193.出航
クールキャス国の立て直しのため、国外より財源を確保する貿易仲介商会の設立が決定され、それに向けて船員の育成プロジェクトが動き出して、およそ1ヶ月。
ライクベルク王国に向かったギルクに渡しておいた通信魔具から、俺の手持ちの方に連絡が入った。それも緊急時にのみ使われる屁の着信音で。
ちなみに、音が屁に似通っているのは、一刻も早く音を消したい人の心理を利用した合理的措置らしいというのは、アークティアの通信魔具開発者情報。
俺は思惑通り動いてしまう自分の体に、学者って凄いって思いながら、可及的速やかに通信魔具を手に取った。
『出たな、ど阿呆ッ!』
屁の音を消──じゃなくて、通信を開始した瞬間、耳に飛び込んで来たのは、ギルクの怒声だった。
「藪から棒に何だ、ギルク? それも緊急信号まで使って。正直、お前に怒鳴られる心当たりが多すぎて、俺には何が何だかわかんないんだが……」
『お、お前は、いったい俺に何をしているんだっ……⁉︎ い、いや、今はそんな事より……』
何故怒鳴れているのか見当もつかない俺に、何やらギルクは驚愕していたが、すぐに持ち直す。その立ち直りの早さから、〜秘密裏にやってきた事ランキング〜トップ10に心当たりを絞れたのはさて置き、大層お怒りのギルクは魔道具から唾が飛んできそうな勢いで怒鳴り声を上げた。
『俺の死因が便秘とはどういう事だッ! どうせお前だろ⁉︎ いや、お前しかいない、こんな事をするのはッ!』
決めつけは良くない。証拠を揃えてから言いたまえ。
まぁ……あ〜、その事かとポンと思わず手を叩いて口にしてしまったぐらい心当たりはあるのだが。
『やはりお前だったかッ!』
「やはりも何も……病死ってお前が言うから、う◯こが出なくて大腸が破裂したっていう具体性を付け足しただけじゃないか』
『ちっがうだろうがぁぁああッ!』
ギルクの怒声が鼓膜を突き破らんばかりに響いた。思わず手を伸ばして、通信魔具を耳から遠ざけるが、ギルクはまだまだ勘弁ならないようで、怒鳴り続けた。
『俺の死因は流行り病にかかって、治療虚しく死んでしまうストーリーだったはずだ! 国民が俺の死を悼み、涙するそんなストーリーだったはずだ!』
「それはまたずいぶん実現不可能な夢を描いたな」
『やかましいわっ! 王子だぞ、一応俺はっ! 一瞬は国王になりかけたんだぞ⁉︎』
「一応なのか。悲しいな」
『殆どお前のせいだろうがッ! 何を他人事のように……っ! それでも、国民達は涙ながらに俺を受け入れてくれるに違いないと、期待に胸を膨らませた昨日の俺を返せ! いざ帰ってきたら、『あれ?便秘は良くなったんですか?』とか、『ちゃんと出しましょうね、王子』とか言われて、温かい目を向けられる事になるとは、思っても見なかったぞ! お涙頂戴はどこへ消えた!』
「既に死んだはずの幽霊王子にも寛容な国民でよかったじゃないか」
まったく……いつでも王都に戻れるようにとの好意で手を回してやった事の何が不満か。俺の優しさと国民の寛容さに感謝の一つでもして欲しい。
「それで、要件はそれだけか? それだけなら、俺は忙しいから切るぞ」
『あ、お前、ちょっと待て! このまま放置する気か、お前はッ! まだ話は終わってな……』
俺は忙しさを言い訳に一方的に通信を打ち切ると、即座に通信魔具を収納空間の中に放り込む。これで完全な通信遮断だ。
どうやらギルク達は無事に王都へ到着したようだし、忙しいのは本当のことなので、今はギルクのやっかみより目の前のことに集中しよう。決して面倒になったから通信を遮断したわけではない。
俺は腰を下ろしていた切り株から腰をあげると、目の前を流れる滝に視線を送る。
ザァァッと絶えず降り続ける雨のように、遥か上空から流れ落ちてきた水滴に身を任せる男女およそ100名。
魔法で作った台の上で、横一列に並び胡座をかく彼らは、クールキャス再生計画の中心を担う若き船員候補生達である。
