218.迷宮攻略初日の出来事〜後編〜
迷宮都市は、迷宮を囲うように円状に広がった街である。これだけ言えば、この都市の中心が迷宮である事は言わずともわかるだろう。
少しこの迷宮について、詳しく話そう。
迷宮は円錐の頂上を切り取り、そのまま地下に埋めたような構造をしていると言われている。その理由は以前にも話した通り、下に向かうほど階層が広くなっていくからだ。
現在、迷宮の最高到達階層は、90層。言わずもがな、英傑王が大昔に打ち立てた大記録である。なんとこの大記録は、数百年に渡り破られていない。
そう、英傑王をしても、未だその壁を超えられていないのだ。
それは、迷宮の中に存在する一つの特殊ルールが関係している。この迷宮では、10層ごとに所謂ボスモンスター、階層主と呼ばれる魔物が配置されているのだ。
そして、その魔物は例外なく、他の魔物と比べるまでもなく強い。
階層主を発見する度、冒険者は足踏みしてきたと言われているほどに、他とは一線を画している。今回の9体目となる階層主もそれは例外ではなく、8体目が討伐されて以降、数百年の停滞を余儀なくされている。
さて、そんな厄介なボスモンスター達だが、倒すと一ついい事がある。それは名声とか、素材とか、そういう類のものではなく、迷宮の仕様における話だ。
実は、ボスモンスターの階層は、決まってガランと拓けた場所になっている。さらには、そこにある出入り口は二つだけであり、殆ど魔物が出入りする事はない。あったとしても、即刻倒されてしまうだろう。
つまり、階層主を倒した後、そこは冒険者にとって事実上の休憩ポイントとなるわけだ。何十層と広大な地下を探索する上で、安心して体を休める事が出来る場所があるのは非常に有難い事だ。
まぁ沢山の冒険者がそこに集まるため、いざこざも偶にあるようだが、群れをなした魔物に寝込みを襲われるよりも遥かにいい。
そのため、10層区切りで攻略が進むのが一般的である。迷宮初潜入の俺たちに当てはめると、まずは10階層まで下りる事が一つ目の指針となるわけだが……
「っと……これはまずったな」
早速、予想外の出来事に俺は歩みを止めた。場所は、入り口から第一階層へと続く階段を下りてすぐの所。そんな入ってすぐの場所で足を止めた俺に、仲間達は怪訝な顔をして、首を傾げた。
「何か忘れ物でしたの、嶺自? 必要なら、私の収納空間の中も探してみるけれど……」
「ったく、仕方ねぇな。相変わらず忘れ物が多い奴だぜ。俺も探してやるから、何を忘れたか言ってみろよ」
「ちげぇよ、何で俺が忘れ物が多い子になってるんだ。……否定はしないけど」
結衣と春樹に関しては、申し訳なさ過ぎる忘れものをした前科があるので、強くは言えないが、忘れ物に関してはゴルド氏の方が上手だと俺は思う。
だって、今日、剣を宿に置いていこうとしたんだぜ、あいつ?
