21.気がかり
4月16日
長い冬休みも終わり、学校が始まってから約2週間が過ぎた。ギルクとシャルステナが諦めかけていた学校には遅れる事なく、無事間に合った。二人は俺が大丈夫だと何度言っても終始疑っていたが、夕方までに山を抜けた事でようやく信じてくれた。
ギルクはまぁいい。会って1日も経ってないのだから信用もクソもないだろう。だが、シャルステナがそれまで信じてくれなかったのは、どういう事だ。俺って信用ないのか?
俺は疑心暗鬼になり、自身の信用度向上にはどうすればいいかなどを考えた。そして、気が付けば瞬く間に時間は過ぎ、二週間も経ってしまっていた。
そんな突風のように駆け抜けていった二週間だったが、年度の始めという出会いの季節。改めて思い返せば、それはもう色々とあった。
俺的に一番劇的に前年度と比べて変わった事はハクの授業参加だろうか。
ハクの扱いは一応テイムモンスターという事になってはいるが、俺たちは今まで連携はもちろんの事、まともに肩を並べて戦った事はない。
だが、憧れとして竜の背中に乗って竜騎士の様に戦ってみたい気持ちはある。そこで問題になるのが、ハクのちっこさ。兄貴という呼び名を手にする為に大きくなろうとしたのはいい。
しかし、基本怠惰なこいつはそう言った理由なしには何かしようとはしない。いずれ『もう十分大きいよね』と成長を止めかねない。
そこで俺は考えた。ハクを成長させるために、を建前に授業に参加させる事を。金については問題ない。俺がテイムした事になっているからだ。
だが、それとは別に問題があった。それはハクの相手がいなかった事だ。それに加えて、竜というネームバリューを恐れ誰も相手したがらなかった。
その時のハクは可哀想だった。自分だけはぐれ者にされた可哀想な迷子の子猫のように目を伏せ、悲しそうに鳴いていた。
そんなハクを見せられて、仮にも親代理である俺が黙っているわけがない。
相手がいなくなるとブーブー文句を垂れるアンナを余所に、俺がハクの相手に立候補した。しかし、そこで割り込む者がいた。シャルステナだ。シャルステナもまた俺と同じくハクの相手に立候補したのだ。
俺とシャルステナはハクの相手を取り合い言い争った。その争いはアンナが日頃の恨み言を混ぜ始めた事で更に激しくなった。傍観者を決め込んでいたゴルドがいつの間にか巻き込まれてしまうほどに。
そうして、収まりがつかなくなった結果、リナリー先生の一喝でハクの相手は俺たち四人での交代制になった。必然的に余る1人はリナリー先生からの個人指導付きで。
そんな風にハクの授業参加で前年度とは少し違った授業風景が見られる様になった。具体的には、アンナの髪の毛がチリチリになったり、顔に噛まれた跡がついたりしている日常風景に様変わりした。
アンナだけなのは、パンツの恨みとやらだろうか。
そんな授業風景以外にも変わった事があった。
先日、帰り道を共にしたギルクが俺たちの集まりに来るようになった。王子も暇らしい。だが、俺たち程暇ではないらしく、参加しない日もある。
ギルクとはこれからも上手くやっていけそうだ。初め王子であるギルクに対し、ゴルドとアンナはガチガチに緊張していたが、2人と変わらない扱いをされても、機嫌を損なわない事がわかると、遠慮なくいき始めた。
ゴルドは謎の魔法論を語りだすし、アンナは兄貴のパンツを権力で手に入れられないか相談していた。
俺ならば、お前アホか?とゴルドの理論を一蹴し、アンナから逃走を図る場面だが、ノリのいいギルクは二人の話に乗っかっておかしな方向に進んでいった。
悪ノリがいい奴だ。まさか、パンツ強奪作戦に自ら参加するとは思わなかったが……。あれは別の意味で変態かもしれない。
そんな風に少し去年とは違った学園生活を謳歌している俺だが、実は少し前から気がかりなことがある。
それは先日の断崖山での事だ。
先日、二体目のコボルトロードとの遭遇時、俺はあの周囲を広範囲において探索した。その時は『もしかして他にもいるのでは?』という推測でしかなかったのだが、結果として何体ものコボルトロードを発見してしまった。