船員候補生は、国内で立候補を募り集めた。衣食住の保証と訓練の時から手当を出すという条件で応募を募ったところ、想定の10倍以上の応募があった。さすがにそこまで面倒は見切れないという事もあって、第1期生として、将来性を見込んで若者を中心に1000人採用することになり、先週からおよそ3ヶ月にも及ぶ訓練が始まった。
訓練は、13週に分かれて行われる。100人1グループとして10分割し、週替わりで訓練を受けてもらう事になっている。
内容は色々考えて、まず一番大切な加護化の仕方と使い方は前者を俺が、後者を信者が増え有頂天な海神が教える。その他は、シャルステナによる実践演習、元勇者流ファンタジー世界での生き方講座、ルクセリアの国とはどうたらこうたらの難しいお話、シーテラによる魔法理論、ライクッドの魔法演習などなどである。これをひとまず順番に一度は受けてもらい、その後は自由に選択して、より深く、より高いレベルの内容を学び、身に付けてもらう事になっている。得意や興味を伸ばしてもらおうという思いだ。
それで、加護化のスキルを伝授するのが、今の俺の役割なわけだが……
第1週目が始まって間もない今日、加護化スキルの習得グループは今何をやっているかと言うと、滝行をやっている。
加護を扱うには、相当な集中力が必要だ。それこそスキルとなって現れるほど、三日三晩瞑想し続けるぐらいの高い集中力が必須となる。
そして、集中といえば、やはり瞑想。瞑想といえば、滝である。かつて俺が竜化を会得した時と全く同じ方法だ。
正直もう教えられることは何もない。あとは自分で集中力を高めてもらうだけである。そんなわけで、やる事のない俺は、ボーとしておくのも逆に疲れてしまうため、場所や効率の都合上、人数が集中してしまったシャルステナの実践講座から半分もらい受け、指導をしていた。
実践講座の内容としては、接近戦の立ち回りが主になる。魔法演習は逆に、魔法だけでなく遠距離攻撃全般を教えている。メインは魔法なのだが、魔力の限界というものがあるので、ライクッドが得意とする弓術なども空いた時間に教えてもらっている。
そのため実践講座では、近接武器が主になってくるわけだが、今後海で魔物と遭遇した時のことを考え、魔物と実際に戦う事が最終的な目標だ。
まぁ武器の扱いなんてものは、一朝一夕にはいかないので、魔物との戦闘経験を得てもらうのが一番大きな目標である。なので、今はとことん基礎を鍛える。
「なんだその振り方は! ただ盲目的に剣を振るのなら、ゴブリンでも出来るぞ! 相手の動きを良く見て、もっと踏み込みや、腰の入れ方を意識しろッ!」
『イ、イエッサーッッ!!!』
今彼らに貸した鍛錬は、俺が魔法で作ったドールと戦い勝つことである。母さんから教えてもらった魔法を応用し、簡単なアルゴリズムで動くようプログラムしたドールは、俺が操らなくても勝手に動いてくれるため、非常に使い勝手がいい。
「今日から最終的まではひたすら実践だ! 手を抜いたら、俺が直々に鍛えてやるから、覚悟しろッ! 全員、C級の魔物には勝てるようになってもらうからなっ!」
『イ、イヤッサーッ!!』
「そうだ、気合を入れていけッ! C級の魔物なんざ、気合いで負けなければ勝てっ……──うん? 今、お前ら何て言った?」
そうして、スパルタ式の実践講座が新たに加わり、時は流れておよそ3ヶ月後。
出航の日がやって来た。
〜〜〜〜
だいたい4ヶ月前に初めて訪れた寂れた港町。
そこは、ここ数ヶ月の間に様変わりし、港に停泊していた海賊船は、その乗組員諸共クールキャス国に属するまでになっていた。
というのも、誰か航海術に詳しい奴はいないかという話になった時に、港に海賊船が停泊していたのを思い出して、交渉(脅迫ともいう)したのがキッカケだ。それから色々あって、今では元盗賊が作った国という事もあってか、彼らは改心し、加護化も身に付けたクールキャスお抱えの航海士となっていた。
そんな余談はさて置き、港には10隻の船が配備されていた。これは、骨組みを俺が、その設備をシーテラがワザとレベルを落とした魔道具を使って作り上げた世界でも珍しい魔道船だ。と言っても、大した機能はなく、ちょっと扉が自動だったり、ちょっと衝撃や魔法を和らげたり、ちょっと魔道砲が付いてたりするだけで、普通の船だ。
