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3.家出

 

 寒々とした気温が続く今日この頃。積もりはしない真っ白な雪がヒラヒラと窓の外を通り過ぎていく。


 それを物珍しげに窓から眺めていた俺は、寒くなってきたので、パタンと窓を閉じた。それから適当なところに座り込むと絵本の文字を指でなぞり、一人黙々と言葉の書き取りを始めた。


 この世界は紙が貴重──あくまで日本と比べればだが──らしく、落書きや言葉の書き取りに使うのは勿体無い。書く物もインクと筆というのが庶民一般に出回っているものらしく、シャーペンや色ペンを使い慣れた俺は、正直なところ面倒さというものを禁じえない。

 このくらいの事なら、むしろ家の前の土道に指で書いて練習する方がストレスがない。しかし、最近は少し雪が降るほど家の外が肌寒くなってきたため、こうして部屋の中で書き取りを行っているのだ。


 そんな一人時間を潰す俺をよそに、ミュラとレディクは朝から家の中でバタバタと忙しそうにしている。


 まぁ、俺はいい子だから? 何も知らないフリをして、邪魔にならないよう一人で遊んでいるが、なぜ彼らが忙しそうにしているのかは、見当が付いている。


 実は、今日で俺がこの世界に転生して丁度一年が経つ。つまり、今日は俺の誕生日。二人が朝から忙しくしているのは、それが理由だろう。

 加えて、サプライズでもするつもりなのか、先程からチラチラ様子を伺ってくるのが、非常に鬱陶しい。こちらに気を使っているのが丸わかりである。


 あまり子供をなめないで頂きたい。俺ほど空気を読める子供はまずいないだろうが、普段とは違う行動をすれば犬でも反応する。

 もう少し上手くやってくれないだろうか。わかりきっているサプライズを受ける身としては、非常に困ったものである。


 そんな事を思いながらも、書き取りを続けたものの、単純作業に飽きがきた俺は、誕生の儀で手に入れた板──俺はステータスプレートと呼ぶ事にしたが──それを取り出した。


 この一年、このプレートを見ながら、色々とやってみた。その結果色々とわかった事がある。


 まずはレベル。

 今のレベルは77と半年で30も上がった。

 レベルは日常生活でも上がるようだ。俺のユニークスキル経験蓄積の表示を見ると、経験値なるものが存在しているようで、それが生活する上で溜まっているからだと思う。


 能力値に関してはよくわからないというのが、正直なところ。

 ただ一つだけ。あくまで比較の問題なのだが、当初筋力値5で、ハイハイがやっとだった事を基準に考えると、そのおよそ4倍に当たる知力がとても高いとは思えない。


 しかしだ。俺は前世の記憶を持ち、高校生級の頭脳を持つ。それに、俺は学校でも頭が悪い方ではなかった。成績的には平凡で、頭が良かったわけでもないが、それでも17は低いのではないだろうか?

 だから、知力とは単純に頭の良さや知識量を示しているわけではないと思う。もっと言えば、他の数値もまた同様に言葉の意味そのままというわけではないのかもしれない。


 次にスキル。


 まずは何と言っても、ユニークスキルだろう。名前からして俺だけのスキル。

 しかし、ここで一つ問題がある。

 経験値を貯めてどうするの? って話である。

 お金を貯めても使い道がなければ、意味がないのと一緒で、経験値が溜めて何が出来るのだという事だ。


 これについてはまだ結論は出ていない。スキルにもレベルがあり、それが9になると新しいスキルを覚えたりする事は他のスキルで試して分かっている。

 だから、それで何か使い道が生まれるまでは放置するしかないというのが、現状だ。

 しかし、今の蓄積経験値は0。レベルが上がる以前の問題で、未だ発動すらしていない。


 このスキル……ゴミかもしれない。


 今のところ、それが結論である。


 しかし、俺の持つスキル全てがゴミというわけではない。二つほど有用なスキルをお教えしよう。


 まずは、初めからあった空間スキル。これは何となくだが、目で見なくても周囲の動きがわかるというスキルだ。

 まだまだ使いこなせていない感があるが、少しずつより詳細に、より広く周囲の動きがわかるようになってきた。いずれは、目を閉じていても周囲の様子がわかるようになるかもしれない。