これだけでも通常ではあり得ない事だ。だが、残念ながらそれだけではなかった。
まだ出会ったことがない魔物が数体、あの山にはいた。この辺りにいる弱い魔物には全て一度は出会っている。それはつまり、最低でもB級以上の可能性が高い魔物が、何体もあの山にいる事になる。
更に付け加えるならば、俺は現時点で戦う事になりそうな魔物についての資料はほとんど頭の中に入れている。その情報から相手を推測できなかったという事は、そいつらはA級以上である可能性が高いのだ。
そしてこれは、たぶんほんの一部でしかない。俺の空間では、まだとても断崖山全体には及ばない。
断崖山の標高は頂上付近だけが急に上がるだけで、勾配はそれほど激しくない。その代わり、縦と横に大きく広がっている。まるで上からペタンと山を押し潰したような形だ。
このことから推測するに、おそらく俺の探索した範囲は5パーセントに満たない。つまり20倍近い数の強力な魔物が潜んでいる可能性があるという事だ。
だが、A級が幾らいようとあの山は危険なんだなで済んだ。それは断崖山の広さを考えれば、他よりも強力な魔物が潜んでいてもおかしくはないからだ。実際、あの山には危険な魔物が多いから、出来るだけ近寄らない様にするのが、この辺りの商人や冒険者の常識だ。
しかし、コボルトロードに関しては違う。
コボルトロードは冒険者にとってはある程度知れた名の魔物だ。だがそれは、危険な魔物だからでも、よく出会う魔物だからではない。
レアモンスターだからだ。ある意味出会えれば幸運と言ってもいい。レアだから、その素材には値が付くし、適度に弱い。
だが、それだけにおかしいのだ。年に数件出たら多いと言われるほどに、発見例が少ないのにも関わらず、断崖山には俺が見つけただけでも5体はいる。
これは異常なのではないか?
何か起こる前触れなのか?
そういった不安がこの2週間、頭を離れなかった。
正直、ただの気のせいかもしれない。
ひょっとしたら、あの山にはコボルトロードが発生し易い環境が整っているだけなのかもしれない。そもそも余り人も近づかないから、数が増えただけとも考えられる。
しかし、もしもということがある。
大事が起こる前に対処できるならしておくべきだ。
そう考えた俺はギルドへと向かった。ギルドに報告する為ではない。確証もなしに報告しても適当に流されるだけだ。俺はあくまでまだ子供。まともに相手などされないだろう。それにまだ自分自身確証も持てていない。
まずはこれが異常な事態であるのかどうか確かめる。そして、可能ならその原因を取り除く。
その為にはまず初めに正しい情報を集める必要がある。だから、俺はギルドへと向かった。
やはり魔物のことなら冒険者に聞くのが一番だ。
「バジル、断崖山って知ってる?」
「あん?俺様を誰だと思ってやがる。このギルドの酒場に入り浸ってはや12年!この街の中からこの辺りの村まですべて知ってる!」
俺はそんな自信満々に語るバジルに呆れた視線を向けた。
12年も呑んだくれてるのか、こいつは……
そんなんだから独り身なんだよ。
まぁ今はこいつが孤独死する未来の事なんてどうでもいいや。せっかく自信有り気なんだ。断崖山について教えてもらおう。
「じゃあ聞くけどさ、もちろん断崖山には行ったことあるんだよね?」
「もちろんある!」
腕を組み大きく頷くバジル。
いちいちその動作が大きい。酔ってるなこいつ。
俺はギルドの窓から入る暖かい日差しを横目に見ながら、こいつは典型的にダメなおっさんだなと再確認した。
だが、しかしそれは孤独死が確定的になっただけの話で、今は断崖山の話の方が先決だ。俺は気をとりなおしダメなおっさんに聞いた。
「その時のことを教えて欲しいんだけど…」
「いいぜ。話してやろう。……そう、あの日も今日みたいに雨が降ってた」
「今日は晴れだよ」
俺は即座に否定した。今日は晴れだ。快晴だ。雲一つない。こんな日は昼間っから飲まずに、外に出て働くべきだ。春の爽やかな空気が何をするにも気持ち良いはずなのに、このおっさんの周りだけはアルコール臭が漂っている。
何故こいつがAランクなのだろう?