俺たちは、船を売りにするのでない。その船に乗る乗組員を売りにするのだ。だから、俺からの船のプレゼントはこれで最後。これを糧に、この国には大きく成長して貰いたいものだ。
そんな風な思いを胸に、全体を見渡していた俺に。
「先輩──! 荷物の積み込み終わりました!」
「レイさん、こっちも終わりましたよ!」
後輩二人が揃って、報告にやって来た。
「そうか、悪いな二人とも」
「いえいえ、先輩の頼みですから!」
暫く見ない間に装備を一新したらしいリスリットは、真新しい皮の服に、ピカピカの剣を腰に下げている。一方、ライクッドはローブだけを変えたようで、黒より茶色いローブで全身を覆い隠していた。一見したところ、こちらは中古品なのか真新しさはそれほどない。
「リスリットは、普段怠けているだけなので、気にしなくて大丈夫ですよ、レイさん。僕は、レイさんのお願いなら、何でも喜んで聞きます」
「へぇ、お前怠けてたのか。人が、休みなく働いてた時に。へぇ〜……」
「そ、そそんな事ないですよ……? 私も働きましたよ? ……ちゃんと」
リスリットの動揺伺えるコメントに、俺は怠けていたのだと確信する。どおりで、剣が一度も使った事のない新品同然に輝いているわけだ。
「まったく……リスリットは誰かが見てないといっつもこれだから。だいたい君は──」
俺が怒るより先に、ライクッドの説教が始まり、長くなりそうだなと感じた俺は。
「悪い、二人とも。俺は少し用事があるから、先に乗っとけよ」
そう言って、助けを求める視線を自業自得と切り捨て、その場から離脱した。
二人と別れた後、俺は特に用事などなかったが、ライクッドとリスリットに様子を見てもらっていた船以外の様子を見に行くことにした。
取り敢えず一番近かったからという理由で、数ヶ月前に王都イグノアから戻ったギルクに任せた船に、立ち寄ってみる。
「よう、調子はどうだ?」
「もちろん悪くない。人生初の船旅を前に体調の管理に抜かりはない」
「おおっ、なんか変に気合入れてるてな、お前……」
海水パンツに、よく浮く木の実で作られたライフセイバー擬きを身に付けたギルク。ベクトルが違うような気は大いにするが、気合いだけは十分過ぎるほどに伝わってきた。
「ところで、そろそろここは終わりそうなんだが、先程春樹から水中眼鏡という海に出る必需品がある事を聞いてな。それを買い忘れてしまったのだが、お前余りは持っていないか? 持ってないなら、今から買いに行っても構わないか?」
いつから船の上で水中眼鏡は必需品になったのだろう?
本格的にこいつは海水浴と勘違いしていないか?
そもそもの話、水中眼鏡なんて物がこの世界にあったのか? 初耳なんだが……
「それ、使う事ないから」
「な、何だと⁉︎ それがあれば荒波の中でもポロリを見落とさないと、春樹は言っていたぞ!」
春樹のやつ、ギルクで遊んでやがる。
「とにかく、水中眼鏡なんか必要ないから、それが終わったら、お前も船に乗っといてくれ」
「くっ……俺のポロリが!」
「聞けよ」
俺は全力で悔しがるギルクに、蹴りでツッコミを入れて、もう一度同じ事を繰り返し言ってから、隣の船へ。
そこは、ギルクに入らぬ知恵を与えた春樹が、担当していて。
「わっはははっ、出航だ! まだ見ぬ大海原へ、いざ行かん!」
そんなセリフが聞こえ、声のした方向を向くと、そこにはサーベルを片手に、ドクロマークの帽子を被ったさながら映画にでも出てきそうな海賊衣装を身に付けた春樹がいた。
……俺の仲間はこんなのばっかりか。
「お前ら、揃いも揃ってハッスルし過ぎだろ」
「おっ? 嶺自か。いやぁ、やっぱり海って言ったら、海賊だろ? 見ろよ、この帽子。見つけるのに、苦労したんだぜ? 特にこの羽根が気に入っててな」
と、自分で用意した衣装を誇らしげに自慢する春樹。俺は心底どうでもよかったので、適当に流しつつ、頃合いを見て話を変えた。
「ところで、積荷の方は終わったのか?」
「おう、ばっちりだ。でなきゃ、遊ばねぇって」
「どうだか……なら、先に船に乗っててくれ。俺は他も見てくる」
