56.夢
『ハァハァ、もう嫌だ……帰りたい…』
右手から血を流し、木にもたれかかる白い髪の男。歳は30ぐらいだろうか。だが、泣き言を口にするその姿はとてもそうは見えない。涙を流し、膝を抱えて怯えるその姿はまるで子供のようだ。余程恐ろしい目に遭ったのだろう。酷く怯えている。
ーこの言葉は…
懐かしい。何度も耳にしてきた言葉だ。
『どうして、どうしてこんな事に……』
駄々を捏ねる様に、自身の置かれた理不尽な状況を嘆く男。そんな男に近ずく小さな影があった。
「泣いてるの?」
『ひっ…‼︎』
小さな影は幼い少女だった。その子供に酷く怯えた声を漏らす男。側から見ている俺からすれば、逆ではないかと突っ込みたくなる。
だが、見ている事しか出来ない今の状況では、それも叶わない。不思議な感覚だ。自分が存在している筈なのに、そこには何もない。まるで透明人間になったかの様だ。
ー何なんだこれは…?
「怪我してるの?」
少女は赤く染まった男の腕を見て、心配するかの様に問い掛けた。
しかし、男はまだ怯えた様子で、木に背中を押し付ける様にして、後ずさる。とても怖い思いをしたのだろう。自分に近づく者すべてに恐怖を抱いている様だ。
ー何だろうこの気持ちは……悲しい?違う、嬉しい…のか?これも違う。何だろうか、この感情は……胸の奥から湧き上がって来るような、ごちゃ混ぜになった感情。
「怖がらゴホッゴホッ‼︎」
自分の心が分からず悩んでいると、少女が突然咳き込み始めた。地面に膝をつき、両手で口を抑え、何度も咳き込んでいた。
男はそんな少女を目を大きく開けて見詰めていた。混乱している顔だ。恐怖の対象だった者が急に咳き込み苦しみだしたのだ。
見た目は少女。普通なら、駆け寄り心配するところだろう。だが、彼にとっては恐怖の対象でもあったのだ。どうするべきか迷い、混乱しているのだろう。
ー昨日の俺と似た様な状況だな。あの男はどうするんだろう?
『だ、大丈夫?』
「ゴホッゴホッ、…何て言ってるの?」
男はまだ怯えながらも、少女に声を掛けた。しかし、その言葉が少女に伝わる事はなかった。何故なら言葉が違うからだ。男が話す言葉は日本語。一方、少女が話す言葉は俺が夢の中で覚えた言葉だ。
ーここは夢の中なのか?いや、違う。現実のはずだ。前に文字を見た事がある。確か、ガバルディの本屋で見た筈だ。
『大丈夫?』
「?おじさん違う国の人?」
『風邪……ゴホッゴホッ?』
「おじさんも病気なの?」
男と少女は何度も言葉を交わしていた。しかし、どちらもその意味を理解する事は出来ていなかった。ただ、その意味のない会話は男の恐怖を取り除いたようだ。
次第に少しずつ心を開き始める男。それは行動となって現れた。
『ええっと、君は、ゴホッゴホッ、風邪?』
「あ、私を心配してくれてるの?ううん、違うよ」
言葉が通じないとわかった男が、身振り手振りで意思を伝え始めた。
それを真似て、少女も身振り手振りで言葉を伝え始める。
側から見れば踊っている様にも見える二人。そんな彼らを遠巻きに見ていると、突然視界がボヤけた。
「おじさん、怪我してる、ついてきて?」
そんな少女の言葉を最後に俺は眠る様にして意識を失った。
〜〜
「夢…だよな…?」
自信なさ気に呟きながら、ゆっくりと体を起こす。
今いるのは病気の少女がいる宿の一室。お礼にとタダで泊めてもらってる。ハクと入れ違いになるのもあれだったので、有り難く泊めてもらう事にした。
明日明後日にはハクも戻ってくるだろう。それまで厄介になるとしよう。
「おはよー!お兄さん!」
「うおっ!」
突然真横から声が聞こえた。1人部屋でハクもいないため、仰け反る様に驚いた。ベットから後ろ向きに落ちそうになったが、何とか耐えた。
いきなり何だと声のした方に目を向ける。目を向けた先には満面の笑みを浮かべる少女がいた。その子は昨日、突然咳き込み倒れた女の子だった。名前は確かセーラ。
