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169.新たな誓いと秘密を抱えて

 

 雨模様の空のような暗く冷たい重い空気の中、一つの食卓を囲む4人の姿があった。

 机の上に並ぶのは、簡単な炒め物とご飯という質素な食事。

 カチカチと箸が合わさる音だけが、静音の中に響き、食物を噛む音が耳を突く。


「──ごちそうさま」


 山の頂点だけが削れたご飯を前に、コトっと箸を置いておもむろに立ち上がったのは、母さん。

 母さんは焦点が合わない目で周囲を一瞥すると、特に言葉を発する事もなく、自分の部屋へと戻っていった。


「僕も……もういいや」


 母さんに続いて、食べ盛りにも関わらず、途中で箸を置いたスクルト。俯きかけの顔は暗く、目は半分閉じている。

 そして、スクルトもまた自分の部屋へと、何も言わずに戻っていった。


 そんな二人の様子を見詰めるシャルステナは、扉がパタンと閉じられると、顔を俺に向けた。


「……レイも食欲ない?」


 心配そうに俺を見詰めて、彼女はそう聞いてきた。


「そんな事ないさ。腹が減っては戦は出来ぬ。万全を整えるためにも、食事をしっかりと取るのは、戦いに身を置く冒険者として当然の義務だ」

「……そう。無理しなくていいからね?」


 まるで俺が無理をするのは当たり前だとでも言うように、彼女は俺の手をギュッと上から握ってくる。


「……無理なんてしてない。心配すんな、変な気を起こしたりしないし、気持ちの整理はついた」

「そんなの……嘘だよ。何でも聞くから、話して」

「話してって言われてもなぁ……」


 何を話したらいいのか。

 嘘はついてないつもりなのだが……


「本当に気持ちの整理がついたんだ。それをどう説明したらいいか、あえて言うなら復讐する事を決めた。それだけだ」

「本当に……?」

「ああ」


 慰めなど不要だ。俺はそんなに弱くない。強くなくてはいけない。

 復讐を果たすために、そう自分の心を整理した。

 だから、もう大丈夫だ。立ち直った。


 だが、相変わらず心配性のシャルステナは、それではまだ納得してくれていないようだった。


「……けど、そうだな。一度二人で話そうか、今後の事でも。俺もそれとは別に話したい事もあるし」

「……うん、わかった」



 〜〜〜〜



 食事を終えた俺は、シャルステナを連れて村の外へと出た。目的地は、親父が好きだった湖。とても綺麗な場所だし、デートにはもってこいだろう。

 前までなら──


「お墓……ここにも作ったんだね」

「ここは親父が好きでよく来てたからさ。この方がいいかなって思って」


 一昨日、親父の葬式があった。墓は村の集団墓地に作られ、その日の内に埋葬された。だが、そうは言っても、親父の体はあの灼熱に焼かれて髪の毛一つ残さず消えた。遺骨はない。そこには、ただ名前の掘られた石が置かれているだけだ。


 こちらの墓には、王立学院に入る前に貰った親父の髪の人形を埋めた。貰った当初はどうしたものかと思ったが、埋めた時は手放したくなかったのが本音だ。

 それでも、埋めたのは親父がこの場所が好きだったから。

 あの世からこの湖を見にやって来た時、目印にでもなればいいと思った。


 ここには、墓石は置いていない。その代わりに、親父の愛剣を差した。こいつなら墓を守ってくれると、そんな気がしたから、親父の遺品をこんな山奥に置いて置く事にも躊躇いはなかった。


