8.未来の選択〜後編〜
冬空の下、だだっ広い平原の中を進む馬車。舗装も何もされていない土道の上を回る車輪は時折小石に躓き、馬車全体を揺らす。そんなガタガタと絶えず縦や横に揺れる車内で、睡眠を邪魔されたハクが椅子と激しい攻防戦を繰り広げていた。
「ピッ!」
不動の座席に対して、一方的に小粒のような爪の付いた小さな手を叩き付けるハク。それはかつて親父が受け止めた大地を砕く一撃によく似ていたが、何せサイズが手乗りである。猫パンチならぬ竜パンチは、大地を粉砕するどころか、太鼓のようにパシパシと椅子を奏でるに留まっていた。
そんな可愛すぎて止められないハクを見守る親父と母さんの視線は暖かい。会話はなくとも漂う空気は和やかなものだった。ゆっくりと流れていく外の景色も、そんな穏やかさを醸す一つの要因か。
俺は止むことのない揺れに涙目になり掛けていたハクを膝の上に乗せて、その頭を撫でた。
「寝る子はよく育つって言うけど、ハクは中々大きくならないなぁ」
「ピィ……」
甘えるように俺の膝の上で丸くなるハク。俺はトントンと一定の間隔でその背中を優しく叩く。やがて膝で緩和された揺れにも慣れてきてのか、寝息を立て始めるハクに、俺は笑みを零した。
村の外に出れるだけで浮き足立っている俺とは違い、ハクはいつもと変わらず寝る事に忙しいようだ。母さんでさえ、いつもの2割増しぐらいで機嫌がいいというのに、大した寝坊助である。
しかし、家事などで忙しく、中々外に出掛ける機会がないからか、今日の母さんは本当に機嫌がいい。
そんなご機嫌な母さんを見ていると、滅多に我儘を言わない良い子な俺も、子供らしくおねだりをしたくなってくるというものだ。
しかも、今俺たち家族が向かっているガバルディは、シエラ村近郊にある大きな街だ。そこへ何をしに行くのかは俺は知らないが、これはチャンスである。申し訳程度にしか店がないシエラ村では手に入らないようなものをねだりたい。
ねだりたいのだが……
5歳の誕生日に冒険者の装備を貰い、あと欲しいものと聞かれるとパッとは浮かんでこない。まったく困ったもので、どうも俺は無欲な人間らしい。でも、この俳優スキルを使えばイチコロであろうチャンスは見逃したくない。
そもそもの話、うちの親が当日になって突然行動し出す野人タイプなのが悪い。もっと早くに教えてくれたら、たっぷり考える時間があったというのに、毎度切羽詰らせてくるのは本当に何故だ。
余裕を持った人生について、家族会議を開きたい。我が家に足りないのは、それだと思う。
しかし、5年も経てばそんな家系の色に染まりつつあるのか、この状況でも冷静にものを考える出来るようになってきた。
俺は窓の外の景色を漠然と眺めながら、ねだるものを考えた。
今、必要なものと言えば、友達ぐらいなもので、他に欲しいものがないのは本当だ。無理に欲しくないものをねだるぐらいなら、視点を変えて将来必要となるものでもねだった方がいいかもしれない。
そう考えた俺は、将来繋がりでふと先日の事を思い出す。
冒険者になるには夢を見ろと親父は言っていたが、親父の言う夢とは、目標というよりは欲求に近いものだと俺は思う。
親父は湖のような場所を探したかったから冒険者になったわけで、行動の大前提となる自分の中の原動力となるものを知れ、とそう言われた気がした。
だから、夢を見るのはそう難しい事じゃない。やりたいと思うことが夢なのだ。
俺は自分の事を好奇心が強い人間だと自覚している。その好奇心が向く方向が広いという事も。
よく言えば、好奇心が旺盛。悪く言えば、目移りしやすい。
だから、夢を見る事はできても、夢を定める事は難しい。もちろんこれだというものに俺が、まだ出会えていないだけの話かもしれないが、夢が定まっていないのは事実である。
だから、また少し視点をズラしてみようと思う。
俺はどんな冒険者になりたいのか、だ。
目的と手段が逆転してしまっているが、具体的にどんな冒険者になりたいか決める事で、夢も自ずと定まってくるかもしれない。漠然と冒険者になるだけでは、将来必要となるものが何になるのか想像し難い。
必要なのは肉付けだ。しかし、やり過ぎでてんてこ舞いになってしまうのも、困りものである。魅惑のボン・キュ・ボンのスタイルを目指そう。
と言っても、いきなり完璧なスタイルは無理だから、まずは漠然と考えてみよう。
命題は、俺は冒険者になって何をしたいのか。
ふむ……正直言って、俺は何がしたいんだろうか?
