58.失われし記憶後編
5年後、日常は突如として崩れさった。
セルナが食事の支度をし、俺はそれを見ながら寛いでいる、静かたが心が落ち着くいつもの日常。
しかし、その日は珍しくほとんど会話らしい会話がなかった。俺が何を言ってもセルナはどこか上の空で、話しかけても生返事のような答えが返ってきて、会話が続かない。
機嫌でも悪いのかと思った。
しかし、それは大きな間違いだった。機嫌ではなく、調子が悪かったのだ。
俺は何年も二人で同じ時を過ごしたのに、その事に気が付けなかった。
セルナは突然、なんの前触れもなく、糸が切れた人形のように倒れた。
「セルナ‼︎」
「…………」
カラランとセルナの手にあった包丁が床に落ち、転がった。直後、バタンとセルナが倒れ伏せる音が響き、俺は慌てて彼女に駆け寄り、抱き起こした。
彼女を抱く腕を揺らし、大声で呼びかけでも、セルナは眉ひとつ動かさない。無論、目は閉じられたままで、開く事もない。
俺は焦りと不安から、何度も彼女を揺さぶった。だけど、やはり反応はなく、俺の腕は彼女の汗で濡れていた。
セルナの体は脂汗でビッショリで、かなり無理をしていた事がまるわかりだった。
俺はすぐにセルナを抱きかかえ、ベッドへと寝かせた。
濡れたタオルを額に置いたり、汗を拭いたりと風邪の時のような看病しか出来なかった。これでいいのかと不安に駆られながらも、今は出来る事をしようとひたすら思い付く事をやった。
いつもならとうに寝て元の世界に帰っている頃になっても、俺は眠ろうとはしなかった。こんな状態のセルナを置いて帰れるわけがない。
セルナが目覚めるまで看病するつもりだった。
だけど、俺にはその時間が残されてはいなかった。
突然、意識が遠のいた。それは抵抗する隙も与えないほど突然。逆らう余地すらないほど強制的に。
俺の意思を無視して夢が覚める。
「ふざけるな‼︎」
目が覚めるなり、怒鳴り声を上げた。気を失ったセルナを残して、強制的に現実に戻された理不尽に怒りを覚えた。
急いで戻らないとと、ベッドに潜るが、夢を見る事が出来ない。眠る事は出来ても、夢を見る事が出来ない。
何で……何でだよ‼︎
焦燥に駆られても何の解決にもならなかった。ただ時間だけが無常に過ぎていく。
結局、夢に入る事が出来たのは夜になってからだった。
〜〜〜〜
「セルナ‼︎」
「わっ! ビックリした」
ベットから飛び起きると、ビクッと体を震わせるセルナがいた。
いつもと変わらぬ様子で家事をこなしていた最中だったセルナ。顔色は悪くない。俺はそれを見て胸を撫で下ろした。
「セルナ、体は? 寝てなくていいの?」
「うん。心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
「無理はよくないよ。俺がするからセルナは寝てなよ」
俺はセルナを気遣った。
無理せず、ゆっくりしていて欲しかった。
けれど、彼女は首を振って、笑うのだ。いつものように笑って、大丈夫と弾むような声で、言うのだ。
だけど、俺にはその笑顔が何故か悲しげに見えた。
「大丈夫、大丈夫。今日はいつもより調子いいんだぁ。レイジが看病してくれたお陰かも」
「看病なんて……俺は……何も出来なかったよ」
数時間程度しか看病する事が出来なかった。それも見よう見まねの、正しいのかもわからない方法しかとれなかった。
俺は自分が情けない。
この世界に来てセルナにどれだけ助けてもらっただろうか?