 俺は、道中拾った花を墓の前に置いて、手を合わした。

 普通なら冥福を祈るとか、そんな感じなのだろうが、今はまだ祈れそうにない。


 代わりに、心の中で復讐の誓いを繰り返す。


 それが終わるまでは、親父には悪いが、あの世で幸せに過ごすのは待って欲しい。見届けてから、逝ってくれと、答えのない祈りを捧げた。


 一通り祈り終えると、俺はシャルステナに向き直った。


「……墓の前でする話じゃないかもだけど、俺たちお互いに色々と話さないといけないと思うんだ。ほら、一年も離れてたし」

「……うん、そうだね。もう覚悟は出来てるから」


 そんな風にシャルステナは少し身構えるような表情を浮かべた。その気持ちは何となくだがわかる。

 大方、秘密がバレて、振られるかもしれないとでも考えているのだろう。


 俺は、苦笑した。

 二人揃って馬鹿みたいだ、と。

 似たような秘密を抱えて、互いに嫌われるんじゃないのか、と怖くなって話せなかったんだから。


 だけど、いい加減この中途半端に秘密を抱える関係を、前に進める時が出てきたのだろう。


「昔……約束したよな。どちらか、一方が秘密を打ち明けたら、もう片方も打ち明けようって」


 それは、月の光が降り注いでいた夜の事。孤島の山頂で交わした約束。


「……うん。けど、私もまだ全部話せてないから。本当に……本当に隠してた事は別にあって……」


 シャルステナは地面に目を這わせる。気付いてはいないのか、その肩は少し震えていた。

 それもあって、俺はまず自分から打ち明けようと、口を開く。


「そっか……なら、俺から話してもいいか?」

「うん、聞かせてくれるなら、聞きたい。レイが秘密にしてた事」


 ほんの少しだけ興味をその瞳に覗かせて、けれども、俺に気を遣ってか、遠慮がちに言ったシャルステナ。

 まぁ、女神であった秘密に比べれば、俺のなんて大した話でもないのだが、それでも秘密を打ち明ける怖さというのは、多少なりともあった。


「実は……」


 俺は、一瞬言葉を詰まらせる。やっぱり、怖い。

 だが、唾を一つ飲み込むと、すぐに続けた。


「……一昨日の式典の前に、我慢出来ずシャルステナの家に乗り込んだ時、着替えを覗いてしまったんだ」

「……えっ?」

「ごめん、本当だが、冗談だ。ちょっと耐えられなかった」


 いろんな意味で。


「あっ、ううん! そ、そうだよね、別にいいよ、ちょっとくらいなら……」


 えっ、それはどっちの意味でですか?


 そう聞き返したくなる気持ちを抑えて、俺は切り替えるためコホンとわざとらしく咳を打った。

 ついでに深呼吸も一つしとこう。……いや、もう一回だけしとこう。


 俺は、2度深く息を吸って、精神を落ち着かせようと励む。その甲斐あってか、少しマシになった。

 まだ怖いという思いは残っているが、もう引き返せはしない。ここで男を見せないで、誰に見せるのだと、俺は覚悟を決め、ゆっくりと口を開く。


「俺は…………転生者だ」

「転生……者?」


 今度は、シャルステナの目が唖然と見開かれた。


「ああ、前世の記憶を持ってる。この世界とは別の世界で生きた記憶を」

「別の……」

「俺がかつて生きた世界は、こことは全く違う世界だった。どう違うかは、簡単には説明出来ない。ここにはないものが多すぎて、逆にここにあるものがない。俺は、そんなこことは全く別の世界で死に、この世界で生まれた」


 一度口にしてしまえば、思いのほか口の抵抗は少ない。心臓はやけに早く波打ってるが、思った程でもない。

 俺は、秘密を打ち明けれた事にホッと胸を下ろした。


 一方で、シャルステナの驚きは思った以上だった。しばし放心してしまう程に、彼女は俺の秘密に対して愕然としていた。

 余りにもそのまま動きがないものだから、俺は心配になって、声をかける。


「シャル……?」

「あっ……うん。ごめんなさい。別の世界って言うのが……ちょっと、なんて言ったらいいんだろう?」

「信じられないか? けど、本当だ。この世界以外にも、世界はある」

「ううん、それは知ってたんだけどね……私、見当はずれもいい事をしてたんだなぁって……」


 知っていたというのは驚きだが、女神である事を前提に置けば、驚くほどの事でもない気がした。しかし、その後にシャルステナが言った言葉は意味がわからなくて、俺は首を傾げる。