俺は心底疑問だった。
「うるせぇ!黙って聞け!……その頃俺はな、自分の成長に伸び悩んでいたんだ。色々と試してみたが手詰まりでな。それでもどうにかして強くなろうと、無茶な依頼を受けたんだ。その当時の俺ならば、パーティを組んでやっとのクエストだった。A級の魔物にオーガと呼ばれる奴がいるのを知ってるか?」
「聞いたことはあるよ。ツノがあるでかいやつでしょ?」
確か防御にそのポテンシャルを全振りした様な魔物だったか。一般的なBランクの冒険者でもその動きについていく事はさほど難しくはないが、ダメージが与えられずジリ貧に陥ると資料にはあったな。
「そうだ。その日の依頼はオーガ二体の討伐だった。当時の俺の実力的に無茶もいいところだった。死力を尽くして戦って、漸く一体倒せるかどうか。今なら余裕で勝てるがな。だがまぁ、そんときゃ勝てるわけもなくてな、俺は死にかけたさ。もうダメかと思って、こんな依頼を一人で受けた事を後悔した時、1人の男が現れた。その人はオーガを瞬殺するぐらい強かった。おらぁあの背中に憧れたね。俺はよ、親父の顔をしらねぇからよ、なんていうか、ああいうのが男の背中なんだと27歳で初めて知ったんだ」
俺は目的を忘れかけ、話に聴き入っていた。こういう実体験に基づく冒険者の話は面白い。ワクワクしてくる。
しかし、俺の興味を満たす話かは別として、目的を忘れてしまっては本末転倒。聞きたい事を聞くとしよう。
「いいね、俺そう言う話好きだよ。それでさ、そん時は奥まで行った?」
「いいや、そんときゃ山の入り口付近だったな」
「なんだよ。俺は奥の話が聞きたいんだよ」
「あん?そんなとこ行ったことあるわけねえだろ。俺は遠出すんのがキレェなんだよ」
「使えねー。もういいや。ありがとバジル」
こいつは役に立たないと俺は席を立って帰ろうとした。しかし、机についた手を横からカバッと掴まれ、引き止められる。
「バカ野郎ッ、今からいいとこなんだよ」
「いや、けど奥行ったことないんだろ?」
それならば用はない。このまま酔っ払いに付き合っても碌な事にならない。
「いいから聞いてけ。オメェこういう話好きなんだろ?じゃあ、この続き聞かないと後悔すんぜ?」
「そうなのか?これ以上面白くはなさそうなんだけど……ていうか、話終わりじゃないの?」
なんかいい感じに纏めてなかったっか?
あれで終わりだと思ったんだけど。だが、続きがあるのなら気になるところだ。それだけ聞いていくのもやぶさかではない。
「馬鹿野郎!今からが話のメインに決まってんだろッ!」
「うるさいなぁ。わかったよ、聞いてくよ」
「よし、それでいいんだ。それでこそ男だ。でだな、…どこまで話ったけか?」
「男の背中がどうたらまでだよ」
ったく、この酔っ払いが。ただ相手してくれる奴が欲しいだけじゃないのか?
「そうだったな。……そうして、男の背中について、知った俺はその人の弟子になろうと頼み込んだ。だが、その人はパーティを組んで世界を回っててな。足手まといの俺を連れて行くなんてことはできなかった。俺もそんな足を引っ張るようなことはしたくなかったしな。だがな、そん時にアドバイスをもらえたんだよ。『難しい事考えてねぇで、適当に働いて呑んで寝りゃ強くなれらあ』ってな。そうして俺はこの酒場に入り浸るようになり、強くなれたんだ」
「……どこがメインなんだよ。絶対さっきの終わり方の方が良かったよ」
俺は残念な物を見る様な視線をバジルに聞いた。今のは聞く意味はなかった。このおっさんが呑んだくれになった理由なんか別に知りたくはなかった。
もう少しいい話か、面白い冒険譚でも聞けるかと立ち止まってみればこれだ。やはり酔っ払いの相手などするものではない。
「馬鹿野郎!オメェこの話の凄さがわかってねぇんだよ!」
「どこが凄いのさ?」
凄いとこあったか?バジルが弟子を断られ、適当にあしらわれて呑んだくれになった話にしか聞こえなかったんだが……
「聞いて驚け‼︎この人はな後に英雄となった男だぞ!」
「おぉ!って英雄ってなに?何した人?」
英雄と聞いて思わず凄いと思ったが、英雄の話など聞いた事はなかったため、その気持ちは長くは続かず素になって問い返した。
すると、バジルはドン引きし始める。
「お、お前まさか、この国に生まれてきてウルフテイルと青の騎士団の話しらねぇのか?」
初めて聞いたよ。なんだよそれは。その二つの繋がりがわかんねぇよ。
「有名なの?」
「おいおい、まじかよ。この国の奴なら子供にも聞かせる話だぞ」
「そんなに?教えてくれよ」
そこまで有名なら、このバジルの驚きようも仕方ないかもしれない。逆の立場なら俺もドン引きしたに違いない。俺この国の生まれだよな?