出会いから、もう数え切れない程彼女に助けてもらった。
それなのに俺は……何も返せていない。
そんな恩だけを募らせる俺に、セルナは優しく言葉を掛けてくれる。
「そんな事ないよ」
セルナは俺の頭を抱えるようにして抱きしめた。
慰められているのだと思った。
だけど、頭に落ちた冷たい水滴がそれを間違いだと主張する。
「セルナ?」
「ごめんね……」
「え……?」
聞き間違いかと思った。けど、耳元で呟かれた声は震えていて、頭に落ちる水滴は一層冷たく俺の髪を濡らす。
「あ、謝るのは俺の方だよ。セルナを看病出来なかった……セルナは何も悪くないよ」
「違う……違うの」
頭を強く抱えられた俺にはセルナの顔を見る事が出来なかった。だけど、その声が、頭に落ちる水滴が彼女が泣いている事を伝えてきた。
「レイジ、あなたはこの村を出ないといけないの…」
「な、なんで? 俺ここから出て行きたくないよ! セルナと離れたくないよ!」
それは突然過ぎる宣告だった。受け入れるなんてもってのほか。それをセルナが口にした事さえ信じたくはなかった。
ここにいたい。セルナと離れたくない。
その思いで、俺は彼女の抱擁を振りほどきセルナの泣き顔を目に映す。
そしてーー
「ごめんね」
「……っ」
セルナは今まで一度も見せた事のないほど、悲しげで、辛そうな表情をしていた。そんな顔で謝られた俺は、一瞬言葉を失った。
そんな俺を泣き笑いして、セルナはもう一度抱き締めた。
「強く生きて。風邪引いちゃダメだよ? ご飯はちゃんと毎日食べなきゃダメだよ? 外の世界は怖い人がいっぱいいるから気をつけてね? 大好きだよ、レイジ」
「ま、待ってよ! セルナ! 僕はこの村を出て行きたくないよ! セルナとここで生活してたいよ!」
訳が、わからない。
どうして、僕はこの村を出て行かないといけないんだ。
今生の別れのような言葉を口にしたセルナは、取り乱す僕を離すと家を出ようとする。それを引き止めようと手を伸ばすが、それは扉から入って来た男に掴まれた。
「さよなら、レイジ……」
家を出る瞬間、振り返り別れを口にしたセルナの顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。僕も似たようなものだ。
そして、セルナは2度と振り返る事なく扉の外へと消えていった。
「待って! 待ってよっ、セルナぁあ‼︎」
僕の悲鳴のような叫びも、セルナを引き止めるには至らない。一歩、一歩、彼女の背中が遠のいていく。
僕はその度に泣き叫び、男の拘束を解こうと暴れた。しかし、男は僕の背中をガッチリと羽交い締めにして離そうとしない。
やがて彼女の姿が完全に見えなくなると、僕は代わりに入って来た男に、村の出口まで引きずられ放り出された。
「レイジ! お前のこの村への出入りを禁じる!」
門の外に放り出された僕に渡されたのは……追放だった。
「ぼ、僕は……」
「行け‼︎ 行かなければ……」
男は腰に差していた剣を抜き放つ。その行動が、その恐ろしいほどに鋭い目が、今行かなければ切ると言外に宣言している。
それに対して、恐怖が湧き上がる。怖い、斬られたくないと恐れを覚えた僕は、この時初めて男をちゃんと見た。
その男は村の戦士長。つまりーー村最強の男だった。
それでも、村の一員だった僕は。
セルナと離れたくない僕は。
「でも、僕にはここ以外行く所なんてないよ!」
この理不尽な追放に納得など出来ないと、声をあげた。