さすがだよ。どこに行く気だったんだ。どこに行くにしても、ここでは剣を持って行って欲しいが……
「それじゃあ、何がまずいの? ひょっとして、お腹を壊した? だったら、痛みが和らぐ魔法があるけれど……」
「いや、違います。全然、違います」
真面目な顔で、彼女に下痢の心配をされた俺は敬語で否定した。
それからすぐに、これ以上変な勘違いが飛び交わないよう、俺は理由を説明した。
「俺がまずったって言ったのは、この壁だよ」
「壁……?」
コンコンと手で壁を叩いた俺に、また皆が首を傾げた。
「至って普通の壁じゃない? あたしには単なる岩壁に見えるけど」
「岩だねー」
「岩だな」
「うむ、確かに岩の壁だ」
「岩、岩連呼しなくていいよ。それは見たらわかる」
まったく……何なんだ、このおかしな連帯感は。
そうじゃないだろと、俺は言いたい。
「魔力感知を使ってこの壁を見てみろ。いくぞ?」
俺はわかりやすいよう、視認できる濃さの魔力塊を壁にぶつけた。すると、壁に当たった魔力は、徐々にその濃さを失っていき、最終的には完全に消え去った。
そして、実演を終えた俺に、アンナが言った。
「──で?」
「で、じゃねぇよ! 見ただろ、今の!」
「はぁ!? 見たけどわかんないから聞いたんでしょうが!」
「だとしても、『で?』はないだろ!」
今、普通に腹が立ったんだがっ……何だよ、反抗期かよ、こいつ。
「まぁまぁ2人とも……こんな場所で喧嘩はよしてよ。他の冒険者の人達もいるんだから」
「レイと海神もだけど、相変わらず仲がいいのか、悪いのかわからないね」
と、言い合いに発展しそうになったところで、結衣が間に入る一方で、シャルステナはなんだか微笑ましそうに見ていた。
何だろう、この待ち待った迷宮探索に俺とアンナだけが、異様に前のめりなっているような感じは。
シャルステナだって、思うところはあるはずなのに……大人だ。
俺はもう少し落ち着きを持とうと思った。
そんな心境の変化があり、大人になった俺は、イィーとしている子供のアンナなど無視して、説明を続けた。
「この壁……微量だけど、魔力を吸い取りやがる。おそらくこの地面も、天井も」
ただの岩の壁に見えるのは、目の錯覚か。触れてみれば、ゴツゴツの中にツルツルがあるような感触。軽く叩いてみれば、普通の岩より少し甲高い音が鳴る。
そして、何より手の平から魔力を少し出してみたら僅かずつだが、その壁の中に吸い込まれてどこかへ消えた。
まるで、帝国産の魔力鉱石が埋め込まれているかのようだ。
「吸魔鉱……?」
聞きなれない単語を呟きながら、シャルステナもまた同じように壁に触れて感触を確かめた。
「うーん……吸魔鉱の感触じゃないね、これ」
「混ぜられてるんじゃないのか?」
俺は、帝国が過去の遺産から開発したという魔力鉱石の元となったのが、彼女が言う吸魔鉱だと当たりをつけて、意見を口にした。
「どうだろ? どちらかというと……えい」
そんな可愛らしい掛け声には似つかわしくないバギッと言う音を立てて、シャルステナが岩の壁を殴り付けた。
……これは違うな。もう勘弁なので、何がとは言わないが、見なかった事にしよう。
と、そんな事を考えていると……
「見て、みんな」
シャルステナが軽く振り返り、先程崩した壁に注目を集めてきた。
「うぇっ、何これ? 気持ちわる……」
覗き込み、表情を歪めたのはアンナ。
壁から血のようにドロッとしたものが垂れ、それが固まって元の形へと修復されていく事へ、生理的嫌悪感を覚えたらしい。確かに、これはまるで自然治癒を高速で見せられているようで、実に気持ち悪い。壁が生きているかのようだ。
だが、そんな俺達を他所に、一人感激に身を震わせる奴がいた。
『さすがはクラクベール様です。完全自己修復機構を完成させられたのですね』
文面を見れば実に誇らしげ。だが、シーテラはどこか寂しげそうに、独りでに修復されていく壁を見ていた。
「……完全って言うと、形状記憶合金のようなものか?」
『いえ、そんな凡人共が作り上げた劣悪なものではございません』
このオートマタは、偶に物凄く口が悪いよな。
あの天才がまた余計なものを組み込んでいるとしか思えない。
『おそらく、クラクベール様は創世の仕組みを解き明かされたのでしょう』
おっと……形状記憶から創世の仕組みなどというものに話が飛ぶとは思わなかった。
「その仕組みっていうのは、簡単に言うと何なんだ?」
『そのままの意味です。世界を創る法則とでも言いましょうか。万物の創造が可能となると、お話しされておりました』
「──待って。じゃあ、クラクベールは、創世神様の力を再現したっと事? 幾ら何でもそれは……」
初めにこの壁の自己修復を発見したシャルステナも、その仕組みまでは知らなかったようだ。だが、余りにもぶっ飛んだシーテラの推測に、そんなはずはないとでも言いたそうな顔になる。
俺も、さすがにそれはという感じだった。
「あいつの作った魔具の性能も大概ぶっ飛んでるが、これは少しぶっ飛び過ぎてるぞ。本当にそんな事が出来るのか?」
『クラクベール様なら可能です。事実、私があの方のお側を離れた時には既に基礎理論の構築はなされておりました。何より、この超自然的な構造体は、魔法を応用した既存のものでは実現不可能でしょう』
つまり、少なくとも限りなく天地創造に近い事が、今目の前で起きた自己修復で行われていた、と。
おいおい……あいつは世界でも創る気だったのかよ?