 次に、この半年で新たに手に入れた魔力操作。これは、魔法を使う上でなくてはならない必須スキルだ。これがないと、魔法が上手く使えないらしい。

 ボンと爆発したりするそうだ。気を付けよう。


 ちなみに、1歳にならずして俺は既に魔法を使えるようになっている。

 というのも、生後8ヶ月を過ぎたあたりか、そろそろいける気がすると、俺は言葉を話し始めた。すると、親バカなのか、ミュラとレディクは二人して大泣きして喜んで、それから数日後、ミュラが魔法の練習をしましょうと、俺に魔力操作を教えてきたのだ。


 俺も1歳になってもいない子供に何を教えているんだとは思ったが、嫌ではなかったので、彼女に付き合ってあげた。

 結果、俺は魔力操作を1日で習得し、初級ではあるが魔法を使えるようになったのだ。


 しかし、驚いたのは、夢と手順がまるっきり一緒だったことだ。使いたい魔法をイメージして、それに必要な魔力を集める。

 その工程が同じだったからこそ、簡単に魔法を習得出来たのかもしれない。


 やはりここは夢に似ている。異世界はどこもこんな感じなのだろうか?


 ……まぁ、今はそんな事どうでもいいが……今、大切なのは、如何にして手っ取り早く強くなるか、である。

 しかし、実はもうその手っ取り早い方法を見つけていたりする。


 この世界で強さを表すのは、二つあると俺は思う。一つは単純な能力値。これは、レベルが上がるとよく上がるのだが、それでなくても鍛えたりすれば少しだが上がるようだ。しかし、どちらにしても時間がかかり、ちまちましていて面倒だ。


 だから、俺はもう一つの強さを鍛えようと思う。それは、言わずもがなスキルだ。

 この世界のスキルは、どうやら幾つかの種類に分かれているようで、今わかっているのは5つ。通常、希少、魔法、武器、固有だ。


 一つ一つ説明すると面倒なので、簡単に説明すると、これらは通常、希少、固有の三つと、魔法と武器の三種類に分けられる。


 まず、一つ目の区分では、何らかの効果、あるいは技的なスキルの種類で、後になるほど希少度が増し、強力なものが多くなるようだ。


 次に魔法スキルは、補助的要素が強く、魔力や魔法の威力の向上に役立つようだ。


 最後に、武器スキル。

 これは、後天的ユニークスキルとでも言おうか。噛み砕いて言うと、自分で、自分だけの技を作れるというものらしい。

 剣スキルを持っているからと言って、剣が上手くなるという効果はないそうだ。


 このように、スキルには色々種類があるようだが、今俺が欲しいのは希少スキルだ。ユニークスキルは、持って生まれてくるか、余程特別な経験をしない限りは身につかないそうなので、次点で希少スキルだ。


 名前からしてレアなら、きっと強いに違いない。だから、それを手に入れようと、色々とやってみた。その結果、舐めてんだろって言いたくなるスキルばかり手に入った。


 レディクに付き合って、遊んでみた。

 結果、身体制御というスキルが手に入り、バランスが良くなった。


 絵を描いてみた。

 結果、お絵描きというスキルが手に入り、器用になった。


 泥だんごを作ってみた。

 結果、工作スキルが手に入り、お絵描きと同様に器用になった。


 計算してみた。

 結果、算術スキルが手に入り、暇潰しに二次関数を解いたら、算術スキルがカンストし、計算スキルへと変化。っと思ったら既にカンストしており、思考加速スキルが手に入った。