何となく楽しそうだな、面白そうだなと、夢の世界での経験からこの世界を旅してみたいという気持ちはある。だが、観光や旅行の類のものかと言われれば、首を傾げたくなる。
何故なら、その原動力となるのが未知のものに対する興味だからだ。
単純に、宇宙人やUMAがいたら面白いという興奮。それを見たい、知りたいという好奇心。合わせてそれを探究心とでも呼んでもいいだろうか。とにかくそういう原動力が俺の中にはある。
だから、俺が抱いてる感情は、単に旅をしたいというよりは、冒険家や考古学者が持つ探究心に近いと思うのだ。
ならば、漠然とこう定める事にしよう。
未知を探究する。
ひとまずこれで良いか。夢が決まれば、自ずと定まってくるだろう。
じゃあ、次。
未知を探求するために、俺はどんな冒険者になろう?
やはりここはファンタジーな世界。冒険者は必然と魔物という危険に晒される事になる世界だ。最低限力はいるだろう。
だが、どれくらいいるのだろうか?
親父のような超人級にならないと未知への挑戦は厳しいのだろうか?
それはまだよくわからないが、親父を超えてみたい気持ちが心のどこかにある。やはり俺も男の子なのだろうか。ディクと同じで、俺も無意識のうちに父の背を追ってしまっているのかもしれない。
それに、ディクより弱くなった自分を想像すると、こう何というか……釈然としないものがある。やはり強さは大切だ。最低限、ディク以上は強くありたい。未満は嫌だ。
しかし、一言に強くなると目標を置いても、過程は色々あるはずだ。例えば、ガチムキ脳筋親父パターンや、虐殺処刑執行魔女パターンなど、地球よりも強くなる方法──つまり、成長の選択肢は多い。
俺は、どんな風に強くなろうか?
うん、段々具体性を帯びて来た気がする。良い感じだ。
さらに具体性を意識するなら、今出来る事を発展させたスタイルが一番地に足が着いている気がする。その方向でひとまず考えてみよう。
例えば、剣を極めた冒険者。
ふむ、良いね。響きが。やはり響きは大事だと思う。特に極めたってところが気に入った。よくある剣聖や剣神の冒険者版だな。
悪くはない。ただ、脳筋感が否めない。それはちょっと個人的経験談から遠慮願いたい。
だが、極める路線は良いね。それで責めよう。
でも、何を極めようか?
今出来る事で言うと……空間系、芸術系、演技系、魔法系が比較的得意とする部類か。
一つずつ想像してみよう。
空間を極めた冒険者。
ふむ、間取りの匠? 何というか、響きがビフォーアフターだ。
これはない。
次に、芸術を極めた冒険者。
ふむ、なるほど、なるほど。アーティスト路線で責めるわけか。時折、作品などを出して、あちこちから講演や展覧会の依頼を受け、世界を回るわけだ。
うん、ない。
じゃあ、演技を極めた冒険者。
ふむ、次はアクター路線か。いわば芸能人的冒険者を目指すわけだ。富と名声を手に入れ、世界中から多くのファンの熱烈な声援に応え、各地で舞台に上がる。そして、調子付いたところで、金曜日にバンッされ、地に堕ちると。
これだけはないな。
最後に、魔法を極めた冒険者。
ふむ、素晴らしい。文句のつけようがない。ファンタジー感を忘れない冒険者仕様。実に素晴らしい響きだ。
やはりこれだ。というか、候補の中で真面なのがこれしかなかったわけだが、ひとまずこれにしよう。
さて、割と呆気なく決まったものだが、そうなると問題が一つある。
それは、我が母であり、魔法の師であるミュラの指導法が致命的に終わっている点だ。
母さんの教え方は致命的に下手だ。普段の教養ならいざ知らず、魔法の教え方はクッソ下手だ。
それは何故か。
簡単だ。母さんが天才肌だからだ。
よく言わないか? 天才はわからない奴の気持ちがわからないから、教え方が下手だと。
母さんはそれをまさに体現したような人だ。もう何ていうかね……説明の8割型が効果音と感覚の話なんだよ。
わかるか! こちとら、魔法のない世界からやって来た5歳児だぞ!