「……信じられない……それはもう、人が手を出していい次元を超えてるよ……」
ああ、本当にそうだ。
海神ですらその力の行使には、気を使っていたというのに、あの天才はたかが壁の修復にそれを惜しげもなく使っているのだ。
「何ていうか……僕らとは別次元の存在ですね。リスリットじゃありませんが、僕も迷宮が急に恐ろしいところのように思えてきましたよ」
「……怯える必要はない。聞けば変わり者ではあったようだが、その行いには何か信念を感じる。何もない者が、このような地下迷宮を創れるとは思えない。彼も私達と同じように何かの為に生きようとしたのだ」
……何かの為か。
言われてみれば俺は、クラクベールが何をしたかったのか知らない。
ただただ思い付くままに行動していただけに思っていたが、そんな単純馬鹿な思考を天才を自称しているクラクベールが好むとは思えない。
ひょっとしたら何も知らないから、俺はまだクラクベールに対しての印象がフラフラしがちなのかもしれないな。
「なぁ、ふとした疑問なんだが……クラクベールは何のために色んな発明をしたんだ?」
『それは……趣味ではないでしょうか。クラクベール様は、いつも研究を楽しんでおられましたから』
ははっ、単なる趣味か。こう言っちゃ何だが、冒険者の行動原理と似ている気がして、好感が持てる。
だが、それはシーテラの見解だ。この場には、もう一人、彼を知る人物がいた。
「ううん、それは違うと思うよ」
そう言って、穏やかにシーテラの見解を否定したのはシャルステナ。彼女は、さらに続けた。
「たぶん彼なら、こう答えるんじゃないかな? 自分が天才だからって」
あっ、これは俺が嫌いな答えだ。過去の自分を見ているようで、不快感を覚える。だからか、続く俺の言葉には棘があった。
「……天才ってのは、1パーセントの閃きと、99パーセントの努力で出来てるらしい。クラクベールは余程運が良かったんだろうな」
「それは……どうなんだろうね。クラクベールは努力を努力と思わないタイプの人だったから。けど、私はクラクベールの考え方が嫌いじゃなかったなぁ」
……まぁ俺も嫌いじゃない。けど、場合によっては許さないぐらい嫌いになるかもしれない。
俺はまだ、あいつが遺した物をちゃんとは紐解けてないから。
けど、シャルステナはどんな事があっても、クラクベールを嫌ったりはしないのだろう。たぶん俺にはわからない何かを二人は築いていたはずだ。それは、彼女の懐かしそうな顔を見ればわかる。
シャルステナはその懐かしい思い出を共有するように、シーテラに一つ問い掛けた。
「クラクベールの口癖って、実は嫌味じゃないんだって知ってた?」
『はい、もちろんです』
「え? あの自画自賛がか?」
少ないながらも、クラクベールを知っている俺には衝撃的な事実を二人で共有され、そんな馬鹿なと、思わず俺は割って入った。
「自画自賛っていうよりは、『凡人』って口癖の方かな」
「完全な嫌味じゃないか」
逆に他に何があるのだろうか?
