200.無敵の怪物の仕留め方
遥か上空から見てもわかる広大な海にポッカリと空いた穴。1つの島を中心として、その周囲何百キロに及んで海が干上がり、深い海の底が顔を覗かせる。
本来出会うはずのなかった太陽と著しい水圧の変化により、死滅を余儀なくされた海洋生物らの死骸が夥しいほどに転がり、あるいは高所かりの落下により、見るも形すら残さず潰れた死骸の跡もある。
また、魔物が死した際に生まれる独特の黒煙は、まるで火事のように生まれ、島と海底の高低差と相まって、それはまるで山の麓に黒い霧が張り付いているかのようだ。
それらはひとえに、海の怪物によって引き起こされた惨事だ。
干上がった海底に巨大な足跡を残し、己以外の全てを睥睨する青の巨兵は、その体格からして、全てのスケールが違う。
街一つを押しつぶさそうなほど太く巨大な腕が振るわれる度、嵐のような風が吹く。雲は掻き分けられ、一面の空は、恐ろしいほどに快晴だ。
怪物が一歩足を進める度、島を襲う地鳴り。島民達は、悲鳴と避難を繰り返し、恐慌は自ずと加速する。
彼らは祈っていた。声に出して。
神に。この海に生きる者全ての味方に。
かつて数多の実績により、その手を必要としなかった彼らも、今、この時ばかりは、怪物と肩を並べる海の王に、助けを求める。
それはまた、彼女もそうだった。
「海神──ッ! 近くにいるんでしょう? お願い、力を貸して!」
穴と海の境界。不自然なまでに動きを止めた海の壁は、何千キロという深さの深海までもを壁の横から覗かせて、海の生物図鑑の分布図のように、多種多様な生物が、顔を覗かせる。
そんな透明ガラスで出来ていない水槽の前に、重力を感じさせない佇まいで、浮遊するシャルステナ。
彼女の願いは海に轟き、奴の耳に入る。
「──ザババンッ! と、最近人気急上昇の海神様が、次のランキングで逆転されてしまいそうな可哀想な女神の前に、登場!」
「別にされてもいいよ! ……それより、お願い、力を貸して! 大変なの!」
下剋上を宣言し現れた海神へ、順位に執着心など皆無な女神様は、助けを求める。だが、一転無表情となった海神は。
「──無理よ」
「えっ────」
彼女の助けを求める声を切り捨てた。
「悪いけど、今回ばかりは力になれないのよね。何で私がこの海域を堰き止めていると思う?」
「それは…………」
問い掛けに、シャルステナは言葉を詰まらせた。
そもそもの話、海で起きる全ての事象を観測出来る海神に、助けを求めに来た時点で気付くべきだった。
シャルステナにとって、海神は神の中でも特に関わりが深い神だ。探し人を求めて、何度も当てのない旅を繰り返していた彼女は、その力を数えきれないほど貸してもらった。
だから、知っている。海で、海神に届かない祈りはない。海に向けて、願えば彼女は必ず姿を現わす。
姿を現さなかった時点で、助けられないことを悟るべきだった。
「もし……こんな規模で海水が大移動を起こせば、この辺りは未曾有の水害に襲われる。下手をしたら、大陸にだって影響を及ぼしかねない。だから、ワタシが一旦その動きを止めてるのよ」
突如として失われたヤマト大国周辺の海域。その埋め合わせとして、本来ならば今頃周りの海域から海水が流れ込み、ヤマト大国を飲み込んでいてもおかしくなかった。
それが起きなかったのは、ひとえに海神が即座に手を打ったからだ。こうして、海の動きを止めて、ゆっくりと元に戻しているからだ。
「女神のお願いはつまりはこういう事でしょう? 海坊主をどうにかして欲しいんでしょう? けど、今は無理。どう頑張っても、この海域を元に戻すのに1日はかかる。よしんば、それを後回しにしても、海がない干上がった地の底じゃ、わたしはなんにも出来ない。海坊主を押し流すには、かなりの量の海水が必要なのよ」