「あっ、ごめん。次は私の番だよね……」

「……嫌なら、話さなくてもいいんだぞ?」

「ううん。私はレイの秘密を聞いたもの。それに……どうして、女神である私がこうしてここにいるのか、気になるでしょう?」


 シャルステナは、そう聞いてくるが、やはり言いにくそうにしていた。何だか、それを見ていると俺の小さな秘密では、とても釣り合わないような気がして、俺は気が付けばその問いに首を振っていた。


「まぁ、割とどうでもいい」

「えっ⁉︎」


 俺の返事が余りにも適当な感じだったからか、シャルステナは驚きの声を上げた。


「勘違いしないで欲しいんだが、俺はシャルに興味深々だ。そりゃ、気にはなるよ」


 ならないわけがない。好きな人の事を知りたいと思うのは、もはや自然な欲求。摂理と言い換えてもいい。


「だけど、シャルが本当に話したくない事なら、別にいい。女神であろうが何であろうが、俺が好きになったのは、シャルだ。極論、そこにどんな理由があろうが、どうでもいいって思えるんだ」


 極論過ぎるかもしれないが、無理をさせてまで聞きたくはない。これは本心だ。

 そして、女神であった事を明かされても、俺の心は変わらなかった。これは事実だ。

 きっとそこにどんな理由があろうと、俺の気持ちは変わらない。だから、聞いても聞かなくても、どっちでもいい。


 そんな俺の答えに、シャルステナは呆気に取られたように少し間を空けて、クスクスと笑いだす。


「どうでもいいは、ちょっと酷くない?」

「じゃあ、俺の中身が見た目と違うって知ってどう思った?」

「う〜ん、驚いたけど……どうでもいいね」

「ほらな。そんなもんだよ」


 冗談をめかして笑ったシャルステナに、俺も吊られて笑う。


「ありがとう、レイ。けど、やっぱり話すね。私が話したくなっちゃったから。今のままでも、十分幸せだけど、私の全部レイに受け入れてもらえたら、きっともっと嬉しい気がするから」

「そ、そういう発言をされると、聞く側の俺も身構えるじゃないか」


 ついでに、照れ臭くなってしまう。


「そうだね。けど、嬉しくて。聞いて欲しいと思って、話せる日が来るとは思わなかったから」

「……よし、なら、しっかり聞こう。耳穴はもうかっぽじった。準備万端だ」

「もう、汚いよ?」


 シャルステナは笑いながら呆れるように言った。

 だが、汚いはやめて欲しい。声の通りがいいよう、耳掃除をしただけだ。


「じゃあ、話すね。──5千年前……」

「ちょっとタイム」

「止めるの早くない? まだ始まったばかりなんだけど……」


 だって、女神であった事を隠していた理由を話すと思ったら、いきなり歴史の話に飛ぶんですもの。


「先に、質問させてくれ。シャルって何歳なの?」

「レイと同じだよ? だって、私女神だけど、転生したもん」


 おっと、余計にわからなくなってきた。彼女は何を言っているのだろう?


