57.失われし記憶前編
それは悲しい夢だった。
病気に苦しみながらも、笑顔を絶やさず一生懸命に生きる少女の夢だった。一緒にいた男、あれはおそらく俺なのだろう。
これが俺の忘れてしまった記憶……
〜〜
「ここは…どこなの?」
夢の始まりは突然だった。
その日もいつもの様にベットに眠りについた。だけど、目覚めたのは山の中。前触れも何もなかった。日常にいきなり入り込んできた緊急事態。僕は呆然と辺りを見回す事しか出来なかった。その眼には恐怖しか映っていなかった。
グギャギャ!
山に響く何らかの生物の声。ビクッと体を震わせ、縮こまる様にして怯える。だが、その場を動こうとはしなかった。一歩踏み出す事さえ恐ろしかったのだ。
しかし、そこを動かなければならない事態に陥る事になる。声の主が木々の間から現れたのだ。
醜悪で恐ろしい化け物。そう見えた。犬や猫みたいに可愛げのある動物でもなく、ライオンや虎の様にどこかかっこいい猛獣でもない。醜い容姿にこびり付く血の跡。人間の様に二足歩行をしているその生物の薄汚れた緑色の肌が、人間ではないと物語っている。
「う、うわぁ‼︎」
一目散に逃げ出そうとした。だけど、すぐに転倒してしまう。石に躓いたのではない。バランスを崩したのだ。立っただけで。
そこで初めて気が付いた。自分の体が大きくなっている事に。いや、大きくなっているどころではないかった。全くの別物だ。小さかった手は、野太く鍛えらたプロレスラーみたいな腕になり、身長は倍ほどになっている。
「な、なんで…⁉︎」
驚愕し、一瞬目の前の化け物の事を忘れ、自分に起きた変化に目を動かす。そこへ忘れるなと化け物が怒声と共に爪で攻撃してきた。
「ひっ…⁉︎ あ、あ、うわぁぁぁあ、いたァい‼︎ 血が、血が!」
情けなく悲鳴をあげ、爪で切られた手を抑え涙を流した。
「やめてぇ‼︎ 助けてぇ‼︎ 誰か‼︎」
尚も攻撃してくる化け物。その攻撃から這い蹲る様にして逃げ出した。助けを求め叫ぶが誰も答えてくれない。それでも叫ぶのをやめない。
必死に逃げ続けるも、時折避けきれず受けた攻撃や、葉や岩の出っ張りで怪我を負い、とうとう捕まった。上乗りの状態で口を開け、咬みつこうとしてくる化け物。
「うわぁぁぁあ‼︎」
恐怖で狂乱状態に陥り、振り落とそうと必死に暴れまわった。子供のケンカの様な動き。
だが、それで十分だった。大きさだけでなく、その身の力も何倍にもなっていたのだ。ポカポカと音がしそうな動きに似合わない鈍い音と共に、化け物は断末魔をあげ崩れた。
「え、えっ?た、助かった…?」
余りに予想外の幕引きに助かって嬉しいというよりは、本当にこれで終わりなのかという疑いの気持ちが込み上げてきた。
そんな疑いとは裏腹に、化け物がもう一度起き上がってくるなどという事はなく、その姿はチリとなって消えていった。
「き、消えた……」
死体が消える、そんな摩訶不思議な現象を目にして混乱を深める。しかし、それを遮る様に全身の傷口から痛みが襲ってきた。
「もういやだ……帰りたい…」
父さんと母さんが待つ家に帰りたい。
心からそう思った。突然、一人で山の中に放り出され、化け物に襲われた。もう幼い心には限界だった。あらゆる物が恐ろしく見え、寒気がした。いつまた化け物が襲ってくるか、それを考えると震えが止まらなかった。
「どうして、どうしてこんな事に……」
1人そんな問いを地面に投げかけた。
何故自分がこんな目にあってるのか、何故自分の体が大きくなってるのか、ここはどこでどうすれば帰れるのか、そんな疑問が次々に湧き上がる。だけど、それに対する答えはなかった。それは当然だ。ここには自分しかいないのだから。
『@djapw?』
「ひっ…‼︎」
恐怖と痛みで震えていると声が聞こえた。思わず悲鳴が漏れる。
声の主は少女の様な姿をしていた。一見人間の子供の様に見える。だけど、さっきの化け物と同じかもしれないと僕は後退りした。冷静に見れば、肌の色やこちらを気遣う様な仕草がそうではないと言っている事がわかっただろう。
だけど、その時の僕はとても冷静とは言えなかった。ただひたすら怯える事しか出来なかった。それは何度少女が話しかけてきても同じ。それが変わったのは少女が咳き込み始めた時だった。
化け物はとても強くて恐ろしい。そんな単純な考えにヒビが入った瞬間だった。化け物だと思っていた少女が弱さを見せたのだ。その事実が恐怖を和らげだ。この少女は化け物じゃなくて、僕と同じ人間なのかもしれないと思った。
そうして、気が付けば声をかけていた。
「だ、大丈夫…?」
『ゴホッゴホッ、……#ag#jt&dmj?』
少女は首を傾げ、胸を押さえながらも不思議そうな顔をしていた。どうも言葉が伝わっていないような印象を受けた。何度か言葉を話してみるが、やはり伝わっていないようで、困った様な表情を浮かべていた。
僕も少女の言葉が理解できなかった。ここは外国なのかな?