おっと、すまない。日々の不満が漏れてしまった。
いやだが、俺もよくやっていると自分で思うのだ。母さんがやるのは手本だけ。あとはビートボックスだ。
俺はそこから、自分で必要なイメージを組み立て、魔力量を調整しと、独自言語を解読しているのだ。
しかし、そろそろ俺も知りたい。理論的な魔法を。
せっかく魔法を使えるというのに、何で使えているのかわからないというのは非常に嫌だ。それに、魔法に関して俺は天才肌というより、理性的に組み立てる方がどちらかというと性に合っている。
……となると、決まりだな。
ここまで具体性を帯びたなら、おねだりするものは、魔法の本以外にあり得ない。
よし、それでいこう。
そうして、おねだりの品が定まった頃合いで、ガバルディの街が進行方向に姿を現した。
〜〜〜〜
街は変わらぬ賑わいを見せていた。
ここに来るのは、何年ぶりか。一年ともう少しは、来た記憶はない。
それでもやはり印象に残っているのは、街の大きさと、人の多さ。大きさは外からでも見えるが、中に入ってみれば、案の定の人集り。普段見ることのない人の数は、村生まれ村育ちの子供にとっては、それだけで立ち止まるに値するものがある。それも、いわゆる獣人や耳の長い美形が混ざっているのなら尚のこと。
特に、人の街に比較的良く出入りする獣人はまだしも、生まれて初めて見たと言っていいエルフが、人種の中に混ざれば目立ちもするもので、俺の視線は自然とそちらへと向けられていた。
そんな無遠慮に美形に吸い寄せられていた俺を、怪しむ視線で見ながら、母さんが俺の手を引いた。
「こら、こんな所で立ち止まらないで」
軽く小言を貰い、人の波に消えたエルフから視線を戻した俺は、騒々しくも賑やかな街の中を、親リフレクトによって安全第一に歩く。気分は両翼をボディガードに挟まれ、レッドカーペットの上を歩いているかのようだ。
そんなエセにも程があるセレブ感を味わいながら、歩き着いた場所は、村にはない本屋。
古くも新しくもない外観の建物の中に入ると、出迎えてくれたのは、古びれた書物の並ぶ棚と、風化した頭頂の店主だった。
「いらっしゃいませ。今日はどのような本をお探しでしょうか?」
「この子が魔法の本が欲しいと言い出しまして、子供にもわかる簡単なものなどありますでしょうか?」
店主の笑顔での出迎えに、母さんは丁寧な言葉使いで返した。
だが、待て。
「母さん、僕が欲しいのは本格的な魔法の理論書だよ?」
「そうね、それを探しましょうね」
「はははっ、利発なお子さんだ。将来有望ですな」
「そりゃ、俺の息子だからな!」
「あなたに似たら、お馬鹿な筋肉ダルマになるじゃない。この子は、私に似たの」
何やら俺はどちらに似ているのかの議題が勃発してしまったが、今の返しは軽く流されたような気がしてならない。このまま任せてしまっては俺に提示されるのは、絵本と同等の品になってしまうだろう。
ならば、仕方ない。ここは、再び俳優さんをスタンバイさせ、泣き落とし作戦へと切り替えよう。
そう考えを改めた俺は店主の前にも関わらず、言い合いを始めた両親を放置して、本の表紙に目を這わした。
ふむふむ、色々あるな。魔法書だけでなく、物語のようなものから、自伝のようなタイトルがついた本まで、種類は多様だ。
その中で、俺の目に初めて止まったのは、難しそうな言葉と理論で書かれていそうな魔法の本……ではなく、『冒険者の夢』という背表紙が貼られた一冊の本だった。
「あれ、欲しい」
ポツリと口から出た言葉に、えっと大人3人が揃って顔を向ける。
俺は、タタタッと小走りに本棚へと駆け寄って、背をグッと伸ばすと、その本を抜き出した。
「これ」
「『冒険者の夢〜七つの秘境〜』? 魔法の本が欲しいんじゃなかったの?」
「うん」
確かに当初の予定では魔法の本を購入する予定だった。
だが、時は移ろうものだ。人はその時の流れの中で、幾度と心変わりし、特に体感時間の長いと言われる幼少期など、フラフラしているものなのだ。
と、少し壮大に語ってみたが、端的に言おう。
「どっちも欲しい」