なんで知らないんだろ俺?
「仕方ねぇな。何年前だったか、確か10年ぐれぇ前の話だ。さっきの話の二年後だ。その年にここ100年ぐれぇで最大って言われてる戦いがここで起こったんだ」
「え?ここで?」
王都で戦いが起こったのか?こんな平和な街で?
戦争でもあったのだろうか?
「ああそうだ。もちろん、そん時は俺もいた。だからよく覚えてる。その戦いが起こる数日前、ある冒険者がギルドに駆け込んできたんだ。そいつは傷だらけだった。話を聞いてみると、近くの山に火竜が出たらしく、そいつ以外の冒険者は全滅。そいつも命からがら逃げ出しきたらしい。お前竜についてはどれくらい知ってる?」
「えっと、幼竜が成長して大きくなって、確かリトルドラゴンになって、それから……さらに進化したら成竜になるんだったけ?それで、成竜は個別の属性を纏い、操るんだったかな?」
確かこんな感じだったかな?ハクと暮らし始めた頃に一度調べただけだから、余り自信はない。
「よく知ってるじゃねぇか」
「竜飼ってるんでね」
「まぁ、今のでだいたいあってる。足りねぇのは成竜についてだな。あいつらの特徴はそれじゃねえ。各属性の強力なブレスだ。まともに喰らえばこの王都だって吹っ飛ぶぐれぇのな」
「そんな無茶苦茶な……」
ハクのブレスなんて魔物一匹倒せるかも怪しいんだぞ?
本物と言われる成竜は違うってか。
「本当だ。実際に眼にしたからな。何人もの優秀な魔法使いが必死に防御して、やっと止められるぐらいの威力だ。もし、それがなかったら今頃この王都はねぇよ」
「まじかよ。ハクに道徳覚えさせないと……」
危険だ。そんなブレスほいほい吐くようになったら。国が終わる。
「ああ、是非やってくれ。もう二度と成竜とは戦いたくねぇからな。それでだ、そん時に活躍したのがさっきいったウルフテイルと青の騎士団だ。当時、この街にはウルフテイルを含む相当な数のS級冒険者と青の騎士団つう、この国の歴史上最強と言われている騎士団がいた。この中でも特にウルフテイルのメンバーで俺の命の恩人、『不死鳥』、青の騎士団団長『魔装騎士』の2人が凄かった。火竜との戦いは熾烈を極めた。俺は早々にリタイアしちまって、S級冒険者も相当な手練れの騎士も次々と倒れていった。そして、残りが20人ほどになった時だ。『不死鳥』が火竜の口の中に飛び込んだよ。俺も含めてみんな唖然としたものだ。しかし、そんなこたぁお構いなしに『不死鳥』は飛び込んだ口の中で暴れまくった。そして、それでできた初めての隙に、『魔装騎士』が火竜の足を切り落としたんだ。そっからは、次々とウルフテイルのメンバーや、騎士達が火竜をバラバラにしていった。そして火竜が胴体だけになり、誰もが勝利を確信した。しかし、火竜は最後の悪あがきにブレスを放ったんだ。それを口の中にいた『不死鳥』はまともに食らった。王都を吹き飛ばすほどのブレスをだ。誰もが『不死鳥』の死を確信したさ。俺もそうだった。だけど、あの人は再び目を覚ましたんだ。あの時のことは忘れられねぇ。街をあげて『不死鳥』の生還を祝った。あの日からあの人は『不死鳥』と呼ばれるようになった。火竜のブレスを喰らっても、その火の中から再び蘇る。誰が言ったのかは知らねぇが、ぴったりだと思ったね。そうして、火竜との戦いの突破口を切り開いたこの二人を英雄と呼ぶようになったのさ」
「………」
めっちゃ面白かった。いいね、こういうの。夢が広がるって言うのかな?めっちゃ憧れる。
なんで誰も教えてくれなかったんだ。こういう話俺好きなのに。