「えっと、じゃあ、シャルの秘密って、ザックリ言っちゃうと、女神様なのに転生した理由って事か?」

「それは、必要に迫られてしただけで、秘密にしてたわけじゃないよ? むしろ、レイには知って欲しい事だし……」

「お、おう?」


 何だかよくわからないが、知ってて欲しいのなら、ちゃんと覚えておこう。


「じゃあ、ザックリと言っちゃうと?」

「難しい事聞くね。そうだね……レイに一番知られたくなかったのは……」


 そこまでスラスラと喋っていたシャルステナは、突然喉に何かが詰まったように言葉を止めた。その後、俺を見る目がだんだん不安に覆い尽くされてきて……


「わ、私が……知って欲しくなかったのは……」


 絞り出した声も段々と小さくなって、震えてきて、今にも泣き出しそうな顔になる。

 この後に及んで、そんなに知られたくない事って、一体────


「────俺を別人と同一視してたって話じゃないだろうな?」

「えっ………き、気付いてたの?」

「なんだ、やっぱりか」


 俺は、シャルステナの声の調子が戻った事で、凄く安心していた。過呼吸でも起こしそうな勢いだったからだ。

 俺は、何だか彼女に俺の気持ちがまったく伝わってない気がして、ため息を吐いて頭を振った。


「もう一回言うぞ、シャル。どうでもいい、そんな事は。シャルが俺を俺とは違う誰かと重ねた事ぐらい気付いてた。でも、それでいいと思った。シャルの気持ちをそいつから奪ってやるって、俺なりに頑張ったんだ。シャルが、それを俺に知られたくないって思ったのは、俺が代替品にするなって怒るとでも思ったからだろう?」

「う……うん。だって……酷いと思ったから。レイは違うのに……私はずっとあなたの事を……だから──」


 泣きそうな顔で謝ろうとするシャルステナの口を俺はサッと手で塞いだ。

 別に謝ってもらう事など、何もないからだ。そんな言葉聞きたくなかった。


「まぁ、初めはちょっと面倒に思った事もあったけど、今は違うって事はわかってる。だから、そんな顔してるんだろ? もういいよ。俺は、怒ったりなんかしない。初めからわかってた事だ。だから、謝らなくていい」


 それに、きっとその誰かと俺を重ねてくれなければ、俺が彼女にこんな気持ちを抱く事はなかったのだろう。

 俺が抱いた恋心の中に、彼女にその誰かのように思って貰いたいという感情は確かにあったのだから。


「ありがとう、レイ。やっぱり話してよかった」


 シャルステナの瞳から涙が溢れた。それが悲しみから来るものでないのは、その嬉しそうな表情を見ていたらわかる。

 笑いながら泣いている。そう表現する以外に、俺は言葉を持ち合わせていなかった。


 俺はしばし、彼女が落ち着くのを待った。

 そして、数分間してようやく涙を止めたシャルステナは、おもむろに抱き付いてきた。


「……聞いてくれる?」

「このまんまで?」

「うん──たぶん、私泣いちゃうから」


 それは、困るな。シャルステナの泣いてる顔はあまり見たくない。


「わかった」


 俺はそう言って、彼女を抱き締めた。それで、彼女が泣かなくて済むのなら、と。


 そして、シャルステナは小さくありがとうと口にして、話し始めた。


「これは、ずっと昔の話。私が女神になるよりも前の、本当に気の遠くなるような昔の話……」


 最初とは、少し違った話し口で語り出したシャルステナ。

 俺は、耳元の声に耳を傾けた。


「私には、仲間がいた。大切な、大切な、今でも忘れられない二人の仲間が」


 シャルステナの体が、小刻みに震えだした。


「けど、ある日目が覚めたら、二人はもういなかった」


 その震えは次第に大きくなってきて。


「悲しかった、一人になって。寂しかった、もう会えないんだって言われて。耐えられなかった、二人のいない世界は……私にとって、それは何の価値もないものだった」


 俺はそれを押さえつけるように、彼女を強く抱き締めた。


「だから、探した。5千年間、ずっと。女神になって、寿命をなくして、転生して、ずっと……この世界で二人の生まれ変わりを、探し続けた」


 鼻をすする音が聞こえた。


「レイに出会った時、やっと会えたって思った。これで、またあの幸せだった日々に戻れるって、そう思った。けど……違った。会えるはずがなかったんだよ。だって、二人はもう死んだんだもの。生まれ変わっても、それはまったく違う、別人なんだから。私が知ってる彼らは、もうこの世のどこにもいないんだから」


 もう会えない。この世のどこにもいない。

 その言葉は今の俺には、深く突き刺さる。それを知った彼女の苦しみが、流れ込んでくるようで、心が痛いと感じた。


「それに気が付いた私は、もう限界だった。ううん、もうずっと限界だったんだろうね。会えない苦しみが、受け入れられない悲しみが、ずっと胸に突き刺さって、悲鳴をあげてたんだよ」


