219.慎重かつ大胆に
昼過ぎ頃に結衣のキャラデザなどを活動報告にあげるので、よかったら覗きに来てください。
────ドッドドドッ!
雪崩れのような振動を伴う轟音が、どこからともなく聞こえてくる。
気のせいか街全体が微震しているかのように感じられるのは、迷宮の上層、あるいはもっと地上に近い部分に震源があるからか。
しかし、殆どの者はそれに気が付かない。気付いたとしても喧騒溢れる街の中にいれば、気のせいかと切り捨ててしまう程度の揺れだったからだ。
だが、太陽が真南を通り過ぎた辺りで、日銭稼ぎに足を伸ばした冒険者達は、きぞって入り口で足を止める事になる。
「何だ、この揺れは……」
赤獅子の幹部、『赤獅子の爪』と呼ばれるバロックもその一人だった。
「誰か、魔物の大群にでも追い掛けられているのか?」
よくよく耳を澄ませば、騒音は魔法やスキルによる断続的な衝撃などではなく、大群で押し寄せる魔物の足音に似ていた。伝わってくる微振動も、意識的に分けてみれば、バラバラな足の動きを思い浮かべる事も出来なくはない。ただし……
「いやこれ……多過ぎやしねぇか……?」
迷宮の入り口付近で、引き攣った顔を浮かべたバロックは、伝播する振動からおおよそ想定しうる最悪のビジョンを思い浮かべた。
彼が思い浮かべた状況は、新米の探索者が命からがら魔物から逃げ回るうちに、他の魔物まで引っ掛けて、逃げ回っているところだ。
迷宮ではよくあるといえばよくあることだが、階層全体が揺れるというのは珍しい。というか、彼自身経験した覚えはない。
低級の魔物が占める上層でまだ良かったが、中層以下の下層域でそんなパレードをやられようものなら、巻き込まれた探索者諸共、お陀仏に成りかねない。
しかもその場合、はじめに臆病風に吹かれ逃げ出した者が生き延びる事が殆ど。巻き込まれた側はかなりの確率で死ぬ。
だから、そういう時は大人しく死ねというのが、迷宮探索者の鉄則である。まぁ、守られているかは確かめようもない事だが、新米はどうやらその鉄則を破ってしまったらしい。
しかし、運が良いことに、ここは上層。この辺りをメインに探索している新米冒険者達が巻き込まれようものなら、それは死以外に何も生まれないが、幸いにして下層域をメインに活動しているクランの幹部が居合わせた。
「……ったく、運が良かったと思えよ。たんまり報酬は貰うからな」
バロックは頭をポリポリ掻きながら、周囲の見知らぬ冒険者が、この振動の原因や、今日の狩りについて各々相談する中、一人その騒音のする方へと足を向けた。
そうして、注意深く進む事2キロほど。
「あれか」
こちらには見向きもせず、大群で何者かを追い回す魔物の集団を見つけた。だが、長いこと逃亡を続けている新米とは違い運が悪かったのか、ちょうど目的の集団の最後尾が壁の向こうへ消えていくところだった。
「確か、この先は一本道……急げば先回り出来るか」
バロックは、見失った影を追おうとはせず、逆に進路の先で待ち伏せする事にした。すぐさま足を切り返し、そこへ向かって駆けた彼の耳に、悲鳴が届いたのは、その数秒後のことだった。
「──イヤァァァ!」
聞こえてきたのは、少女の悲鳴。
「チッ……」
かなり切迫詰まった様子の悲鳴である。自然と、バロックの足に力が入る。
そして、一本道の出口にようやく先回りした時、彼の目に飛び込んで来たのは、魔物の大群に押し潰されそうになっているボロボロの少女────ではなく、ペンを片手に前も見ずに、ひた走る青年の姿だった。
「へっ……?」
両手には爪の伸びた小手。足には魔力を纏わせ、飛び出した形は、救いの神。あるいは、ヒーロー。
だが、目の前に現れたのは……
「ライクッド、次の紙だ」
「はい。これでようやく半分ぐらいですかね」
悲壮感皆無で、出来上がった地図と真っ白な紙の受け渡しをする、見覚えのある奴らだった。
「あっ、ちょっと待て、インクが……」
『マスター、コレを。補充しておきました』
