207.海底決戦
一般的に、F=mgで表される物理式がある。これは、質量mの物体に掛かる重力の大きさFを示す式だ。ここでgは重力加速度である。簡単に説明すると、重力は物体の質量に比例して大きくなる事を、この式は示している。
これが、一つの基本式となって、ややこしい理論や計算をこなしていくと、物体の持つ位置エネルギーだとか、重力加速により得られる速度だとか、そんなものがわかるようになる。
だが、ここではもっと簡単に言おう。
重力とはつまり、力だ。例えるなら、物を投げる力や、打ち出す力と同じようなものだ。
人の腕なら、筋力。火薬ならば、爆発力。
そういう類のものと思えばいい。
ここで、話を戻そう。
重力を大きくするには、質量を増やせばいい。その分、物体に掛かる力は大きくなり、それの持つエネルギーも増え、得られる速度は増大する。
まぁ、そんな難しい話をしなくとも、紙クズを足に落としても痛くはないが、石を落とすと痛いという具合に、重い物を高いところから落とすのは非常に危険な事が感覚的にはわかるだろう。
それと同じ事が、ある広大な海の一角で、起こっていた。
「どんどん行くぜ! ほらよっ!」
そこには、船の上から物をピョンピョン投げる青年がいた。手に持っているのは、石粒や、珊瑚の欠片といった海に放り込んだとしても、何ら環境に影響を与えない自然物。
ただ遊んでいるようにしか見えない。
だが、海面に浮いてそれを眺める海人達の表情は、遊びを見学している風にはとても見えない。例えるなら、ミサイルの発射に付き合わされる一般人のような顔だ。
それもそのはず、彼──春樹の手から離れた石が大岩に、珊瑚の欠片が珊瑚の大結晶に、そして、船が飲まれそうな荒波を立てて落ちていくのだから、それはもうどんな顔をして見守っていいかわからない。
少なくとも、子供の遊びの類ではない。もはや、一種の兵器と言っても差し支えはないのではなかろうか。
その証拠に、水面下──と言っても、かなり深い場所では想像を絶する惨劇が繰り広げられていた。
魔物たちがたむろしていた海底に、真上から落ちる大質量の落下物。それに見合うだけの重さと、重さに比例した破壊力をもって、魔物達を圧殺し、海底を破壊する。抵抗は、等しく無駄だ。その破壊には数に限りがない。弾は幾らでも、底に転がっている。
また、流星雨の如く降ってくる無尽蔵の弾を躱しきるのは、不可能に近い。いつの間にか築き上げられていく、破壊の瓦礫は魔物達の逃げ場を潰し、そしてさらに上から圧殺を持って、死と残骸の山を海の底に築き上げていく。
結果、街を囲うように岩礁などよりも大きく、強い防壁が築き上げられようとしていた。
「はっはっはーーっ! 俺、無双! 俺、無双! 凄い勢いで、レベルアップしてるぜ! まったく何が起こってんのかわかんねぇけど……海って、最高だなっ! 俺の時代が今まさに来てる!」
「はいはい、それはわかったから、ちゃんと狙って投げてよ?」
「わかってる、わかってる。ほらよっ!」
レベルアップに麻薬のような効果はないはずだが、何やらハイになっている幼馴染の舵取りを忘れない結衣。相当な勢いで魔物を殲滅している春樹は、ステータスプレートから目が離せない。
そのやり取りを、海面から見上げる海人達は、塩水では何かで、顔を濡らしていた。
春樹のやっている単純作業は、実に効果的だった。ただ一つ街に落ちた場合を考えなければ。
そう、これは一歩間違えば大惨事ものの危ない橋でもあった。それをわかってか、海人達のサポートは素晴らしい。絶対に街に当たらないよう、的確に落とす位置を誘導している。それがどれだけ難しいか。海流の流れを読み、かつ落下の速度も考慮し、間違っても街に落ちないよう余裕を持たせて落下位置を指定してなければならないのだ。