「驚いた⁉︎びっくりした⁉︎」
元気一杯の声で、悪戯が成功したか確認してきたセーラ。無垢な笑顔を浮かべ、病気になんてかかってないかの様に、明るく振舞っている様に見える。
「びっくりしたよ。なんで部屋にいるの?」
「ぶー!驚いた様に見えないー!」
「ベットから落ちそうになるぐらい驚いたさ」
「本当かなあ?セーラがここにいるのはね、お礼を言いに来たんだよ。私の病気の治療法を教えてくれてありがとう!」
一見元気な様に見えるセーラ。だが、顔色はそれほど良くない。治療法が見つかった嬉しさで、元気を取り戻しただけだろう。空元気の様なものだ。
それでも、元気な姿を見れてホッとした。昨日みた彼女の目は薄暗かった。今は、輝いている。明日を見てる目だ。
だけど、今はまだ安静にしているべきだと思う。それから、レベルを上げていけばいい。余り無理をすると進化が間に合わない可能性もあるのだ。
だから、安心するにはまだ早いと俺は思うのだが、小さな子供にとってはそれは難しいのかもしれない。ついついはしゃいでしまうのが子供というものだ。
「セーラは今レベルはどれくらいなんだ?」
「レベル?レベルはねー、20ぐらいだよー!」
「っ…!」
思わず声が出そうになった。だけど、せっかく元気が出たのに、それを失わせる様な事は言いたくないと堪えた。
20……あと約80…
8歳の子供からしたら平均か…?いや、低いよな。
やっぱりまだ安心すべきじゃないな。二回目の進化の平均は11歳から12歳。このペースだと13までかかる。あと5年……セーラの身体が持つ保証はどこにもない。
「セーラ。疲れたんじゃないか?」
「ううん、今日はとっても元気だよー!」
「うん、けど無理は禁物だよ。病気が完全に治るまではね」
「はーい!」
優しく諭し、セーラを部屋へと帰らせる。それから、女将さんと話をするために下へと下りた。セーラに話すかどうかは母親である彼女が決めるべきだと思ったのだ。それに彼女にも話しておく必要があるとも思った。
「おやおや、今日はえらく遅めに起きてきたねぇ」
「若返ったんですよ」
もうとうの昔に日は登りきり、昼になる手前。昨日の早起きが嘘の様にゆっくり寝ていたみたいだ。疲れていたのか、おかしな夢のせいか、それは分からないが今は置いておこう。先にセーラの事を話さなければ。
「セーラの事なんですけど…」
「あー、悪いねぇ。あの子に起こされたのかい?」
「いや、起きるまで待っててくれたみたいですよ?まぁ、それはいいんですけど、どうも浮かれているみたいですね、セーラは」
「それは仕方ないさ。まだ、8歳だしねぇ。本当は私も浮かれたい気分だよ」
「けど、セーラまだレベルが20ぐらいなんですよね?余り油断し過ぎるのはよくないですよ。次の進化の平均は11から12歳ぐらいですから、まだまだ安心するには早いですよ」
「そんな……そんな事って…」
昨日、伝えておくべきだったかもしれない。女将さんも、もう治ったも同然の気分だったようだ。一気に表情が暗くなった。昨日、セーラの看病をしていた時のようだ。
それでも伝えてはおかないといけない。間に合わなければ、セーラは死んでしまうのだから。
「あの子の病気って、何なんですか?」
「高魔病だよ……魔力が大きすぎて、体に異常をきたす病気さ。あの子は肺がやられているらしいよ…」
「治療法は……ないですよね…」
「ないね……高魔病自体は成長と共に治るらしいんだけど……一度悪くなった場所は治らないそうだよ…」
「つまり、高魔病自体は治ってるんですか?」
「おそらく治ってるそうだよ」
違和感があるな。魔力が高いからなる病気なら、俺もなっていておかしくない。けど、そんな病気にかかった覚えも、不調を感じた事もない。
シャルステナもそうだ。彼女もかなりの魔力があったはずだ。なのにどうして病気になっていない?
何か別の原因があるんじゃないか?