つまるところ、手詰まりだった。海神の力は海でのみ行使可能だ。海がない干上がってしまった海の底では、彼女は何も出来ない。
ならば、この堰き止めている海域ごと海坊主の下へ移動し、押し流して仕舞えばいい。だが、その代わりにヤマト大国は大規模な水害に襲われ、海に沈むだろう。そこに住む人々と共に。
「だから、ごめん。今回は力になれない。自分達でどうにかしてもらうしかない」
「そんな……けど、レイが……みんなが……」
「ごめん、女神。あたし神なのよ。女神の仲間だけ、優先する事は出来ない」
海神とて、唯一と言ってもいい古い友の願いを聞いてやりたい。
だが、彼女は神なのだ。己の振るう力に制約を掛けなければ、災厄となんら変わらない力を有する神なのだ。
制約とは、つまり神としの責務。この世界の安寧のために動く事を受け入れた立場なのだ。
それが、永遠を手にするために神となったシャルステナとの決定的な差だ。
だが、だからこそ、彼女は諦めきれない。
「それでも……それでも、お願い、海神! 私はもう失いたくないの! やっと……やっと、一緒に生きていこうって、言って貰えたの! だから……」
「……ごめん、女神」
目を逸らし、痛ましい顔をする海神。その表情が、どうにもならない世界の不条理をシャルステナに突きつける。
……だが、諦めてなるものか、と。
こんな所で諦めるような物分りの良さなら、女神などになっていない。定命の人の身を捨て、永遠にも等しい長い時間、失った人を探し続けては来なかった。
ようやく、ようやく巡り会えたのだ。その永遠の苦しみから救いあげて、共に生きようと言ってくれた人に。
だから、彼女は俯きたい気持ちを抑え、必死に考える。
何か……何かないかと。
海神を説得出来る何かを、必死に考えて、ふと辿り着いたのは、別れる前に言われた言葉。
レイは言った。
海神に余計な事をさせるなと。海坊主をどこかにやらせるなと。
つまりそれは、海神が全力を出せる状況でなくとも、海坊主を倒す事が出来るかもしれないという事。それでもって、海神の力が必要なのだとしたら──
「……ねぇ、海神。海坊主をここで倒せるとして、それを手助けする立場のあなたはどう動く?」
その力を持たない彼女には、想像出来ない。
その力の限界が。
海坊主を追いやるためでなく、レイが編み出した海坊主を倒す方法の手助けをするだけなら、この海域を堰き止めたままでも出来るかもしれない。
シャルステナがそう思って聞いてみたところ、海神は一瞬驚いた顔をして、すぐに首を振る。
「アレを倒す? 確かに、女神の剣の力は凄いけど、海坊主を倒せるとは思えない」
「うん、ハイ・ウィールじゃ倒しきれないだろうね」
同意したシャルステナに海神はより深く首を傾げた。
「じゃあ、尚更どうやってアレを倒す気?」
「わからない。けど、レイが倒せるって、その方法があるって言ってた。そのためには、海神の力が必要だって……」
「ぷっ、あははは! そんなのムリムリ! わたしが倒せなかったアレを、人が倒せるわけないって!」
シャルステナの言葉に、腹を抱えて笑い転げる海神。その様子に、ムッとしたシャルステナは、声を強めて言う。
「レイは倒したよ! 獣神が殺せなかった怪物を」
「なっ……⁉︎ う、嘘よ、そんな事! 人が神を超えられるはずがないッ! だって、神は人を超えた存在なのよ⁉︎ 女神もそれはわかっているでしょう⁉︎ 人の身を超えた者だけが手に出来る恩恵を」
「うん、そうだね。神となった私たちは、もう人の力を逸してしまっている。けどね、神を超えられるのもまた、人間だけなんだよ。私は、その人達を知っている。人の身でありながら、不可能を可能とし、神を下した二人の人間を」