 ……チョロ過ぎんだろ、通常スキル。


 どうやら、通常スキルは当たり外れが激しいようだ。いや、何も戦いに焦点を置かなければ、それでいいのかもしれないが、俺としては使い道のないスキルが増えてしまった。


 ただ、算術スキルの進化の過程は、非常に興味深い。算術から計算は、単純に上位互換に入れ替わっただけなのだが、思考加速は他のゴミスキルに比べれば、有用なスキルだ。

 もしかしたら、他のスキルも今はゴミのようなスキルでも、後から非常に強力なスキルへと変化していくのかもしれない。

 そう考えると、育てない選択肢はないだろう。

 しかも、体はまだ小さく、弱っちい。絵を描いたり、泥団子を作ったりで、スキルを育てられるのなら、願ってもないことだ。


 だが、育てると言っても、中々上達しない。今日も今日とて、大きな変化が何も見られないステータスプレートに俺はやきもきした気持ちを抱きながら、それをしまうと、一つため息を吐くと立ち上がって、大きく背伸びをした。


 ……さてと、そろそろ気付かないフリもいいだろうか。そろそろ食事の時間だ。

 異世界版のプレゼントに期待しながら、いい息子を演じてやるとしよう。……今はな。



 ──余談だが、この日俺は、号泣する二人に挟まれて、演技のスキルを手に入れた。

 やはりチョロい。



 〜〜〜〜



 それから約1年後──


 もうすぐ2歳になる俺は、いささか早過ぎるぐらいに体も大きくなって、今では他の5歳児の子供と背比べしても、大差ないまでに成長していた。


 この一年、徹底的にスキルを鍛え上げた結果、空間スキルから新たに空間探索というレアスキルを手に入れた。さらに、色々と試してみた結果、新たに10個ほどノーマルスキルを手に入れ、かなりステータスが充実したものとなってきた。

 新しいスキルは、スキル進化により手に入ったものと、一から覚えたのに分けられるが、これまでに手に入ったスキルを纏めるとこんな感じになる。


 観察→遠目─百里眼→見切り

 身体制御→空中制御

 お絵描き─絵描き

 工作─作成

 思考加速─天才

 演技─役者

 魔力操作

 忍び足→俊足

 空間→空間探索

 火魔法、水魔法、土魔法、風魔法


 ─で繋いだ箇所は上位互換へのスキル進化であり、→で繋いだ箇所はスキルの効果が大なり小なり変化している。


 一つ一つ説明していては、時間もかかるためここでは飛ばすが、この殆どは視力上昇などの能力値に反映されない能力強化であったり、器用値上昇などの能力値強化という単純な仕様だ。基礎能力強化と思ってもらっていい。


 逆に、ある意味スキルらしい特殊能力は、魔法スキルを除くと、下の三つだけである。


 魔法発動の大前提であり、魔力を体の外に出して操れる魔力操作。

 足の音を意図的に消す事が出来る忍び足。

 空間スキルとセット使用し、広げた空間内に検索をかける事が可能な空間探索。


 これらは常時発動の能力強化系と違い、意図して使用しなければ発動せず魔力も必要となるが、その代わり技としての意味合いが強く、俺の手札となり得るスキルだ。


 幾ら成長が早いと言っても、俺はまだ2歳にもなっていない子供。スキルで補正された能力値も大人に比べれば、まだまだ。

 それも、レベル99になってからは、経験蓄積スキルに余分な経験値が蓄積されるようになり、レベルは上がらなくなった。どうやらレベルは99でカンストらしい。

 それでも日々の生活で能力値が少しずつ上がっているのが救いだが、ステータスに表示される能力値は伸び悩んでいた。

 このまま代わり映えしない毎日を過ごしたところで、新しい風を期待するだけ無駄だろう。


 もう十分だ。ここで出来ることは、やり終えた。


 力を蓄える時期はもう終わったのだ。



 だから、今日──俺はこの村を出る。



 〜〜〜〜



 太陽の代わりに月が村を照らす真夜中。星々が小さな明かりを付け足す比較的に淀んだ空模様。

 それを物陰からコッソリと伺いながら、薄い雲に月が覆われ、薄暗い暗闇が訪れたタイミングで俺は、家の影から飛び出した。


 足音を忍び足スキルで消し、周囲の動向を空間スキルで読み取りながら、俺は村の中を駆けた。そして、事前に確認しておいた脱走経路──その鍵となると村を囲う柵のすぐ側に植えられた一本の木によじ登った。