「さすがは、出来るオートマタだな」
『至極光栄の極みです』
さらには、横から替えのペンを受け取り、日常会話のようなやり取りを繰り広げる始末。
しかし、その背景は、低級といえど小さな村一つ余裕で踏み潰してしまいそうな程の魔物の大群だ。絵面がおかしい。
そして、そのおかしさの全ての中心にいる奴が、ようやく己の存在に気が付いた。
「……あれ、バロック? こんな所で会うなんて、奇遇だな!」
この時ほどブーメランを持っておけば良かったと思った事は、バロックにはない。
それはこっちのセリフだと、叫び返したい気持ちが確かにあった。しかし、混乱の極みにいたバロックには、投げ返す余裕もなく、ただ放心して腕をあげた。
「お、おう……?」
一応、挨拶を返す程度の理性──と呼んでいいのかはわからないが──はあったようだが、バロックの目の先にあったのは、一部おかしな景観を放つ3人ではなく、むしろ背景に混ざり込んでいる3人。
「やばいです、やばいです! さっきから私の尻尾に視線が集中してる気がします!」
「よし! ならば、その曲がり角を左に行け、リスリット!」
「私達は右に行って一度休憩するから!リスリットちゃん、後はお願い!」
「ちょ、結衣さんまで、何言ってるんですか!? 私だけ囮にしようなんて、そうはいきませんよっ、いきませんからね!」
なんという温度差。前を走る3人がおかしいのだと、バロックはそれを見て、安堵してしまったほどだ。
と、そうこうする内に。
「じゃあな、バロック。また今度、ゆっくりと。今は忙しいんだ」
「適当なところで、横道に逸れて下さいね」
『失礼致します』
バロックの横を、おかしな3人組が走り抜けた。そして、次に来るのは至って普通の安心できる3人組。それが自分には脇目もふらず、走り抜けていったところで、ああようやく、普通の景観になったと安堵して顔をあげてみれば──
──グゥアォァォ!!!
「いや待て待て待て待てッ!!!」
目の前に迫った魔物の群勢に、クルリと反転。走り抜けた6人を追走したバロックは、その中堅クランの幹部の名に恥じぬ走りで、先頭に追いつくと、ペン先に集中するレイを問い質した。
「一体全体どういうこった!? 何がどうなってんだ、これ!?」
「見たらわかるだろ。地図を作ってる」
「俺の知ってる地図作りと、根本的に何かが違うんだが!?」
いったいどこで地図の作り方を間違えてしまったのだろう。いや、そもそも間違える要素があるのか甚だ疑問なのだが、こんな大群に追い回される地図作りをバロックは知らない。
そんなバロックに、レイはペン先を突き付けて微笑する。
「フッ、馬鹿め。新しい事に挑戦し続けるのが冒険者。今日からこれが、新しい地図作りとなるのさ」
「ならねぇよ! 少なくとも俺の知り合いには、こんな地図作りをしようって奴はいねぇよ! もっと落ち着いてやるもんだろ、こういうのは!」
『固定概念に囚われる事は、人の進化を止める事と同義です。我がマスターは、常に進化し続けているのです……あなた達凡人と違って』
最後に毒を盛ったシーテラは、レイの考えを否定された事が不快だったのか、顔を近付けてバロックをガン見した。
「凡っ……!? おいおい、綺麗な顔して口の悪い姉ちゃんだな。けど、タイプっちゃ、タイプだ。こんな所じゃなければ、今夜寝床を共にしたいぐらいには」
『穴がないので遠慮致します』
「えっ、穴がねぇ!? ちょ、まさか、お前その顔と体で……あっ、いや、すまね。詮索はしない。だから、ちょっと離れてくれるか? もう文句は言わねぇから」
バロックの中で、大きな誤解が生まれたようだが、これ以上文句を言わないのなら、シーテラとしても彼を至近距離で睨み付ける理由はない。
そのまま元の距離関に戻ったシーテラに、バロックは安堵した。
「……それで、何でそんな奇ばっ……あ、いや、前進的な地図作りをしてるんだ?」
言い直したのは彼女の──バロックにとっては彼の目線が怖かったからだ。人は未知の存在に、畏怖を覚えるのだ。それはある意味正しく、間違いではあったが、レイはそれには言及せず、代わりにバロックの問いに答えた。