驚愕し戸惑う海神に、シャルステナは溜飲を収めつつ、冷静にそしてどこか懐かしそうに言った。
「レイはね、そのうちの一人の生まれ変わりなんだよ?」
「ッ──⁉︎」
最後の一押し。事実なら、これ以上ない程の力の証明。
歴史上最も強かったとされる二人の片割れ。その生まれ変わりならば、確かに神を超えていてもおかしくはない。何故なら、彼らは一度ならず、二度も神を下しているだから。
「お願い、海神。私達を助けて」
「…………わかった、わかったわよ、もう! こうなったら、ここで長年の因縁に決着を着けてやるわよ!」
半ばヤケになりながら叫ぶ海神に、シャルステナは顔を綻ばせて、ありがとうと口にした。
〜〜〜〜
一方その頃、シャルステナの帰りを待つレイたちは、次第に余力を削られていた。
船の後方かり吹き出す火炎放射をものともせず、その膨大な水量で打ち消しながら急迫する腕。それに対処するのは、レイだ。度重なる迎撃で魔力を使い果たしたゴルドとルクセリアの分も、レイは一人で海坊主の攻撃を逸らし続けていた。
さらに、船の周囲の空気を制御していたリスリットも限界が近く、先程からアンナがそのサポートに入っている。
一方で、ハクの身体能力を向上させていた結衣のユニークスキルは時間制限を超え、その効果は消えている。そのため、ハクは素の膂力で超高速飛行を続けており、その体力も危ういところまで来ている。
未だ余力を残しているのは、ライクッドと春樹の二人。しかし、二人は魔力の温存をレイに言い渡されているため、今は何が出来るでもない。
そして、とうとうハクの飛行速度が落ち始める。
体力の限界。幾ら竜と言えど常にトップスピードで、それも幾度も回避行動を取らなければならない状況では、速度を維持するための風を切る翼にかかる負担は生半可なものではない。
だが、それはレイ達の足止めにより、ギリギリ保たれていた均衡を崩すに至ってしまった。
ギルクを筆頭に身の危険を感じて悲鳴が上がる。それに対し、余力を残していたアンナ達が身構える。
そんな中レイは、迷わず船を飛び出すと、これ見よがしにその顔の前に腕を突き出した。
「狙いは、コレだろ。付いて来い!」
固定空間を足場にし、瞬動で一瞬にして、船との相対位置を変えると、わざと動きを止めて、レイは怪物を挑発する。
「ちょっと遊んでやるよ」
歪みを帯びる世界。歪みの中に身を隠したレイに、伸ばされていた手が、目標を失い途中で停止する。
と、突如頭上から降り落ちた魔石が、海坊主の体内へと侵入。しかし、余りにも小さいそれに、海坊主が大きな興味を示す事はなく、無視を決め込んだ時、それらが瞬く間に赤色の乱光を放ち、破裂した。
ドドドドッと、連鎖的に爆発したそれは、海坊主の体を内側から破壊するが、超再生の性能がそれを上回り、爆発が終わった時には、元の状態に戻りつつあった──が、次の瞬間、雷鳴に混じり激しい衝撃音が轟いた。
体皮を駆け巡った電撃により、硬直した体。弾け飛ぶ寸前の巨大な顔面。その頭につられて、仰け反る体。
海坊主の体が大きく傾く。
そして、その前で拳を振り抜いた前傾姿勢で固まるレイの姿。
おそらくは史上初。レイは、海坊主を殴り飛ばしていた。
その秘密は、拳を固めた魔装と、瞬間的に生じた爆発的膂力である。
魔王エルグランデとの一戦で、魔力噴射で瞬間的に加速する魔術をレイは目にしていた。ならば、魔力噴射を手に入れたレイがそれを真似るのは当然のこと。
さらには、魔力伸縮と各々の身体強化スキルの合算。そして、一番の秘密は、瞬間的に限界を突破するレイのオリジナル魔術である。
