184.神級の怪物
山脈の谷に位置する一つの小さな村。四方には人の手が加えられていない美しい自然が広がり、何年経とうとその山中は、変わらぬ情景が保たれ続けている。
濁りのない透き通った清流。木の根に侵された岩の陰で眠る動物達。
自然と共に生きる者達が不必要に自然を傷付けたり、汚したりして来なかった事が一目でわかる光景がそこには広がっていた。
それを嬉しいと感じるのは、果たして俺の心なのか。それとも、あいつが俺に残していったものなのか。
俺は無性に歯噛みしたくなる気持ちを抑え、合掌する。
「…………」
それは冥福の祈りなどではなく、どちらかと言えば謝罪だった。
文字通り魂を明け渡してくれたというのに、それを台無しにするような俺の中に植え付けられた途轍もなく大きな後悔。
もう一人の俺は、それをどう思うだろうか。きっと開口一番、何をしているんだと罵る事だろう。もう聞こえるはずもない声で、俺を責め立てるはずだ。
もしあの時消えていたのが俺だったら。
残っていたのが、表層意識の塊などではなく、本物だったら。
結果は違ったはずだから。
でも、残されのは俺なのだ。消えたのはあいつなのだ。
「……重い」
俺は、どれだけ多くを貰って生きてきたというのだろう。貰ったものが多過ぎて、とても俺の両手には収まりきらない。
でも、本物なら出来た事を、託された俺が出来ないでいいわけがない。俺には、あいつの想いに応える義務があるのだ。
「必ず、勝つよ」
今度こそ、失望はさせない。背負うために戦うのではないのだ。託された生に見合うだけの意味を取り戻す。これは、そのための戦いでもあるのだ。
「……また来る」
地平線の彼方より登った太陽が、夜空を打ち消し、白く染めていく。
風化した二人の墓の前で立ち上がった俺は、一度その朝焼けの空を見上げ、俺は踵を返した。
村の中を静かに走り抜け、小走りで山中を駆ける。時折、太陽の方向を気にしながら、俺はアークティアの街を目指した。
〜〜〜〜
およそ3ヶ月の研究を要して、完成した転移魔具。勇者召喚と送還の術式をコンパクト化し、代わりに防御シールドと、通信魔具の相関性を組み込まれたそれは、残念ながらドア型ではないのだが、二つで一つのどこでも転移を可能とするものだ。
転移魔具は現在地に一つ、移動先にも一つと、それぞれが入り口と出口のような関係で魔力的に繋がっており、それらの共鳴により、任意の地点への移動が可能となる。
魔力は魔石から供給され、魔力回路という魔力の導線が術式の役割を果たしている。さらには、その同心円状に組み込まれた防御シールドも、魔石で動くようになっている。
術式自体の大きさは、直径3メートルほどの円状で、その上にあるものを、転移させるという仕様だ。絨毯のような代物で、取り敢えずどこか開けた場所に置けば使える。
現在は試運転として、アークティア周辺にのみ設置されているが、今のところ大きな問題が起きる様子もない。そこで、俺は学長達のコネで優先的に転移魔具をタダも同然のような値段で大量に手に入れた。今後の旅に活かそうと考えている。
ひとまず、なにかと今後もお世話になりそうなアークティアには一つ転移装置を置いてきた。これで、いつでもアークティアの街に戻ってこれるというわけだ。
ちなみに、俺が収納空間に隠し持っている転移魔具はおよそ50セットほど。これから立ち寄る街々に設置してやろうという腹積もりである。
旅も悪くはないが、手軽に行き来出来るというのはそれはそれで有難いからな。
そうして、アークティアの街でやる事が終わった俺たちは、次の目的地──かつて奴隷解放の為、ルクセリアが反乱を起こした地、商業国クールキャスへ向けて出発した。
商業国クールキャスはアフロト大陸の南部に位置し、そこから出る船の中には、迷宮都市のあるクリフォト大陸の手前にある諸島行きがあるとは、セシル情報。
しかし、それだけでなく、ようやく心を決めたらしいルクセリアの決断を、そこで待つむさ苦しい男共に伝えに行かなければならないのだ。
帝国か王国。結局どちらにしたのか、それは後のお楽しみとして、ひとまず復興したという大陸橋を渡って、ユーロリア大陸へと渡る予定だ。
ユーロリア大陸へと渡ってからは、行商人が使うような沿岸部の遠回りな道を避け、時間短縮のため中央の高地を通って、南部へと抜ける。そこからなら、アフロト大陸はもう目と鼻の先。短期間の船旅を挟み、砂漠を越え、クールキャスへと向かうのが、俺が考えた旅の行程である。
船を使って、クールキャスに向かった方が早いのではないかと思うかもしれないが、今回の旅には、無理をさせられないルアやキャロットさんがいるため、動きを制限られる海の上を出来るだけ避けた。その分、時間がかかることが予測されるので、陸路では遠回りはせず最短経路で、目的地を繋いだ結果、このような旅路になったのである。