そんな僕に、戦士長はスッと剣をあげ、僕を指した。
「ここを真っ直ぐ行けば大きな街がある。そこに行けばいい。それからは好きにしろ」
「だけど……」
「くどい」
何とかここに残ろうとする僕のすぐ前の地面を、冷たい一言と共に切り裂いた。
深く抉られた地面。次はこれを当てるとでも言うように、剣先を向けてくる戦士長。
怖かった。初めてゴブリンに襲われた時のような体の底から震える恐怖が、僕を後退させた。
「あ、あ……うわぁぁぁあ‼︎」
僕は気が付けば駆け出していた。戦士長が指した街へと続く道へ。
涙で前が見えなかった。村を出たくなかった。セルナといつまでも変わらぬ日常を過ごしていたかった。
けれど、僕は怖くて、一直線に村から逃げ出した。
〜〜〜〜
村を出て半年が経過した。
俺は戦士長に教えられた街で生活をしていた。日々の生活を送るために、冒険者になった俺はその日暮らしの生活を送っていた。
目が覚めるとギルドに行き、簡単な依頼を受け、帰ってきたらその稼いだお金で適当に食事を取り眠る。宿は借りていない。公園や時には街の外で寝ている。
危ないのはわかってる。だけど、どうでもいいと思っていた。
この体がなくなれば、この世界に来なくて済むと考えていたからだ。
もう……夢を見たくはなかった。
夢を見てもセルナに会う事は出来ない。きっとセルナは俺に失望したんだ。村の人も。看病の一つも満足に出来ない俺に失望したのだ。
そんな思いが、恐怖に抗ってもう一度村に行く事を躊躇わせた。
近くにいるのに、いる場所はわかってるのに会いにいけない。もどかしい気持ちが、何をするにも付いて回る。こんな思いをするくらいならこの世界になんか来たくない。
そんな変わってしまった日々を送っていた時ーー
「ねぇねぇ知ってる? あの噂?」
晴れる事のないもどかしい気持ちを抱え食事をしていると、近くの席で食事をしていた男女の話し声が耳に入って来た。
「噂? なんだよ噂って?」
「なんでもねぇ、この街の領主様がさぁ、竜の目を取ってきた人に万能薬をくれるって噂を聞いたのよ」
万能薬⁉︎
俺はガタンと椅子を蹴飛ばし、万能薬と口にした女性に詰め寄った。
「それって本当ですか⁉︎」
「えっ?」
いきなり飛び込んで来た俺に2人は驚いていた。そんな二人の様子がもどかしくて、俺はもう一度声を荒げた。
「だから! その話は本当の事ですか⁉︎」
「わ、私は聞いただけだから……領主様に聞いてみたらわかるんじゃないかしら?」
「ありがとうございます!」
俺は食べ終わっていない食事をそのまま残し、お金を払って、慌てて店を出た。そして領主邸に向けて走り出した。
この時、俺の頭には、万能薬があればセルナを助けられる。その事以外何もなかった。
「止まれ!」
領主邸の門に立つ鎧を纏った騎士が走り込んできた俺の前に立ち塞がった。その顔には警戒の色が浮かんでいた。
「ハァハァ、噂って、ハァハァ、本当なんですか?」
「噂?」
「竜の目を持ってきたら、万能薬がもらえるって」
「万能薬? ああ、世界樹の雫の事か。本当だ」
「本当ですか⁉︎」
俺は騎士の手を取り上下に振り回した。騎士は『おおう……』と若干引き気味だ。
しかし、そんな事とはつゆ知らず、セルナを助けられるかもしれないという希望を見つけ、俺は喜びを噛み締めていた。
そして、同時に万能薬を持っていけば、またあの村で暮らす事を許してもらえるかもしれないとも考えていた。
竜の目、絶対に手に入れてやる!