そうして、船を下り、次の船へ移ろうと港を歩いていた時──
「あんたドサクサに紛れて何してんのよっ!」
「うわぁぁぁ!」
怒声と悲鳴、それからゴルドが降ってきた。
どいつもこいつも、普通に準備は出来ないのか。
俺は、深くため息を吐きながら、落ちてきたゴルドを魔力の網で受け止める。
「ありがとう、レイ〜。助かったよ〜」
「お前も懲りない奴だな。というか、ゴルド。お前に任せた船は?」
「えっ、知らないよ〜。そろそろ終わってるんじゃないかな〜」
あっけらかんと、放ったらかしにしたと白状するゴルドに、俺は怒る気も失せて、嘆息する。
と、そこへ顔を赤くしたアンナが船から飛び降りてきて。
「あんた何しに来たのよ? 全体を見てるんじゃなかったの?」
「いや、暇潰しに様子を見に来たんだが……普通に仕事してくれてるお前を見ると、涙が出そうだ」
俺も歳かな? 涙腺が緩い。
「……何か無性にあんたを殴りたい気分になってきたわ」
あのブラコンがよくぞここまで成長したと、ウルっと来てしまった俺に、手を震わせるアンナ。短気なのは変わらないらしい。
しかし、この昔から中身がまるで成長しないゴルドはどうしたものか。諦めるしかないのだろうか。
「俺はちょっとゴルドに任せた船の様子を見てくるから、二人はここが終わったら、先に船に戻っといてくれ」
俺はため息を吐きながらも、ゴルドに任せた俺が悪かったのだと、ゴルド担当の船に顔を出す。すると、そこには、赤い髪を海風に靡かせるシャルステナの姿があって。
「あれ、シャル?」
「あっ、レイ! もうみんな終わっちゃった?」
俺が後ろから声を掛けると、顔を綻ばせて振り返ったシャルステナ。何やら細かく指示を出していた彼女の邪魔をするのは気が引けたが、少しだけ話をする事にした。
「もう少しだと思うよ。不安なところは、だいたい回ったから。ところで、シャルのところはもう終わったのか?」
「うん。けど、ゴルドがだいぶ前にアンナの所へ向かっていくのが見えたから、気になって来てみたら案の定、何も終わってなくて、私が代わりに積荷の指示を出したりしてたの」
そうだったのか。それは悪いことをした。そもそも俺が、ゴルドを担当にしてしまったのが悪いわけで、彼女にはその割を食わせてしまったようだ。
「面倒を掛けてごめんな、シャル」
「ふふっ、いいよこれくらい。それより楽しみだね、久しぶりにみんな揃っての旅」
「っと言っても、他に沢山いるけどな」
「賑やかでいいよ。楽しめる内に楽しんでおかないと」
そう言って、少し船の淵に足を進めたシャルステナは、海の向こうを見渡して、言った。
「きっと、これから楽しいことだけじゃなくて、辛いことも沢山あると思う。この世に絶対なんてないから、この先私達の誰かが死ぬことだって……きっとある。その時に、悲しい思い出は強く残るから、それより沢山楽しい思い出を作っておくことは、とっても大事なことなんだよ」
一度も顔を見せず、海を見つめたまま達観した様子のシャルステナに、俺は歩み寄りその隣に立って、口を開く。
「そんな未来は、クソだ。俺は、この先誰も死なせない。もう……誰も死なせないと、誓ったんだ。だから、あれから強くなった。けど、それでも足らないって言うのなら、もっと強くなる。それで、旅して、冒険して、馬鹿やって、楽しい思い出だけを作る。それじゃあ、ダメなのか?」
「……ううん、きっとそれが最高なんだろうね。私もそうなると、いいと思う」
一度も目を合わさず、何かを覚悟するかのように遠くを見つめ続ける彼女の横顔に、俺は自分の弱さを自覚する。
シャルステナは死から目を晒そうとしていない。
対して、俺は嫌だ嫌だと子供のように拒否してる。
でも、わかったとして、この中の誰かを失うなんて考えたくもない。彼女と同じ覚悟を決めることなど、俺には出来そうもない。
俺に出来るのは、そう。
シャルステナとは真逆の覚悟。
誰も死なせない。それ以外は、バットエンドだ。
もう……あんな思いをするのは、二度と御免だ。
俺は、爪が減り込むほど、手を強く握り締めた。
〜〜〜〜
暫くして積荷が積み終わったのを確認した俺たちは、二人揃って自分達の船に戻った。