「どうだ?これがこの国の英雄だ。その人に俺は助けられたんだ。凄い話に聞こえてきただろ?」
「うん、うん。すげーよバジル!英雄に二度も助けられたのか⁉︎なんか他にもないの⁉︎」
どうでもいいおっさんの話から一転、英雄譚とも言える内容に変わり、俺は興奮を抑えきれなかった。街を滅ぼすブレスの発射口に敢えて飛び込み、突破口を切り開く。まさに英雄。しかも、そのブレスを受けて死なないんて人外もいいところだ。
詳細は省かれていても、十分にその凄さは伝わってきた。だが、それよりも重要なのはそれがたった十年ほど前の話である事。それはつまり、俺にも会うチャンスがあるかもしれないという事だ。もし、会えたら稽古でもつけてもらおう。
「あるぜ。流石にこの話よりは見劣りするが、ご希望には添えるだろうぜ」
「全部教えてくれよ!ここの飲み代俺が持つから!」
俺はもう完全に目的を忘れていた。
「お、さすがレイだ。わかってるねぇ。いいぜ、話してやる。まずはー」
バジルの話は長かった。まさか冒険者初期の頃から語られるとは思わなかったが、それも含めて俺好みの話で退屈はしなかった。むしろ、興奮しきりだった。
そうして夜は更けていき、冒険譚は次の日の昼まで語られるのだった。
〜〜
4月17日
「はぁぁ〜、よく寝た」
学校が始まる2時間ほど前に俺は目を覚ました。昨日昼までバジルの話を聞いてから、さすがに限界と即座に寝たのだが、次の日の朝まで爆睡する事になろうとは思わなかった。
まだ体は子供なんだな。高校の頃みたいにはいない。
「軽く剣でも振ってから、学校に行くか」
時間もまだある。強くなるには日々の鍛錬が大事。少しでも時間がある時はそれを有効活用しよう。
俺は剣を片手に急足で部屋を出る。今日は少し寝坊してしまったため、のんびりする時間はない。余り悠長に構えていると遅刻してしまう。
俺は足早に演習場に向かった。今日も演習場には俺一人だった。放課後にはパラパラ鍛錬する生徒の姿が見受けられるが、朝は大体こんなもん。その分演習場を使い放題だから俺としては文句も何もないのだが……
俺は剣を振りながら、何となくバジルの話を思い出していた。
バジル冒険者になるから始まり、バジル呑んだくれるという人がダメになっていく物語だったが、中身は非常に面白かった。
特にバジルが女性を助けた話が特に面白かった。
ある日の事、依頼現場に向かう途中、魔物に襲われていた女性を見つけたそうだ。バジルは面倒だとスルーしようとしたらしいのだが、女性の容姿がどストライクだったらしい。それで颯爽と魔物を一撃の元に沈め、その場でプロポーズしたらしい。
しかし、残念ながら相手は既婚者。バジルに入り込む余地はなかった。しかも、見捨てようとしてたところをしっかりと見られていたようで、恨み言まで頂戴したそうな。
そうして、バジルは独り身人生に転落しましたとさ。終わり。
つまり纏めると、女性を助けたバジルが女性に惚れて振られるという話だ。張り手付きで。
大笑いしてやった。その場で告白するのも謎だが、見捨てようとしていた現場をしっかりと見られていて、プロポーズするのも謎だ。振って下さいと言っている様なものだろう。アホだ。やっぱりバジルはアホだ。
そんなアホな話が多かったバジルの話はさておき、バジルの話は一通り聞いたから、今度はシャラ姐にでも聞いてみよう。シャラ姐の方がしっかり冒険者してるからもっと面白い話が聞けるに違いない。
あれ?そういえば、俺なんでバジルに話聞いたんだっけ?