 震える声。背中に回された手が、俺の服をギュッと掴むのがわかった。


「もう……死のうって思った。これ以上生きても意味はないって」


 その言葉を聞いて、無意識のうちに、俺はシャルステナの体を締め付けていた。

 たぶん、痛かったのだろう。彼女の体が一瞬、ビクッと震えたのがわかった。けど、それでも俺はその手を緩めなかった。緩めたら、離れていってしまいそうで、後で怒られてもいいと、より強く彼女を抱き締めた。


 そんな俺に、彼女は全身を預けるように力を抜いた。


「……けどね、レイが本気で焦った顔をして、私に駆け寄ってくるのを見て、何だか胸が熱くなった。泣いている私を慰めてくれる人がいるんだって、どうしようもなく嬉しくなった」


 脳裏に、あの島での出来事が思い浮かんだ。

 ああ、確かに。泣き崩れてる彼女を見て、何とかしなきゃいけないと、けど、何で泣いてるかもわからなくて、結局泣き止むまで一緒にいる事しか出来なかった、情けない記憶がある。


「その時、レイと一緒に生きたいって思った。側で見ていたいって、私が5千年間苦しんできたのは、レイに会うためだったんだって、そう思えたから」


 それは、彼女の中でどれくらいの決意だったのだろう。

 5千年と一言で言うが、それはどれだけ長く、辛い日々だったのだろう。


 たぶん彼女にとって、死ぬ事が一番楽な選択肢だった。それを捨ててまで、俺と共にいることを選んでくれた彼女に俺は何て声をかけたらいいんだろうか。

 嬉しいとか、ありがとうとか、そんな軽い言葉でいいんだろうか。そんな彼女の苦しみを喜ぶような言葉でいいんだろうか。


 いや……いいはずがない。


 俺は、話を聞いて、結局思ったままに口を開いた。


「……馬鹿だよ、シャルは」

「……うん」

「大馬鹿だ。世界で一番大馬鹿野郎だ」


 俺は、彼女の歩んできた道をとてもじゃないが、祝福など出来そうになかった。その結果、俺がシャルステナと出会ったのだとしても、俺はそれを認められそうになかった。

 だって、それを認める事は、セルナの死を、親父の死を受け入れた俺を、いや、大切な誰かの死を受け入れ生きている人々を否定する言葉だから。


「私も、馬鹿だと思う」


 ああ、本当に馬鹿で、どうしようもなく不器用だ。


 大切な誰かの死は、身を切られるより痛い。よく言う言葉だ。実際、その通りだと思う。

 けど、だからって、傷を負ったまま、その誰かを追いかけるのか。


 彼女は散々事あるごとに、諦めが悪いと俺に言ってきたが、それは違う。

 どうしようもなく、不器用なだけだ。大切な誰かの死を受け入れる器用さを、持ち合わせていないだけだ。


 不器用過ぎるだろう。もっと早くに受け入れていれば、また違う幸せがあったかもしれないのに。

 それには目も向けず、5千年間失くした二人を追い続けて来た彼女は、大馬鹿野郎だ。


 だからきっと、彼女は俺が死んでも、同じように追い求めるのだろう。

 途中で諦めたりなんかせず、最後に会えない絶望を叩きつけられるまで、探し続けるんだろう。


 それを繰り返させるくらいなら……


「なぁ……また新しく約束しないか?」

「どんな約束?」


 また、何千年も彼女を苦しめるくらいなら……


「……一緒に生きようって言ったあの言葉は、シャルに死んで欲しくなったから出た言葉だ」

「うん」

「だけど、もう一つ意味を足させてくれ」


 俺が彼女を苦しめるくらいなら……


「どちらかが死ぬ瞬間まで、一緒に生きよう。俺が死んだら、シャルも一緒に死んでくれ。その代わり、シャルが死んだら、俺も死ぬから」


 死という救いが、あってもいい気がした。


「……酷い、約束だね」


 確かに酷い約束だ。この世にこれ以上酷い約束をする奴はいないってくらい酷い約束だ。

 けど……


「お互いに命を背負って生きようって約束だ。二人で一つの命を共有しようって約束だ」


 そして、いざという時彼女の救いになれるかもしれない約束だ。


「いいよ。どのみちレイなしの人生はもう考えたくないから。それで、少しはレイが無茶しなくなってくれるなら……私はそれでいい」


 無茶……は、したくてしてるわけではないのだが。


「じゃあ、約束しよう。俺たちは二人で生きよう。二人で死のう」

「うん……約束」


 お互いどちらからでもなく、そっと抱擁を解いた俺たちは、いつかのように再び約束を交わす。


 守られて欲しい約束を。

 守られて欲しくない約束を。


 小指に絡めて、誓い合う。


 しばし、そのままの状態で、言葉もなく視線を交わし合い、俺は不意に口を開いた。


「……ちなみにさ、俺の昔ってどんなだった?」

「……っもう、今それを聞くの?」

「悪い悪い。けど、やっぱその……気になるだろ?」

「もう、仕方ないなぁ」


 それは、ほんの興味本意だった。そう、ただの興味本意。

 シャルステナはそんな俺の好奇心が強いことぐらいわかってたとでも言うように、口では文句を言いながらも、笑って話してくれた。


 ──けど、俺は聞かなければよかったと、すぐに後悔した。


「そうだねぇ、まずすっごく優しかった」

「ほうほう」

「それで、すっごく強かった」

「ほうほう」


 さすがは前世。俺にソックリだ。


「でも、すっごく敵が多かった」

「ほうほ……う?」

「いっつも戦ってた」

「ほ、ほう」


 なんだろうそれ、優しい人間がそんなに敵を作るものなのだろうか?

 って事は、俺の方が優しい?