つまりはそういう事である。今こそ、隠匿されし超絶秘奥儀の発動も止むをえない。
すなわち、無垢な子供のウルウル光線。
「うっ……」
さすがはゲームバランスを崩しかねない親殺しの必殺技。効果は抜群のようだ。俳優さんは相変わらずいい仕事をする。
「……仕方ないわね。滅多に言わない我儘だもの。街に来た時くらいは許しましょう」
「ありがとうっ、母さん!」
我儘を聞き入れてくれた母さんに、俺は感極まって抱き付いた。普段は我儘一つ言わず、大人しく村の中で暴れ回っていた甲斐がある。
「それじゃあ魔法書の方も早く選んじゃいましょう」
母さんは俺を抱きかかえて立ち上がると、店主を見る。
「あっ、はい。子供用の魔法書でしたね」
店主は視線だけで意図を察したようで確認を取るように呟きながらも、申し訳なさそうに声音を弱らせた。
「ですが、生憎とこの時期は品切れになり易い品でして……年度が変わる頃には、受験を終えた子供らから大量に入荷出来ると思うのですが……」
印刷技術の発達していないこの世界では、本は一般的には中古の品ばかりのようだ。言われてみれば棚に並ぶ品はどれも古い。数自体余りないのだろう。
考えてみれば当然で、手書きなのだから写本を作るのにも時間はかかる。少なくなって当然。世界に一つだけの本などざらにあるだろう。
だから、幾ら子供向けと言っても、本は使い回し。子供用の魔法書なら、その需要はディクのように受験勉強を始めた子供にある。逆に供給は先に受験を終えた子供から持たされるわけだ。
でも、今はこれが好都合。
「僕が欲しいのは普通の本だから関係ないね!」
「……そうね。ないのなら、簡単なものを見繕いましょうか」
「それでしたら、あちらの棚に魔法書はまとめて置かれております。どうぞご自由にご覧下さい」
丁寧な手付きで教えられた場所には、数十冊ほど本が数段に分け並べられていた。全てとは言わないが、タイトルの一部には魔法やそれを連想させるような言葉が使われており、そこにある本全てが魔法に関連する書物である事がわかる。
「どれにしましょうか。あまり難しいものだと、レイが魔法を嫌いになってしまいそうだから困りものね……」
確かに、嫌いになるほど難しいものは俺も遠慮したい。子供向けでなければ、あくまで簡単に、魔法理論の導入書となるような本が欲しい。
パッと見渡した限りで目に付いたのは、属性別の魔法や階級別魔法、職業に応じた魔法など、どちらかと言うと魔法の種類について書かれているような本が多いように思える。
「この『中級魔法指南書』はどうかしら? 内容もさほど難しくはなさそうね」
パラパラとページを捲り、ザッと目を通した母さんは俺にその本を渡してきた。俺はそれを受け取って、同じように中を確認してみたが、魔法名とその発動の仕方について書かれただけの便覧のような印象を受けた。
適当に開いたページで内容をより詳しく見てみると、俺の知らない魔法が記載されていた。タイトル通りならこれが中級魔法に当たるものなのだろう。
確かに俺は今、中級魔法を練習し始めたところで、まだまだ知らない魔法は多い。この本に全て書かれているとは思わないが、それでもこの本から学ぶ事は多々あるだろう。
だが、これではないのだ。俺が今欲しいのは、一つ一つの魔法について詳しく書かれた本ではなく、全体を通して魔法という現象について詳しく書かれた本なのだ。
俺は首を振って、本を母さんに返した。
「何かの魔法が書かれた本じゃなくて、僕が欲しいのは、魔法が何かについて書かれた本だよ」
「それはとても難しい話よ? レイにはまだ少し早いかも。それに色んな考えが混在しているから、余りタメにならないかもしれないわよ?」
「えっ、そうなの?」
魔法の仕組みは世界的には既にわかりきった事と思っていた俺は、思わず聞き返していた。
「ええ、少なくとも私の知る範囲では、曖昧なものよ」
「そう、なんだ……」
道理で魔法便覧のような本が多い訳だと納得する反面、魔法理論から学んでいこうという目論見が外れ、何から手を付けていけばいいのだろうという思いに駆られた。