これは、ある意味レイだけが辿り着ける境地である。通常、限界突破系のスキルは現存する魔力の全てを使用し、限定的に身体能力を爆発的に向上させるものである。だが、今のレイには魔力を貯蔵出来る臓器がない。
つまり、限界昇華を使用した瞬間に、それは解除される事になる。
ならば、自分の意思で限界昇華に使う魔力量を定めたならば、どうなるのか。
レイは、そこに着眼した。結果、限界を超える時間を制御出来る事がわかり、さらには、限界を超えた肉体行使による倦怠感も、ほんの一瞬ならば、ないも同然。限界昇華のデメリットも帳消しにしてしまった。
つまり、レイは瞬間的に膂力を爆発的に増加させる術を編み出したのである。
海坊主の体が背中から干上がった海底に落ちる。
その怪物がダウンを取られた光景に、誰もが唖然と口を開けた。
脅威が去り、戦いを傍観していたヤマト大国の国民も。
船の上でレイの戦いを見守っていた仲間達も。
そして、今まさにその場へ駆けつけた神々も。
似たような顔をして、思わず放心した。
「──1ダウン。おら、とっとと起きて来いよ。ここまで引き離せば、お前如きの相手は俺一人で十分だ」
不敵に笑い、人指し指でカウントしながら、レイは堂々と宣言する。その言葉は聞こえなくとも、確固たる自信を覗かせる立ち振舞いと、それを裏付ける実力を前にすれば、自ずと何を言っているか理解できようというもの。
「む、無茶苦茶よ……これが、神殺しの魂を受け継いだ彼の本当の実力……?」
自分の目を疑う海神は、移動の最中であったその体と海流を止めた。
この世で最も海坊主の厄介さを理解しているのは、まず間違いなく彼女だ。海を統べる神と、海を蹂躙する怪物。数える程もおこがましいほど、何度も目見え対峙してきた。
だが、そんな彼女でも初めて目にする海坊主の巨体。それは常の何倍か。文字通り天を貫くほどに巨大化した姿を、海神は初めて目にした。
それだけで、今回の事態がいつもとは違う非常事態である事がわかる。
その神でも手をこまねく非常時に置いて、笑みを浮かべ、あまつさえ余裕を見せる人間。以前戦った時の、力は何だったのか。あの時でさえ、常軌を逸していると感じたが、改めてその本気を目にするのと、言葉が浮かばない。
自分に今のような真似が出来るか?
──否だ。
一度でもこの怪物を殺せると感じた事があったか?
──否だ。
自分は本気でこの少年とやりあって勝てるのか?
──わからない。
ああ、確かにこれは──神殺しの所業だ。
「ぷっ、あははは! これは傑作ね! いいじゃない、いいじゃない! 地面に這い蹲る海坊主、それを見下ろす人間。痛快、痛快、超痛快よ!」
海神は確信する。初めて感じる。
今日ここで、この怪物を殺せると。
一方、少し離れた空で翼を休め、体力を回復させるハク。その下で、船の後方に集まったその光景を見ていた仲間達は、その痛快極まりない倒し方に、興奮を隠せぬ様子で、はしゃいでいた。
「あいつどんだけバケモンなんだよ! あのデケェ奴を殴り飛ばしたぞ!」
「ふっ、あいつは俺が鍛えた」
「まじか、ギルク⁉︎」
「鍛えられたの間違いでしょ、ギルクさん」
だが、そんな中──
「…………っ!」
アンナだけは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、レイの姿を凝視していた。
──強……過ぎるわよ、あんた。
自分とレイの間の如何ともし難い実力差。同じ土俵に立っていたあの頃とは違う、理不尽に思えるほど開いていたしまった差。
昔から、レイは強かった。だが、客観的に見て、自分はそれに追随していたはずだ。
いつからだ。いつからこんなに引き離せれてしまったのか。
武闘大会で別れてからか?
それからの旅で、引き離されてしまったのか?