これはあくまで実践演習。殆どが初めて海に出る事になる彼らが果たしてこれから無事にやっていけるのかを見るテストでもあるので、俺たちのパーティーは別の船で行く。
そのため、今まではアークティアの町で待っていたライクッド達をはじめ、全員がこの船に乗っている。上手くいけばこのまま迷宮都市のある大陸まで行ってしまおうという魂胆だ。
積荷は、この辺りでのみ採取出来る薬草や鉱石などを乗せてあるが、今回はお試しなので、軽くしか乗せていない。上手くいけば、採取や鉱山を掘り当てたりで雇用を増やす計画ではあるが、他国の商会に良いアピールとなるように演習を成功させる事が一番の目標だ。
ちなみに、俺たちの乗る船は、ガチの魔道船。それはもう過去の遺物に匹敵するぐらいとんでもない代物だ。自動操縦、船内水平機構、第8式魔道殲滅砲改などなど、全力で隠蔽しなければならない機構の数々が備わっている。
べ、別に作り始めたら熱中し過ぎて、あれやこれやと機能を付けまくった末に、これは人にあげられる代物でなくなったから、仕方なく俺たちが使う事になったわけでは……ない。自分の船を持つ憧れは、男の子として当然のことだと、納得して頂きたい所存だ。
さて、少し話が逸れたが、俺たちの目的地は迷宮のある大陸だが、この実践演習の目的地は違う。進路は同じだが、間にある島国が演習の目的地となる。
さらに言えば、島国ということでどの国ともあまり交易が盛んではなく、比較的クールキャスとは近いという立地の関係もあって、お得意様となる可能性は高い。その辺の手応えは、向こうでの交渉次第となるだろうが、それでようやくこの国は一歩前に進めるのではないだろうか、と踏んでいる。
まぁ一応、傘下に加わったことで、ライクベルク王国から少し仕事を回して貰える事になっているので、すぐに交渉を成功させなくても大丈夫だ。最低限、クールキャスの抱える問題は、解決に向かい歩み始めるだろう。
さて、そんな若干の希望を胸に、俺はしっかりとした屋根と壁が作られた操舵室に入る。操舵室の前面は、透明なガラス張りで、シーテラ作である。見るものが見れば、それだけでも驚愕に値する技術ではあるが、オートマティックな内部の機構を見れば、気絶ものである。
俺はその一つ、拡声魔具を使い全体に合図を飛ばした。
『出航だ!』
〜〜〜〜
出航して、数時間。海神の加護を使う術を身に付けた船員達は手分けして海面に流れを作り出し、順調な航海を続けていた。
俺は、そんな彼らの奮闘を遠目に眺めながら、目に涙を浮かべて欠伸した。
「ふぁぁ〜、普通より遥かに速いし、そのお陰でこれまで魔物との遭遇も今のところないが……これはこれで暇だなぁ」
「ピィ〜〜」
俺の頭をベットに、ハクが返事を返してくれるが、ほぼほぼ生返事。穏やかな海風に打たれて、半分以上夢の中にあるような間延びした声だ。
俺もまたハクと同じく、これまで休みなく働いたせいか眠気に襲われていたが、言い出しっぺの責任を果たそうと、他の船舶に一歩遅れて追随する船の甲板から彼らの様子を覗いていた。
しかし、こうして特に問題も起こらないまま、数時間。いい加減眺めておくのも辛くなる。
俺は、大きく欠伸をして、首を返した。
「結衣、そっちいったぞ」
「任せて! これなら、どう⁉︎」
「甘いよ、結衣さん! ライクッド、決めて!」
「はい! せやぁぁ!」
そこには、ビーチバレーならぬ、甲板バレーを楽しむ春樹達の姿があり、その順番待ちをしながら応援するアンナ達の姿がある。
俺は、うつらうつらしながら、しばしそのバレーの試合を見た。
ライクッドの打ったスマッシュ。それは、何故か雷を纏っていて、それをアンダーハンドパスで真上に上げた春樹は、痺れからその動きを止めた。続いて、真上に上がったボールを、上空100メートル程からほぼ直角の鋭利な射線で落とす結衣。
そこへすかさずスマッシュを打ち終え着地したライクッドが割り込み、真下より拳を突き上げた。そして、打ち上げられたボールへ、コートの端から直線的に突進したシャルステナは、大きく唸らせた腕を叩きつける。