「この方が効率的だろう?」
そう、効率だ。
先に行ったアンナ達に、追い付くには何より効率良くやる事が大切だ。地図作りと、その手間によって得られる経験しかり、度重なる戦闘により得られる実力しかり。
この三つを効率良く行うにはどうしたらいいか。
簡単だ。
倍速、いや、10倍速でやって仕舞えばいい。
すなわち、走れ。走って走って、魔物を引きつけつつ、足を止めずに地図の完成と迷宮の構造を知る。さらには、持久力アップも狙える嬉しいオマケ付きだ。
「お前ら……馬鹿じゃないのか? 金さえ出せば、幾らでも上層の地図は手に入るだろう」
そんな元も子もないバロックの言い分に、レイはやれやれと首を振る。
「自分の手で完成させる事に浪漫があるんだろうが」
「くっ……わかってしまう自分がいるのが物凄く嫌だ……!」
男は浪漫で動くものだ──というのは言い過ぎかもしれないが、大概の男にはそういう一面がある。他から見たらまったく理解されなような事に異様な情熱を注いでしまう事が。
たとえばそれは収集癖であったり、あるいは技を磨いたりと、そういった稀有な人物に男性が多い気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
そして、冒険者などはまさにそれだ。本当に依頼をこなし報酬を受け取るだけの仕事として割り切っている冒険者が、いったいこの世界にどれだけの数いるだろうか。
大多数の冒険者は、名声をあげたり、仲間と協力して困難に挑んだり、はたまた未知に踏み入ったりと、仕事では関係のない事に情熱を燃やしている。
そうでなければ、自ら死の危険を冒してまで、魔物という恐ろしい怪物に挑めるものか。中には、それを求める戦闘狂がいるかもしれないが、その狂気もまた一つの浪漫だ。
安全を捨てる時、人は夢想し、浪漫を追い求めるのだ。
それも、この迷宮区にやった来た強者達だ。浪漫を追い求める心が分からないはずもない。
しかしだ、しかし。
迷宮一層からこんな大騒動を引き起こす浪漫をわかりたくはなかった。同じムジナだと自白しているような気分に陥る。
バロックは何とも言えない気持ちを吐き出すように溜息をついて。
「……で、後ろのアレはどうする気だ? まさかプレゼントしていったりはしないよな?」
「まさか。ちゃんと自分達で処理するさ」
「出来んのか、お前に?」
「出来なければ、責任とって死ぬだけさ。それが、俺たちの流儀だろ?」
顔を変えず流儀を語る年若い冒険者に、バロックは口元を歪めた。
「15や、16そこそこのガキが流儀と来たか」
それは、馬鹿にして吐いた言葉ではない。この若さでしっかりと冒険者の鉄則を、最低限のマナーを弁えてるレイへの賛美である。
「なら、余計なお世話はしねぇよ。その代わり、もう少し様子を見させてもらおうか。一応、巻き込まれた側の権利として」
「別に見ても何も面白い事はないと思うぞ?」
「いいんだよ、それで」
面白いか面白くないかはバロックが決める事だ。それに、冒険者の流儀を語っておいて、これしきの事で手をこまねくようなら、期待ハズレも良いところ。
そのワールドレコードを塗り替えた実力をこの目に収めてやろうではないか。
そうほくそ笑むバロックに対して、レイはやれやれとかぶりを振る。
「そんじゃまぁ、お客様がいる事だし、そろそろ一度片付けようか」
レイの足が止まる。そして、全員がその前方に回り込んだ頃合で、体の向きを変えた。
「サクッと片付けるぞ」
緋色の剣を抜き相貌を強めたレイに続いて、バロックを含めた全員が、体を反転させる。
「うへぇ……休みなくですか?」
「休んでる暇は……向こうが与えてくれなそうよ」
「そういう事です。ほら、ギルクさんもゼェゼェ言ってないで、構えて下さい。始まりますよ」
「お前ら……ゼェゼェ……化け物と一緒くたに……ゼェゼェ……するな」