いや、違う。
あの時からだ。自分と同じ大切な人を失ったあの日からだ。
あの日から今日までに、これ程引き離されてしまったのだ。
アンナは爪を船に食い込ませ、歯をグッと食い縛る。
凡才な自分と、レイの才能を比較して、レイと同じように、いや、やる事がなかった分、レイ以上に鍛錬した自分の今の無力にグッと、歯を食い縛る。
足りないのだ、まだ。
自分はまだ努力が足りないのだ。
追いかけなければならない。追いつかなければならない。
あの常軌を逸した速度で成長するレイに。でなければ、仇を討つ事など夢のまた夢。そこに辿り着く事すら出来やしない。
加速度的に成長するレイに、アンナの心は深く削り取られていた。
そんな彼女の焦りには気付かず、レイは起き上がった海坊主の前に移動すると、ジャブとフックをかまし、顔が振れたところで、瞬間移動からの強烈なかかと落としを決めて、今度は画面から地面に叩き落とした。
「さて、ゲームオーバーだ、海坊主」
レイは海坊主を見下ろしながら、死の宣告を叩きつけた。そのレイの手には、いつの間にか発現した雷の槍が握られており、海坊主の重みで地面にめり込んだ瞬間を狙い放たれた。
バチバチッと雷鳴が弾ける。レイの撃ち込んだ雷の槍は、持続時間に重きを置かれた中級魔法。その雷により、制御が甘くなったのか全身が爛れては、自らの重みで作った人形の穴に流れ落ちていく。
レイはハクにアイコンタクトを取ると、地面に落下する。そして、丁度海流に乗って、シャルステナと共に現れた海神達の前に下りると、再開の言葉もなしに次の一手を打つ。
「シャル、氷結系の魔法の準備を。ライクッドが下半身を狙う手はずになってるから、シャルは上半身を凍らせるつもりでやってくれ」
「うん、わかった」
「それと、撃ち漏らしはアンナと俺でカバーするから、大雑把にやってくれたらいい。海神は固めやすいよう、海坊主の体を集めて、押さえ込んでくれ」
「ふふん、まっかせなさい! それぐらいお安い御用よ!」
海に空いた大穴の中に道のように真っ直ぐ伸びた海水は、海神が力を使うために必要な接続回路であり、直接的な制御対象でもある。いわば海の導線を伝い、電流のように海水が流れ込み、そしてそれらが海坊主の体に上から蓋をする。細かに制御されたそれが、地面との隙間にも入り込み、海坊主を構成する海水が全てそこに押し留められるまで、数秒とかからなかった。
そして、同時にシャルステナとライクッドの詠唱も完了する。
「「フリーズロザリオッ!」」
立ち上がる膨大な魔力。立ち込める極寒の冷気。何十キロに及ぶ広大な範囲の気温が、一気に氷点下にまで下がり、白い息が漏れる。
氷系最上級魔法フリーズロザリオ。
効果範囲が現存する魔法の中でも特に広く、天候さえ変えてしまう超魔法。急激に冷やされた空気が、雫を生み、それが雪を降らす。その雪に触れたら最後、雪は発芽し、氷の薔薇となって対象を拘束する。さらに、重ねて落ちる雪は、さらに対象を凍てつかせ、最後には何枚にも重なった花のようになり、対象をその中に閉じ込める。
パキパキと音を立てて、海の怪物が凍り付いていく。その体に走る薔薇の棘が内部まで入り込み、内側にも冷気を伝える。
その全体を隈なく、凍結仕切るように二陣の凍てつく風が吹き抜けた。レイとアンナの魔法だ。
凍てつく風は、一欠片の断片すら余す事なく、海坊主の体を凍てつかせる。
やがて、魔法が切れる頃には、普通の雪が舞い、息は白くなっていた。冷えた大気に体が寒気を覚え、震える。
「さすがに寒いな」
レイは収納空間から、雪山用の服を取り出すと、全員に渡す。一部足りないものは、冬用の服で誤魔化した。
「さて、次はこいつの抵抗力を奪う。シーテラ、海坊主の魔力を全部吸い取ってくれ」
『わかりました、マスター』
氷に手を当て、魔力の吸収を始めたシーテラ。他は一時休憩と、何とも気の抜ける指示を受け、その周りで腰を落ち着ける。
そんな中、レイはそこら中を歩き回り、足で叩いて地面の様子を確かめ始めた。そんな彼の行動に、全て聞かされたわけでもない面々は、首を傾げる。
やがて、満足のいく何かが見つかったのか、ホクホク顔で戻ってきたレイに、魔力の吸収待ちをする彼らは問うた。