〜〜〜〜
「ここに竜がいるのか……」
ギルドの依頼にあったリトルドラゴンの居場所に俺は来ていた。A級のクエストだ。まだ冒険者になって間もない俺には受けることが出来ない依頼。
だけど、竜がいる場所はわかった。それで十分。この時の俺には実力差とか、勝てないとかそんな考えはなかった。
竜の目を手に入れて、セルナを助ける。
その想いが俺に無茶を敢行させた。
装備は贔屓目に見ても、冒険者成り立ての初心者。まともに魔物と戦った経験もない。
だが、この体があれば何とかなるんじゃないかと思っていた。
しかし、その考えは甘かったと俺は直後に思い知る事になった。
ドゴォォォォオン‼︎
地面をまるで豆腐のように砕く竜の一撃。それは単に足を振り下ろしただけの攻撃だった。
出会ってわずか数秒、俺はその一撃を避ける事も防御する事も出来ずに受けて、踏み潰された。
「ガハッ‼︎」
大きく抉られた地面の中心で血を吐く。
ば、化け物……強すぎる……
隔絶とした実力差、何も出来ない自分。これ以上ない程の無力感。
セルナ……ごめん……
ここにいないセルナに心の中で謝りながら、僕は再び振り下ろされた足の下で意識を飛ばした。
〜〜〜〜
ーー死んだ。
何も出来ずに。折角のチャンスを掴むことすら出来ずに。
僕は無意味に、死んだ。
現実で目を覚ました僕は涙を流し、何も出来なかった自分を責めた。
セルナを助けられると思ったのに。また前のように暮らせると思ったのに。結局、僕は何も出来ない子供のままだった。
会いたい……セルナにもう一度。
あれ程もう行きたくないと願った世界に、もう一度行きたいと願った。
もう一度だけ僕にチャンスを。
セルナを助けるチャンスをくれと。
その願いは叶えられる事はないと思っていた。そんなに甘い話はないと。
だけど、夢は僕に優しかった。
夜になり、眠りについた僕を待っていたのは、竜の死体だった。真っ二つに切り裂かれたリトルドラゴン。その切り口は驚く程綺麗で、骨まで真っ二つに切り裂かれていた。
恐ろしく強かったリトルドラゴン。その竜よりも遥かに強い者がこれを成した事が、その戦いを見ていない俺にも理解できた。
「いったい誰が……いや、それより早く眼を……」
セルナはこうしてる今も病気で苦しんでるんだ。一刻も早く万能薬を届けないと。
死んで数日が経過していた竜の死体は動物に食われた跡が残っていた。
しかし、眼は無事に残っていた。大きな眼だ。両手で抱えられるぐらい大きい眼を切り出し、持ってきたカバンに入れると駆け足で街に戻る。
待っててセルナ。すぐ行くから。
〜〜〜〜
「領主様に眼を持ってきました!」
「おおう……? 確か君は……」
「早く領主様を呼んできてください! 万能薬を!」
「おおう……」
『おおう……』という口癖がある騎士は領主邸に領主を呼びに向かった。数分後、戻ってきた騎士に連れられ屋敷の中に入った。そこで待っていたのは恰幅の良いおじさんだった。
「お主が竜の眼を持って来てくれたのか?」
「はい! これで万能薬をもらえるんですよね⁉︎」
「万能薬? ああ、雫の事か。ふむ、その通りだ」
「やった‼︎」
子供のように喜ぶ俺に、騎士も領主も若干引き気味だ。大の大人がこんな喜び方をすれば仕方のない事なのかもしれない。周りから見れば、違和感というか、気持ち悪いだろう。
「これが報酬の世界樹の雫だ」
「わぁ! 綺麗な水だ! これが万能薬なんですね⁉︎ ありがとうございます! はいこれ! それじゃあ!」
雫を受け取ると、乱暴にカバンを領主に投げ渡し、屋敷を飛び出した。
「おおう……」
「子供のような男だったな……この街の教育にもっと力を入れねばならんかもしれん」
おかしな男の突然の訪問。それが後に学術都市と言われる都市の原点と知るのは、この二人だけである。
〜〜〜〜
「止まれ!」
半年振りの村。門と外壁しかまだ見えていないが、それでも懐かしく感じる。その懐かしさが俺の足を止めた。