「……んっ、気持ちいい風が吹いてるね」
踏みならされた道の上をゾロゾロと歩く俺たちの間を、陽気な、それでいて暖かな風が通り抜けた。
少し丘だったその場所は比較的開けていて、視界も良好。風を遮るものは何もない。
「潮の匂いがするって事は……そろそろかな」
鼻腔をくすぐる潮の香りは、海が近い証拠。そろそろ目的地に着く頃かと丘の頂上に立てば、そこに広がっていたのは見渡す限りのオーシャンビュー。
白波の立つ青々とした海は水平線の彼方まで広がり、その上で水平線と垂直に交わる灰色の線は、細く長く広大な海を真っ二つに割っている。丘の向こうから吹いた潮の香りがする風も合わさって、実に爽快な情景がそこには広がっていた。
「これが本当の大陸橋の姿か」
足元から続くなだらかな斜面を辿れば、半円状の外壁が特徴の街が一望出来る。その街から伸びる一本の巨大な橋。海を跨ぎ、大陸と大陸を繋げる世界でここにしかない橋は、頑丈な石造の巨大建造物である。
しばし、その人類の財産とでも言うへぎその橋に魅了されていた俺は、ふと肩に乗るハクを手に乗せる。
「お前が頑張ったお陰で、一年と少しでここまで元どおりになったんだ。こうやって見ると、頑張った甲斐があると思わないか?」
「ピィ!」
お菓子も貰えるしねと、子供のような事を言うハクだったが、気のせいかいつもより声の機嫌がいい。
「圧巻だな。有名な観光名所ではあるものの、俺自身がそれを目にする機会は訪れないと思っていたが、こうも事が上手く進むとは……いや、旅に出て良かった」
隣で感慨に耽り出す元ナンチャラは、しみじみとその景色を堪能していた。
ただ、それに『ああ、そうだな』と頷いてあげられないのが、影の功労者である俺だ。
「何言ってんだ……お前。もうとっくにお前の存在、皇帝にバレてるからな? 俺が手を回してなかったら、今頃打ち首になってたところだろうよ」
「な、何だと⁉︎ どどどうしてもっと早く言わないんだ! こここの危険地帯から速やかには、離れるぞ⁉︎」
「いや、だから──」
一転して、全身の血が引いたように怯え始めたギルクは、人の話も聞かずに、1人大陸橋に向かって走り出した。
俺は引き止めようと手を伸ばしたが時既に遅く、逃げ足の速いギルクは、斜面を猛スピードで下って行った。
「……ったく、一人で行きやがって。話は通してあるに決まってるだろ」
だいたい歌舞伎みたいな特徴的な格好で好き放題しておいて、バレないわけがないだろうに。武闘大会の決勝で、あんな大立ち回りを敢行したというのに、変装のレベルが低すぎる。俺は初め本職の仕事をこなしているのかと勘違いしてたぞ。
「仕方ない……景色を堪能するのはこの辺にして、あの面白ビビリがおかしな行動に出る前に、俺たちも行くぞ」
「だね。けど、もうちょっとあの格好どうにかならないかな? 私、ちょっと恥ずかしい」
「そうなのか? 俺はだいぶ恥ずかしい」
ちょっとした度合いの違いはあるものの、一様に羞恥心を抱えている俺たちは、ゆっくりとギルクの後を追った。
ギルクと違い急ぐ理由などないからだ。というか、街中では少し離れて歩きたいという心理が働いた結果、むしろ遅過ぎるぐらいの速度で、俺達は斜面を下った。
対して、いち早く帝国から出て行きたいギルクは、街の直前まで行ってから、のんびりと歩く俺たちに気が付き、震えた声で叫んだ。
「おおお前ら、何をやってるんだッ! 早くここから逃げるぞ!」
あいつはこの先に広がる国の多くが、半帝国領である事を分かっているのだろうか?
いや、あのビビり具合からして気が付いていないのだろうが、アフロト大陸に渡るまであの調子で行くつものりなのか。ご苦労な事である。
「はいはい、わかったわかった。先行ってろ」
「ば、ばば馬鹿野郎っ! 1人で行って帝国兵が襲ってきたらどうしたらいいんだ⁉︎ 打ち首にされるのがオチだろ!」
そんなオチはねぇよ。
大体18番目の王子なんか、帝国も興味などない。殆ど人質の価値もないだろうし……
事実、皇帝の方から『厄介ごとが起きる前に、アレを連れ出せ』とわざわざ俺を呼び出して、言ってきたぐらいだ。
そんこんなで、橋の片側に出来た街へ入った俺たちだが、以前ここで海に落ちた人々を救出事がある俺とハクは、ここではちょっとしたヒーロー。気配のない、悪く言えば影の薄いセシルはまったくのフリーだったが、俺とハクを中心にちょっとした人集りが出来始める。
彼らは皆俺たちにお礼を言いたかっただけなのだが、パニックを起こしていたギルクは、ひぃぃ! と情けない声をあげて、ビビりまくっていた。余程帝国が怖いらしい。
そんなギルクを見て、これ以上追い込んだら何をするかわからないと、俺はお礼を言ってくる彼らに急ぎの旅だからと言って、道を開けてもらう。
そして、街の中を素通りして、大陸橋へと足を踏み入れた。
「うわぁぁ! 海の上を歩いて渡れるなんて、ちょっと感動です!」