まぁ、それも岩が落ちようが、魔物に蹂躙されようが自分達の街が滅びるのは同じとあっては、必死になってどちらからも街を守ろうとするのは当然の事ではあったが、中々にギリギリな綱渡り。
ライクッドの提案した案は、それくらい大胆なものだった。無論、いくつか落ちてきたところで、彼自身が対応しきってしまうだろうが、今のところ海人達のサポートのおかげで、それをせずに済んでいる。
「やべっ、球がなくなった……」
不意に、投げる手を止めた春樹が呻く。
それを聞いた海人達が、変わり果てた海底を覗き込み愕然とする。
海底には、巨大化した石や何かの破片に押し潰された魔物と、それに邪魔され攻め込むに攻め込めないでいる魔物が、ただ上から雨のように降ってくる礫になす術もなく、押し潰されていく光景が広がっている。
はっきり言おう。あれだけいた魔物は、もうほぼ掃討されていた。
残っているのは、再生能力のあるクラーケンや、それに並ぶ強さの魔物だけだが、雨のように降り落ちてくる巨大な重しにはなす術はなく、オロオロしている。ひとまず自ら危険に飛び込み、海面へと浮上する選択をしないのは、嬉しい誤算と言うべきか。
ちなみに、それは彼らの後ろに、黒竜という海に住む彼らでも知ってる最強種が目前で戦闘を繰り広げないで済むという意味での嬉しい誤算だが、彼らはすっかり怯えてしまっていた。
「すいません、次の球を拾ってきてもらってもいいですか?」
お願いした結衣に、ウンウンと峰打ちになりそうな速度で頭を振った海人達は、どうか街がこの無慈悲な落石に押し潰されませんようにと願い、唯一安全な街の上から、一斉に潜水を始めた。
「こちら、海の上。球の補充要員が向かった」
『了解です、援護します。こちらも内側に入り込んだ魔物は大方片付けましたが、その調子で防壁をどんどん落として下さい』
果たして、これ以上それを続ける意味があるのかはさて置き、今日という1日で、海中都市の周りに、岩礁地帯を凌ぐ、人口の防壁が積み上げられそうなのは間違いがなさそうだ。
〜〜〜〜
街の中心から外れたとある一角で、目紛しく交錯する赤と黒の影。激しい衝突音が街に響き渡り、恐ろしい速さで息つく暇もなく変わる戦況。
二人の実力は、拮抗していた。
一進一退の攻防が続く。
不意にそれを崩したのは、レイ。剣戟による攻防を避け、大きく後ろに飛び、得意の領域へと誘い込む。
それに乗るかは、魔王次第。
一瞬の逡巡の後、魔王は背を向け、逃げ出した。
なるほど、馬鹿ではないらしい。
レイは、己が空けた距離を一気に詰めようと駆けた。しかし、拮抗する速度がそれを許さない。
ならばと、レイは緊急回避の思考を、追撃に回した。
──瞬間移動。
一瞬にして整う不自然な上下関係。魔王の前方の空間に落ちたレイは、間髪おかず緋炎を一閃した。
だがしかし、それは何も捉えず空振りに終わる。避けたのだ。飛び越えるようにして。空間の歪みに惑わされたレイのあらやる知覚が一瞬途切れる瞬間を狙い定めたように、レイが振り抜くより前に空間の歪みごと飛び越えたのだ。
だが、それを邪魔するように立ち塞がるのは赤色の翼。それが、羽根へと変わる一瞬、拳が激突した。
穴を穿つ拳。硬度はそれなりにある翼を悠々穿ち、それは一直線に駆け抜けた。関係のない建物が犠牲になり、結界まで飛び越えて穴を穿つ威力は、さすがの一言。
レイは、抜けられたという後悔を一瞬、すぐにその背中に追随した。
だが、一切の反撃をしてこない魔王に、疑問を覚える。
(俺を殺しに来ていない? 目的を変えたか? 何を狙ってる?)