レイを先頭に隊列が組み変わる。疲れが見て取れるリスリットと結衣の二人は、内心を顔に出しながらも、それぞれ前衛と後衛に。そのちょうど真ん中あたりで硬い床とキスするギルクを引っ張り起こしてから、ライクッドも気持ち後方へと下がった。
「作戦は、朝言った通りだ。俺とライクッドは、サポート。前衛のリスリットが足止めし、中衛がその援護と牽制。結衣は、その中で足りない部分を補ってくれ」
接敵するまでの僅かな時間に、再度確認を取ったサポートを自称するレイは、仁王立ちのまま魔物を向かい入れた。
「ハアッ!」
その時、レイの腕スレスレに突き出された切っ先が血花を散らす。レイへ襲いかかろうとしていた四足の小型の魔物は眉間を穿たれ、一撃で絶命した。
それを皮切りに、雄叫びをあげ突貫してきた魔物へ、犬耳の少女は一本の剣と、それとは長さの違う短剣を手に、レイを超え前へと飛び出した。
それに続き、中衛の二人も前へと出た。
「俺は左を止める」
『では、私は右側を』
そう短く役割を分担した二人に、リスリットの止めきれなかった壁際から魔物が迫る。
ギルクはシーテラより少し前に出ると投剣を放ちながら距離を詰め、足りない前衛の役割を担うように持ち前の回避力に任せた足止めを敢行。
だが、ギルクも弱くはない。武闘大会3位入賞の実績を持つ隠れた秀才だ。往々にして、それは一部の異常児によって塗り潰されてきたが、魔石を使わずとも低級の魔物に遅れを取るものでもない。
ただし、いまいち本人がそれを理解していないのだが……
「ん? こいつら、異様に弱くないか?」
回避したとほぼ同時に、人型の魔物の頭をアッサリと切り落としたギルクは、小首を傾げる。
感覚が麻痺していたのだ。思い出してもみてほしい。最近の連戦を。レイ達に付き合い、近頃は海坊主やら、魔人やら、魔王やらとギルクは勝ち目の見えない敵ばかりと戦ってきた。だが、周りを見れば、どこか余裕綽々としている仲間達。
自分が弱者であると、固定概念を植え付けられるには十分だった。
一方、そんな感覚の違いに戸惑うギルクを他所に、淡々と水銃の引き金を引き続けるシーテラ。彼女は、ギルクと違い実力差というものに興味がなかった。道具として己を弁えていると言えばいいのか、レイの役に立つ事こそが、彼女にとって何よりも優先される最優先事項。
故に、実に淡々と高速で繰り返される演算を元に、レイが舌を巻くような最適解を導き続けた。魔具の性能を十全にわかっているからこそ出来る芸当。ただ無作為に連発しているわけではない。まるで、一流のガンナーの動きをトレースしたかのように周りの目には映る。
そんな彼女達を後方から眺めていた結衣は、自分の役目を自決する。
それこそが、レイが彼女に課した修行。
結衣のユニークスキル『共鳴』は、結衣と誰か一人の能力を合算するスキルだ。そして、その副次効果として、互いの動きが手に取るようにわかるという連携という意味での強みがある。
ただし、欠点もある。それは、互いの心の向く先が同じであること。つまり、目には見えない仲間意識や、友人関係、あるいは、瀕死の状況での共通意識。
共にあるという認識と、共鳴出来る何かがなければ、最悪発動すらできない。
そして、今のこの状況を見て、結衣の共鳴を求めているのは果たして誰か。共鳴出来る何かを持っているのは、誰か。
それを彼女自身が見極められるようにならなければ、せっかくのスキルも宝の持ち腐れとなる。
だからこそ、それを見極める力をレイは彼女に求めたのだ。
「ギルク、共鳴するわ!」
「何? わかった!」
結衣が選んだのはギルクだった。それは、常日頃から俺は弱い、お前ら化け物と一緒にするなと、結衣の中でどこか通ずるものがあったからだ。
それが共鳴に足る要素だと思った。
「「共鳴!」」
一歩下がったギルクと、後方で控えていた結衣が、同時に叫ぶ。結衣から伸びたパスが、ギルクと繋がりそして、ほんの僅かに互いの体を光が包む。
だが、その光は実に弱々しく、また薄い。共鳴が上手く発動していない兆候だった。