嬉しそうに、軽い足取りで駆け出したリスリットは、橋の柵に登り、海を見下ろした。それだけならまだ良かったのだが、そのまま細い柵の上をオトトっとバランスゲームでもするように歩いて行こうとするので、俺は釘を刺した。
「リスリット、ここにだって稀に魔物が出るんだぞ。突然襲われて海に落ちても、俺は知らないからな」
「ええっ⁉︎」
何を驚くことがある。海からたかだか数十メートルしか離れていない海上で、それも人通りが多いこの場所で、魔物が襲って来ないはずがないだろうに。
「海なんて魔物の宝庫だぞ? 言っとくが、この橋から落ちようものなら、もれなく集られて、食いちぎられる」
それこそピラニアのように集ってくることだろう。
「それに、地上より海の方が、広大で人の手が及ばない事もあって、危険な魔物が多いからね。あんまり調子に乗ってると、喰われるよ?」
「あわわわ! わ、私、この橋渡りなくないです……」
やれやれ……
「それじゃあ、ここでリスリットととはお別れだな。元気でな」
「わぁぁ──ッ! 行きますから! 私も行きますから! だから、置いて行こうとしないでぇっ!」
じゃあなと手を振り歩き出した俺に、リスリットは涙目になって飛び付き、しがみついてきた。俺は相手するのも面倒でそのまま行こうとしたが、腰にしがみついたリスリットは必死になって陸地の方に向かって、俺を引っ張っろうとする。どれくらい必死かと言うと、顔が真っ赤になるほど力んでだ。
これ以上ないほどに鬱陶しい。逆だろうが。行き先は。
「ライクッド、この駄犬をどうにかしてくれ」
「うわぁぁん! みんなどうして私の事駄犬って言うんですかぁ!」
それは一人、逆走しようとしている時点で明らかだろ。来るというのなら、その手を離して大人しく付いて来い。
「羨ましいな、この野郎っ!俺のリスリットちゃんに抱きつかれておい──グベボッ!」
「……ほら、面倒臭い奴が絡んで来たからもう離れろ。置いてかないし、歩き難い」
魔噴噴射の直撃を受けて空を舞った春樹はさて置き、俺のズボンに涙と鼻水をつけまくるこいつをどうしようか?
もう蹴り飛ばしていいだろうか? ちゃんと前には蹴るから。
そんな風に俺が面倒になってきた来たのを察したのか、リスリットは尻尾をピンと立てて、サッと離れた。気のせいか、尻尾がワナワナと震えている。
「……身の危険を感じました」
「お前、こんな往来で……」
「違うからな⁉︎ お前と一緒にすんな!」
あらぬ誤解を掛けようとするギルクの首をすかさず握り締めて黙らせたが、時既に遅し。すれ違う通行人達がこちらをチラ見して、ヒソヒソ話をしながら横を通り抜けた。
俺はそれを見て、こめかみを抑えて、堪えるように言った。
「お前なぁ……また余計な面倒に発展したらどうしてくれるんだ。ただでさえ、お前や春樹の後始末で無駄な手間をかけさせられてるってのに」
こいつらにかけられた迷惑を数えればキリがない。
婚活と称したナンパで不審者扱いされ、危うく正体が露見しそうなところを、恥を忍んで『俺の…………仲間です』と助けてやったり。
獣人の女性に猛アタックしたところ、まさかのオーケーをもらったのだが、情事に及ぼうとしたところ、実は男だったことが判明し、真夜中に上半身裸で助けを求めてきた春樹しかり。
俺は日夜、パーティリーダーとして、仲間の起こした不始末に対処させられているのだ。
「そうですよ、みなさん。もう少し大人の落ち着きというものを持ってですね……」
「お前もだよ! 他人事みたいに言いやがって……っ! むしろお前が一番被害出してるわ!」
素知らぬ顔で言ったライクッドだが、こいつも同類である。
ライクッドの場合、自分からというわけではないのだが、冒険者にちょっと絡まられるとホイホイ喧嘩を買ってしまう悪い癖があるのだ。。それも大概の場合やり過ぎて、後でパーティリーダーである俺に苦情が回ってくる。
本当に勘弁して欲しい。この歳で、グレた息子が出来た気分だ。
「……このパーティで俺が安心出来るのは、ルクセリア、お前だけだよ」
「苦労をかけるな、旦那。……しかし、丘から見下ろした時は、白波が立っていたように思うのだが、実に静かだ。波の音一つ聞こえないだけで、ここまで海を渡っている実感が薄れてしまうのだな。私はまるで巨大な──」
「もう黙れ、お前ッ! 今何を言う気だった⁉︎ 俺もこの波一つ異常さにはら気付いてたが、敢えて口にしなかったのに! 覚えとけ! こういうのは、嵐の前の静けさって言うんだよ!」
前言撤回だ。スッカリ忘れていたが、こいつはフラグを立てるのが好きな問題児だった。何のために、リスリットに釘を刺したと思っているんだ。
「うわぁぁぁ⁉︎ な、ななな何ですか、アレは⁉︎」
俺がルクセリアに怒声を浴びせ終わるか終わらないかという頃合いで、リスリットが俺の後ろの方を見上げて悲鳴をあげた。