思い当たるのは魔力操作だが……魔力操作なしに魔力が異常な程増える事などあるのだろうか?俺のユニークなら可能だが、セーラもユニーク持ちか?
「セーラはユニークスキルを持ってたりするんですか?」
「いいや、持っていないよ」
「……魔力操作のスキルは?」
「持っていないねぇ」
これは魔力操作が原因で決まりだろう。だけど、魔力が増えすぎだ理由が分からないな。単純に魔力が増えやすい体質なのだろうか?竜神に聞いた方が良さそうだ。自分で考えても、時間がかかるだけだし、答えが出るか分からない。知ってそうな人に聞くのが一番だ。
〜〜
『それはバランスが悪いのだ』
「バランス?」
再び竜神の元へ来た。困った時の竜神さんはいつでも親切に対応してくれる。俺の竜への評価がどんどん上がってる気がする。次の進化は竜神にしようかな?
『そうだ。魔力に対する他の能力値が低すぎるのだ。主に耐久が関係している。耐久値とは全ての耐性、頑丈さなどの合算値だ。それは内臓部の耐久も含まれる。それが低すぎるのだ』
「それはどうやってあげたらいいんです?」
内臓は鍛えられないと前世で聞いたことがある。その耐久をどうやって上げたらいいのかなんて俺には分からない。
『肉体や精神の耐久値を上げればよい。さすればそれに応じて他の耐久も上がる。その様に出来ておる。方法としては、攻撃を受ける、辛い目に合わすなどの方法が一番上がりやすい』
「それはちょっと……まだ小さいし、体が弱ってるんですよ」
そんな事出来ない。心が痛む。相手は変態じゃないんだ。そんな酷い事は出来ない。
『ふむ。ならばここへ連れてくるといい。加護を与えよう』
「えっ?そんなに簡単に加護を与えていいんですか?」
安売りし過ぎじゃないか?そんなポンポン加護をあげていいのか?
すでに二回ももらった俺が言う事じゃないかもしれないけど…
『構わん。加護を与える条件はここへ来ること。手段は問わない』
「じゃあ、今から連れてきます」
『うむ』
問題ないんならいいや。俺もウェアリーゼに運んでもらったし、似たようなもんだよな。今更か。
〜〜
「到着〜」
竜神の元から村へ戻ってきた。すでに竜化は解いて、ズボンも履き替えた。面倒くさいが、騒ぎを起こさない為には仕方ない。尻尾邪魔だなぁ。
「ピピィ!」(親!)
「おっ?もう帰ってきたのか。お疲れさん」
飛んできたハクを肩に乗せ、撫でて労う。えらく早いな。明日になると思ったんだが…
『大変。シャル怖い』
「それは……怒ってる?」
『怒ってる。逃げてきた』
逃げる程こわかったのか……
俺も逃げようかな…?
怒ったシャルステナは怖いからなぁ……
『早く怒られてきて』
「おい」
平然と俺を差し出そうとするハク。俺はすかさず指でハクの頭を小突きながら、ツッコミを入れた。
人を売るんじゃない。少しは宥めようとか、そういう気はないのか。
「よし、しばらくここに居よう」
俺はしばし思考を巡らし、逃げに走った。
時間が解決してくれると信じよう。セーラの事もあるしな。
『ハク知らないよ?』
「怒られる時はお前も一緒さ」
「ピィイ‼︎」(嫌‼︎)
嫌でも逃さないさ。いつかの様に捕まえて離さないぞ。一緒に怒られようぜ相棒。
〜〜
『加護は与えた。これで耐久値も少しは上がるであろう』
「あ、ありがとうございました‼︎」
若干緊張している様子のセーラ。竜神にちょっと威圧されているようだ。まだ小さい彼女は竜神が怖いのかもしれない。しかし、短い時間だが竜神と言葉を交わしたお陰か、それも少し和らいだ気がする。
竜神はいい竜だからな。そのうち俺の様に困った時は竜神へとなるかもしれない。
ハクと合流した後、女将さんとセーラに事情を話し、セーラはハクに乗っけて、俺は空を走って竜神の元へやって来た。
俺が担いで飛んで行くつもりだったが、丁度ハクが帰って来たのでお願いした。ハクはかなり大きくなっていて、馬よりも大きかった。俺が乗っても大丈夫そうだ。
ハクが知らない内に成長していて、寂しいような、嬉しいような不思議な感覚に襲われた。子供の成長を見守る親の気分だ。
世の親たちはみんなこんな風に感じているのだろうか?
