。キバルトの言葉を復唱し、シュヴァリは苦々しく顔を歪めた。
キバルトの令に皿を持っていた者らが早速とジーンを探しに行き、彼はシュヴァリを振り返って何の用なのかと問う。シュヴァリは、自らの右の面を撫でて、キバルトを見下ろした。
「何かが居る。探し出して殺せ」
「……あんたがそう言うんじゃあ……、そうなんだろうな」
シュヴァリの言葉に、キバルトは目を細める。シュヴァリの巨躯と比べれば一回り小さくも感じるが、それでも屈強な肉体を持っている。自らの体を締め直し、他にも皿にかぶりつく黒ずくめにシュヴァリに代わって号令を出す。
間違ってもトバリは殺すなと、念の為に確保してシュヴァリの所へ引っ張り出すように命じたキバルト。そんな彼の元へ、衣服もまともに羽織らずにジーンが走り出た。息を切らすその姿にキバルトは思わず硬直する。
「キバルト、……あの子が……! シュヴァリ様!」
シュヴァリの姿を深く頭を垂れる。申し訳なかったと、逃げられた事を詫びるジーン。
その姿はまるで、即座の斬首すらも受け入れかねない勢いだった。その肩を抱くキバルトに対し、シュヴァリは左目を細めてひとつ呻くと、未だ近くにいるはずだとジーンにもトバリと何者かの探索を要求する。
ジーンはその言葉に面を上げ、涙を湛えた目で力強く頷いた。
「全く、女ってのはどうも面倒だ。そう思わねえかい、シュヴァリ?」
「……同感、だな……」
すぐに踵を返して駆け出した背を見送って、キバルトは溜息を吐く。それに同意を示すシュヴァリだが、そのつっかえるような、歯切れの悪い言葉にその顔を盗み見れば、固い顔が見える。
キバルトは再びジーンの消えた闇を見て、重ねて溜息を吐きシュヴァリへ振り返った。
「今度はなんだ?」
「何も」
「嘘を言うな。義務だろう」
義務なら果たしている。
隻眼がぎろりとキバルトの上に落ち、彼はそれを睨み返した。ややあって、短髪をかき上げて視線をそらす。あまり心配をかけてくれるな、そう呟くのだ。
シュヴァリは答えず、自らのテントへと戻った。舌打ちひとつ、その場を後にしようとするキバルトの前に、口笛を鳴らして呼び止める者が一人。ザルファロだ。
「何の用だ」
「随分だなぁ、キバルト・デリック。口調には気をつけろ。シュヴァリと同格なのは俺らの間での取り決めであって、俺や他の二人はお前らときちんと線を引いているんだ。
お前らのリーダーみたいに自分達が俺らと同格だと思わんことだ」
にやけた面に不快感を隠そうともせず、唾を吐いて敬礼してみせる。ザルファロは結構な事だと肩をすくめて大きく笑う。
ジーンがへまをやらかしたってな。続くザルファロの言葉に、相も変わらず耳が早いとキバルトは肯定した。いや、今回は寝食を共に野営しているのだ。彼に限ったことではないだろうが。
その言葉に返すでもなく、ザルファロはキバルトの肩に腕を回すと耳元に口を近づける。
「なあ、いつになったら俺の所に来てくれるんだ? いつまでも泥舟に乗るこたない、そうだろう」
「断ったはずだぞ。あんた一人の統率で、そっちは上手く纏まっている。俺は必要ないだろう」
「そうでもないさ。それで言うなら、ジーン一人いればそれこそ、ここは十分纏まっているんじゃあないのか?」
憎たらしいその声に、キバルトは睨み付けて腕を強引に振り解く。お手上げだとばかりに諸手を上げて後退するザルファロに、キバルトは背の大剣を抜き放った。
これ以上、妙な事を言ってみろ。
その潰れた先端をザルファロに向けて恫喝する。首と胴を別けてやる、と。
「ああ、怖い怖い。お前らのチームはいっつもギラギラしやがって、怖い限りだよ。
最後にひとつ、お前ら、あの客人以外に誰を探すつもりなんだ?」
「俺が知るか。それこそお前〝様〟ぐらいしか分からないんじゃないのか」
「生憎とこっちでは、なんの手掛かりもなくてねぇ」
客人については、なにか手掛かりがあるのか。
目を丸くしたキバルトに、ザルファロはコインをひとつ投げ渡す。彼のいつものおふざけだ。
掌の上に収まるコインを見て、表かと歯を見せるザルファロへ投げ返した。
「ヨギルの陣営近くのテントだ。行ってみな、お姫様が待ってるぜ」
「礼は、言う。助かった」
「いいさ、尖兵がいるからこそ俺らも楽にやれてるんだしな」
後ろ手に豪快に笑ったザルファロに、キバルトは近くのテントでまだ寝ている仲間を集める。
移動される前に捕らえる。ジーンから逃れたほどのやり手だ、油断はするなと口にした。