やがて、というよりは時間にして秒単位。街の中心に建つ、神殿が視界に映り込む。
その視界の端で、建物を軽々飛び回る影。その前には、何やら荷物を持った格好で、縦横無尽に屋根から屋根へと飛び移る人影がある。
その人影の髪色は金。肌は人種の色で、少なくとも海人ぽくはない。
「お前、そんな動けたっけか?」
そんな具合に違和感を感じるレイだったが、それよりも目前の敵がその人影に向かって直進している事が、最たる問題で、すぐにその違和感を切り捨てた。
建物から道に飛び降りた魔王。レイは、行かせてなるものかと強く屋根を蹴り破り、そこへ飛び込む。だがしかしそれは、罠だ。
魔王が抜けた瞬間、邪魔立てするように、魔人化した海人達が飛び出してきた。
レイはやはりそちら側の陣営かと、元より察知していた彼らに、一瞬の停滞もせずに直進。
赤の極光が、レイの視界を邪魔する。それは、爆発の兆候。元より全員をこうして、捨て駒にするつもりだったのか、躊躇などなく彼らは自爆を決行する。
だが、そう易々と何度もやらせるはずがないだろう。
爆発する直前、レイはそれを全てしまい込む。収納空間の停止した時間の中へと。
自らその入り口へと突っ込んだ事が仇となり、彼らの服も装備も丸ごと奪い去って、丸裸にしたレイは、目の前に立ち塞がった海人をトラックの如く引き跳ね、触手の一刀を元に全員を打ち倒し、魔力で縛りあげた。
そうして、一瞬たりとも立ち止まる事なく、襲撃者を手際よく無効化させたレイに、眉を顰めて振り向いた魔王。
その彼の前で、レイは悪いことを思い付いたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
それは、悪戯を思い付いた子供のような笑みで、この一瞬も気の抜けない戦いを楽しんでいるかの如く笑うレイに、魔王は怖気を覚える。
「返す」
それが、魔王の耳へと届く前に、爆発を閉じ込めた空間の扉が、口を空ける。
察知すると同時に、爆炎に煽られた魔王。それは、海人達を自爆させようと持たせていた爆発魔石が、そっくりそのまま魔王へと返された事で起こった大爆発。
どうやらレイはまた新しい収納空間の有能な使い方を覚えてしまったらしい。タイムラグなしに、何処にでも、いつでも打ち込める魔石弾の誕生。
魔王の一手は、レイに新たな力を授けてしまった。
爆発の余波で砂煙が舞うが、その中でもレイの知覚は、魔王を見失わない。魔装頼りに、自らもその爆発の中へと飛び込んだレイは、一瞬怯んだ事で距離が詰まった魔王へと、肉薄した。
だが、あと一歩。あと数メートル足りなかった。
爆煙を抜けた先で、レイは足を止めた。
「…………!」
そこには、火傷を負い気を失っているギルクと、魔王に捕らわれた人魚がいた。
「動くな……とは言わんでもわかっとるらしい」
片手には、首を掴まれ窒息しているライラ。もう一方の手に紫の球を持って、愉快に口元を緩めた魔王。
チラリと視線だけ、倒れているギルクに向け、状態を確認する。一見したところ、ギルクはどうやら気絶しているらしい。顔には殴られたような跡があり、全身泥塗れだが、酷い重症を負っているわけではないようだ。念の為、ギルクに収納空間から直接ポーションの液体を浴びせ、レイは不快気に目を細めて、意識を目の前の魔王に戻した。
「……それで? その人質を使って、何を要求するつもりだ?」
「要求など……お主は容赦なく、この娘っこを切り捨てるじゃろう?」
確信めいた聞き方で、問いを返す魔王。
「死ねとか、無茶な要求ならな。多少は、譲歩する気はある」
「ほぅ、例えばどのような?」
「見逃せというのなら、そうしよう」
レイは即答した。
だがしかし、試すような瞳で魔王は切り返す。
「ふむ、しかし、儂が逃げのびるまでこの娘っ子を連れて行くと言ったら、その瞬間、斬りかかってこよう?」
「よく俺をわかってるじゃないか、その通りだ」
悪びれもなく吐き捨てたレイに、一瞬体をピクリと跳ねさせたライラ。殺されるとでも思ったのかもしれない。
だが、レイはライラを見捨てたわけではなかった。
「そんな信用のおけない約束を交わすくらいなら、一か八か奪い返す方が余程得策だ」
みすみす見逃したところで、どうせ殺される事になる。それを確信出来るほどに、魔王は信用が置けないと、レイは思っている。
だが、その逆もまた然り。
「その言葉そっくりそのまま返そう。要は、儂らは互いに信用が置けない。これでは、交渉のしようがないのぅ。お主がもう少し、譲歩しようものなら、儂とて無闇やたらに、この娘っ子の命を奪う必要はないというのに……いやはや、可哀想にのぅ」
レイの罪悪感を煽るように、ライラに同情するような言葉を吐いた魔王。だが、レイは飄々といった様子でそれを受け流す。