「もう嫌だ……このパーティ……」
未だ何も仕出かしていないのが変態のアンナだけという奇跡のような事態に、俺は深くため息を吐いて、見たくはなかったが、覚悟を決めて振り返る。
「………………」
そこには、俺がいた。いや、あったというべきか。振り返ってまず目に飛び込んで来たのは、自分の鏡像。
だが、無論こんな場所に鏡が置いているはずもなく、俺を映していたのは、半透明な水面──否、巨大な瞳だった。
「──走れぇぇッ!」
考えるよりも先に、俺は叫びをあげていた。それは本能的に敵の正体を悟ったからなのか、常なら考えるよりも先に剣で切り掛かっていただろう場面で、俺は切迫した声で、サイレンを轟かせた。
しかしながら、俺も含めてその警報に即座に行動を起こす事が出来たものはいなかった。誰も彼もが叫び声を上げた俺を見て、それから息を飲んで、硬直する。
それはまるで、蛇に睨まれたカエルのように、危険を認めてから行動を起こすまでに生じるタイムラグは、突然な時ほど長く、そして予想だにしていないほどに長くなる。
「っ……、陸へ急げぇぇッ!」
誰も動きを見せないことに、焦燥を覚えた俺は腹から声を絞り出す。それが、正気を取り戻すキッカケになったのか、背後で次々と悲鳴とともに腰を抜かす音が聞こえた。
「う……海坊主だぁぁッ! 早く逃げろぉぉッ!」
一度堰を切った悲鳴は止まることを知らず、一気に恐慌は加速する。荷物などかなぐり捨て、我先にと陸を目指して走り出す商人や、旅の者達。そこに、冒険者や騎士という括りはない。誰もが等しく、戦いを放棄し、逃げ出した。
それを追うように俺を捉えて離さなかった大きな瞳がギョロリと動き、ようやく蛙から解放された俺はその瞳の下で腰を抜かしていたリスリットとギルクに手を伸ばした。
「何してる、早く逃げるぞ!」
二人の首裏の生地を掴んだ俺は、海坊主の興味が逸れている間に、二人をその下から引っ張り出して、一目散に逃げ出した。
「イタタタタッ! ちょ……お前もう少し優しく……ッ!」
「い、痛い! 痛いです、先輩! 尻尾が千切れますッ!」
「うるせぇッ! ケツ引き摺るぐらい我慢しろッ! どうせ腰抜かして立てないとか言うんだろうが、お前ら!」
俺は周りとは少し趣の違う悲鳴をあげる二人を、それ以上の大声で黙らせた。この非常時に、それに構ってやる余裕はないからだ。
腰を抜かしていようがいまいが、立たせる時間が勿体無い。距離を取る事が何より先決だと、判断した。
そう、ケツから悲鳴をあげる二人をそのまま引っ張り続ける俺に、いつのまにか並走していたルクセリアが顔をしかめながら言った。
「くっ……こんな所でこの怪物と出くわす事になるとは……ッ!」
「どの口で言ってんだ! それかっ、その言っちゃいけない事をベラベラ喋るその口か! 前にも教えただろっ、こういうのは気付いても言っちゃダメなんだって!」
「し、しかし、それは既婚者は構わないのだろう? 私は、既に結婚している身だ。この戦いの後、新たに妻を娶るつもりもない」
「そんなルールはねぇよ⁉︎ 」
たしかに、『この戦いが終わったら結婚するんだ』死亡フラグを例に説明したけれども!
それを勘違いして、死活級の爆弾抱えて戻ってくるとは思わなかったよ!
「よし、わかった! お前は春樹の下で一からフラグについて勉強させてやる!」
先日、ギルクにフラグの危険性をこれでもかと言うほど熱弁していた春樹先生に、迅速かつ適切な処置をしてもらうしかない。きっとこの爆弾処理に関しては、俺よりも適任だ。
「とにかく、陸に急げッ! 海の中に引きずり込まれるぞ!」
口よりも足を動かせ、とはまさにこの時のために生まれてきた言葉なのだろう。
戦うという選択肢は、なかった。
逃げの一択。それは、曲がりなりにも魔王を殺した俺にしても、例外ではない。
──海坊主。
それが、俺たちの前に現れた怪物の名である。
日本では、海法師や海入道などと呼ばれる事もある非常にポピュラーな伝承の中の存在。
しかし、その怪物はこの異世界では実在する。それも、神が手に負えないと放置を決めざるを得なかった本物の怪物として。
そんな怪物を相手に、立ち向かう者はいない。
兎にも角にも、逃げろ。
それが旅をする者にとっての最低限の常識として広く世界に伝わっているほど、数多ある脅威の中でも比較的身近にある天災だ。
そう、これは天災なのだ。
人の力が及ばない自然の猛威。そう、納得するほかない類のものなのだ。
チラリと後ろを流し見れば、青く透明な瞳が橋を覗いていた。ドロドロとした流体的なスキンヘッドからは、魚や魔物まで含んだ水が、登っては流れ落ち、まるで頭の天辺に噴水でも付いているかのように、それが繰り返され、太陽を背に盛り上がっていく。
それはまるで、大波が橋を飲み込もうとしているかのように、大きな影が橋に落ちた。