やはり母さんの言う通り、詰め込み学習をしていくしかないのだろうかと、諦めかけた時。
ふと、俺の目に止まったのは、比較的新しい一冊の本だった。
「『魔法の法則性』……? 母さん、あれはどう?」
「えっと……これかしら?」
「うん」
俺の手に届かないところにあった本を母さんは確認を取りながら抜き出すと、ペラペラとめくり始める。しばらくその内容に目を通していた母さんは、一瞬目を見開き、それからうんうんと首だけで頷いて、本を閉じた。
「どうだった?」
「そうね……魔法書というよりは、少し研究報告という部類に近いものかしら。でも、基本的な事について書かれてあるから、レイのためにはなるかも」
「じゃあ、それにする!」
俺はサラッと内容に目を通した母さんの言葉を信じて、即決した。
基本的な事でも、研究的な視線で語られるのなら、少なくとも、他の魔法便覧よりは俺が求めているものに近い気がしたからだ。
「わかったわ。じゃあ、この二冊を買いましょう。でも、これ以上は我儘を言ってはダメよ?」
「うん、言わないよ!」
俺は子供らしく素直に親の言葉に頷いて、ソワソワしながら母さんがお金を支払うのを待っていた。親父は本アレルギーなのか既に夢の中だったが、母さんに叩き起こされ、何事だと店内で剣を抜こうとした時は、この人さすがだなと思った。もちろんいい意味ではないが。
そんな一悶着があった後、母さんに手を引かれて、店を出ようとした時だった。
見送りの店主に手を振りながら、何気なく店内を見返した俺は、一冊の本に目を奪われた。
んっ……? あれは……どこかで見たことがあるような……
俺は、どこだっただろうと首を傾げだが、引かれる手に逆らう事は出来ず、その店を後にした。
あれは……
〜〜〜〜
──思い出した。
あれは、あの文字は──夢で見た文字だ。
「レイ、どうかしたの?」
「えっ?」
名前を呼ばれ顔を上げると、母さんが俺の顔を覗き込んでいた。
「さっきからボンヤリしてるけど、何か気になる事でもあった?」
「う、ううん、何でもない。本の中身が気になってただけだよ」
「そう、ならいいのだけど……そろそろ教会に着くから、ちゃんとしなさい」
「教会?」
何だか、既視感があるぞ。
大体5年くらい前にも、わけもわからず教会に連れて行かれた事があった。その時はまだ言葉も話せず、結局後からステータスプレートを貰う儀式だった事を知ったわけだが、今回も何か貰えたりするのだろうか?
「どうしてまた教会に行くの?」
「それはね、体を新しくするためよ」
……俺はこれから、怪しい儀式にでも参加させられるのだろうか。
不安になってきた。
「ね、ねぇ、それってやらなきゃダメなの?」
「もちろんよ。しないとこれ以上大きくなれないわよ? それでもいいの?」
それは嫌だが……
と、そうこう話している内にも、教会へと着いてしまった。
懐かしい、とかつて一度だけ見た教会の建物を見て以前訪れた時の事を思い出していると、俺の目に止まったのは以前にも気にはなったが、結局聞き忘れていた建物の外面に刻まれた紋様だった。
「母さん、あの絵は何?」
「あれは神様の絵よ。世界には、神様が10人いるの」
「10人も……?」
複数の神が一つの教会で同じように祀られているのか?
それはまた随分とおかしな話だと、感じてしまうのは、宗教戦争というものが地球世界ではあった事を知識として知っているからなのか。
母さんはそれを特に不思議にも思っている様子もなく、一般常識でも語るように極々普通に一つずつの紋様を説明してくれた。
「右上から順に、創世神、精霊神、獣神、鍛冶神、女神、竜神、妖精神、死神、海神よ」
よかった、天照大御神とか長ったらしい名前じゃなくて。これならどうにか覚えられそうだが……
俺は一つどうにも腑に落ちなくて、首を傾げた。
「でも、9個しか絵がないよ?」
「それは大昔に世界を滅ぼそうとした邪神よ。……いいえ、違うわね。今も、世界のどこかでそれを狙ってる。そんな迷惑な神を祀る教会はないわ」
邪神を語る母さんの言葉は明らさまに刺々しかった。邪神は嫌いらしい。
しかし、今のはどういう事だろう?