「実はそれが違うんだよ。クラクベールは、自分の頭は凡人の為にあるって言って、人の為に新しく便利な技術を次々に開発していった。だから、彼の口癖の本当の意味は嫌味じゃなくて、自分を追い込むような類のものだったんじゃないかな」
「あいつが、そんな事を?」
目から鱗とはまさにこのこと。
……まさかクラクベールの行動原理が、人の為だったとは……冒険者というよりは、ただの善人のように思える。
「……だとしたら、この迷宮にもクラクベールなりの善意が隠されているのかもしれないな」
何かはわからないが、少しだけクラクベールに対しての評価を上げた俺は、改めてこの魔力を吸い取る壁を見る。
「けど、クラクベールの思惑がどうであれ、これには悪意しか感じないな。見てろ」
俺は先のシャルステナと同じように注目を集めると、掌から先程より大きい魔力塊を横に伸ばして射出した。そして、そのまま魔弾は壁へと衝突し、飲み込まれた。衝突から完全に飲み込まれるまでは、およそ5秒程度。
「やっぱり魔力の吸収速度は、触れた面積に依存するみたいだ。これは、かなり厄介だぞ。魔法も妨害される危険がある。今みたいに狭い所なら尚更だ」
完全に使用不可というわけではない。だが、壁や床、天井に触れると、魔法や放出系のスキル、最悪な場合肉体からも吸い取られる危険がある。
「これは普段の感覚でやっていると、痛い目に合うかもしれませんね」
「だが、具体的にはどうする? 阻害される程度ならまだいいとして、最悪の場合発動しないといった可能性も考えられる」
確かに、スキルは多岐に渡り、大なり小なり魔力の消費がある。その使用量を一々細かに調整してはいないが、すぐに吸収されてしまう微小な魔力消費ではルクセリアの言うように、発動すら出来ない可能性は十分に考えられる。
「……元から魔力を余分に使うか、緻密に操作するかのどっちかしかないだろうな。けど、こればっかりは、やってみない事にはわからない」
俺はひとまず思い付いた対策法を伝え、今日の予定を変更する事にした。
「とりあえず今日はお試しって事で、この辺りを少しぶらついてみるだけにしよう」
本当は10層ぐらいまでは行ってみたかったが、どれだけ戦闘に支障が出るかもわかっていない状況で、高望みはするべきじゃない。
今日のところは、どの程度使えるか試すだけでいいだろう。
そうして、一つずつスキルや魔法を確かめながら、俺たちは初の迷宮攻略を開始したのだった。
〜〜〜〜
予想外ではあったが、想定内ではあった各種スキルの性能の低下。焦らず一つずつ実践してみる事にした俺たちだったが、特段、その影響が強かった空間スキルの性能低下は、如何ともし難いものだった。
「ああ、ダメだな……やっぱり。少しでも気を乱すと、すぐに操作不能になる」
「こっちもダメだ。意識しても、精々直線上が限界だな。まぁ、俺と結衣じゃ、嶺自が無理だった時点で結果は目に見えてたけどよ……」
「そうね……私も似たような感じ。それほど暗くもないし、意味はなさそうね」
迷子にならない程度に、入り口付近をウロウロして半刻ほど。
空間系スキルの才が人並み以上に高い転生、転移組がきぞって、迷宮の地理を丸裸にする空間を使用してみたが、その効果のほどは上述の通り。
壁に埋め込められた謎の光源体のお陰で、地下であるのにも関わらず明るいため、視覚に当たらない直線上しかわからないという春樹達の性能低下は俺よりも深刻だ。
俺はというと、意識してようやく角の先がわかる程度。二つ目の角からは、壁に触れないよう気を使うと行き止まり以外を発見するのが至難の技となる。
要するに探索スキルとしては使用不可だ。こんな入り組んだ階層では、どれだけ魔力があっても足りない。吸収面積が大き過ぎるのだ。
「後衛組はどうだ?」
そう言って、俺が水を向けたのは回復兼、いざという時の女神担当シャルステナと、攻撃魔法担当のライクッド、それからサポート要員の結衣だ。
「私は特にこれと言ってはないかな。少し魔法の威力が落ちるぐらい」
「僕も似たようなものですが、僕の技量では設置型の魔法が幾つか使えそうにないですね」
「私もユニークスキルは使えたから、大きな問題はないわ。ただ、他は今ひとつという感じかしら」
ライクッドは少し手札を削られてしまったようだが、三人とも基本的には問題なしのようだ。安心した。
次に俺は、面白担当のギルク、危険物担当のシーテラ、竜担当のハクがいる中衛組に振った。
「俺はそもそもまともに戦えん。魔石を投げてそれで終わりだから、特に問題はないだろう」
『私は逆に迷宮から魔力を回収出来ますので、いつも以上の働きが出来るかと思われます』
『余裕!』
ふむ、別の意味で問題がある奴と、魔力チートがいるようだが、特に問題はないようだ。
で、最後に一番危険な前衛組はというと……
「あたしは自己強化系は、だいたい大丈夫ね。殆ど妨害されないみたいよ。他はボチボチね。問題ないわよ」
「僕は、よくわからないよ!」
「俺もまぁ、違いがよくわからん。ま、いけんだろ」
「あたしは、魔法ダメでした! 他はわかりません!」
「……鍛錬あるのみだ」
……おい。
5人中3人がわからないってどういう事だよ?