「じゃあ、ハクとセーラは先に帰っててくれ。俺はちょっと竜神と話があるから」
「ピィイ」
「セーラ待ってるよ?」
了承を示したハクと、話が終わるまで待ってようかと聞いてきたセーラ。
「いや、遅くなりそうだから、先に帰ってた方がいいよ。ご飯に間に合わないかもしれないし」
俺はそれをやんわりと断って、先に帰ってるように言った。
少し強引気味に渋るセーラをハクの上に乗せて帰らせる。体調の事を考えると余り外に出ているのもよくない。なるべく早く帰らせるに限る。それに、今からする話は余り聞かせたくはない。
『それで、話とは?』
「セーラの病気の治療法ってわかりませんか?」
『心当たりはある。だが、現状それは不可能だ』
「それはどうしてですか?」
治療法がないと言われると思っていたため、落胆する事はなかった。ただ、理由を聞けばどうにか出来るかもしれないと思い、不可能である理由を聞いてみた。
『世界樹の雫が必要だ。それならば傷ついた内臓、先の子で言えば肺を治す事も可能であろう。だが、それを手に入れるには世界樹まで行かねばならん。人の足では帰ってくるまでに普通に行って2年はかかる地だ。その年月生きてはいられまい』
飛んで行っても無理だろうか?
確かに人の足ならそれぐらいかかるだろう。だけど、俺は飛べる。わざわざ回り道する必要のある場所を直進出来る。もっと早く帰って来れるのではないか?
……いや、それはダメだ。それをしてしまってはいけない。やり過ぎだ。親切で手を貸すレベルを超えている。
『この際だ。はっきりと言おう。あの子を救う事は出来ぬ。長くて2年、早ければ1年で命を落すだろう。これは我のお節介だが、余り深く関わり過ぎぬ事だ。それが其方のためだ』
竜神は言葉を濁す事なく、はっきりと事実だけを述べた。
やはり帰らせてよかった。こんな事聞かせられない。
やはり間に合わないのだろう。進化する前に身体の方が限界を迎えてしまう。あと1年やそこらで進化なんて不可能だ。
痛い…
何故か物凄く心が痛い。昨日初めて言葉を交わした相手なのに、どうしてこんなに辛いんだろう。
子供だからだろうか?
昔テレビで似たような状況の子供の話を見た時はこんな風には感じなかった。精々可哀想、募金でもしてあげよう程度だった。
だけど、今の俺は世界樹に行ってもいいんじゃないかとまで考え始めるぐらい辛い。言葉を交わしたか、交わしていなかの違いしかない筈なのに、酷く悲しい。
『世界樹へ行こうとは考えるでないぞ。気楽に行って帰って来れる程、世界は優しくはない』
「……」
俺は何も言うことが出来なかった。竜神の言葉に頷く事も、首を横に振る事も出来なかった。
竜神の言う事は分かっているつもりだ。だけど、自分の中の何かがそれをよしとはしなかった。
しばし沈黙を保つ俺。そんな俺を見て、竜神は吐息を一つ吐き、言葉を続けた。
『あの少女に同情するのは致し方ない。それ自体は尊むべき感情だ。だが、それに飲まれてしまったては忌むべき感情となり得る。我もそう言った感情はある。しかし、分をわきまえる事を知っておる。其方もそれを知る良い機会だ』
「そんな言い方…‼︎」
俺は竜神に対して初めて怒りを覚えた。セーラの生死を良い機会だなんて言い方、世話になってる相手だとしても許せなかった。
全身に意図せず力が入った。
『……すまぬ。我の言い方が良くなかった』
竜神は言い訳もせず、自分の非を認めた。それに俺は溜飲を下げ、力を抜く。もしも、あのまま口論になっていたら、俺は竜神に殴りかかっただろう。其れ程俺は怒りを覚えていた。
謝罪を受け入れた俺に竜神はさらに言葉を続けた。
『其方は実に優しい心を持っておる。しかし、時に優しさが刃となって其方を傷付ける事もあるのだ。そうならないためにも、引き際を知るべきだ』