 柵の向こう側に伸びた枝に家から持ってきた手早くロープを結び、それを使って村の外へと出た俺は、茂みに身を隠しながら、忍び足スキルを使って村から離れた。


 雲に隠された月が露わになる。それに合わせて、視界も良くなり、コソコソと慎重に運んでいた足は、やがて石を蹴飛ばすのも構わず、大地を蹴りつけ始める。周りの景色は、夜の闇に侵されても尚、俺には輝いて見えた。


 何もない、何もない、何もない。


 柵も、人も、鎖も。


 ここにあるのは、ただ厳しく、ただただ美しい自然の姿そのものだ。


「ははっ……」


 村から離れ、緊張が緩んだのだろうか。

 俺は遠くに見える大きな山を見据えて、笑い声を零した。


 心にあったのは、荒波のように押し寄せる好奇心と、枠から解き放たれた解放感。

 俺はそれを噛み締めるように拳を握ると。


「よっし!」


 そう言って、夜にも関わらず空に大きな影を残す山へと、走り出した。


 この世界に来て、2年。ようやく一人で、誰に邪魔されるでもなく、この世界を冒険出来る。

 手始めに、そこの山から、冒険を始めてみよう。


 俺は木剣を手に薄暗い草原を疾走した。しかし、幼い体はすぐに限界を迎え、息が上がる。貧弱な体だ。たったこれだけの距離で息が上がるのか。


 そんな風に、己の軟弱さに歯噛みしていると、暗闇の中を蠢めく影を捉えた。すぐにスピードを緩め、体を草に隠して、そっと前方を窺った。


 茂みを手で掻き分け、そこからコッソリと前の様子を伺う。


「グギャギャギャ」


 見ればそこには魔物がいた。かつて夢で見たものとそう変わらない醜悪な顔をしたゴブリンだ。暗くて見難いが武装はないようだ。仲間がいる様子もない。

 これは、自分の力を試すには丁度いい相手だ。

 まずは……


「ファイアボール!」


 俺はゴブリンに向けて、魔法を放った。最弱の魔物と言われるゴブリンに、物陰からの奇襲。これが成功しなければ、俺の力は世界に通用しないという事だ。それならば大人しく村に戻ろう。


 だが、夜の景色をを赤に染め上げた火球に背後から襲われたゴブリンは、悲鳴を上げながら地面をのたうち回った。

 火球に内包された火炎が、その緑の肌を黒く焦がしていく。見ればそれは、血が焦げ付いた跡だった。


「死ねぇッ!」


 俺は木剣を手にのたうち回るゴブリンに向かって、茂みから飛び出すと、思いっきりそれをゴブリンの頭に向けて振り落とす。


 鈍い音が、木の芯を伝い腕に伝播してくる。硬いものを叩いた感触だ。だけど、それを叩き割ったような感触。

 それを何度も何度も繰り返し、ゴブリンの後頭部を狙い打つ。


 そして、5度目の強打でビクッと一度体を震わせたゴブリンに向けて、俺は容赦なくトドメの一撃を振り下ろした。


 ドガッ──


 勢いよく叩きつけた木剣は、ゴブリンの頭を粉砕──とまではいかないものの、血が顔に飛び散るぐらいは頭を強打し、そして動かなくなったゴブリンは、夜の闇に消え入るように石だけを残し、その体を黒い靄にして消えいった。