「でも、私のために戦ってくれた」

「ほうほう」

「私をいつかお嫁さんにしてくれるって約束してくれた」

「……ほう?」


 その声が割と据わっていたのは言うまでもない。


「私に、世界を見せてくれた。生き方を教えてくれた。守ってくれた。いつだって一緒にいてくれた」

「ほ、ほう。で、纏めると?」


 ちょっと、前世の自分に嫉妬が抑えきれなくなってきていた俺は、総括をねだる。


「ふふっ、レイの前、前、前、前、前…………」

「ごめん、何個続くんだ?」

「5千年分?」


 それは……そうだな。


「そんで、そのクッソ昔の前世の俺は、結局どんな人間だったんだ?」

「レイのずぅーと昔の前世はね、─────って言う名前の盗賊だったの」


 ふと、耳がいかれたと思った。その名が耳に入った瞬間、怖気が全身に走った気がした。


 俺は、シャルステナが口にしたその名前を、そのまま繰り返す。


「レイノルド……?」

「うん。すごい偶然。私も昔と似たような名前だし、そういう不思議な何かがあるのかもしれないね」


 その一部に俺の名前が含まれている事に、シャルステナは可笑しそうに笑ったが……俺はそれどころではなかった。


 何故なら、そこに含まれていていた名前が──俺だけじゃなかったから。


『俺の事はそうだな……ノルドとでも呼んでくれ』


 また、あの声が脳裏で響く。

 俺は、激しく動揺しながらも彼女に問う。


「な、なぁそいつって有名だった?」

「うん! 当たり前だよ、レイの前世だよ? すっごく有名人。こう言えばわかるかな?」


 シャルステナは、どこか誇らしげに、楽しそうに弾む声で。


「──『神殺しの強奪者』。それがレイの前世だよ」


 そう言った。


 そんな彼女の楽しそうな顔は俺には何故か希薄に見えて。

 今手を伸ばさなければ、もう届かないような気がして。


 俺はシャルステナの腕を掴み、グッと抱き寄せた。


「えっ……? ど、どうしたの、レイ?」

「…………嫉妬だよ。そう、ちょっと嫉妬しちゃったんだよ。昔の俺に……」

「もぅ、仕方ないなぁ、レイは。何だか今のレイは子供みたい」

「そうかも……しれないな」


 俺は、子供であることを否定しなかった。

 事実、そうだった。この時の俺は、真正面から挑む勇気のない情けない子供でしかなかった。


「大好きだ、シャル。俺は、そいつとは違って、絶対にシャルを一人にさせないと誓う」

「どうしたの、急に? すごく嬉しいけど、何だか変だよ?」

「……嫉妬だよ。別に責めるわけじゃないけど、前世の俺をシャルがあんまりにも楽しそうに話すから、嫉妬しちゃったんだよ」


 そう、これはただの嫉妬だ。故人を思う彼女の気持ちにどうこう言う気はない。むしろ、それは言ってはならない事だと思う。

 だから、これはただシャルステナを取られたくないという、俺の醜い嫉妬だ。


「……ごめんね。今でもあの人が私にとって掛け替えのない人であった事は変わらないから。でもね、そんな心配しなくてもいいんだよ? 今、ここに居てくれるのは、レイなんだから」