「セーラを見捨てろと…?」
『そうだ』
竜神は強い口調で言った。俺と竜神の視線が真っ直ぐに交わった。竜神の目は言葉と違って優しかった。だけど、それは俺に向けられたもので、セーラに対してではない。
竜神が正しいのはわかってる。だけど、俺の何かがそれを許そうとしなかった。俺ではなく、セーラにその優しさを向けて欲しいと身勝手な事を思っていた。
そうして、お互いに目を逸らす事も、言葉を発する事もなく、ただ時間だけが過ぎていった。
『……今日は帰るが良い。ゆっくりと考えてみる事だ』
「……はい」
小一時間程そうしていただろうか、時間を置く必要があると考えた竜神が帰るよう勧めてきた。俺も今日はまともに話せる自信がなかったので、それに頷いた。
夜になり、月の明かりが差し込む入り口から外に出た。その時、人の動く気配を感じた。咄嗟に空間に意識を割くと、物陰に隠れようとする小さな影を二つ捉えた。
「……聞いてたのか…?」
「……ごめんなさい」
俺が慌てて隠れようとしたセーラとハクの方向を向き問いかけると、少し間を置いて姿を見せたセーラがバツが悪そうに謝ってきた。
「……謝らなくていい。全部聞いてたのか?」
「…うん。私……やっぱり死ぬんだね…」
俯きかけに答えたセーラの声は震えていた。希望が見えたと思ったら、もう手遅れだった知った彼女は今何を思っているのだろう。
かなり辛いはずだ。だけど、気丈に涙を流す事なく耐えている。
何をやってるんだよ、俺は……
ちゃんと意識していたら気が付けた筈なのに、それを怠ったせいで、セーラに聞かせてはいけない事を聞かせてしまった。
これではセーラの心を弄んだ様なものだ。本当に何をやってるんだ俺は……
「……諦めなければ可能性はあるよ」
それぐらいしか言葉が思い付かなかった。セーラの言葉に頷く事はもちろん、それを無責任に否定する事も出来なかった。ただの悔し紛れに希望を捨てるなと暗に伝える事しか出来なかった。
「……もう、ないよ…ううん、ずっとなかったよ……はは、何で生まれてきたんだろ私……」
初めて出会った時と同じ目をしたセーラは、絶望の中にいた。
物心ついた頃はまだ明日が来る事を無条件に信じ、未来を夢見ていた。だけど、6歳の時に病気になってからは、毎日のように明日は来ないかもしれないと思い眠る様になった。
病気はどんどん悪くなり、咳が止まらなくなる事も度々あった。
苦しい。辛い。どうして私だけが…
何度もそう思った。そして、明日が来るのが恐ろしくなった。明日になれば、また悪くなる。それが恐ろしいと感じた。
時は流れいつしかそれが当たり前となり、セーラは未来を考えなくなった。その時にはもう希望なんて物は残っていなかった。ただ、機械的に生きる毎日。
どうせ死ぬんだからと何もせず、一番楽なベッドの上で過ごす毎日。代わり映えのしない毎日。だけど、確実に死に近づいていく恐怖。もうセーラの心はボロボロだった。早く死にたいとまで思う様になっていた。
そんな真っ暗闇な心に突然差し込んできた眩い光。けど、自分はその光に照らさても、新しく葉を伸ばす事の出来ない萎れた花だった。再び緑いっぱいの葉をつける事も、綺麗な花を咲かすこともないくたびれた花。ただ土に還るのを待つだけの枯れかけの花。もういっそ今枯れてしまおうかという考えがセーラの頭をよぎった。
セーラはゆっくりと歩き始める。その足取りはフラフラしていておぼつかない。だけど、確実に距離を詰めていった。下の見えない崖へと…
「セーラ‼︎」
俺は動き出したセーラをしばらく見詰めていた。しかし、その向かう所が崖だとわかった時、咄嗟に大声を出して呼び掛けていた。