「はぁ……はぁ……夢と同じなら、これで水一杯分ってとこか。やれやれ……」


 初戦闘という事だけあって息の上がりようが凄い。俺は、砂つぶほどに小さな魔石を拾い、酷い近似感を覚えたが、深くは考えず、ポケットにその水一杯分の魔石をしまった。


 そして、血の付いた木剣を顔の前に掲げると、口元を緩ませて、手を握りしめた。


「やっぱりもう俺は戦える。魔物を殺せる」


 水一杯ではとても補えない満足感と興奮。俺はそれを隠す事なく顔に浮かべて、足を踏み出した。

 まだ、帰るには早い。折角抜け出せたのだ。もっと遊びたい。


 俺は次なる獲物を求めて、さらに奥へと踏み込んだ。


 すると、次々に出てくる魔物達。ゴブリン、オーク、コボルトと、夢で何度も戦った最弱クラスの魔物ばかりだったが、単体、複数問わず、俺は勝ち続けた。

 その中には、少し強い魔物も混ざっていたが、魔法で先制攻撃をしてしまえば、相手にならなかった。


 そうなると、俺も楽しくなってきて、自分の力がどこまで通用するのか試してみたくなるというもの。

 ちょっと強いではなく、普通に強い魔物を求め、俺の足はさらに奥へと入り込む。

 やがて、周囲の景色は、草原から、森へ。森から山へと移り変わり、気が付けばどこにいるのかもわからなくなった。


 けれど、沸き立つ未知への興奮が、未知への恐怖を掻き消して、無謀を戒める理性さえも奪っていく。

 だからか、その時の俺は、勝てない魔物が出てきたらどうしようとか、どうやって此処から抜け出すかなんて微塵も考えていなかった。むしろ、このまま村に戻らず、冒険に出ようという考えの方が強かった。


 より鬱蒼としてきた草花と、夜の暗さを一層引き立てる鬱蒼とした木々の中を掻き分けて進んだ先に、4足歩行の獣がいた。

 まるで俺が来るのを待ち構えていたかのように、身を低くし、唸るその様は野犬を彷彿とさせる。


「こいつも魔物か?」


 そいつは、見た事はないタイプの魔物だった。けど、見た目から狂犬みたいなものかと推察し、即座に魔法を放った。


「ファイアボール!」


 しかし、至近距離から放たれたそれを、犬の魔物は軽々と回避して、また身を低くして唸る。


 どうやら、今までの魔物とは一味違うらしい。


 俺はニヤリと口角を緩めると、もう一発ファイアボールを撃った。しかし、ヒラリとそれも躱されて、犬の魔物は高く遠吠えした。

 途端山に響く、遠吠えの合唱。どうやら仲間がいたらしい。


「チッ、ファイア──」

「グゥワァォ!」


 仲間を呼ばれた事に対して舌打ちして、また魔法を唱えた俺に、魔物が牙を煌めかせて、襲い掛かってきた。

 慌てて言い終える前に発射した火球。しかし、今度はそれを躱す事なく、狂犬はそのまま火炎の中へと飛び込んだ。


 馬鹿め──そう俺が侮りを浮かべた瞬間。


「グゥォオッ!」


 魔物は、火球を突き抜け飛びかかってきた。


「ぐっ……!」


 反射的に木剣を振るうも、爪で弾き飛ばされ、その勢いそのままに俺は背中から押し倒された。


「いっ……!」


 爪が肩に食い込む痛みに一瞬閉じた目を再び開くと、目の前にはヨダレを垂れ流す猛獣の顔があった。


 あっ……これ──やばいやつだ。


 何度となく経験したゲームオーバーの兆し。肌に食い込む爪が俺を逃がさない。アーンでもするように大きく開いた凶悪な牙で埋められた口から垂れるヨダレが、顔に落ちる。

 俺はもう抵抗を諦めて、全身の力を抜いた。


 あんまり痛くはしないでくれよ?