影は幅が100メートルはある橋を跨ぎ、最終的に数キロ先の海面にまで広がった。その後ろを見たくなくなる光景を目にした俺は、眼前に迫った街の小ささに、果たして逃げ切れるものなのかと、不安を覚えた。
「おいおいおいおい、冗談だろうッ⁉︎」
と、そこで腰を抜かし俺に引きずられている状態のギルクが突然大声で喚いた。
それを聞いて、振り返らずにはいられなかった俺の目に飛び込んできたのは、シルビアの魔法が可愛く見える程の馬鹿でかい手。それが空を覆わんばかりに、持ち上げられていく光景だった。
「通常攻撃がデカいんだよっ……!」
あんな馬鹿でかい手を下さられたら、とても逃げ場などない。せっかく建て直した大陸橋も、無残に破壊されるだろう。その後はみんな仲良く海坊主の腹の中──という大惨事が想像するまでもなく予見出来る、それぐらい質量。
俺は、引きずっていた二人をパッとその場で離した。
「お前らは先に逃げてろ!」
「お、おい、どうする気だ……っ⁉︎」
「どうにかするしかないだろ、あれは!」
振り下ろさせてはならない。あれが橋に落ちたら最後、橋も、人も、俺たちも、全てが水の泡となって消える。
しかし、片腕だけで空を覆い隠す水量。緋炎の火力なしに、俺が受け切れるものでもない。
ならば……
「シャル、やれるか?」
情けない事に、彼女に頼る以外の方法を俺は思い付かなかった。
「1分あれば、動きを止める事は出来ると思う」
……長いな。シャルステナをして、海坊主を止めるには、並みの威力の魔法では不可能という事なのか。それも、仕留められない事を前提とした足止めにしかならないという事を、彼女はわかっているようだった。
「……わかった。すぐに始めてくれ。ゴルドとアンナは、シャルを守れ。ハクはルクセリアを乗せて、俺と一緒に時間を稼ぐぞ。他はライクッド、お前に任せた」
立ち止まるや否や、自然と集まってきた仲間達に向け、俺は矢継ぎ早に指示を飛ばすと、返事を待たず神に等しい怪物に向かって駆け出す。
それを皮切りに、すぐ様詠唱を始めたシャル。アンナとゴルドがその前後から守りを固め、ライクッドは腰を抜かした二人を引っ張り起こしながら、こちらは何とか冷静さを保っている春樹と結衣に、キャロットさん達が乗ったハク仕様の竜車を引くようにと何とも無茶な指示を出す。
一方、俺と同じく時間稼ぎの役目を負ったハクは、橋から少し飛んだところで巨大化し、その背中にルクセリアが抜き身の剣を片手に飛び乗った。
「先に行くぞ、旦那」
「ああ!」
ハクの強靭な翼が嵐とでも言うべき、乱気流を生み出しながら、一気に真上へと飛び上がって行く。それに遅れる事、数秒。橋の柵から俺も飛び上がり、垂直に空を駆け上った。
対して、それを阻むように真上から次々に落下してくる大小様々な海の魔物達。海坊主の体から溢れ出た魔物だ。
先を見れば、ハクは頑丈な体と速力任せに吹き飛ばしながら、直進していた。時間のない今は、それが正しいのだろうが、吹き飛ばされた魔物のうち、結構な数が橋の上に落下する軌道に入っている。
ただでさえ、手や頭から溢れ出た魔物が沢山いるというのに、下は大丈夫なのだろうか、と心配になって視線を落とせば、橋のど真ん中を爆進する竜車の姿があった。
それを引くのは、春樹と結衣……ではなく、春樹ただ一人。
「うおぉぉっ! 俺のリスリットちゃんには指一本触れさせねぇ!」
よく見れば腰を抜かしていたギルクとリスリットの姿がない。おそらく竜車の中に放り込んだのだろう、ライクッドが。
では、結衣はどこにと見て見れば、まだ不慣れさが残るが、剣から切り替えた敵との距離を置ける槍を手に、降り掛かる火の粉を必死になって払っている。そして、ライクッドは青い弓を大きくしならせ、遠距離から橋の上に降ってくる魔物と、陸地に向け避難する人々に襲い掛かる魔物を同時に、掃討していた。
一方で、集中するシャルステナの周りでは、ゴルドが魔力物質化により作り出した足場を使って、アンナが落ちてくる魔物を片っ端から排除していた。そのアンナの動きたるや、注視しなければ霞んでしまうほどで、遠目から見れば、空に黒い影が幾重にも交錯しているように見える。
「任せて良さそうだな」
どちらも見る限りでは余裕がまだありそうで、俺はハクが弾き飛ばした魔物が落ちて行くのを見ながら、自分に向かって落ちてきた魔物だけ、剣で切り捨て、時には足場しながら、高度を着実に上げていった。
と、先に海坊主の腕の前に躍り出たハクは、体を急停止させる。その弾みで、背中から浮かび上がったルクセリア。おいおいと、俺が呆れたのも束の間、ハクの体からバチバチと雷光が弾け、ボウっと火が噴き出した。
──ハクの謎技能その2。
何故か、複数の属性が混ざったブレスを撃てる。謎の変形というほかに類を見ない属性を持つハクが、これまた類を見ない属性であると、500年近く生きる氷竜ウェアリーゼのお墨付きをもらった特異な技能──『混沌』。