「誤魔化すなよ」
交渉なんてものは初めから存在していない。あるとすればそれは、お願いだ。
このまま戦いが長引けば不利になるのは魔王。この交渉自体がそもそもフェアなものではないのだ。
「この状況、追い詰められているようで、その実ピンチなのはお前の方だ。時間は無駄には出来ないだろう?」
人質を取られて尚、レイは下手に出る事はなく、あくまでその不敵な態度を崩さない。どうせこの場で魔王はライラを殺せない。むしろ下手に慌てふためく方が、立場が逆転して、ライラの命を脅かす事に繋がる。
まぁ、それは魔王がライラを殺すよりも先に、救う術がある余裕とも言えたが。
「大人しく、ライラを置いていけよ。それが、逃げ延びる唯一の道だと、そう思わないか?」
「確かに……もう少し取り乱そうものなら、交渉の余地はあったのだがのぅ」
残念そうに肩を落とした魔王。
その時、その場に影が落ちた。大きな影だ。
窒息から空気を求めて口をパクパクとさせていたライラが、思わず息を飲んでしまう程に、大きな翼竜が天蓋を突き破って落ちてきた。
だが、レイも魔王も、それに目を向けようともせず、互いに睨み合いを続ける。
「ここまで来ると、その用心深さには呆れて言葉も出ないな」
「逃げ道は確保しておかねばのぅ。それもこんな海の底では尚のこと」
「確かに、それは考えて置くべきだったか。まぁ、次はないから、別に構わないがな」
レイが言外に逃がさないと告げた直後、翼竜の背に飛び乗った魔王。レイは一瞬たりとも遅れず、それに飛び掛かる。だが、それを見越したように、遠くに大きく投げ飛ばされたライラ。
「────っ」
目も開けられないような風圧。突然解放され、うまく機能しない喉。咳込みたい気持ちと、猛スピードの投げられた事への悲鳴の一つでも上げたい気持ちになってくる。
結果、それは息をのむような絶叫という形で、現れた。
そんな彼女に向かって、翼竜の尻尾の真下を潜り、最短で接近したレイは、空中でその手を捕まえる。
「怖がらせて悪かった、まだ意識はあるか?」
若干申し訳なさそうなレイの確認に、ライラはコクリと小さく頷くと、白い顔をして、呼吸も乱れたまま、必死に絞り出す。
「球を……大、精球を……」
それは、断片的で要領を得ないものだったが、彼女の伝えたい事を察して、レイは即座に頷いた。
「ああ、任せろ」
屋根の上へとライラを下ろしたレイは、即座に翻る。その先で、ライラを使ってレイから逃れた魔王が、翼竜の背に跨り、結界の外に出ようとしていた。
「ではな、小僧。次は本気で相手をしてやろう」
どうやらもう逃げ切った気でいるらしい。確かに、瞬動は時間制限。瞬間移動も、この距離では厳しい。
だが、舐められたものだ。
「──収縮」
誰もそれだけが高速移動手段とは言っていない。
「な、何っ⁉︎」
突然、揺れた足場。いや、正確には引き寄せられた足場。その慣性にたたらを踏んだのも一瞬。
いつの間にか尻尾から伸びた赤い糸が、レイの腹部と繋がり、ゴムのように縮む様が目に映る。
そう、ライラを助ける際に、既に仕込みは終わっていたのだ。目に映らないほど細く、感知するには微弱な魔力の糸で、レイは繋いでいたのだ。追撃の手段を。
「──だが、甘い!」
魔王は顔を顰めながらも、手刀を尻尾の付け根へと振り抜いた。
バシュッと景気よく血が飛び出し、痛みに翼竜が啼き声を上げる。だが、それが鞭打ちになったかの如く翼の回転速度が上がり、引き戻された経路を速度を上げて、結界の外へと逃げ延びようとする。
「そっちが甘い」
だが、ここまで近付けばこちらのものだ。
「──重力点」
瞬間、レイと魔王の間の空間が食い潰された。それは刹那の間に、二人の距離を縮める。かつ、発生した引力は、重力よりも遥かに強力で、周囲のものを強制的に引き寄せた。
レイは強く地面を蹴り抜き、魔力を噴射。己もその引力の影響を受けながらも、それを打ち消す力で逆らい、その超重量の中であまつさえ加速した。
「うぉぉぉぉぉおおおおッッ!」
咆哮と共に、猛炎が加熱する。
咄嗟に身構えた魔王の右腕へ。球を持つ手に、流れるように落ちた剣。
鉄さえも悠々と溶かす熱が、魔王の腕を溶かし、炎の軌跡を残し、断ち切る。
焼ける肌。焼き切れる肉。断ち切られた骨。
その感触が一瞬に凝縮し、肩を通じて痛みとなって駆け抜けた。
「ぅっあッ……!」
落下する腕。スレスレで交差したお互いの体。焼け落ちた腕の先を押さえ、憤怒に染まった目で後ろを振り返る。
その時、その目に映し取ったのは──天より落ちし光の帯が、海を白く染める光景だった。
「……任務失敗じゃ」
タイムオーバー。時間切れ。
本気になった女神と海神に相対して、生きていられる謂れはない。