セーラはそれに一瞬ビクッと体を震わせたが、すぐにまた足を前に踏み出した。そこはもう崖の寸前。そこに来てゆっくりと振り返るセーラ。
「もう…疲れたよ……希望なんてない…ここで私は終わりたい…」
そして、背中からセーラは崖に身を倒した。俺は手を伸ばしたまま固まってしまった。ここで本当に助けるべきなのか迷っていたのだ。このまま希望もなく、ただイタズラに苦しみを長引かせるだけなら、いっそ今楽にしてあげるべきなんじゃないかと、踏み出せなかった。
そんな踏み出せないでいる俺に、ハクが思いっきり噛み付いた。手に歯が食い込み血が出る。
「ピィイ‼︎」
「ッ‼︎」
痛みが俺の迷いを吹き飛ばし、俺は足を前に踏み出した。
「セーラ‼︎」
崖に飛び込み、その後ろをハクが追ってくる。固定空間を足場にして、更に重力にプラスして加速した。
瞬動も使い、ハクを置き去りにしてセーラに追いついた。
「セーラッ!」
「⁉︎」
目に涙を溜め、今にも泣きそうだったセーラは、突如目の前に現れた俺に驚愕していた。
俺はセーラの手を掴む。しかし、セーラはそれを振り払おうと手を力一杯引く。
「離してよッ!」
「嫌だ!」
「どうして⁉︎昨日あった他人でしょ⁉︎」
「他人でも、見てるだけなんて出来ないだろ!」
セーラは必死に手を振り解こうと暴れる。しかし、身体能力が大きく違うセーラでは、それは叶わない。一方、俺はセーラを抱えようもう片方の手を伸ばそうとするが、風圧と暴れるセーラに邪魔されなかなか思う様に出来なかった。
「くそっ、暴れるなセーラ!」
「そっちこそ離してよッ!」
谷を猛スピードで落下する俺とセーラ。後ろからハクも必死に追ってきているが、追いつかない。
暗くてセーラとハクには見えていないだろうが、暗視系スキルを持つ俺にはすでに地面が見えていた。それが余計俺を焦らせる。
「チッ、ハク!受け取れ!」
俺は体を力任せに捻り、セーラを上方へ放り投げる。反射空間は体に負担がかかるため使わなかった。少しでもセーラの体にかかる負荷を減らしたかったのだ。
本当は抱えて減速して着地したかった。それが一番負担が少ない筈だった。
だけど、地面が寸前に迫った今、少々乱暴なやり方になってしまった。ハクがフォローしてくれると信じよう。今は刻一刻と迫る地面に対応しなければ…
「ッ魔装‼︎」
ドガガァン‼︎
谷底に大きな衝突音が鳴り響き、土煙が上がった。
薄く魔装を纏っただけの俺と物凄い勢いで迫った硬い地面のぶつかる音。その音と同時に、衝撃により砕かれた地面が噴煙となり舞い上がる。そして、俺もまたぶつかった衝撃を全身で受け意識を飛ばした。
〜〜
『よぉ、久しぶりだな』
ーあんたが出てきたって事は、また死にかけてるのか俺は…
約一年振りに聞いた声と、俺の精神世界に酷似した場所。3回目となると、自分の状況がわかってくる。
『流石に慣れてきたみたいだな』
ー慣れたくはないけどな。それで今回はゆっくり話す時間はありそうなのか?
『それは、今から作るんだ』
ーは?俺を殺す気か?
こいつが出てくる条件、それは俺が死にかける事。原理は知らない。だけど、こいつと会話できる時間は俺が死にかけている間だけ。その時間を伸ばすという事は、俺を更にギリギリの状態にするという事ではないのか?それって死ぬんじゃないのか?
『違う違う。夢を見てもらうだけさ。それじゃあ、後でな』
ーおい、待てって…
『残念。時間切れだ。夢で会おう』
その言葉を最後に俺の意識は薄れていった。
〜〜
「ここは……夢か」
意識がはっきりすると、俺は山の中にいた。記憶を辿ると、声が夢を見せると言っていた事を思い出し、確認する様に呟いた。見覚えがある様な気がするが、王都周辺の山の景色だろうか?