「お前らちゃんと確かめたんだろうな? それは普通に使えったって事でいいんだな?」
「たぶん、そうだと思うよ〜」
「まぁ、大体はな」
「試してないです!」
……このダメ犬が。
「お前、人の話聞いてたか?」
「えっ、でも、私のスキル、先輩から教えて貰ったものしかないですし……別に私がしなくても先輩がしてくれるかなぁって……」
「このアホ犬がっ!自分で使えるかに意味があるんだろうが! 今すぐやれ!」
「ひゃ、ひゃいっ……!」
リスリットは怒鳴りつけた俺の剣幕にビクッと怯えた表情を見せ、それから若干メソメソしながら、スキルを試し始めた。
「ゔぅ……そんなに怒らなくてもいいじゃないですかぁ……」
そんな具合に泣き言を言いながら言われた事をやるリスリットを見て、俺は内心嘆息した。
まったく……こいつときたら、何もわかっちゃいない。
そんな事じゃ、本当に死んじまうぞ。
俺はそう大きな不安を覚えつつ、そしてもう一人、一番不安を煽る言い方をしたルクセリアに顔を向けた。
「ルクセリア……もしかしてダメだったのか?」
「……鍛錬する」
「いや、そうじゃなくて……使えたか使えないかで答えて欲しいんだが……」
まさかルクセリア一人だけ……とそんな悪い予感が強くなり、俺は気を使いながらも聞いておかなければならないと、さらに追求した。
「…………覚えたてのスキルが使用出来なかった」
ルクセリアは歯を食い縛るように、漏らした。
「それ以外は?」
「問題はない。だが……それだけではこれから先とても心許ない。鍛錬する」
「そうか」
ひとまず良かった。全て使用不可なわけではないようだ。だが、ルクセリアの悔しそうな顔を見る限り、かなり有用なスキルが使用不可となってしまったらしい。
鍛錬で使えるようになればいいのだが……是非とも頑張って欲しい。
「お、終わりました、先輩」
ルクセリアと話しているうちに、リスリットも試し終えたようだ。若干ビクついているのは、まださっきのを引き摺っているからか。
「それで、どうだったんだ?」
「それが……あの……ごめんなさい! わかりませんでした!」
何故謝ったかはわからないが、とりあえずリスリットも問題はなかったらしい。これで一安心と言うべきか。
「それじゃあ、今後の予定を決めるために、ここらで今日のところは切り上げよう」
「えっ…………」
全員確認が取れたところで、俺が探索の終了を口にすると、隣でリスリットが捨てられた子猫のような目で顔を上げた。
「何だよ、リスリット?」
「あっ、いや、その……何でも……ないです」
「……? 何でもないなら、行くぞ」
「……はい」
……何だこいつ。
怒られていつまでもメソメソしてるなんて、らしくない。普段はすぐに調子に乗るくせに。
……ちょっとキツく言い過ぎてしまったのだろうか。
いや、でも優しくして、死なれたら元も子もない。誰かが言ってやらねばならないのだ。
だから、少し厳しいぐらいで、俺はいいだろう。
適材適所。ここでの憎まれ役は、師匠の俺に相応しい。
と、そんな事を考えながら、来た道を戻った俺たちは、昼過ぎには宿に戻る事となった。そして、一息つきながら、今後の予定を話し合った時、それは起きた。
「はぁ? 何で、そんな面倒な事しなきゃならないわけ? さっさと先に進めばいいじゃない」
進めるところまで進むという当初の予定を変え、安全を優先した攻略に切り替え、地図を作りながらゆっくりと一階層ずつ進んでいこうと口にした俺に、アンナが猛反発してきたのだ。
俺はまたかと首を振り、冷静に対処する。
「わかっちゃいないな、お前。一層一層、自分達の力で地図を作るのは……まぁ単なる俺の趣味だが、一階層ですら予想外のことがあったのに、ポンポン先に進むのは危険すぎるんだよ。ここは、外の世界とは違うんだ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ。第一層なんて、雑魚しかいないじゃない。あんな踏み台にもならないのを相手にするくらいなら、どんどん先に進んで強い奴らとやる方がよっぽどいいわよ。あたしには、そんな無駄な時間なんてない」