確か……
「だ、断崖山の話聞くの忘れてた!」
俺は当初の目的を思い出した。
な、何にも聞いてねぇ……
なんで、全く関係ない話ばかり聞いてしまったんだ…
一昨日ギルドに行った意味よ。何しに行っただよ俺は……
俺は目的を忘れてしまっていた事を反省するも、気を取り直して鍛錬を続ける事にした。
別に急いで調べる必要もないしな。ただちょっと気になるだけだから、ゆっくり調べればいいさ。
適当なところで鍛錬を切り上げた俺は、遅刻する事なく登校した。
教室に着くとすぐに自分の席に荷物を置き、腰掛ける。すると、一息吐く暇なく声が飛んできた。
「レイ、昨日何してたの?」
30ばかりの机と椅子が列となって整然と並べられている教室を照らす魔石光。それは校舎に遮られた日光の代わりに部屋の中を明るく照らしていた。
その明るい教室の中でも特によく輝く赤い髪が、俺の目線の先でなびいた。
「昨日は昼までギルドに行ってたな。昼からは朝まで寝てた」
「そうなんだ。昨日寮に行ったらいなかったから…」
シャルステナは昨日遊びに誘いに来てくれていたらしい。それは悪いことした。せっかく来てくれたのに。
こういう時、日本での記憶がある俺はどうしても不便を感じてしまう。携帯がないから、こういう行き違いがよくある。
そんな時は約束するに限る。小さい頃は日本でもそうやって遊ぶ約束をしていた気がする。よく覚えてないが……
「悪いな。今週ならいるさ」
「うん。じゃあ、また何処かに遊びに行きましょ」
「ああ」
俺とシャルステナの話が纏まったところで先生がやってきた。
先生は去年と変わっていない。リナリー先生が俺たちの担任で、魔法の授業だけはトリス先生だ。だが、座学の授業内容は算術に変わった。と言っても、まだ和と差のレベル。相変わらず授業中寝て過ごすのは変わらない。授業が微分積分になったら起きるとしよう。
そんな睡眠授業計画を立てながらも、パパッと着替え演習場に向かった。
「今日の相手はお前か……」
「なんで嫌そうなのよ」
だってアンナだもん。なんかこう、ね?
「気のせいだよ。さあボコボコにしてやるからかかってこい」
俺は肩に木剣を担ぎ、アンナを挑発。しかし、アンナもこの一年で成長しているのだ。この程度の挑発に乗ってボコボコにされはしない。
「前から言おうと思ってたんだけどさ、なんで私とやる時だけ本気でやるのよ」
「本気でやってねぇよ」
俺は即座にアンナの言葉を否定した。
誤解も甚だしい。いつ俺が本気になったって言うんだ。優しい俺は未だ五割以上出した事はないぞ?
「嘘だ。絶対嘘だ。あたしの時だけ動き違うじゃん」
「人によって動きを変えるのは剣の基本だ」
「うわぁ、詭弁だ。絶対思ってないでしょ」
思ってるし、本当だ。ただ強いて言うなら、やる気が違うだけさ。
「まぁなんでもいいから、かかってこいよ。優しくボコボコにしてやるさ」
「ボコボコにする時点で優しさの欠片もないじゃないのよ!」
そうして、アンナは今日もボコボコにされたとさ。
めでたしめでたし。
授業が終わると、席取り係の俺はすぐに食堂へと向かった。そして、今日も皆で食事をとる。ギルクに今日のシャルステナのパンツの色を報告する横で、アンナはグッタリとした様子でシャルステナに慰められていた。
その後、俺とギルクは二人顔に紅葉を作りながらそれぞれの教室に戻り、算術と言う名の睡眠授業を受ける。
「ゔ〜、難しい…」
算術の授業が始まって2分。浅い眠りに落ちようとしていた俺にそんな悩ましい言葉が聞こえた。目を開けてその声を出した主に目を向けてみた。声の主は頭を抱え絶望した様な顔をしている。そこで俺はふと黒板に目を向けてみた。
そこには【1+3-2】と書かれていた。
お分かりだろうか?
答えは2である。義務教育を受けた日本人ならばこの程度の問題は秒単位で解ける。小学一年生でも1分とかからないだろう。しかし、先生を含め皆が唖然とする中、この教室にはこの問題を解けない生徒がいるのだ。
それは、魔法のイメージが苦手なゴルドでも、頭のおかしい変態娘でもない。
まさかのシャルステナだ。
ここにきて初めてシャルステナが弱点を見せてきた。
剣、魔法、容姿、頭、性格全てよしだと思っていたシャルステナが、実は頭に不安があったことが判明した。
どうも計算が苦手らしい。
苦手というよりも、計算ができない頭なのかもしれない。
なんでかって?
だってあいつ3+2=7になるだぜ?
指で数えて間違うんだぜ?
両の指で数えられるんだぜ?
もうどうしたらいいか、先生だってわからないんだぜ?
