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164.解き放たれた深淵

 

 空が真っ赤だ。血のように赤く、雲さえ焦がす火のように熱い。

 だというのに、冷たく感じられるのは何故だろうか。

 レイはその冷たさに足を凍えさせたのか、足を震わせヨロヨロと一歩、二歩、三歩と、前に踏み出した。


 途端、足が縺れ、レイは地面の上に倒れ込む。条件反射のように手を地面につくが、途中でぱたりと力尽きたかのように体ごと地面の上に落ちる。


 ──俺は今、何を失なった?


 失くしたものを、欲していたものを、初めて自分に与えてくれた人。自分の父親になってくれた人。そして、誰よりも強くて、かっこいい憧れの人。

 その人を失った。


 ──俺は、何をしていた?


 何も。何も出来なかった。

 ずっと前から、その背中をずっと見てきた。追いかけてきた。あんな風になりたいと、超えたいと、願ってきた。

 だというのに、その背に手を届かせることすら出来なかった。


 燃ゆる命の火の前で、後悔の自問自答が永遠と繰り返され、絶望という名の手がレイの心を締め付ける。


 だけど、──壊れない。壊れてくれない。


 もう嫌だと、何もかも放棄しても、絶望はレイを壊してくれない。壊れることを許してくれない。

 その奥で、絶望に汚れていない部分が、絶望に染まり切ることを、許してくれない。


 だからか、父の死という絶望は、レイの心を深く揺さぶり、斬り刻み、締め付けて、怨情の炎を燃え上がらせた。


「ま……う……」


 砂を掴み、握り締めた手に爪が深く減り込んでいる。


「まお……う」


 そこから、流れ出た血が砂を赤く染め、レイの心をドス黒く染め上げていく。


「魔ぁおぉぉぉッ!」


 憎しみが、怒りが、悲しみが、憎悪の塊となり感情を取り込んで膨れ上がり、大地の割れ目よりも深く、火山の中よりも熱い熱がレイの体を駆け巡る。


 目の前で立ち上がる業火の柱の中で、レディクの笑い声と共に消えていった魔王に──いや、何処かにいるであろう最後の個体に向けて、レイは叫んだ。


「絶対に……っ! 絶対に、殺してやるッ!」


 悲しみが弾けて、憎しみに変わる。

 怒りが燃え広がって、殺意へと変わる。

 それら全てが合わさった憎悪を叫び、涙と共にレイは立ち上がる。


 それと時を同じくして、空を貫いていたレディクの最後の火が陰りを見せて、細く、小さくなっていく。

 それはもう、隔絶とレディクの死を決定付けるものであった。


 火の中から、現れたのはレディクの剣。それと──


「グハッ……!」


 血を吐く魔王だった。

 それを目にした瞬間、レイの目が赤く血走る。それはすぐに目を飛び越えて、顔にまで飛び火し、酷く顔が歪められた。


「まぁぁぁぁおぉぉぉぉッ!」


 武器も持たず、それを取り出す冷静さもなく、レイは憎しみのままに魔王に殴りかかった。常ならば、一本触手を伸ばせば終わる、そんな隙だらけの直線的な動き。しかし、レディクの最後の火から解放されてすぐでは、さしもの魔王も反応が鈍った。


 未だ火の中にいるような赤く焼き爛れた顔を、レイの怒り狂った拳が襲う。


「グフッ……!」


 レイの怒りに塗れた拳を受けて、魔王は地面に擦り跡を残しながら、吹き飛ばされた。


「…………殺してやる」


 …………許さない。

 今、ここで──殺してやる。


「魔王ォォォ───ッ‼︎」


 手に父の剣を握りしめ、レイは咆哮した。憎しみを目に、怒りを顔に撒き散らし、涙を地面に投げ散らかして。

 そんなレイの前で、魔王はユラユラとハッキリとしない足取りで立ち上がった。


「私が……憎いですか?」

「ああっ!憎いっ! 今すぐに殺してやるッ!」

「いい感情の現れですね。好きですよ、憎しみを隠そうとしない、人間は」


 うるさい、うるさい、うるさい、うるさいッ!