地図を作るのが、浪漫なのは認めよう。だが、それは所詮一つの指針に過ぎないんだ。
迷宮は広い。一つの階層を制覇するだけでも、かなり時間はかかる。その意味では、低級の魔物ばかりの上層で攻略速度を落とすのは下策と言えよう。
しかしだ。俺たちはまだ、迷宮について知らなさ過ぎる。今日の事だってそうだ。
もっと深い階層で、命に関わるような場面で、それに気が付いたら、いったいどうするというのだ。
地図作りは、迷宮という場所を知り経験を積んでいく上で、一つの指針になる。つまり、安全マージンだ。
レベルという概念だけで実力の全てが決まるわけでもない世界で、地図を完成させてから次の層へと行くという目標を作る本当の意義は、そこにある。
「……いいか? 迷宮に来てすぐに死ぬタイプはな、自分の実力も弁えず、下層に降りてくやつだ。だから、手間かもしれないが、実力をつける事と、迷宮の構造を知れる地図作りは、考えられる上で最も効率的で、リスクの低いやり方なんだ」
「リスクを負わないと、迷宮の制覇も、復讐も出来ないでしょうが! あたしはここに強くなるために来たのよ! 上層で足踏みしてる時間なんてない! 違う!?」
「違う!」
アンナの叫びのような怒鳴り声に、俺は初めて声を荒げた。
そして、落ち着いて声を抑えて、言う。
「……もう一度言う。今日だけで既に外と違う事がわかったというのに、上層を飛ばして中層、あるいはその下まで潜るのはリスクが高すぎると言ってるんだ。死んだら元も子もないことは、言わなくてわかってるだろ?」
「だからっ──!」
「いいから聞け」
再びアンナが怒鳴りそうなのを、俺は手で制した。
「お前が焦る気持ちはわかる。俺だって、今のままでいいとは思ってない。だけど、いつ来るかもわからない時のために、命を捨てるような選択をするくらいなら、俺は誰かにこの復讐を譲る」
何故なら、それはより深い悲しみ生み、新たな復讐へと繋がるだけだから。
「優先するべきは、復讐よりも今生きているお前達の命だ。違うか?」
この復讐は、アイリスのような悲しい復讐であってはならない。
誰も死なせず、けれど、仇は取る。
そんな都合のいい復讐が、俺が親父に誓った復讐なのだ。
これだけは譲るわけにはいかない。
「──それでも! 一層からなんて、あたしは嫌よ!」
だが、アンナは納得はしなかった。
どうしても一層からというのが、気に食わないらしい。
その気持ちはわからなくもない。本音を言うなら俺だってそうだ。空間スキルを使って、序盤は迅速に踏破するつもりでいた。
だが、迷宮はそれが出来ない場所だった。他にも、ルクセリアをはじめ、幾つか使用できないスキルや魔法がある事がわかったのだ。
そして、それを俺は外と同じと考えるなという、クラクベールからの警告──善意として受け取った。
だから、俺はパーティリーダーとして、アンナの意見には賛同するわけにはいかなかった。
「……ダメだ。これはリーダーとしての決定だ。これだけは絶対に譲らない」
そう、断固として俺が譲らないという姿勢を見せると、アンナは激昂して拳を振りかぶった。
「ふざけっ──」
「ダメっ、アンナ!」
しかし、そこでシャルがアンナの腕に縋り付き、止めた。
「落ち着いて、アンナ? レイはみんなの事を心配してるんだよ」
「でも、シャルっ、あたしっお兄ちゃんに──っ!」
「アンナ、お願い、落ち着いて。冷静になって。レイは復讐を止めるとは言ってないんだよ?」
腕に掴みかかったシャルステナを見て、アンナが瞳を揺らす。それから、落ち着くためか、一度深い息を吐いてからアンナは、顔を上げた。
「……あたし抜けるわ」
そうそう、それがいい。俺は一度決めたら譲らないからな。大人し────はぁっ!?