それは、発動した本人が一番よくわかっていることで、結衣の顔が曇る。だが一度発動してしまえば、小一時間はこれが持続し、解除もかなわない。
「っ……助太刀するわ!」
今は反省よりも、戦闘。結衣は即座に槍を構えると、ギルクの応援へと駆け出した。
それを、眺めていたレイは、小さく息を吐いた。
「纏まってるようで、まだまだ……か」
残念そうにレイがまだまだと零したのは、結衣の失敗が如実にパーティの纏まりを示しているように思えてならなかったからだ。
パーティを結成して一年。初めはギクシャクして、特定の相手としか会話しなかった関係は、かなり良くなった。互いに心を許し、仲間として協力し合えるようにようになってきた。
だが、まだ一年。人と人の関係が深くなるには、まだ短過ぎる時間だ。それは、レイにとっても言えることだが、互いにまだ理解し合えていない部分は多くある。
それは、別人である以上仕方のないことかもしれない。しかし、それを少なくする事は出来るはずだ。
それがまだだったと、その失敗が示しているような気がして、少し悲しくなったのだ。それは、昨日の一件も含めて。
レイが見たところ、結衣の共鳴を必要としていたのは、前衛で多くの魔物を足止めしているリスリットだ。
相手にする数が違うのもあるが、何より安定して足止めを果たしているように見えて、その実、動きが消極的だ。わざわざ受ける必要のない攻撃にまで防御の姿勢を取り、攻撃の手が極端に少ない。
それがいいか悪いかで言われれば、どちらでもないのだろう。実際、着々と仕留めてはいるし、攻撃は完全に受けきっている。戦闘において防御は攻撃と同じぐらい大事だ。
だが、合わない。
リスリットの装備は一般的な長さの剣と短剣が一本ずつ。鎧などは着ておらず、レイと似たり寄ったりの軽装備だ。
その軽装備の強味は、動きやすさを優先した軽やかさ。しかし、リスリットがやっているのは、まるで重装備のゴルドや、攻守一体のルクセリアがやるような受け手側の動き。
何度も言うが、それは悪い事ではない。戦闘の中で防御に回らなければならない場面は多くあるからだ。
だが、防御を主軸に置くのなら、最低でも鎧か盾のどちらかは欲しいところだ。剣や短剣は防具ではなく、あくまで武器。戦闘スタイルに合っていない。
だが、そのスタイルをリスリットは確立出来ていないのだろう。状況に応じて戦い方を変える事はあって然るべきだが、変更先もブレブレでは軸のないコマと同じだ。どこに飛んでいくかわかったものではない。
それをレイは現状一番の不安要素と捉えたが、実際のところ戦闘中に仲間の精神状態まで見抜くのは、困難を極める。直情的な状態にあるならばまだしも、レイもまた完全に他人の心を見抜けるわけでもない。それは誰でも同じ事だ。
故に、レイならば……
「リスリット、正面に集中しろ」
まず助けに入る。
「す、すいません、先輩」
「いやいい。それより、あと半歩体を引け。前に出過ぎだ」
「は、はい!」
それから戦闘を補助しながら、崩れている点を指摘する。
「よし、その調子だ。ガンガン攻めろ」
「はい!」
そして、体制が戻ったところで、合わせにいく。相手を、それから自らも。その方が遥かに心を合わせやすい。やはり、言葉に出して伝える事が大事なのだ。
だが、今回はあくまでサポート。それ以上は踏み込まない。
代わりにレイは、リスリットの動きを注視した。
前のめりになっていたせいで、見切りが疎かになっていたリスリットも、それが直ったお陰か、防御ではなく回避を優先して動けていた。さらに、小回りの効く短剣で回避の最中カウンターを入れつつ、二つの間合いを上手く使い熟している。
はてさて、そんな彼女にどんな技を伝授したらよいものか。出来上がりつつあるスタイルに、自分のアドバイスは果たして必要かなどと思案しながら、レイは向かってきた魔物だけを片手間に屠る。
そんなレイ達を後方で見守っていたバロックは、同じく手持ち無沙汰であったライクッドへと言葉を投げ掛けた。