正直、宗教の自由が保障されていた日本育ちの俺は、神というものを信じていない。信じるに足る何かを経験した事がないからだ。むしろ居たのなら恨み言の一つでも言ってやりたい程度に思っている。
だが、母さんの今の説明は、まるで本当に神がいるような言い方だった。
……いや、疑いを持つ俺がまだこの世界に馴染みきっていないだけかもしれないが、こちらの世界に神がいないと決めつける根拠を俺は持ち合わせていないのは確かだ。
「さぁ、中に入りましょう、レイ」
「……うん」
母さんに促され、俺は頷き手を差し出した。その手を引かれながら、心ここにあらずで、教会の扉をくぐる。
もし……神がいるのなら、その中に俺をこの世界に導いた誰かが、いるのだろうか?
だとしたら、何故?
特に取り柄があるわけでもない俺なんかを、呼んだのだろう?
単なる偶然……と片付けるには、些か出来すぎている。
夢と同じ世界観。
夢と同じ手順で、魔法が発動出来る。
夢と同じ魔物が存在し、魔物を殺せば同じように体は黒い煙となって消え、魔石と素材だけが残る。
そして、決定的だったのは、先程の本屋で見かけた夢の世界で見たものと瓜二つの文字。読めはしないが、見間違いだとも思わない。あれは夢の中で見た事のある文字だった。
これだけ揃ってしまっては、世界の空似と自分を騙くらかす事は出来ない。俺に起きた不可思議な現象を鑑みても、偶然ではなく誰かが俺をこの世界に呼んだのではないか────そう感じてしまう。
「……イ……レ……レイ! シャンとしなさい!」
「いっ……⁉︎」
耳元で叫ばれ、何事だ! と背筋をピンと伸ばした俺は、知らぬ間に緊急事態に陥っている事に気がつく。
そう──
「な、何かな……母さん?」
──怒れる魔女様がそこにはいた。
「何かな、じゃないでしょう。初めてが怖いのはわかるけれど、ほんの少し意識が飛ぶだけよ? ちゃんと神父様の質問に答えなさい」
……えっ? いったい俺はこれから何をされるの?
打たれるの? 焼かれるの? 貼り付け処刑にでもされるの?
「あ……あの、何が始まるの?」
恐る恐る俺は目の前の神父へと聞いてみた。とりあえず、貼り付け処刑からはこれで逃れられただろうか?
「何、というと【進化】ですが? それで、選ぶ神は決まりましたか?」
「【進化】……?」
「レイ……あなた話を聞いていなかったのね」
「そ、そんな事ないよ? 進化ね、進化ね。うん……進化かぁ〜」
何とか誤魔化せただろうか、と冷や汗を流しながらも、俺は脳を急速回転させる。
【進化】って何だ⁉︎
いや、意味はわかるよ? ただ俺は〇〇モンって名前の種族じゃなくて、人種なんですが!
──んっ? 種族?
そういえば、ステータスに種族を表す欄があったが……確か今の俺は【人間(幼児)】だった。
赤子の頃からこれだ。レベルがカンストしてから二年も経つのに未だ変わる気配はない。
だが、進化によってこれが次の段階へと進むとしたらどうだろう?
レベルがリセットされ、またレベル1に戻るとしたら、ステータスに関する謎が一つ取り除かれるのではないだろうか。
すなわち、レベルカンスト→進化→レベルカンスト→進化という具合に、最終的にはレイモンはアルティメットレイモンへと段階的に成長していくシステムなのではないだろうか。
だとすれば、この状況は誕生の儀と同様に、教会でしか出来ない【進化】を目的にやって来たと説明出来る。
そして、教会でしか出来ない理由は、先程の神父の言葉を考えれば、自ずと見えてくる。
つまるところ、進化のために先程母さんに教えてもらった9神の中から神を1人選択しろと、今俺は要求されているのではなかろうか。
「選ぶ神様は……誰でもいいの?」
「いいえ、先程も言った通り、加護を授けて下さる神様は、限られています。女神様と死神を除いた7柱の神様の中でなら、誰を選ぼうとあなたの自由ですが」
なるほど、足りない情報が手に入った。
どうやら進化には加護が必要らしい。何とも神様らしい仕様だが、加護といえば特殊な能力を授かったりするのが定番の設定。しかも、選べと言うからには何かしらの違いがそこにはあるのだろう。
俺は独り言のように疑問を零す。
「冒険者になるのならどれがいいんだろ?」