「さぁ、そろそろ聞かせてもらおうじゃない。この無敵の怪物をどうやって、倒そうっていうのかしら?」
レイに水を向けたのは、海神。何度として諦めてきた彼女にとって、レイの思い付いたという方法には、この中の誰よりも興味があった。
レイは、そんな海神の問いに、理路整然と答えを返す。
「無敵の怪物なんてこの世にはいない。いるのは無敵に近い怪物だ。そして、そういうのは大概何かに特化している。そして、特化した特徴は、裏を返せば致命的な弱点になる」
水が火を消し、火が水を蒸発させてしまうようになと、簡単な例を出して、レイは続ける。
「海坊主の無敵さは、その大質量の海水により構成された肉体から来ている。裏を返せば、それはただの海水でしかない。つまり、その海水を全部蒸発させてしまえば、海坊主は死ぬ。誰でもわかる簡単な弱点だ」
そう、そこまではいい。レイの言う通り、それは少し海坊主を相手取ればそれはわかる事だ。
「だけど、そんな事が可能な魔法もスキルも存在しない。たとえここにいる全員で、動けない海坊主に攻撃したとしても、全て蒸発させきるのは不可能よ」
海神のもっともな反論にレイは嘆息すると、その考えを正す。
「何でそれに拘る? 必ずしも魔法やスキルを使う必要なんてないだろ。要は、蒸発させきればいいんだから」
魔法とスキル。
そのどちらにも共通する弱点をあげるとすれば、それは効果時間が短い事。どちらも魔力を燃料とする故だ。
なら、他から燃料を与えてやればいい。すぐには効果が切れない、長く続くものを。
「春樹、ようやく出番だ」
そう言って、レイは平然とした顔で春樹に────土鍋を手渡した。
それを真顔で受け取った春樹は、しばし固まる。他の皆も、固まる。
「…………いや、これを俺にどうしろと⁉︎」
「どうしろって……春樹に出来ることと言えば、一つしかないだろう?」
「いや、そうだけど……! これを俺にデカくさせて何がしたいんだよ!」
はて、おかしな事を聞く。
土鍋の用途など一つしかないだろうに。
「まさか……これでグツグツ煮込むとか言わねぇよな⁉︎」
「その通りだが?」
何かおかしな事を言っているだろうかと、レイは首を傾げる。
無敵の怪物を倒すには、その体を蒸発させきるしかない。しかし、それではこちらの魔力が持たない。
そうやって手を拱いているうちに奴は復活し、元どおり。
ならば、古典的なやり方で、復活する間も与えず蒸発させてやればいい。そう言っているだけなのだが……
「敵を煮込んで倒すとか……そんなのってアリなのかよ……!」
「アリだ。まともに戦って倒さなきゃいけない決まりなんてない。倒せばいいんだから」
何やら戦いの美学的な事を口にする春樹と、それにもっともだとでも言いたげな顔をするギルクや結衣。それに対して、暴論にも思えるレイの勝てばいいという考えに同意するのは、他の全員か。その違いは、戦闘に対する思い入れの違いか。
ただし、レイの提案する煮込み案には、さすがに少々苦笑いだが……他に手がないのなら仕方ないと割り切っている様子である。
と、そこへ魔力吸収を終えたシーテラが戻ってきて。
『マスター、魔力が多すぎて、体が爆発しそうです』
「誰もそこまでやれって言ってないぞ⁉︎ 何でもっと早く言わないんだ! と、とにかくちょっと待ってろ。すぐ使わせてやるから!」
平然とした顔で体が爆発しそうと報告してきたシーテラに、慌ててレイが鍋を置く土台を作る。土魔法で家を作る事に慣れているレイにとって、少し巨大な釜戸を作るぐらい朝飯前だ。
そして、諦めたように春樹がその上で土鍋を丁度いいサイズまで巨大化させると、レイは火炎系の魔具をシーテラに渡し、釜戸の下に大量の木を放りこむ。
「着火剤なんてものはないが、火力で押せばそのうち付くだろう。春樹は、もう二、三個鍋を作ったら、予備の木材を作って、アンナとゴルドはそれを切り分けてくれ。結衣と、リスリットはそれを運ぶ役。ギルクは、シーテラと同じ火力の調整係。ルクセリアは、海坊主を切り分けて、ハクと俺は切り分けた氷塊を運ぶぞ。ライクッドは、海坊主の全体を見て、氷が溶けないよう魔法で維持してくれ。最後に、シャルステナと海神は、上空から海坊主が暴れた時に、適度に抑え込む役割だ。くれぐれも鍋の中身をブチまけないよう注意してくれよ。──以上」