「気が付いたか」
「……あんたがあの声の主なのか?」
声がした方向に目を向けると、木を背に立つ男がいた。二十代ぐらいだろうか?黒い髪に青い眼と少し日本を思い出させる出で立ちの男だ。
男はもたれかかった木から跳ね起きる様にして、二本の足で地面を踏みしめると、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「こうして会うのは初めてだな、レイ。俺の事はそうだな…ノルドとでも呼んでくれ」
「わかった。ノルド、とりあえず色々と聞きたい事があるんだが…」
「まぁ待て。順を追って説明してやるから」
「そうか。頼むよ」
ノルドと名乗った男は腰を落とし、地面に座り込んだ。そこは俺のすぐ前で、向かい合う様にして座った。
「それじゃあ、まずは俺とお前の関係について説明しようか」
「前にお前は俺だって言ってたよな?お前は俺の二重人格か何かなのか?」
「そんなんじゃないさ。俺とお前は同じ存在だが、違う存在でもある」
「よくわかんないんだが……」
説明するなら分かりやすくしてほしい。もっと具体的に言ってくれないとわからない。
「今はわからなくていいさ。ただ、俺とお前は繋がってるって事だけわかってればいい」
「なんだよ、説明してくれるんじゃないのか?」
「悪いな。これはかなりややこしい話で、それを説明している程、時間があるわけじなないんだ」
俺はため息を吐いて、聞き出すのを諦めた。時間がないのはいつもの事だ。最低限の事だけ教えてもらったら後は自分で考える。いつもの事だ。
「まぁとにかく、その繋がりのお陰でこうしてお前にちょっかい出せるってわけだ」
「ちょっかいね……あんたは何がしたいんだよ?俺をこの世界に呼んだのも、あの夢もあんたなんだろ? 」
思い切って聞いてみた。ずっと気になっていたのだ。誰が何の目的で俺をこの世界に呼んだのか。俺に何をさせたいのかと。
俺はその誰かを今目の前にいる男だと確信していた。こいつは普通ではない。ただ話をしているだけなのに、竜神以上の圧力を感じる。その圧力に押されず、普通に話せているのは、俺とこいつが繋がってる事が関係しているのだろうか?それはわからない。
たが、一つ分かるのはノルドが竜神クラス、神と同等の力を有している事だ。そんな奴がわざわざこんな面倒なやり方で接触してきているんだ。こいつは何か俺にさせたい事があると考えるのが普通だ。
「どういう意味だ…?」
目を細め、俺の言葉を吟味するかの様な視線を向けてきたノルド。
「どうって、夢でこの世界に俺を呼んだり、転生させたりしたのはあんたかって聞いたんだ」
「………」
座った姿勢のまま地面に視線を落とし、思案顏になるノルド。
あれ?こいつじゃないのか?こいつがやったもんだと決めにかかってたんだが……
「その問いに答える前に一つ聞きたい。何故それをお前が知っている?」
「何故って、記憶があるからだけど…?」
「……そうか」
一言そう呟くと、再び思案顏になるノルド。
「…答えはイエスだ。俺がお前を夢に呼んだり、転生させたりした。けど、その記憶が残ってるのは俺のせいじゃない」
「それは…まずい感じ?」
少し深刻そうな顔をして思案していたノルドを見て、不安に駆られていた俺は、おずおずといった感じで質問した。
「さあな。偶々かもしれないし、誰かが俺とお前の間に入り込んだのかもしれない。今は何とも言えないな」
「後者だった場合、そいつが何か俺にしてくる可能性はあるのか?」
「まぁ、まず間違いなく何かアクションはあるだろうな。だが、心配する必要はないだろ。記憶が残ってて何かデメリットがあったか?」
「ボッチになった」
「なかっただろう?」と言いたげな視線を向けてきたノルド。しかし、すぐにデメリットが思いあたった。ボッチになったのは元を辿れば、記憶があったせいだと思ったのだ。記憶があったから、俺は異常な子供になり、他の子たちから避けられたのだ。
「ははっ、そういやボッチで悩んでたな。あれは中々見てる分には面白かったぞ」
「他人事だな。…まぁ、他には特にデメリットはなかったかな?」
「だろ?記憶が残ってたお陰でお前は強くなれた。それで十分だろ。今は置いておこう。もう一つの問いの答えだが、二つお前に頼みたい事がある」