「足すと引くの意味がわからない……こんな物社会に出たら必要ないよ……」
シャルステナは、俺が高校生の頃に辿り着いたいつ微分と積分を使う機会があるのだろうという疑問に、早くも辿り着いてしまったらしい。足し算と引き算なしで無謀にも生きていこうとしているらしい。
シャルステナが日本に生まれなくてよかった。彼女はきっとあそこでは生きていけない。
俺は一人だけ頭を悩ますシャルステナを尻目に安眠を重ねた。それで気力を回復させた後は、トリス先生の魔法講座。
今日も与えられた課題を一人一人順々にクリアしていく。
魔法はやはり得意不得意がはっきり分かれる。それによりクリアする時間も変わってくるが、俺とシャルステナは大概一回で、他も大体2、3回でクリアする。
と言っても、俺は回復魔法だけは本気で出来ない。恐ろしく才能がない。すり傷を治すので精一杯だ。だから、不得意な分野が多いゴルドなどは大変だ。土魔法以外はいつも最後までクリア出来ない。その度にイメージ修正に俺は付き合っているのだが…
「できないよ〜」
「ちゃんとイメージしてんのか?」
「風が回るってどんなのかわかんないだよ〜」
「じゃあ、これを見てみろよ」
イメージを湧かせるには実際に見せた方が早い。俺は底に小さな穴が空いた容器をつくった。
「よく見てろよ」
俺は容器にに水を流し込む。すると水は底に空いた小さな穴を通り、地面に流れ落ちた。次第に容器内の水の量が減少していき、最終的にとぐろを巻くようにして底に吸い込まれ空になる。
「今のが回るイメージだ。あんな風にとぐろを巻くようなイメージをするんだ」
「う〜ん、やってみるよ。エアリアル!」
ゴルドの唱えた風魔法は、演習場の砂や石ころを巻き上げ竜巻の様に舞い上がる。その余波で捲れるスカートを期待してシャルステナに目を向けてみたが、何故か彼女はドヤ顔でスカートを抑え此方を見ていた。どうだと言わんばかりにスカートの中を守るシャルステナだったが、既に中身は拝見済みである。今日はピンクだった。
「ほらできた。もっといろんな物に目を向けてみろよ。きっとそこら中にイメージは転がってる」
「うん、ありがと。うーん、とぐろは犬の糞とかのイメージじゃダメなんだなぁ」
「何を考えてるんだお前は……」
確かにとぐろを巻いてるのもあるけどさ……う○このイメージで魔法を発動するってどうなんだよ…
そのうち臭い風とか吹かないだろうな?
そんな不安を覚えながらの魔法演習も終わり、今日の授業も終わりだ。リナリー先生に最後に挨拶をしてから、いつものように時間を持て余す俺たちは寮の周りの広場で喋って時間を潰す。
「へぇ、今日も楽しそうなことしてたんだな」
「まぁな」
今日は暇だったらしいギルクも加わって、今日あった事を口々に彼に報告する。
「楽しくないわよ!あたしなんて、ほら見て!こんな所に痣が、ほらここにも!」
アンナがボコボコにされた傷跡をギルクに同情を求めるように見せ付けた。それはまた俺に対しての反撃でもあるようだ。キッと責めるような視線を向けてくるが、俺は口笛を吹いてスルーだ。
「ははは、レイはアンナに優しくしないな。むしろ酷いな……」
「その言われようは酷く遺憾なんだが?」
俺がこいつに優しくしないのは、こいつを普通の人間に戻してあげようという優しさ故だ。文字通り叩き直してるんだ。まぁ、そこに俺のストレス発散が入っていないわけではないが……
「レイは私にも酷いことするじゃない。空に投げたり…今日だって助けてくれないし…」
「あれは無理。先生がお手上げなのになんで俺がお前に教えられるんだよ」
そんな教育方法俺は知らない。だいたい何故あれが解けないのか俺には理解出来ないのだ。何を教えていいのかもわからない。
「そんなに出来ないのか?シャルステナは」
「出来ない以前の問題だよ。指で数えて間違うか?普通」
「ゔぅ……」
シャルステナは涙目になり、恥ずかしそうに顔を隠した。ギルクはそんなシャルステナを見て、先輩らしく問い掛けた。
「俺が教えようか?」
「やめとけ。無理だ。俺も早々に諦めたし…」
「ひどいよレイ、助けてよ〜」
前に教えようとした時の事を思い出していると、シャルステナがグワッと泣きついてきた。ガチ泣きだ。ボロボロ泣いてる。
こんなに大泣きされて抱き着かれると俺が悪いみたいだ。周りからの視線が痛い。
「シャルステナが可哀想だ」
「レイ教えてあげなよ」
「シャルもあたしと同じね」
「ピィイ」
ハクお前もか…
お前は俺の相棒じゃないのか。
「わかったわかった。俺が悪かったですよ。教えてやるから、泣きやめ」
「グスッ…ホント?」
エロ魔女め、そんな目で見てくるんじゃねぇ。うるうるした瞳で上目遣いに見られたら、ドキッとするじゃねぇか。
「ホントだ。ていうか、なんでできないんだよ?算術スキルあったら余裕だろ?」
「なにそれ?」
「「「「えっ?」」」」
まさか持ってないのか、こいつ?