 そんな事を考え、迫り来る死を待っ──


「俺の息子に何してやがるっ、このクソ犬がぁッ!」

「キャウッ!」


 目の前で血飛沫が舞った。それは紫の色をしていて、夜の暗闇に似た色をしていた。


 刹那の断末魔の後、魔物の体が発火し、それと同時に激しく視界が回る。わけがわからずそれに身を委ねるしかなかった俺を、直後聞き慣れた声が呼んだ。


「レイッ!」


 目に飛び込んできたのは、汗まみれのレディクの顔。汗が赤々と燃え上がる火を映し、オレンジに輝いて見えた。


「怪我はないか? 無事か? 生きてるか?」


 大きな体と立派な竜の紋様が彫られた剣に似合わない弱々しい目をしたレディクは、何度も何度も俺の体と顔をその目で確認して、ややあって大きく安堵の息を吐いくと、グッと抱き締めしてきた。


「無事でよかった」


 俺は……ただされるがままだった。

 力で叶わなかったのもある。けど、それ以前に抵抗する気力が湧かない程に、俺の体からは、力が抜けていた。


 その時だった。


 ガウゥゥゥッ!


 幾つにも重なった遠吠えが、山に響き渡る。


「ここにいろ」


 レディクの目が険しくなる。

 レディクはそっと俺を地面に下ろすと、俺を背中に庇い、視線を一周した。


「畜生共めッ! 俺の息子に手ぇ出して生きてられると思うんじゃねぇぞッ!」


 そうけたたましく吠えたレディクは、俺の前から忽然とその姿を消した。


「は?」


 それが消えたのではなく、目が追いつかないほどの速度で移動したのだと、一瞬理解出来ず呆然とした俺の耳に、次々と魔物の悲鳴が届いた。

 それも、あちこち山全体が悲鳴を合唱するように四方八方から。


 キャウッ!

 グゥワァン!

 ヒァァァ!


 暗闇の中で数え切れないほど木霊するそれに、ようやく頭が追い付いた俺は、気が付けば駆け出していた。


 スゲー、スゲー、スゲー、スゲー!


 興奮が収まらなかった。

 俺はその興奮そのままに、草木を掻き分け、悲鳴のする方へと進み、それを見た。


 馬鹿でかい鬼を真っ二つに切り裂くレディクの姿を。


「ハッ! どんなもんだ、ボケッ」


 そう吐き捨てたレディクは、すぐに俺へと気付き、視線が交わる。

 直後、先程までの無双は何処へやら。

 レディクの目が決壊した。


「ぐおぉぉぉ! 」

「ひっ……!」


 爆風を纏うスピードで俺を抱き締めてきたレディク。その抱擁が突然過ぎて、トラウマがフラッシュバックした俺の口から思わず悲鳴が漏れる。

 しかし、その声さえ打ち消して、号泣するレディクの抱擁に俺は抵抗しようとした腕をそっと下ろした。


「…………ごめんなさい」

「バッキャロウ! 謝んじゃねぇ! オメェは悪くねぇ! 目を離した俺が悪いんだ! 本当によかったぜ、無事で!」


 わんわん泣き叫ぶ父と、それをあやすような俺の仕草。

 痛いほどに抱き締めてくるレディクの抱擁に、俺は冬の夜だからだろうか。それとも、戦闘で掻いた汗が冷やされたのだろうか。


 ……あったかい。


 何だかわからなかったが、そう思ったんだ。


「ほら、けぇるぞ、レイ」


 やがてひとしきり泣いて満足したのか、レディクはその大きな手を開いて俺に向かって差し出す。俺はその差し出され手を見て、小さな自分の手に視線を落とした。


 ……まだ早かったんだ。まだ、世界を見て回るには力が足りなかったんだ。

 だから、もっと強くなるまでは……仕方ない。


「──うん」


 帰ろう──家へ。


 俺は頷き、その大きな手に自分の小さな手を重ねた。


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