「……ああ、そうだな」


 確かに、今ここにいるのは俺だけだ。俺しかいない。


「不安なら、何度だって言うよ。私が今好きなのはあなた。愛しているのは、あなた。一生一緒にいたいって思うのは、レイだけなんだよ」

「ああ……ありがとう」


 俺は、その言葉を聞いて、シャルステナを抱く腕の力を強めながらも、少しも安心していない自分がいるのを自覚していた。


 だから、卑怯にも黙っている。


 彼女を信じていないわけじゃない。俺を愛してくている。それは、確信している。

 だけど、いや、だからこそ、口に出せなかった。教えたくなかった。

 その愛が、変わってしまう事が恐ろしくて。俺でない奴に向けて欲しくなくて。その可能性を少しでもなくしたくて。


 卑怯にも、黙っている。


 あの日、シャルステナと付き合い始めた日。

 シャルステナから初めて愛されたと思った。俺ではない誰かにではなく、俺に彼女の愛が向けられたと確信した。


 けど、それと同時に俺は恐ろしかったんだ。


 俺は相手が土俵にいない事をいい事に、彼女をそいつから奪った。

 けど、もしも土俵にそいつが上がってきたら、どうなるんだろうかと。


 シャルステナが言うには、それは受け入れたからの変化。

 しかし、言い換えれば、受け入れなければならないという事実に──諦めた。そう、聞こえる。

 俺はそれでもこの相思相愛の関係が続くなら、構わないと思う。だって、5千年間たった一人の男を思い続けた彼女を嫌いになんてならないから。


 だけど、今はどうしようもなく怖い。


 その諦めが、覆されてしまいそうで、怖い。


 もし……彼女が愛した男が今もまだ生きていると知ったら。


 もし……諦める必要がなかったのだと知ったら。


 彼女は、俺とそいつ、どちらを選ぶのだろうか──と。


 その答えを知りたくなくて、俺は今、言えないでいる。口を閉ざしている。

 彼女を強く抱きしめることで、その恐怖を騙そうとしている。


 ノルド……お前なのか?



 ──シャルステナが探していた男は。



 シャルステナを抱く腕に力が入る。


『俺はお前さ、レイ』


 何年も前に聞いたその言葉が今更になって重く、そして恐ろしく聞こえる。

 どれだけシャルステナを強く抱き締めても、その言葉が頭の中から消えてくれなかった。


異夢世界を読んでいただきありがとうございます。

初レビューをいただき、少々舞い上がっているカシスです。


さて、ようやく長い前振りが終わり、シャルステナとレイ、そして、レイとノルドの関係が明らかになりました。これからドロドロの三角関係が繰り広げられていくのかは、第3部以降のお楽しみに取って置いて下さい。


でも、第3部に入っていく前に一つだけ。


どうして生まれ変わりのレイと過去に死んだレイノルドが、顔を合わせられるんでしょう?


考えながらこの章を読んでいただけると、性格の悪いカシスは喜びます。


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