指を二本立て、強い意志の篭った眼で真っ直ぐ見つめてきたノルドは、指を一本折ると更に言葉を続けた。
「一つ、俺を解放して欲しい」
「解放?誰かに捕まってるのか?」
「いいや。俺が囚われてるのは死と生の狭間さ。分かりやすく言えば、死の都だ」
「⁉︎それは七大秘境のか⁉︎」
「そうだ。俺が解放されるには、ここへお前が来る必要がある」
7大秘境の中でも秘境中の秘境。幻想とまで言われているその場所に、囚われてると言ったノルドに驚愕した。身を乗り出す様にして問うた俺に、ノルドは軽く頷き、そこから解放される方法を話始めた。
「死の都……それはどうやったら行けるんだ?」
「欠けし月が落ちる時、死の都にたどり着けし。満なる時まで、悠久の時を過ごしけり。満なる月が都に落ちし時、秘宝輝けし。その光満なる月を欠かす光なり」
古文の様な文章を読み聞かせる様に語ったノルド。意味がわからない。現代語に訳して言ってくれ。
「…と伝わってる。意味は知らないが、子供の頃にそう聞かされたんだ」
「ダメじゃん。ノルドは死の都にいるんだろ?なら、行き方知ってるんじゃないのか?」
どうやってそこに行ったんだよ。その方法を教えてくれたらいいじゃないか。そんな謎かけみたいなのわからない。
「それがな、死に近づく程、死の都に近づくのはわかってるんだが、死んでしまうとそこを素通りしてしまうんだよ」
「てことは、ノルドはまだ生きてるのか?」
話の流れからノルドは最低でも50年以上は死の都にいると推測していた。名前からして死人が住んでると思い込んでいた俺は、今の説明を受けて自分が勘違いしていたのではないかと思い尋ねた。
「……いいや、死んでる」
ノルドは口惜しそうに目を閉じた。その時の事でも思い浮かべているのだろうか?それはわからないが、後悔が残っている事だけは伝わってきた。
「…とうの昔に終わった筈なのに、俺は完全に死ぬ事を許されない。だから、お前を呼んだんだ。全部終わらせるために……」
「……」
俺は何も言えなかった。ノルドが死にたいと言ってる様に思えた。だけど、このまま永遠に死の都に縛り付けられるより、その方がいいのかもしれないとも思った。
セーラの時もそうだった。どちらが正しいのかなんてわからない。きっと見方が変われば、それはどちらも正しく、どちらも正しくない。そこに正しさを求めようとするなら、人の意志が必要だろう。それを考えれば、ノルドもセーラも正しいと言えるのかもしれない。
「悪いが時間みたいだ。もう一つの頼み事は直接会った時に話そう。どうせ今のお前に話したところで、どうしようもないからな」
「もう時間なのか?まだ聞きたい事が沢山あるんだが……」
「なら、彼女に『俺が死に掛けても放って置いてくれ』とでも言っときな」
そんな事を言ったら、火山が噴火するかの如く怒りそうだと、苦笑いするしかなかった。
「代わりと言っちゃなんだが、夢を見ていきな。お前が忘れてしまった記憶、それがセーラを放っておけない理由さ」
「俺が忘れた記憶…?」
「昨日見た夢の続きさ。お前が6歳…前でのな?その時の記憶さ……」
ノルドは話終えるか終えないかの所で、その姿を消した。突然消えたのではなく、消える数秒前からだんだんと姿を消していった。
代わりに現れたのは、昨日の夢で出てきた2人だった。
先日お知らせした改変するかもという件ですが、話は出来るだけ変えず、加筆修正する方向で頑張ってみました。一応この二日でそれなりに形にはなったので、今日中に改変したいと思います。その際、一旦修正する部分は削除して一気に投稿するつもりです。そのため、しばらくおかしな状態になるかもしれませんが、この方が楽なので、やらして下さい。
ちなみに加筆修正したのは、21話から29話までです。初めの方は地の文を全て書き換える勢いで修正したので、文字数がとても多くなってしまいました。ただ、疲れというものがありまして、途中からほぼ修正なしになってしまいました。
一応確認はしましたが、ババっと書き換えたために誤字や脱字、話的におかしいところがあるかもしれません。その時は知らせて頂けるとありがたいです。
修正は7時ごろを予定しております。