「ちょ、ちょっと待て、アンナ! いきなり抜けるってお前何言ってんだ!?」
俺は本気で耳を疑った。
「何って……あんたがいっつも言ってる事でしょ?好き勝手しろって。だから、あたしも好き勝手させてもらうわ」
確かに似たような事は言ってきたけども! それは、仲違いする時の言い訳のためじゃないぞ!
先程とは一転、冷静の『れ』もない慌てようで俺はアンナを引き止めようとする。こうなるとはまったく予想していなかった。
「と、とりあえず座ろう。な? 一度落ち着いて、座ろう」
「あんたが慌ててるとこ久しぶりに見たから、嫌ね」
腹は立つがっ、我慢だ、俺!
「まぁまぁ、そう言わずにだな……あのな、お前一緒に魔王を殺すって約束はどうするんだよ? もう一回冷静にだな……」
「あー、心配しなくてもいいわよ。どうせあんたの事だから、あたしに追い付くのも時間の問題でしょ? それまで別々に行きましょって事よ。喧嘩別れするわけじゃないわ」
「はっ? えっ、あっ、はぁ!?」
「だから、喧嘩して別れるわけじゃないわよ。あんたの心配をわかったから、別行動にしましょって言ってんのよ」
あー……わかった。こいつの考えが。
つまり、アンナはパーティを分けようと言っているのだ。それも、自分が火の粉を被るような形で、それぞれ実力にあった場所で、攻略を進めようと。
確かに、俺の懸念は実力的にS級を諸共しないアンナ達に対しては薄い。対して、この世界に来て日の浅い春木や結衣、サボり癖のあるリスリットや戦力外と自らを言い張るギルク達のことは、このまま中層や下層に連れて行っていいものかと、感じている。
問題は、パーティ内で実力に差が開き過ぎていることだ。だから、それをどうにかしたいという意味もあって、俺は一層からと提案したのだが、どうもアンナは先々進みたいらしい。
たぶんそうまでして、先に進みたいのは、アンナの中に焦りがあるから。アンナはアンナで俺との約束を果たそうとしてくれているのだ。でも……
「それでも、俺は反対だ。迷宮の中じゃ、何があるかわからない」
「大丈夫よ、あたしがシャルを貰うから」
「えっ!? 私⁉︎ 私も行くの? で、でも、私はレイの側に……」
今度は逆にアンナに腕を掴まれ、強制的に引き入れられたシャルステナは俺とアンナの間で視線を行ったり来たりして、激しく動揺していた。
でも、確かにシャルステナが付いていてくれたら、余程の事がない限り、万が一は起こらないだろう。しかし、やはりアンナにはなくて、俺の中にある知識が危険だと告げてくる。
「どうしても先に行くのか?」
「ええ、あんたに追い付くチャンスだから」
そう言ったアンナの目に、あの夜のもう迷いはなかった。
「答えはもう出たのか?」
「そうね……あたしも一個だけ言い訳が見つかったのよ。もうその時になって後悔するのは嫌。どうせあたしの意思に関係なく、挑もうって奴がいるんだもん。やらなきゃ損よ。だからね、あんたの背中を押せるくらいには、強くなるわよ。足手纏いにはならないわ」
「……そうか」
この短期間にアンナが何を思い、何を覚悟し、何を割り切ったか、それは彼女自身にしかわからない事だろう。
だが、どうあっても止まらない。俺がそうであるように、アンナもまた止まる理由を捨ててきたのだ。
だったらもう、誰にも彼女を止められない。
俺は深く溜息を吐き、肩を落とした。
「……シャル、悪いけど頼めるか?」