ウェアリーゼが、ハクの色にピッタリだと自画自賛していたのはさて置き、この技の欠点として、発動兆候が挙げられる。
一つに、分かり易すぎる事。それと、体から使おうとしている属性が湧き出してしまう事だ。
もちろんそれは余波も余波なので、威力自体合ってないようなものだが、ルクセリアを吹き上げたのはハクなりの配慮なのだろう。
そして、迫りつつある腕の目前で、完全停止してチャージを始めたのは、仲間としての信頼の証しか。
「──どこを見ている、怪物」
ルクセリアは、空に突き上げられながらも、準備していた。
かつて砂漠を真っ二つに斬り裂いた斬撃を。遥か彼方までその斬撃を伝える風の刃を。
「烈風翔ッ!」
勢いよく振り下ろされた剣の切れ味をそのままに。風の刃は、その世界樹の幹ほどはあろうという巨大な腕を貫通し、そして切り裂いた。その真下の海面すら二つに割って。
「グゥォォォォォォオ!」
ルクセリアの海を割る攻撃に続いて轟いたのは、天地を揺るがす黒竜の咆哮。それと同時に放たれた雷炎のブレスが、切り落とされた腕に向かって放たれ、人間で言う肩から二の腕の辺りを纏めて吹き飛ばした。
そして、残されたのは、膝から手の先。それが、橋を含む真下の海面に向かって落下する。その途中には勿論俺がいて。
「これを全部かよ」
減ったとはいえ、何という膨大な量の海水だろうか。
俺は射線を確認し、ハクとルクセリアを巻き込む攻撃は避け、次点へと切り替えた。
「芸はないけど──ごり押しだ」
豪っと、瞬間的に吹き出した魔力は、魔素が一度に還元された証。俺はその魔力に形を持たせ、背中に縛り付ける。
それは果たして蜘蛛か、それとも阿修羅か。収納空間から取り出した剣を持っているお陰で、僅かに後者に軍配があがっていると思うが、魔力の色を反映した真っ赤な手はまるで血染めのようで、人に与える印象はどちらにしろ悪そうだ。
「火炎解放」
剣に埋め込まれた魔石が赤熱し、刀身に火が灯る。それはまた、丸い円状の部位から勢いよく吹き出した風に煽られ、火炎放射の如き息吹を上げ、八方から水塊を襲った。
無論、これはオリジナルの魔道具。魔石屋のおっちゃんとともにロマンを追い求めた結果だ。
「からぁ〜の」
魔力噴射。
ハク達まで巻き込み兼ねない魔爆砲は使えないが、落下する水塊の勢いを弱めるぐらいになら使える。
そのまま火力だけなら大したものである魔道具の剣で、端から徐々に蒸発させた俺は、噴射の向きを徐々に変え、橋から離した場所に、残りを落下させた。
「チェックメイトだ、怪物。噂が本当かどうか、この目で確かめさせてもらおうか」
俺は挑発的に笑い、海坊主の側から離脱した。同じくルクセリアを乗せたハクも距離を取り、場所を開けた。
「シャル、やってやれ!」
海坊主は、攻撃よりも先に腕の再生を選んだためか、大きな動きを見せていなかった。こちらを舐めているのか、それともただ緩慢なだけなのか。
何にせよ、シャルステナが指定した1分は過ぎた。
「ありがと、みんな。後は任せて」
白銀の魔力が天に昇る。それは、シャルステナが神としての力を行使する時にのみ使う、彼女本来の力。天使化改め、俺はそれを女神化と呼んでいるが、この海のように底が見えない膨大な量の魔力と、海そのものと称される怪物のどちらが上なのか。
こんな状況にも関わらず、俺は興味を抱かずにはいられなかった。
「──インフェルノ・ブラスターッ!」
海を白く染め上げた白光が、灼熱の荒波へと姿を変える。
それはまるで溶岩の海と言うべき光景で、海坊主の足元は瞬く間にそれに飲み込まれた。そして、まるで蛇が絡みつき昇るように、螺旋を描き足から腰へ、腰から胸へ、胸から腕と頭へ、火縄が海坊主を拘束し、縛り付けた。
「……最上級?」
これがあの、シルビアが唱えたものと同等の魔法? あるいは、俺が使える最上級と、同等?
馬鹿な。
使い手が変われば、威力は変わる。俺が同じに思えないのは、それだけ彼女との実力差があるということ。それは神の一人であることを考えれば当然で、わかっていたつもりではあったが……これほどか。これほどなのか。
差を感じた点を挙げればキリがない。
俺の何十倍という魔力を一度に、完璧に操作する技量。俺はとても扱いきれず魔力暴走を起こす量だ。
単なる火を想像しただけとは思えない緋炎に匹敵する熱量。マグマが落ちた海水はとうに蒸発し、溶けた地面はまるであの日の戦いで見た親父の技のようだ。
何もかもが遠い。
だが、それでも。
「やっぱりダメだね……キリがない」
最後の最後で押し切れない。海坊主の体は焼失し続けているはずなのに、まるで小さくなる気配がない。
「噂通りの怪物って事か」
神ですら倒せない怪物が本当にいようとは。
一瞬、これならばと思ったが……チラリと橋の先を見れば、ようやく先陣が陸に辿り着いたところだった。
「……やばいな」
陸は安全か?