あんなカモみたいなスキルを?
俺が1日と経たずマスターしてしまったスキルを?
「なるほど、すべてわかった。そのスキルがないせいか……」
「ど、どうにかなるの?そのスキルを取れば」
「たぶん……」
俺は絶対とは言えなかった。そもそも授業であれだけ算術に触れてスキルを取れない意味がわからない。俺が回復魔法を苦手とする様に彼女はそもそも計算というものに向いていないのかもしれない。
だから、スキルが取れない可能性もあるよなぁ……
「やったー!」
そんな俺の不安を他所にシャルステナは全身で喜びを表現した。もう泣いてはいない。けど、俺の目の前で飛び上がるのはやめてくれ。髪が眼に入って痛い。これぞ彼女の秘儀、赤髪目突き。
「そうだったんだ。シャルステナが算術できないのはスキルのせい。ということは、僕が魔法のイメージが苦手なのもスキルのせい…」
「違う。それは違う。誰もイメージのスキルなんて持ってない」
何勝手にスキルのせいにしてんだ。イメージできないのはう○こなんて考えてるからだ。
「そんなぁ。じゃあ僕はずっとこのまま?」
「それは努力して、頑張るしかないだろう」
「仕方ない。こいつ貸してやるからいろいろやって想像力高めてみろよ」
そう言って、俺はアンナを差し出した。
「え?何?あたし?」
そうだ。お前ならどんな変態的な注文でも応えられるだろ?
「え?なんでアンナ?」
こいつ気付いてないのかよ。自分がアンナに気があるのを。しょっちゅう目で追ってるじゃねぇか。
ただ、人の好みをどうこうは言うつもりはないが、あんまりオススメはしないけどな。
「レイ、ダメよ。ゴルドにはまだ早いみたい」
お前も早いんだけどな。ていうか、アニキじゃないのにいいのかよ。あれか?自分には何もさせずに、ゴルドをいたぶる的な?実は嬢王様キャラでした的な?
「ピィイ」(まだまだだな)
「お前は人のこと言えねぇよ」
魔法か年齢のどっちのことを言ってんのかはわからないが、どっちも負けてんじゃねぇか。
「ほほう、レイは皆の先生なのか。では、俺も何か教えてもらおうか」
「ギルクは俺より歳上だろ?自分でやってくれ。これ以上俺の手間を増やさないでくれ」
「ははは、お前は手厳しいな」
先輩の癖に何言ってんだ。プライドはないのか、プライドは。逆に俺が教えて欲しいもんだ。
「そう言えばレイ」
「うん?なんだ?」
俺とギルクが話していたところに、涙を拭いたシャルステナが割り込んできた。
「うん、えっと、昨日ギルドで何してたの?」
「昨日?ああ、バジルって奴と前の日から飲んでた」
「はい?」
シャルステナは聞き間違いかと聞き返してきた。
「いや、だからその前の日から二人で飲んでたんだよ」
「レイ、まだ8歳だよね?」
ああ、言い方が悪かったんだな。確かにこれじゃ酒を飲んでたみたいだ。
「ああ、そういうことか。酒は飲んでないさ。……ちょっとしか。ただ、一緒に酒場で話してただけさ」
「今ボソッとちょっとって言った?」
「飲まされたんだよ」
飲まないと続きを話さないとか言いやがったからな。仕方なくだ。
一昨日飲んだのが初めてだったが、初めて飲んだ酒は不味かった。苦過ぎるし変な味があした。大人になれば美味しいと思えるのかもしれないが、今はまだ何が良いのかわからなかった。
なんであのクソ不味い飲み物を毎日飲めるんだ、あいつは?
「どっちにしろ、8歳の子供がすることじゃないと思うんだけど…」
シャルステナの言うことはもっともだった。確かに8歳児がすることじゃないな。だけど、中身は一応16+8歳なんだ。だから、おかしくないとも言える。
まぁ今回は目的を忘れてしまっていたけど、次からは大丈夫。そんなことにはならないさ。とりあえずあれが異常かどうかわかるまでは休日はギルドに入り浸ろう。
こうして俺はシャルステナとの約束を忘れて、怒られるのであった。
 