「やぁぁぁあ!」
波の揺れではない、激しい揺れが船を襲う。それは、コート内に叩き付けられたボールによるものだった。ボールが落ちた地点は丸く凹み、鉄のボールはその中に埋め込まれていた。
柔らかいボールでやるのがソフトバレーなら、鉄のボールでやるのは、アイアンバレーだな。
そんな風にくだらない事を考えながらも、俺の眠気は加速する。暖かな海風に吹かれて、やがて限界を迎えた俺は、自然と自分の腕を枕に目を閉じた。
それから、どれくらい経ったのだろうか。
俺は、賑やかさと違う騒然とした声で、目が覚めた。
「──さ──た、大──です……起きて下さいっ!」
「……んっ……ふぁぁあ〜……いったいなんだってんだよ……騒々しい。どうかしたのか?」
体を揺り動かされ目を開けたところ、冷や汗を流すライクッドの顔が飛び込んできた。そして、熟睡を邪魔されご機嫌斜めな俺は、欠伸をして背伸びしながら、聞いた。
「ど、どうかしたどろこではないわ、この阿呆! とっとと、起きて前を見ろっ!」
俺は、雲が掛かったかのように判然としない頭で、ギルクにドヤされた事もあり、船の進行方向に目をやった。
そこには、海面を埋め尽くさんばかりの、黒光りする背びれがあって、あまつさえ海面を飛び上がり、船に乗り移らんとする個体の姿もあった。
「なんだ、魔物か。そんな事で起こすなよ、せっかく久ぶりに熟睡してたのに……」
俺は文句を言いながらも、欠伸を抑えて立ちがある。そして、グッと腰を押さえ背を伸ばすと、状況把握のため、船内の様子も見た。
まず、この船の状況だが、主にルクセリア、アンナ、ゴルド、リスリットが前に出て、春樹と結衣が中衛で彼らの逃した個体を撃破。そして、シャルステナが魔法で海面ごと殲滅する戦法を取っているようだ。そこに、俺を起こしに来ていたライクッドが後衛として加わり、キャロットさん達は、水銃の魔具を携えたシーテラと共に、操縦室に逃げ込んでいる。
残りのハクは、騒がしそうに耳を折り寝こけており、ギルクはただ騒然と慌てている。
一見したところ、こちらには特に問題はなさそうだ。四方八方から、やたら滅法数の多い魔物達が襲ってくるため、前衛は少し忙しそうだが、一体一体はそれ程強くない。強い奴でもB級クラスだろう。
しかし、問題はシャルステナの派手な魔法で魔物の注意を引き、庇っている他の船団だ。船員の殆どは、ここ3ヶ月程の戦闘訓練しか積んでいない、ほぼシロート同然。各船に、海の魔物と何度もやり合ってきた海賊をおよそ10人ずつ配置しているため、まったく戦えないわけではないが、全体的に初めての大群に浮き足立っているように見える。
しかし、100人もいれば、勇気を出し立ち向かう者がいるのはもはや当然で、直接相手を攻撃するのは躊躇っても、元海賊達の援護──海水を操り防壁としたり、わざと船の真上に魔物を流し落としたりと、臨機応援な対応が見て取れる。まったくもって悪くない。
何やら、『こんなの鬼教官に比べれば、可愛いもんだ! そうだろ、みんな!』の呼び掛けに、船員の全員が『確かにッ!』と奮い立つ者が多いようだが、鬼教官とは誰の事だろう? たぶんドSなライクッドだな。
まぁそれはそれとして、鬼教官と比較しても動けないほど尻込みしている者も少なからずいるようだ。
しかし、その怯えからその場から離脱しようと、海面に速い流れを生み出し、徐々に遠ざかっている。適材適所、という奴か。船を止めて四方八方から襲い来る魔物との消耗戦にならずに済んでいるのは、彼らのお陰だろう。ちゃんと教えが活かされてるようで安心した。
しかし、このままでは俺たちだけが取り残される形となってしまう。
「シーテラ! 船の速度を上げろ。ギルクは念のため、シーテラ達を守ってやってくれ。一匹や二匹だったら、問題ないだろ?」
「りょ、了解だ!」
ギルクは慌てて操縦室の扉の前に行くと、ビクビクしながら、撃ち漏らしが来ないか、警戒に当たる。
さすがは、常日頃から魔物が出てきたら誰かの背後に陣取るだけはある。大群に囲まれただけで、劣勢でもないというのに、冷静さを失っているようだ。場数が足りないのかな?