「えっと、君は、ゴホッゴホッ、風邪?」
お互いに言葉が伝わらない状況に困り果てた頃、僕は一つ方法を思い付いた。手話なら伝わらないかなと。
手話のやり方は知らない。けど、身振り手振りで伝えらなれないかと思った。
僕は大袈裟に身振り手振りを交え、会話を試みた。
結果的にそれは大成功だった。完全には伝わっていない。だけど、確かに会話ができた。その事が僕の心に残っていた恐怖を完全に取り払った。
1人放り出され不安だった。そこで出会った化け物ではない僕と同じ人間。助かったと思った。
この人について行けば生きて帰れる。そんな根拠も何もない考えが、彼女への信頼をうなぎ登りにさせた。吊り橋効果に似た何かなのかもしれない。
『amtqg@、#jtpmg、/ajpgm?』
少女は僕の血が流れ出している腕を指差し、それから手招きした。頼りになるのは彼女だけと思っていた僕は、疑う事なく怪我を手当してくれるのかなと近づいていくと、少女は山の下を指して歩き出した。
そこで勘違いに気が付いた。少女は治療ではなく、どこかへ案内してくれるつもりのようだ。
僕は少女の後をカルガモの子のようについて下山し始めた。
小一時間程歩くと山の合間に作られた小さな村が見えてきた。木でできた柵が村全体を囲い込み、唯一柵がない所には大きな門が置かれていた。
少女はその大きな門の前に立つ。すると、ゴゴゴっという音共に門が縦に開く。
『@gjptm』
少女は一度こちらを振り向いて、手招きする様な仕草をした。そして、門の内へと入っていく。僕も恐る恐る中へと足を踏み入れた。
『mwptad、adwpg@a!』
歓迎する様に大きく手を開き、笑顔を見せた少女。
それがこの村での生活が始まりだった。
〜〜
1年後
「レイジ〜!おはよ〜!」
「おはよう、セルナ」
村の中に立つ一軒の建物の中で、朝の挨拶を交わす。交わした相手は、初めて会った時から少し大きくなった少女。
1年前、この村での生活が始まった。僕は当時言葉がわからず、ただ流されるままにセルナの家に厄介になる事になった。セルナの家は一家族が生活するには少し手狭だった。しかし、セルナの両親は既に他界しており、彼女は一人で生活していた。そのため僕が厄介になっても手狭になる様な事はなかった。
だけど、それは建物だけの話で、生活するには他にも色々と必要になってくる。それは食料であったり、日本の様に水道が完備されていないこの村では、風呂の水などの生活用水も近くの川に汲みに行ったりしなければならなかった。
厄介になっている立場の僕はもちろんそれを手伝った。こんな時、大きくなった体は非常に便利だ。重たい水も軽々運べるし、この体を動かす事にも慣れてきたため、食料確保の為に獣を狩る事も出来る。
だから、食料と水の確保は僕が担当する事になっている。その代わりセルナがご飯を作ってくれたり、服を洗濯してくれたりしてくれる。
僕が夫で、セルナが妻の様な生活だ。だけど、僕とセルナの間には何もない。家族の様には思っているが、恋愛感情かと言われると首を傾げてしまう。夫婦というよりは、どちらかというと兄弟の様な関係だ。
「今日から3日はいられるんだよね?」
「うん、たぶんいられるよ」
僕がこちらで生活出来るのはたった3日。それが過ぎると元の世界に戻ってしまう。そして、元の世界で眠りにつくとこちらの世界にやってくる。
その間、僕の体は寝ているらしい。初めて戻った時、セルナは僕が戻るまで泣き続けたらしい。腕の怪我が原因で死んでしまったのだと思ったのだそうだ。
「レイジ、向こうの生活はどうだった?」
「うーん、学校に行き始めたんだけど、勉強が大変だよ」
「いいなぁ。私もレイジの世界に行ってみたい」
私も学校に通ってみたいと言うセルナに、今度授業の内容を教えてあげると約束する。
僕がこの村に来てまず初めにやり始めたのは、言葉を覚える事だった。未だ少し拙いが、半年程生活すると意思疎通が出来るようになった。
会話出来る様になってから、僕はセルナに自分の世界の事を打ち明けた。それは僕にとって信頼の証の様なものだった。セルナには隠し事はしたくないと、あの日の事から、自分の生きている世界の事、この体が自分のものではない事をすべて話した。