「うん、それはいいけど……無茶しないでね?」
「無茶をしようとしてるのは、アンナの方だ。だから、俺よりそっちを頼むよ。シャルが居てくれれば、俺が安心出来る」
それに戦力的な偏りは別にして、回復魔法の有無は下に行くほど大きな差になるだろう。万が一の時にも。
「──ただし、条件がある」
しかし、俺にも妥協点というものがある。今後の事を考え、俺は全員に向けて条件を叩きつけた。
「ギルドの規格を必ず守れ。それと、どうせ他にもアンナに付いて行くって言う輩がいるんだろうから言っておくが、これ以上の組み分けは御免だ。だから、全員が規格を満たさない限り、それ以上は進ませない」
ギルドの規格とは、10層ごとに分けられた攻略推奨ランクだ。モグラテストからもわかるように10層まではCランク。それより先は、10層ごとにランクが一つずつ上がり、50層でSランク。それより先は、個人ではなく、徒党を組む事を推奨されている。
つまり、最高でもB級のアンナ達の勝手を許すのは20層まで、だ。
「あたしが言う事聞くと思う?」
「思わないから、全員に言った。さすがのお前も一人で特攻はしないだろうっていう常識的判断からな。それに、等級以上の魔物の素材は、足元を見られるんだよ」
それは、ギルド側の危険予防措置だ。冒険者の無茶な行動を避けるため、相場での買い取りは一つ上のクラスまでとなっている。つまり、アンナならばA級までだ。俺はS級までいける。
「20層の辺りからはA級も混ざってくる。まさに適正ランクってわけだ。これで文句はないだろ?」
「ふーん……まぁこれ以上言うと、本当に喧嘩になりそうだし、ランクを上げればいいのね、ランクを」
「そういう事だ」
俺の妥協点に、アンナが同意したところで、各個人の判断で、俺かアンナかのどちらに付くかで、分かれる事になった。
その結果、組み分けはこうなった。
作戦 : 慎重にいこうグループ。
俺、リスリット、ライクッド、ギルク、シーテラ、結衣。
作戦 : ガンガンいこうグループ。
アンナ、シャル、ゴルド、ハク、(ルクセリア、春樹)。
ガンガンいこうグループで、カッコ内にあるのは、冒険者ランクがCランクなために、暫くは別途活動する事になった二人だ。
ルクセリアは活動時期が短いだけで、実力に疑うところはない。ランクさえ上げれば、合流してもいいと思う。
だが春樹は少し違う。実力的には、アンナ達に一歩劣るであろう春樹が、自分の意思でアンナの側に入ったのは、自身の実力を過信していたからではない。荷物持ちのためだ。
初めから結衣が俺の側に入る事を予測していたのだろう。春樹は、荷物持ちが必要だろ、と自らその役目を負い、アンナの側に入り込んだ。
その時の如何にも親切そうで、裏なんてなさそうな春樹の顔には覚えがあった。中々どうして、あいつも腹黒い。セシルばりの黒さだ。
一見助けているように見えて、自らをアンナ達の足枷にする気のようだ。
でも、正直言って有難い。春樹が居てくれるお陰で、俺は心配事が一つ減ったのだから。
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
2週間ぶりの更新になりますが、今週は少し時間に余裕があるので、書籍化記念も兼ねて明日も更新します。
明後日まで、連続更新出来るかはまだ不明ですが、余裕があればしようかなと思ってるので、覗きにきていただけたら幸いです。