いや、そうは思えない。最低でも安全圏は、今日超えてきたばかりの丘の向こうだろう。正しく海そのものような天災に、海に面した街が耐えられるとは到底思えない。
「大丈夫、そろそろ気付く頃──」
不安を覚える俺に、シャルステナが何か言おうとしたその時──ズシンッと橋が揺れた。
見れば、火縄に締められた海坊主が苦しみ踠いていた。シャルステナの攻撃が、無意味なものではなく、確実に効いている証拠だ。
だが、苦しみ何とかマグマから逃れた海坊主の足が、海面に落ちる度、盛大な水飛沫とともに地響きと荒波を生む。
「まずい!」
地響きで橋が激しく揺れる。放っておけば崩壊しそうな勢いだ。
咄嗟に足場となる橋自体に魔力を込め、強度を高めた俺だったが、なにぶん大陸の間の海峡を繋ぐ世界で最も大きく長い橋だ。その一部だけといっても、僅かな時間で到達出来る強度にも、カバー出来る範囲にも限界がある。
それに加えて、橋に向かってくる波にまで対処するのは、さすがに魔術全般に長けた俺でも、不可能だった。
しかし、ここにはもう一人特定の魔術になら俺以上の使い手がいるのだ。
「ゴルド、あの波防げないか⁉︎」
「いけるよ〜」
ほいっと、何とも気の抜ける掛け声ともに、柵の間際に立ったゴルドが手を前に突き出した。
「魔力障壁」
それは先程アンナの足場となっていたものと同じ物質化した魔力。それをゴルドは、掌を起点として広範囲に展開した。
まるで津波のような荒波は、海面から数百メートルはある橋を悠々と飲み込みそうなほど盛り上がり、不規則に連なって海面を伝わって、魔力障壁へと衝突する。
ザバァァンッと崖に打ち付けられた波のように、障壁に沿って立ち上る水飛沫。間一髪間に合ったようだと、俺が胸を撫で下ろしたのも束の間、俺は空に夥しい斑点が浮かんでいる事に気がつく。
あれは何だと目を凝らせば、暴れ狂う海坊主から夥しい量の数の魔物が振り落とされ、広範囲に渡ってばら撒かれているではないか。海坊主と橋の間の空にはブレスを放射状にばら撒くハクと、雷を纏い次々と魔物の体を渡り歩くルクセリアがいたが、数も多く、バラバラなため対処しきれていない様子だった。
このままでは、橋の上に先程とは比べ物にならない数の魔物が墜落してくるだろう。果たしてその衝撃に耐えられる強度が、この橋にあるのかないのか。
即座に魔物の墜落痕を確認した俺は、橋の補強を急ぐか、魔物を迎撃するかの二択に迫られた。
と、そんな焦りが顔に出てしまっていたのか、手持ち無沙汰だったアンナが。
「あれが落ちてきたらまずそうな顔ね。仕方ないから、あたしがパパッと蹴散らしてあげるわ」
「お前、空飛べないだろ?」
「何言ってんのよ。足場ならあるじゃない。あんなに沢山」
そう、雨のように魔物が降る空を見上げて、アンナは言った。
「そりゃまた随分と楽しそうな方法だな。打ち上げは、必要か?」
「いや、それは遠慮するから」
「なら、どうする気なんだ?」
代金無料の人間大砲を提案した俺に、アンナは即答したが、それならばどうやって空に上がるつもりかと、問い返した。
「決まってるでしょ。この壁を使うのよ」
「いや、無理だろ」
自信満々に言ったアンナだが、おそらく壁を走って登る気なのだろう。しかし、考えてみてくれ。突起や凹凸のある壁や、大した高さもない壁なら俺たちの身体能力があれば登れるかもしれない。だが、ゴルド作った壁は恐ろしく平面だ。突起どころか凹凸一つ存在しないツルツルな壁で、摩擦は氷の床レベルの代物だ。
どう考えても滑る。不可能だ。
しかし、捻くれ者アンナはそんな俺の忠告も聞かず、物は試しだと言わんばかりに、壁に向かって走り出した。
アホがいる。
そう思って、俺はアンナが転び、投げられに戻ってくるのを期待したのだが、壁に足を付けたアンナは、滑って転ぶどころか、加速しながら壁を駆け上っていった。
「…………」
あいつは前世が忍者かもしれない。何故か気配が分裂しているように感じる時があるし、人の影から出てきたりするし、登れないはずの壁を登るし。
たぶん俺にはないチャクラを持っているのだろう。
そんな風に、いい意味で期待を裏切られた俺は、宣言通り魔物を足場にして、魔物を殲滅するアンナの戦いを見守った。
アンナの動きは一言で言えば、速かった。
目で追うのも困難な速度。しかし、文字通り血の雨を降らせるアンナの双剣の煌きは、美しくもあり、恐ろしくもある。まるで流星と隕石のようだ。
かつて俺が魅せられた剣の演舞。それよりも洗練され、磨かれたアンナの剣はその一太刀一太刀にアンナのこの一年が詰まっていると言わんばかりに、その切り口に無駄がない。惚れ惚れしてしまうほど鮮やかな断面だ。
でも、それはもう人を魅せる剣ではなく、敵を殺す為の剣だった。
「……俺はあの剣舞が嫌いじゃなかったんだけどなぁ」
もう見られないのだとしたら、残念に思う。でも、否定したいわけじゃない。ただもう一度くらい見たかったなと思っただけだ。
俺はアンナの戦いを見るのもほどほどに、魔力充填が完了するまでの間に、何か出来ることはないかと頭を巡らせた。
まぁだが、シャルステナが手に負えないような怪物相手に、そう簡単にこれという打開策は出てこず、自然とこの怪物について思考はシフトする。
チラリと緋炎に目を落とせば、竜の紋様は、未だ1割にも届いていなかった。
それを確認して、俺は疑問に思った。
それは何故か。
理由は簡単だ。緋炎は、敵が強ければ強いほど、俺が勝てるか怪しい相手ほど、目覚めが速い。それか、俺の気持ちが荒ぶっている時ほど、こいつはそれに応えてくれる。
本当に気分屋な剣だ。最近、親父の言っていた剣の意思とやらが、ようやく分かってきた気がする。
一体全体どういう事なのか。そのうち喋り出すのではないかと、密かに楽しみにしていたりする。
まぁ、それは置いといて。
現在、緋炎は余りやる気がない。神でさえ殺す事を諦めたと評判な怪物相手に、やる気がない。
これはいったいどういう事なのか?