俺は、バババッと全体に指示を出すと、ひとまず先程と同じ要領で、釜をあと三つ増設する。そこへピョンと土鍋を抱えた春樹が飛び乗る中、各自与えられた役割を再確認し、本格的に動き出すまでに、細かい調整を入れる。
そして、土鍋のセットが終わると、ルクセリアが海坊主の体を少しずつ切り出し、俺とハクが力を合わせて空から鍋に打ち込む。そして、ライクッドは適度に氷魔法で氷結状態を維持し、何やら鍋の中で動きがあれば、シャルステナは火の魔法で、海神は海水で押さえつけた。そうして、シーテラとギルクが火力を調査し、春樹が巨大化し、アンナとゴルドが切り分けた木材をせっせっと運ぶリスリット。一方で、結衣は収納空間を使い、リスリットが放り込めない奥の方へ木々を放り込む。
そうして、一度も途切れることのなく火を回し続け、そのルーティンを繰り返す事およそ1時間。
「──レイ殿!」
ヤマト大国からの援軍がやって来た。
「これはいったい……」
「ああ、実は……」
彼らを率いていたのは、シンゲンだった。干上がった海の底をその足で走り、ようやく追い付いて来たのだ。その数はザッと100。遅れる後続も加えると、200は軽く越えよう。
レイは、これまでのあらましと今の状況を簡単に説明した。
「なんと……たった10人ばかりで、ここまで怪物を追い詰めたのでござるか」
「まぁ、神もいたしな。別に大した事はない」
「またまた謙遜を……」
レイのとって付けたような謙遜に、食いさがるシンゲン。本当の事なんだがな、とレイは苦笑いする。
しかし、瞬間的とはいえ、今やレイの膂力は海坊主の巨体を殴り飛ばす程である。そんな真似普通は出来ない。
「ところで、援軍って事は、手伝ってもらってもいいか? どうもこの調子だと、丸一日以上掛かっちまいそうだから」
「無論そういう事なら、拙者らは喜んで手を貸すでござるよ」
そうして、新たな戦力……もとい、働き手を得たレイは、さらに釜を増設した。その数はおよそ20。レイの手持ちの鍋がなくなるまで、その数を増やした。そして、先程の5倍のスピードで作業を続け、休憩も挟む事、5時間、ようやく終わりが見えてきた。
途中何度も、蒸発した水分を辺りに散らしていたため、雲一つない夜空では星が美しく輝いている。辺りを照らす灯りは釜の中の火と、月光だけ。残り一つの氷塊を残す事になった今、手持ち無沙汰になった者が、その釜の周りで腰を落ち着け、キャンプファイヤーのように、猛々しく燃える火を見ていた。
「さて、これが最後の一つだ。みんな手伝ってくれてありがとう。酒の一杯でも奢らせてくれ」
そう言って、レイとハクがせーのと息を合わせて、氷塊を鍋に放り込むと同時に、食料担当の結衣と春樹が、レイに言われてこっそりと準備していた酒の入ったカップを持ち登場し、立食パーティの如く一人一人に配り始めた。
そして、全員にそれが行き渡ると、レイもまたシュワシュワと沸き立つ酒を手に、前に立って声を張り上げる。
「乾杯──!」
『乾杯──ッ!』
グラスを当て、今日という一日の疲れを癒し、労いながら、彼らは最後の仕事が終わるのを待った。
「レイお疲れ様。乾杯しよう?」
「おう、乾杯」
他がもう終わったような気分で騒ぐ中、未だ一人最後の作業を続けていたレイに、シャルステナが労いの言葉を掛けながら近寄ってきた。そして、軽くグラスを交わし、シャルステナは火をくべ、鍋の様子を見張るレイの横に立つ。ちなみに、二人が立っているのは空だったが……
「今日は、大忙しだったね。けど、これで海坊主の被害がなくなるのなら、頑張った甲斐はあるね」
「そうだな。また懸賞金もたんまり入ってくるだろうし、丁度金がなくなりかけてたところだから、俺も助かる」
「今日は前みたいに、飲み過ぎたらダメだよ?」
「わかってるわかってる。まだ最後の仕上げが残ってるのに、酔えないよ」
レイは眼下を除き、鍋の中の水滴がなくなった事を確認すると、瞳を閉じる。
「妖精化」
最後の仕上げ。それは、この氷塊の事ではない。
レイは薄く透明な羽根を伸ばし、人外の生物へと変化すると、それを見た。
「……やっぱり少し残ってる」