話を聞いて終わったセルナはとても驚いていた。しかし、疑う様な事はなく僕の言ったことを全部信じてくれた。嬉しかった。信頼している相手に信じてもらえた事が。
しかし、その後セルナに怒られる事になった。そんな事を軽々誰にでも話しちゃダメだよと。見た目で言えば、僕の方がかなり上に見えるが、実年齢で言えば彼女の方が5つも上だ。だからか、この時から彼女はお姉さん面して色々と注意してくる様になった。
その事を特に思う所はない。当然だと思う。僕はまだまだ子供なんだから。
「セルナ、何か足りない物ってある?」
「ええっとね、食料がちょっと不安かな。水はまだ少しあるよ」
「それじゃあ、食料を調達してきたらいいんだね?」
「うん、お願いね」
そのあと、セルナに必要な食料の種類を聞いてから僕は村を出た。村の唯一の出入り口である大きな門には、大人達が代わる代わる夜も見張りをしていて、村の者が出入りする時だけはその門を開けてくれる。
1年もこの村で生活していた僕はすっかり村の一員だ。其れ程多くはない村人全員と顔見知りだが、体と精神の年齢が違うからか、親しい者はセルナ以外にはいない。
しかし、嫌われてはいないと思う。普通に挨拶を交わすし、世間話も若干ボロが出てるが上手くこなせていると思う。失敗してもセルナがフォローしてくれているお陰か、問題になる様な事はない。
門を出たら、そこはもう山の中。食料となる野草や獣だけでなく、恐ろしい魔物も潜んでいる。僕が出会った化け物、あれは魔物だった。ゴブリンというありふれた魔物らしい。
あれから何度か出くわしたが、村の人から貰った剣とこの体のお陰で怪我をしたりはしていない。それでも、自分から戦おうとは思わない。避けれる時は避ける様にしている。
今日は味付けに使う野草を幾つかと、獣の肉を取ってきてと言われたので、少し山の奥へと入った。野草は奥に行かなくてもあるのだが、獣は奥に入った方が沢山いるのだ。人の生活している村の周辺には近寄らない様なのだ。
魔物もそうだといいのだが、魔物の場合はむしろ逆で人のいる場所に近づいてくるみたいだ。よく村の戦士が魔物退治をしている。とても強い人ばかりだ。
一度見た事があるが、その時の動きはまるで映画のワンシーンの様だった。軽々と大きな魔物に飛び乗り、真っ二つに切り裂いていた。下手なヒーロー映画よりよっぽどカッコよかった。少し憧れてしまうのは、僕も男の子だからだろうか。
「あ、いた」
音を立てない様にゆっくりと山道を進んでいると、前方の草が揺れた。その下に目を向けると茶色い毛の動物がいた。
イノシシに似たその生物はイノブーというらしい。草食で草しか食べないようで、イノシシとは少し違うようだ。セルナから聞いた話だが、イノブーはここにしか生息しない生物らしい。
その肉は草しか食べていない為かとても柔らかく、筋などはコリコリしていて、味は豚肉に近い。
この辺りでよく獲れる肉はウサギや猿が多いため、イノブーはちょっとした高級食材扱いされている。それは中々出会う事がないからだ。僕もこの一年で3回した見た事がない。ウサギや猿は毎回のように出会うのだが、イノブーは生息数が少ないのでそう出くわす事はないのだ。だから、今日はとても運がいい。
「久しぶりだなぁ。イノブーのお肉は美味しいからなぁ。セルナが喜んでくれそうだ」
少し上機嫌になりながらも、慎重にイノブーへと接近する。
逃げられたりしたら、山の中を走り回らなければならない。それはつまり、魔物と遭遇する確率を上げてしまう事に繋がる。だから、獲物が逃げたら追わない。それが狩りをする者の常識だった。
村の戦士ならそんな必要はないのだろう。だけど、そうでない者にとって魔物はとても恐ろしい相手だ。
大人ならゴブリン一体程度なら問題にはならない。しかし、それが二体、三体と増えると一般の大人には辛い。まして、強い魔物と出会えば命はない。
だから、少しでも危険を避けるためにそんな常識が出来た。無闇やたらに山の中は動き回らない。これが長生きするためのコツだと村一の狩人が言っていた。
「やぁ!」
プギューー‼︎
イノブーの背後に回り、剣を背中に突き刺した。イノブーは悲鳴を上げ、暴れる。それを剣から手を離し、抱き着く事で、抑える。グッと力を込めるて抑えると、イノブーは身動きが取れなくなり、やがて背中に突き刺した剣が原因で力尽きた。