船の速度が上がり、慣性に従いたたらを踏む。しかし、先程声を張り上げ指示を飛ばしたお陰か、誰も致命的なミスを生むこともなく、船に上がろうとする魔物を撃退する。
俺は、空間を広範囲に広げ、海の中を見た。
「ざっとBとC級が、200体ってところか」
さすがは海。これ程の大群であれば、地上ではまず間違いなくそうなる前に間引きされ、そうそうこんな大群に出会う事はないだろう。
「おっと、A級が下に隠れてやがったか」
位置にして、船の進行方向に100メートル程いった場所。さすがにA級クラスの攻撃を真下から船体に被るのは、リスクが大きい。
俺は一瞬、シーテラに迂回して貰う事を考えたが、速度的に考えて間に合わない可能性が高い。そのため、すぐにその考えを切り捨て、お馴染みの強制拉致スキルを使用する。
「異空間生成」
A級相手には、勿体無い代物だ。それ自体に直接的は攻撃力はないが、魔力消費は他の仙魂スキルと比べても、かなり高い。が、最近魔素を貯めるコツを覚えてきた俺は、毎日4万程貯金しているようなものなので、それを切り崩せば余裕で対価を支払える。
世界が暗転する。床は消え、浮遊感が芽生える。
俺はそんな暗闇の中でも、暗視系スキルによって、問題なく相手を捉えるが、いきなり海から真っ暗闇に放り出されたゴリマッチョなサメの魔物はそうはいかない。
俺は固定空間を蹴り、すれ違い様に魔装した腕を振り抜いた。
「いっちょ上がりと」
縦に引き裂かれた魔物は小さく断末魔を漏らす。シュオォというその声に、俺はバッと腕を振るい魔装の表面に付いた血を落とす。その背後で、魔物の体は黒い煙となって霧散し、後には魔石とサメの強靭な歯を含む骨が残った。
「たぶん、この辺かな」
俺は固定空間で何もないその場所を移動して、異空間を解除する。すると世界にヒビが走り、空間が壊れる。そして、元の世界の景色に戻り、余韻が黒片となって散る。
「ビンゴ」
俺は得意げな顔をして指を弾くと、重力に任せてそのまま落下した。
異空間生成のスキルは、現実の空間と相関関係にある。同次元に別空間を作っていると、言えばわかりやすいか。
つまり、別空間ではあるのだが、3次元的にそれは同一の次元にあり、異空間と現実空間の相対位置は常に同じだ。
だから、何も考えずに異空間を解除すると、今回の場合だと海の中や、船の中に戻ってきたりする。未だ、物体がある場所に戻ってきた事はないが、考えるだけでも恐ろしい。
そのため、使う前に周囲を正しく認識しておく事が必須となってくる。
俺は、真下の船に落下する傍、微調整に風魔法を使いながら、両手で指銃を作る。そして、その指先を海面に向けて、魔力を込めた。
「魔銃」
ドドドドッと、指先程の小さな魔弾を物質化。そして、魔力噴射のスキルで超加速し、さながら銃の如く連射した俺は、360度船の周囲に弾丸を打ち込み、手を広げサッとシャルステナの前に降り立った。
「フッ」
決まった。
そう、どこか憂いを帯びたキメ顏で、シャルステナに良いところを見せれたと、ご満悦な俺に春樹が言った。
「お前、偶にギルクみたいにカッコつけるよな」
その後、俺が魔物そっちのけで必死に言い訳したのは言うまでもない。
着地すらまともに出来ないギルクと同じはやめてくれ! と。