「えっ……? まだ、倒しきれてないの?」
「大丈夫、心配しなくていい。言っただろう? 仕上げが残ってるって」
レイは、妖精化の力──生物を感知する力を使い、この辺り一帯の生物反応を余す事なく感知した。それにより、海坊主が倒れていた場所に僅かに残った氷片や、霜から漂う生物反応を感知したのだ。
レイはストっと地面に降り立つと、緋炎を抜く。
「緋炎、トドメだ。全てを焼き切れ」
剣と意思を通わせ、レイは空に向かって手を伸ばす。月明りに反射して、青白い光を帯びた緋炎が、その竜の紋様を一度怪しく輝かせた。その時、それが呼び声になったかの如く、周囲の釜の中にあった炎が応え、独りでに空を泳ぎ、一点に収束する。レイの手の先にある剣へと。
まるでファイアダンスのショーに魅せられているかの如く、人々はその荒々しく猛々しい脈動の波動を奏でる一振りの剣に魅せられた。
魔剣を超えた魔剣。そこに意思すら感じさせる使い手の意思に逆らう剣。
その蒸気を逸した剣の本領を目にして、酔いなど炎舞に追いやられた夜の闇共に、どこか消えてしまった。
激しく渦巻き収束する火炎を喰らい尽くし、その刀身が赤熱する。そして、準備は整ったと言わんばかりに紅く染めあがった目が強い光を放ち、業火の竜が誕生した。
夜空が赤く燃え上がる。
花火のように真上へ打ち上がった爆炎が弾け、熱射を周囲に飛び散らせる中、爆炎は形を変え炎の竜となりて、地上を睥睨する。
レイは緋炎を振り下ろした。
火炎の竜は一度大きく月に向かってその翼を広げると、地面に向かって急降下し、その身をもって大地を灼熱に染め上げる。
肌を焦がす熱風と、視界を覆う灼熱の焔。耳が拾うのは、大地が燃やされ溶ける音。
1秒後、納刀する音が耳をついた時。
彼らの目の前には、真っ黒に焦げた大地が何処までも広がっていた。その光景に言葉はなく、治らない熱に汗だけが流れる。
──その時、天が瞬いた。
それは、白く、また神々しい光。まるで、太陽が落ちてきたかのような、強い光が空に生まれ、思わず目を庇う。
そして、白天の瞬きが収まった時、人々が見上げる空には、透明な一つの球があった。その中にあるのは、ほんのり薄青い水滴。
突如として出現したその球は、重力に従い落下する。
その落下に誰もが放心した目を奪われる中、それはストンと、火傷の跡が目立つ手に収まった。
「やっぱり、こういうカラクリだったか」
これで二つ目。何だか厄介ごとを運んできそうな球が二つ目だ。
レイは小さく呟くと、それを胸ポケットにしまった。
異夢世界を読んでいただきありがとうございます。
この度、異夢世界はとうとう200話目に到達しました!
思い返せば、100話目までは割と早かった気がするのですが、100話目からが長かった気がします。重たい話とか多かったからでしょうかね。
200話まで書いた感想としては、シリアスもたまにはいいですが、自分は軽いテンポの方が書きやすくて、合ってるような気がします。
──さて。
既にあらすじの方でお気付きかもしれませんが、この度、異夢世界は書籍化される事が決定しました!
いやいや、まさかですよね。たぶん私が一番驚いています。思わず、大丈夫ですか、って先方に確認してしまったほどです。
何せ書き始めた当初は、「近づく」を「近ずく」と書くのが正しいと思ってたほどですから。苦笑……
でも、多くの読者様に誤字を訂正していただいたお陰で、意識して「近づく」と書くようになり、使える言葉も徐々に増えてきて、今回書籍化です。本当に皆様のお陰だと思ってます。
正直、厳しい意見もあって心が折れそうになった時もありましたけど、そういう時に、面白いと言っていただけたり、励ましのコメントを貰ったり、徐々にポイント数が増えていくのを見て、力を貰いました。
今後も更新は続けていくので、書籍版ともども異夢世界をよろしくお願いいたします。
……と言いつつ申し訳ないのですが、2週間ほど忙しくて、更新出来ない可能性が非常に高いです。
7月の三連休には落ち着くと思うので、勝手ながら200話記念に少しお休みをください。
また発売日などの詳細は、後書きや活動報告などで改めて報告させていただきたいと思います。