それをどう思ったのか、門番が近づいて来た。
「お前は……! 何故戻って来た?」
「これをセルナに……」
近づいた事で俺の顔を確認した門番は、一瞬驚いた顔をした後、すぐに真顔で剣に手を当てた。
俺はそれを片手で制し、もう片方の手で薬を差し出した。
それを受け取ると、門番は訝しげな視線を俺に向けてくる。
「これは?」
「万能薬です。世界樹の雫」
「世界樹の雫⁉︎ 馬鹿な……これをセルナの為に、手に入れてきたというのか……?」
「はい!」
唖然として雫を見つめる門番。それからここで待つように指示して来た門番に従い、門の外で待った。
これできっとセルナは助かる。そうしたら、一度くらい会ってくれるはずだ。村で生活する事も許してもらえるかもしれない。
そんな事を考え、ワクワクして待っていると門が開いた。
そして、その門から出てきたのは先程村に入っていった門番ではなく……戦士長だった。
「セルナに会いたいか?」
「はい!」
前と違い、穏やかな声で聞いてきた戦士長。俺はセルナに合わせてくれるのかなと声に力を入れて答えた。
「そうか……抜け。俺を倒せば通してやろう」
「……えっ?」
「男なら意思を力で示せ」
そう言って剣を抜いた戦士長。俺が構えるのも待たず剣を振るった。突然の事でほとんど反応出来なかった俺は軽く腕を斬られる。
「っつ」
剣を抜く勢いで、2撃目の斬撃を跳ね返す。そして、すかさず後ろに下がる。
「いい反応だ。これはどうする?」
余裕のある言い方で、次なる攻撃を繰り出す戦士長。一方、余裕のない俺は横に転がるようにしてかろうじで攻撃を避ける。
戦士長はそれを逃さないと転がり起きたところに蹴りを放ってきた。今度は避ける事は出来ず、腹にまともに蹴りを受ける。
「グフッ」
空気が口から追い出され、よろけるようにして背中から木にぶつかる。体勢を立て直そうと足に力を入れるが、その頃には戦士長は既に眼前に迫っていた。
剣を持っていない手の拳を握り、容赦なく鳩尾に拳を突き立てる戦士長。
「カハッ」
腹を抑え、膝をついた俺に戦士長は容赦なく追撃を入れる。
バギギギッ!
頭を木と足でサンドイッチするように放たれた前蹴りは、俺の頭を通過して背中の木までもへし折った。
「終わりか?」
戦士長は折れた木にもたれかかるようにして倒れる俺を見下ろして、まだ続けるかと聞いてきた。
痛い……苦しい……
こんな戦いもうやめたい……
顔から血を流し、目も蹴りの影響でボヤけていた。腹も強く殴られて、苦しい。
だけど……ここでやめたら僕はきっとセルナに二度と会えない。
病気が治っても、ここで逃げたらもうここに戻ってこれない。
二度とセルナに会えないなんて、嫌だ!
爪が食い込むほど強く拳を握る。
「まだ……終わってない‼︎」
初めて僕から攻撃した。それはこの世界に来てすぐに戦ったゴブリンの時の様な我武者羅な攻撃ではなく、後ろからビビリながら振るった攻撃でもない。
セルナにもう一度会いたいという思いを込めた一撃。
ガキッ‼︎
「どけ‼︎ 僕はもう一度セルナに会うんだ!」
正真正銘、全力の一撃。しかし、戦士長はそれを苦もなく両手で持った剣で受け止めた。
「それで? 会ってどうする? あの子はもう助からない。例え世界樹の雫があろうと。そんなあの子と会ってお前はどうするつもりだ?」
「そんなはず……そんなはずない!あれは、あの水は万能薬なんだ!」
「違う。この世にそんなものは存在しない。万能なんて言葉、夢見がちな阿呆が作った戯言だ。現実はもっと厳しくーー残酷だ」
そんな訳ない。
だって、だってあれはセルナを助ける事の出来る薬なんだ。
万能なんだあの薬は……
そうじゃなきゃ……万能じゃなきゃーーセルナを助けられない。
「力が抜けてるぞ」
「うぐっ」
力が弱まった瞬間、剣を上に跳ね上げ再び蹴りをぶち込まれた。
「まだだ……!」
「もうやめろ。もう諦めろ。それがお前の、セルナのためだ」
「勝手に決めるなぁ‼︎」
「遅い」
カキン!