怒りが抜け落ち、その顔に敗北の色が落ちる。
「だが、この恨み、いつか必ず晴らすぞ。それまで、その首を可愛がっておくことじゃ、神殺しッ!」
だからそれは人違いだと、レイは魔王の腕から球を引き剥がしながら、その捨て台詞を聞いた。
「だから、逃がさないって言ってるだろうが」
魔王は既に、結界間際。瞬間移動の圏外かつ、魔力の糸はもう繋がれていない。重力点の影響も、発動時ほどのものではない。
だが、そこにいる限り、レイがその存在を見失わない限り、追う術はまだ残されている。
強制拉致スキル、異空間生成。
それがある限り、追撃に回ったレイから逃げられるのは、テレポートが出来る者だけだろう。それは例え、人質を取られたとしても。
それ程に、その技は追撃として強力だ。
そして、その範囲は魔王だけでなく、ようやく戻ってきた二人の神も道連れにする事が可能なほど広い。出し惜しみをした甲斐があったというものだ。
──これで、完全に詰みだ。
「異空間生──」
その時だった。レイが、己の世界を創造しようとした瞬間、頭に声が響く。
──いけない。
それは酷く眠たそうな声だった。
だが、幻聴はよくある事だ。心霊屋敷などにいったら、それはもう鬱陶しいほどに聞こえてくる。
そして、それに相手しようものなら、いつかのように入り込もうとしてくるのだ。
無視が一番。
レイは即座に割り切って、強行した。
「──成」
だが。
──ダメ。
生まれるはずの世界は、突如レイをして瞬時に押し負けるほどの圧倒的な力に握り潰された。
「はっ……?」
思わずレイは間抜けな顔を晒すレイの前で、魔王の姿が海の向こうに消えていく。それを見て、焦って再度発動を強行しようとしたが、それもまた未知の何かに握り潰された。
──聞き分けのない子。
何が起きたと、呆然と空に立ち尽くすレイに、未だに話し掛けてくる声。
まさかと思い己の手にあったそれにレイは目を向けた。
するとそこには、眠たげに、こちらを睨む目が映って──
「─────⁉︎」
声にならない絶叫。それは、そうだろう。
幽霊の声が聞こえるなと思ったら、自分の持っている手に、女の目が映っていたのだ。
どんな恐怖体験だ。本コ○に投稿してやろうかと、本気で思ったほどだ。
レイは、結界の要である事も忘れ、思わずそれを空中で手放した。
「あっ……」
──あっ……
と、下で見守っていたライラと幽霊の声が重なる。
しかし、それが落ちる事はなかった。何も知らないライラはそれを見て、フゥと安堵の息を吐くが、レイはたまったものではない。逆に、ゴクリと息を飲み、知らず知らずの内に、腰が引け、上半身が後ろに傾く。
なぜなら、飛び出してきたのだ。球の中にいた、目が、口が、鼻が、顔が、体が。
浮遊する体。半透明な体。生気を感じない薄い肌色。
──危ない。
「で、ででで出たぁぁぁッ!」
今度こそ、本気の絶叫だった。らしくもなく、本気で腰を抜かしそうになったレイは、バランスを崩し、地面へと落下する。
盛大に水飛沫を上げながら、鈍痛に頭を振ったレイは、恐る恐る顔を上げた。やはりというか、そこにはいつの間にか目の前に移動してきた霊体が立っていて。
「お、おお俺を呪ったら、シャルステナとか、女神とか、シャルとかが、すんげぇ怒るぞッ!」
──怯える。何故?
「何故も、クソもあるか!」
幽霊が怖いというのは、世間の一般常識であり、特にレイの場合は、存在する事を割と身近で感じてきたのだ。さらには、無敵の霊体かつ、わけのわからない力まで見せられれば、怯える理由はそれだけでも十分過ぎる程だ。
「れ、レイッ、ど、どうしたの? 何が……何があったのッ?」
と、そこへ血相を変えて走り寄ってきたのは、愛しの女神様。そう、女神様だ。きっと女神なら、迷える魂をあの世に送る事も出来るはずで、レイは彼女に救いを求めて縋り付いた。
「しゃ、シャル、き、聞いてくれ。ほ……本物だ。本物のお化けだ。除霊してくれ、除霊。このままだと、俺は呪われてしまう」
「…………え?」
たっぷり3秒固まり聞き返したシャルステナ。不思議と、レイの怯えた顔が向く方向を見て──
「……精霊だよ?」
「そうなんだ、話し掛けられた経験はあるけど、俺も見たのは初めてで…………えっ? 精霊?」
「うん、精霊」
小さく頷くシャルステナ。同意するようにコクリと頷く、半透明な彼女。
瞬間、レイは目と口をカッと開いた。
「まぎらわしいんだよ、お前らぁぁぁッ!」
それは、心の底からの叫びだった。
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
来週と再来週は、更新出来ないかもしれません。申し訳ないです。