「お前さんは、やらないのか?」
「僕が入ったら邪魔になりますからね。一掃しろと言われたらやりますが」
「一掃って事は、見た目通りの魔法使いか。中々やりそうだ」
そう言って、バロックは値踏みするようにライクッドを見下ろし、ややあって評価を改めた。
「……いや、相当やりそうだ。お前さんも魔王とやり合ったのか?」
「ええまぁ。この中ではレイさんと僕だけですけど……」
なるほど道理でと、バロックは得心した。
その冷静沈着そうな雰囲気と、それを後押しするような肝の座った立ち姿。少なくとも、そんじょそこらに転がってるタマではない。一度や二度の死線は経験してきている。
それは、レイに対しても……いや、あちらの場合、第一級の探索者として比較しても、見劣りしないだろう。
そんな彼らが、調子付いた若者と違い、慎重過ぎる攻略を始めようというのだから、何をやっているんだと呆れて小言の一つも言いたくなる。
「本気でスカウトしてぇ気分なだけに……残念だな」
「遠慮せず、すればいいじゃないですか。まぁ僕は行きませんけど」
「しねぇよ、今は。恐れが勝ってるようじゃ、役に立たねぇからな」
安全第一。余裕のある攻略。
そんな生き残りをスローガンを掲げるクランは多い。しかし、この下に行けば行くほど広大に、そして過酷になっていく迷宮で、そのスローガンは攻略する気がないと言っているのと同意義だ──と、バロックは考える。
「レイさんが、臆病者だって言いたいんですか?」
「さぁな。でもチマチマ出来るとこでもないのは、本当さ。本気でこの迷宮を攻略しようって気ならな」
「それなら、心配は入りませんよ」
サラリと言ってのけたライクッドはクスッと小さな笑みを零すと、
「レイさんは根っからの冒険者ですから」
そう、確信の篭った言葉を吐いた。
「今はまだ、他に気が回っているだけです。けど、それがなくなったら、確実に暴走しますよ」
「既に暴走しているような気がするが……」
一理ある。一層目からしてこの暴れ具合。確かにレイを知らないバロックから見たら、暴走じゃないのなら一体何なのだと、零したくなるのもわからなくはない。
ただ人間、慣れとは恐ろしいもので。
「可愛いものですよ、これなら。以前、竜の谷で大暴れした時なんて、空一面が竜で埋め尽くされていたんですから。幾ら本気の殺し合いではなかったとはいえ、本当に生きた心地がしませんでしたよ」
「ちょっと何言ってるかわからんな」
空耳だろうか。
今、空一面竜がどうたらこうたらと衝撃体験談が聞こえた気がするが、どうしてか中身が不思議と入ってこない。
それは言っている本人もそうであったようで、ライクッドは頷いて同意すると、どこか遠い目をした。
「僕も……竜達に修行相手になってもらう約束取り付けてきたと言われた時は、同じ事を思いましたよ。それもいざ行ってみたら、一体どころか、そこにいた竜全部で襲われたんですから」
「何だそれ、この世の終わりか?」
「まさに世紀末でしたよ。あれを見た後で、こんな大群……笑えちゃいますね」
何故かやつれた様に見えるライクッドは押し寄せる魔物達を見て、鼻で笑った。
それは比べるまでもなく竜一体にも劣る相手を侮ったというのもあるのだろうが、そんな相手に何をチマチマと、とバロックの抱くものに似た思いがない事もない。内心では、ライクッドもまたアンナ達よりの考えなのだ。
だが、レイが必要と割り切った時点で、何を思おうがライクッドはそれに付いて回ると、とうの昔に結論を出している。
それは実体験に基づく、戦略的撤退だ。一見キチガイにしか見えない行動の末、ライクッドの予想を超える結果を導き出してきたレイの行動は、今回もまた予想外の成果をあげるこだろうという諦めの境地だ。
「苦労してんだな……お前らも」
期待と鬱で半々に染まった瞳から、何となくライクッドの内心を察したバロックは、順調に数を減らしていく魔物を仰ぎ見て言った。
 