甲高い音と共に振りかぶった僕の剣が弾き飛ばされた。カランカランと地を跳ねる音が聞こえる中、武器をなくした僕は喉元に剣を突き立てられ、仰け反るように後ろへ下がった。あと数センチの死の恐怖を僕に与え続けながら、戦士長は鋭い眼光を携え口を開いた。
「セルナの両親がどうして死んだか知ってるか?」
「……し、知らない」
「そうか…………彼女の母親はセルナを産んですぐ同じ病気にかかり、あの子が5歳の時に死んだ。父親は妻が死んでからも必死にセルナを育てた。だが、みるみるうちに体を悪くしてな。7歳の頃にはあの子は一人になった。それでもセルナは一度も泣かなかった。気丈に笑ってたよ。お前にその笑顔の意味がわかるか? その子が、泣いてまでお前を追い出した意味が。……両親との別れより、お前と別れる事が辛かったんだ。それでもお前を追い出したセルナの意思を曲げるならーーそれ相応の覚悟を見せてみろ!」
俺の軟弱な意思を叱責するように眼前で口を大きく開け怒鳴った戦士長。その目に浮かぶ怒りと悲しみ。
僕は村を出て初めて考えた。
どうして、そこまでして俺を追い出したんだろう? と。
「セルナは……僕を心配して……」
「そうだ。それを今お前は台無しにしようとしている。それがわかったのならばーー帰れ」
セルナは自分が長くない事をわかってたんだ。
だから、僕を追い出した。自分の死ぬ瞬間を見て僕が傷つかない様に……
彼女には助けられてばっかりだ。それなのに一番辛い時にも、最後の瞬間にも立ち会わないなんて、それでいい筈がない。
せめてセルナが安心出来るように笑って見送ってあげたい。
それが僕に出来る最善だと思った。
「…………嫌だ」
「何?」
「僕はセルナに会う。なんて言われてもそれは変わらない。ーーハッ!」
「むっ」
僕は一瞬の隙を突いて、腰を落とし拳を前に突き出した。意表を突いたお陰か、初めてまともに攻撃が入った。
僕は剣の扱いが下手だ。予備動作が大きいし、ついつい力を入れ過ぎて、その勢いに振り回される。それでもこの6年の間にだいぶうまくなった方だと思う。他の人にしたらそれは大した事のない成長だ。だけど、僕の場合、現実との体の大きさ、身体能力の違いに慣れるところから始めなければならなかった。
だから、剣を使う事はなかなか難易度が高い事だったのだ。
むしろ剣を使わない方が強い程に。
「ぐっ、これ程の力を……」
「オラァ!ヤァ!ハアァ‼︎」
先程とは逆に僕が戦士長を圧倒していた。この体の身体能力を十全に生かしただけで、これ程の差が出る。それなのに僕が剣を使うのは、先程言った違和感と、距離が取れるからだ。
怖かったのだ。相手に近づく事が……
だけど今は、怖くはなかった。
それ以上に二度とセルナに会えない事の方がよっぽど怖かった。
「これが僕の意思だ‼︎」
「ゴハッ!」
勢いを乗せた全力の一撃を戦士長の腹にぶち込んだ。それだけで先程蹴り飛ばされた僕の何倍も吹き飛ぶ戦士長。地面に転がり、力なく落ちた手にはもう剣は握られていなかった。
「ハァハァ、通るよ……?」
「ガッ、……行け。もう俺には止められない。好きにしろ……」
一応確認したところ、血を吐きながらも許可してくれた戦士長。その宣言を聞いたのだろうか、門がひとりでに開く。
僕は無言で門をくぐり、全然変わっていない村の様子に少し安心しながらも、家に戻ってきた。
ガチャーー
「ゴホッゴホッ、誰?」
ベットに寝たままの状態で、ドアが開いた音を聞いたセルナが、首だけ動かし開いたドアを見た。
「僕だよ、セルナ」
僕は作り笑いをしながら中に入った。笑っていないとと無理に笑顔を作る。
「レイジ……やっぱり戻って来ちゃったか……」
「うん。ごめんね」
「ううん……ありがとう。会いたかったよ」