「そうですね……経験的に精霊神様の加護は魔法が上達し、獣神様の加護は身体能力の向上すると言われているので、よく好まれます。あとは妖精神様の加護が方向感覚が鋭くなり、生命力が強くなると言われているので、そちらも冒険者の方には好まれます」
やはり加護の効果はそれぞれらしい。それも、随分と効果に差がある。何となくだが、この【進化】の流れに理解が進んできた。
「他の神様の加護も、知りたい!」
「ええ、構いませんよ。初めては悩む子も多いですから、よく聞いてよく考えて、自分の将来を見据えましょう」
幼稚園の先生のような事を言う神父。だが、確かにこの選択は将来を左右する。
おそらく今俺が選ばされているのは、自分の成長の仕方。加護というアシストを受けて、どの道に進んでいくかを選ばされているのだ。
俺は真剣に神父の言葉に耳を傾けた。
「鍛冶神様の加護は手先が器用になると言われているため、物作りの道を進むのなら是非とも選ぶべき加護でしょう。竜神様の加護は魔獣と心を通わせ易くなると言われ、テイマーと呼ばれる方々に好まれます。海神様は船酔いせず海の上で調子が良くなると言われ、船乗りが良く選びます」
なるほどと、頷いた俺は、一度頭の中で整理した。
今のところ、冒険者の仕事に役に立ちそうな加護は、精霊神、獣神、妖精神、竜神の4つ。
最後に残った創世神というズバ抜けて凄そうな神の加護はいったい何なのか。
そう期待した俺に、神父は言った。
「そして、最後に創世神様の加護は、可能性を広げるとそう言われていますが、具体的には何も。殆ど誰も選びません」
「可能性……」
明らかにオススメはしないと言いたげな神父だったが、それを聞いた側の俺は激しく揺れた。
「さぁ、あなたはどの神を選びますか?」
普通ならここで、精霊神を選ぶのが正解なのだろう。俺は魔法を極めようと先ほど決めたばかりなのだから。
だが、今は本当にそれでいいのか、自問自答していた。
たぶんだけど、俺は知りたいんだ。
何か意味があるのなら、その意味を俺は知りたい──とそう思ってる。
この夢とそっくりな世界に俺が転生した理由を。
だが、それが偶然でなく意図したものなら、俺を待ち構えているのは、きっと碌でもない事で、きっとこの世界の人だけでは対処できない事で、きっと過酷な試練となるのだろう。
でも、だとしたら、本当にこれが正解なのだろうか?
魔法を極めるだけで、本当にいいのか?
いや、俺はそう思わない。
転生チートがありながら、一人の子供にすら大敗を押し付けられない俺は、天才には叶わない。才能がある子に比べれば、転生チートに底上げされた俺の才だけではまったく足りないのだ。
俺は、凡庸だ。ディクのように突き抜けた才能を持っていない。
それを認めていて、たった一つの、果たして鋭いかもわからないこんな武器だけで、挑もうと言うのか?
そんな馬鹿な。愚行にも程がある。
何もかも出来なければ、ディクのような特別な才能を持たない俺には、到底辿り着けない。
「俺は……」
言葉が途切れる。
これは賭けである、と俺自身認識していたからだろう。
凡才な俺が、可能性だけを貰って何が出来るのか。
あるいはただの器用貧乏になるだけかもしれないと、葛藤があった。
でも……と俺が思い出したのは、湖での一時。
そこで描いた不明瞭で、不確定な白紙の地図を思い出した。
……そうだ。俺が求めるのは、未知。可能性の先にある、未知なのだ。
格好いい言い方をするのなら、俺の可能性もまた未知数。
具体性のある未来など糞食らえ。
俺がなりたいのは、どんな未知にも挑戦していく冒険者だ。
俺の生まれた理由に。
世界に隠された謎に。
誰も行ったことがない場所に。
挑戦する資格を持った冒険者だ。
そのために必要なのは、全てだ。何でも出来て初めて、何にでも挑める自由を手に入れる事が出来るのだ。
将来、未知を前にして立ち尽くす自分を想像するのは、我慢ならない。限界などに俺の道を絞られたくない。俺が今、心から欲しているのは、その自由さだ。
だから、これでいい。
それが馬鹿な賭けだとしても、俺が描いた未来にこの選択は必須だ。逆にこれ以外に残された可能性はない。
「創世神の加護を選択します」
さぁ、一世一代の大博打の始まりだ。
俺は可能性に、可能性を賭けてみる。
これが吉と出るか、凶と出るか。
一つ自分の可能性を信じて、突っ走ってみよう。
何でも出来る──万能な冒険者に向かって。