「やった!今日はご馳走だ」
剣を引き抜き、イノブーを脇に抱えて持ち上げる。血がついてしまうが、後で落とせばいいと気にする事なく、残りの野草を集める。余り奥に行かないように気をつけながら、小一時間程で野草を集め終わった。
それから魔物と出会わないように、慎重に下山して村へと戻った。
「ただいま。見てセルナ」
「おかえ、わぁ!イノブーだ!」
両手で今日一番の成果を掲げ見せると、セルナはパッと顔を輝かせる。
病気なんてないかの様に笑うんだ。
セルナは肺が悪い。激しく動いたり、無理をすると咳が止まらなくなる。それだけじゃなく、偶に息をするのも辛そうにしてる時がある。
この病気が治るか治らないのかはわからない。病名さえわからないんだ。
僕は行ったことはないが、近くに大きな街があるらしい。そこの医者、こちらの世界で言えば治癒術士に診てもらってもわからなかったらしい。
僕も向こうの世界で調べてみたのだけど、小学生になったばかりの僕には何が書いてあるのか読む事も困難で、結局今だに何もわかっていない。
「今日はご馳走だね!」
「イノブーは久しぶりだね」
セルナは鼻歌を歌いながら、台所にイノブーと採ってきた野草を持っていった。僕は外で軽く湿った布で血を拭い、部屋でくつろぐ。
「レイジこっちの生活にも慣れてきたね。前は狩りに行く度に怪我してたのに」
「痛いのは嫌だったし、この体のお陰もあるよね」
慣れてない頃は山道を歩くだけで転んだり、転げ落ちたりしてよく怪我をしていた。その度にセルナが母親の様に微笑ましそうに笑うんだ。
僕はそれが嫌だった。少し意地になり、怪我をしない様に気を付けて山に登るようになった。この体に慣れた事もあるかもしれないが、それで怪我をする事がなくなり、子供扱いされる事は少なくなった。
と言っても、向こうは未だにお姉さんのつもりらしい。この世界に来てから彼女に頼りきりだった僕も悪いのだけど…
「不思議だよね〜。見た目的には結構厳ついと思うんだけど、中身が子供だもんね。レイジが僕って言うとギャップで笑っちゃいそうになるよ」
「むぅ、なんか馬鹿にされてる気がする。僕、俺って言おうかな?」
俺ならギャップがなくなって馬鹿にされないんじゃないかと単純な考えで言った。
「えぇー、面白いからそのままでいいよ〜」
「うん、俺にする」
馬鹿にされてるとわかって変えないわけがない。これからは俺でいこう。なんて言われたって俺から変えないぞ。
そんなどうでもいい誓いを立てた。
「えぇー、可愛くないー」
「俺はそんなの知らないよ。俺が俺にしたいから俺にするんだもん」
「俺って言いたいだけじゃないの?」
元に戻しなよと言ってくるセルナに、拗ねた子供のような態度で断固として譲らない。
「もう!私の可愛いレイジが、可愛くなくなっちゃった」
「ぼ、俺は男だから、可愛いって言われても嬉しくないよ」
「今僕って言おうとしたでしょ?戻しちゃないよ〜」
「ち、違うよ!ええっと、ぼ、ぼ、撲殺悩殺ゴージャス料理はまだかなって言おうとしたんだよ!」
なんだそのネーミングは、と自分でも思うが、他に思いつかなかったんだから仕方ないじゃないか。
「そんな危ない料理は作ってませーん。ほらほら、僕って言っちゃいなよ〜」
諦めないセルナ。僕はプーと膨れてそれを無視していると、セルナは機嫌を直すためか、出来上がった料理を運んできた。
だけど、一言余計だった。
「かっわいい〜」
そう言って頭を撫でようとしてきたセルナの手を振り払い、運ばれて来たご飯に手を伸ばす。しかし、突如それは目の前から消えた。
「だーめ。生意気な子にはあげませーん」
お姉さんモードになったセルナ。こうなったセルナは言う事を聞くまで折れてくれないだろうと、大人しく撫でられた。
「じゃ、食べよ?」
「…うん」
若干膨れたまま返事をした俺は、机の上に戻された料理に今度こそ手を伸ばし、自分の皿に移した。
イノブーの肉を野菜と混ぜて炒めた料理で、味付けは塩だった。シンプルな味付けだが、サッパリとした味のお肉と非常に合う。
「美味しいねー!」
「うん!久しぶりだから余計においしいよ!」
これが俺とセルナの日常だった。幼い俺は根拠もなくいつまでもそれが続いていくのだと思っていた。
ランキングの不具合いつ直るんでしょうね。