いや、もう何となくわかる。
この海坊主は、大して強くない。確かに、その大きさは大したものだ。こんなの数年前に出てきたら、迷わず逃げた。
しかし、デカイだけだ。
動きは良くも悪くも、鈍重。質量がデカイ分、それは他からしたら驚異的なスピードに見えるかもしれないが、俺たち的には大した事はない。後ろに人を庇わなければならない状況でなければ、わざわざ防御する必要もない。
こんな奴に神が遅れを取るとは到底思えない。
でも、事実として、神ですらこの怪物を殺せなかったのだ。気のせいか、この強さに似合わないしぶとさには覚えがある。
そう、砂漠の王者と呼ばれる怪物と戦った時も、俺は同じように、どうしてこの程度の奴が未だに生きているのだろうと思ったのだ。
「なるほど……お前の弱点はわかったぜ」
そういう事ならば、俺が適任だ。
魔力充填の完了に合わせ瞑目し、深く内側に潜り込んだ俺は、久方振りにその力を行使した。
「──妖精化」
地を揺るがす轟音が、唸りが、衝撃が薄れていく。肉体が作り変わる時特有の意識の混濁。それはものの数秒で収まり、俺は戻ってきた感覚を頼りに、そっと目を開けた。
「問題なく発動出来たな」
「問題なく……? すごく顔色が悪いよ?」
意識を取り戻してすぐに自分の体に目を落とせば、薄く緑がかった不健康そうな肌色が目に入る。まるで毒に侵されているかのような色合いに、シャルステナは僅かに首を傾げたが、直後その顔に戦慄が走る。
「うそっ……!」
驚愕に見開かれた目は、俺の背後に向けられていた。
「冗談だろ……おい」
思わず顔が引き攣る。
今の俺にはわかってしまった。振り向かずとも、そこに何がいるのか。
「みんな逃げてッ!」
シャルステナの切迫した叫びと共に、海面が隆起する水音が、鼓膜を叩く。
「もう一体いたなんて……!」
「いや、違う」
唖然と橋を挟んで現れた海坊主の上半身を見上げたシャルステナの呟きを、俺は即座に否定した。生命反応を感知出来る妖精化を使った俺には、シャルステナの表現が正しくないことがわかったからだ。
「こいつらは、まだ一部だ」
もう一体いたどころではない。火炎の拘束具に徐々に体積を減らしている怪物も、反対側から現れたもう一体の怪物も、全体から見ればそれはほんの一部。その手足、指先に過ぎない。
そう、海坊主はまさしく海そのものだった。水平線の彼方まで一つの生命反応。あまりにも広大で、その全てを感知しきる事すら出来ない。
「っ……なるほど。通りで名前が売れてるわけだ、この怪物は」
神でさえ倒せない怪物。
その言葉の意味を、核を持つ砂の王と同等に考えた俺が馬鹿だった。
この怪物は、倒しようがない。もしも倒そうというのなら、この水平線の向こうにまで広がる海坊主の体全てを消失させなければ倒せない。
そんな事、誰が出来るというのか。
「いったいこいつは何なんだ?」
そもそも生物としての根底がおかしい。海が体ってどういう事だ。
意味がわからないんだが……
俺は謎の生物反応が気になり、魔力感知を並行して使ってみた。しかし、やはりというか、海全体に魔力が均一に行き交っている。まるで魔臓が体だとでも言っているかのようだ。
ほんと意味のわからない生物だ。何でこんな生き物がいるのだろうか。異世界は偶に付いていけない。
これじゃあまるで、迷宮や、汚い水辺には沢山居るというスライムではな…………こいつ、スライムか!
「うわぁ、いつからスライムはこんな裏ボス役に任命されるようになったんだよ……」
ドン引きだ。
レベル1で勝てる相手が、合体すると神でも滅せない敵になるとか。牛といい、スライムといい合体はズルい。
もうちょっと、形式美というものを学んで欲しい。スライムはスライム。レベル1、初期装備での好敵手でなければならない。
「レイ、ボーとしてたらこんな危ないよ! 上から魔物が……!」
「あいよ」
俺はシャルステナの注意が終わるより先に、手だけを動かし落ちてきた魔物を両断する。
「もうっ、危なかっしいんだから」
そんな風にシャルステナからお小言を貰いつつ、俺は、もう一体現れた海坊主に眉を顰めた。
さて……どうしたもんか。
スライムから逃げるのは、プライドに障る。こう、何というか、スライムからは逃げたくはない。
まさか、こんなところで前世の記憶の弊害が出くるとか、予想外だ。人生何があるかわからない。
しかし、倒しようがないのもまた事実。
「──俺はお前の存在を許さないぞ、海坊主」
「えっ、どうしてそんなに燃えてるの?」
突然の存在否定に、シャルステナは戸惑うような声をあげたが、俺は取り合わず飛び上がり、真正面から突撃した。緋炎を上段に構え、不満をぶちまけた。
「スライム如きが、海を支配してんじゃねぇッ!」
その時──
「いい事言うじゃん、キミィ」
そんな声が、海に響き渡った。
「なっ……」
突然投げかけられた言葉。それと同時に、膨れ上がった海面から伸びた水柱。
その上に乗る存在を目にした時、俺は既に剣を振り下ろしてい──