久しぶりに会ったセルナは、以前から細身だった体をさらに細くし、とても弱っていた。
こうして話している間も体を起こそうとしないのは、それすら出来ない程に体が弱っているからか。
「セルナ、これ飲んでみて」
「なぁにこれ?」
「世界樹の雫。セルナの病気が治るかもしれない」
僕はセルナの頭を起こし雫を飲ませようとした。しかし、セルナは小さく首を振り、飲もうとしなかった。
「そんな物を私の為に……ありがとう、レイジ。……だけど、それは飲めないよ」
「えっ? ど、どうして……?」
「私の病気はそれでは治らないの……だから、それは私じゃなくて、他の人にあげて。とても貴重な物だから……」
戦士長の言ったことは嘘ではなかった。
残酷な現実が僕の背に重くのしかかり、立っていられなくなった。気が付けば僕はセルナのベットの前で顔を伏せ、拳を握り締めていた。
「くそっ……」
「泣かないで。レイジが来てくれただけで私は十分だよ?」
泣かないで笑っていようと思ったのに、最後の希望が消えて、意図せず涙が溢れ出た。
そんな僕をセルナは慈しむような暖かい目で笑い、頭に手を這わせた。
違う……こうじゃない……
「ごめん、ごめん、セルナ。僕……何もセルナに返せなかった。この世界に来てからずっと助けてくれたのに、……僕は何も出来なかった」
最後までセルナを不安にさせて……笑ってなきゃダメなのに……
「そんな事ない。私はあなたのお陰で、とても楽しく生きていられた。孤独だった私に……温もりをくれた。私はあなたがいてくれただけで十分……」
涙が止まらなかった。泣かないと決めた筈なのに、そんな決意はまるでなんの意味もなさなかった。
「ありがとう……それとさよなら……私の最後の家族……」
「ダメだ! まだ、まだ、沢山話したい事があるんだ! お願い、まだ死なないで、セルナ!」
逝かないで‼︎
お願いだ神様、この先僕はどうなってもいい。だから、セルナを助けて……!
「ごめん……ね、もう限界……みたい…………次は本当の家族に…………」
神は願いを叶えてはくれなかった。
セルナの手は、僕の掌から力なく滑り落ちたーーーー
「セルナ……? セルナ、ねぇセルナ? ……起きてよ…まだ寝るには早いよ……? お願いだよ……目を開けてくれよ……」
嫌だ……もっと、もっと話したい……こんなの嫌だ……
どうしてこんな……
二度と彼女が目を覚ます事はない。それを理解した瞬間、絶望が目の前に走り寄った。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だーーーー
「あ……あ、あ、あああぁぁぁぁぁあ‼︎」
壊れた。
何かが……僕の中で……
声にならない叫びを上げ、崩れ落ちる。僕という自我そのものが消えていくかのような感覚が、僕を暗闇へと突き落とす。
暗闇が全てを染め上げようとした時、その感覚は突如として変化した。
僕という山が端から削り取られるかのように、何かがむしり取られていく。
その激痛とも苦痛とも言える痛みと苦しみに僕の意識を奪われた。
そして、全てが奪い取られた時、僕は僕でなくなった。
彼女と交わした言葉も。日常も。思い出も。
僕が生きた全てを、奪われた。
だけど、全てを失くした僕の心だけは、奪われなかった。
そのだけが、僕に残されたものだった。
それは全てを失った代わりに僕が得た、何物にも変えられない大事な、大事な思い。
僕は忘れない。
彼女と出会った日を。
彼女と過ごした日々を。
彼女を助けたいと足掻いた日々を。
彼女を救えなかった今日という日を。
全部、僕の心が覚えてる。
病気と戦い、懸命に生きた彼女の笑顔を、僕は永遠に忘れない。
日本語って難しい……
上手く表現出来たか不安……
次回で記憶編終了。