「もう黙れェェッ!」


 赤き閃光が弾け、爆発する。それは、レイを中心に、暴風となって駆け抜け、深紅の魔力が焔の如く燃え上がった。

 爆発して、爆発して、さらに膨れ上がっていくそれは、もはやいつ暴発してもおかしくない爆弾。


「死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇ!」


 それでも魔力の高鳴りは収まらない。2度目の魔力暴走を思わせる暴発寸前の魔力が、行き場を求めて周囲に散布し、レイの中へと瀑布のように流れ込む。

 そして、その行き場として時間制限ギリギリだった限界突破の消費が爆発的に増加し、意図せずレイの身体能力はさらに倍へと跳ね上がった。


 だが、それはさらなる代償を伴うものであった。無理にリミッターを外し、限界の限界をさらに超えてしまった代わりに、レイの体は悲鳴をあげる。

 器がそれに耐えられなかった。

 全身の骨が軋み、血管が内側から弾け、血が流れ出す。目は真っ赤に充血し、耳からも血が。顔には無数の筋が走り、筋肉繊維が痙攣を起こす。


 レイはそんな状態でも構わず緋炎を振り下ろした。


「焼け死ねぇぇぇっ!!」


 使い方など知りはしなかった。意思を持つその剣を主でない自分が持っていいのかと、考える事もなかった。

 ただ、そこにあったから手にしただけの剣を、レイは無意識のうちにレディクの動きを真似て、振り下ろした。


 燃えろ! 燃えろ! 燃え尽きて、死ねぇッ!


 そう深い憎しみを吐き出して振るった剣からは、照準を得ない火吹が魔王の体を掠め、次々と放たれる。しかし、剣を振り回すのではなく、剣に振り回されるかのようなレイの無様な太刀筋は、火炎の援護を持ってしても魔王に憎しみをぶつけるには至らない。

 むしろ、火を扱い切れず、自らが火傷を負う始末。


 そんなレイの様子に、回避する必要すらなく立ち尽くしていた魔王は小さく肩を竦めた。


「もはや、殺す価値もない」


 まるで、遊び過ぎて壊れてしまったおもちゃに向けるような酷く冷めた視線。

 魔王は、己から火炎の弾幕の中に飛び込んで、失くした腕の代わりに、魔力の手を生やし、レイの心臓に狙いを定めた。

 今のレイにはそれで十分。どんな強くても、相手を殺すことしか考えていない獣は、手負い戦士一人にも劣る。


 しかし、心臓を狙い済ませたその手刀は、何かに失敗したのか、レイの手の内にある緋炎が突然爆発した事で、僅かにズレた。


 心臓から斜め右上、レイの左肩を抉り、深い傷を残した手刀。加えて、魔装さえ纏っていなかったレイは、爆炎で酷い火傷を負う。

 一方で、獣相手にも油断なく魔装を纏っていた魔王は無傷だ。少しその爆発の衝撃で、体が後退した程度。


 そんな魔王に対して、レイは腰の力で強引に体を引き戻し、剣を振り切ろうとするが、その憎悪に任せた強引な動きにレイの体は追随できなかった。

 レイの肩が弾けたのだ。内に溜め込んだエネルギーを放出するかの如く内側から血管が弾け、致命傷でもなかった肩の傷が致命傷へと変わる。


 だが、それでもレイは止まらない。憎しみが、痛みのそれを遥かに上回る。


「死ねっつってんだよォッ!」


 初めてレイの攻撃が、魔王に当たった。だが、重症を負っているにも関わらず、ギリギリのところで致命傷を避けて、魔王は薄く皮膚が焼ける程度に収めた。

 ただ、意識しての事か、緋炎から出た業火が、魔王の体を吹き飛ばしたお陰で、レイは何とか命拾いをした。


 だが、命を拾ったところで、レイの体を暴れ回る代償の猛威は終わらない。皮膚が弾け、筋肉が千切れ、見る見るうちに血だらけになっていくレイ。

 体にガタが来たのは、その後すぐの事だった。


 レイの意思に反して、限界突破の力がフッと消え失せた。

 元々、無茶に無茶を重ねたようなもの。その力を下ろす肉体が、それに拒絶反応を起こしたのだ。


 剣が手から落ちる。膝が折れる。肩が上がらない。

 全身が、鉛のように重たくて、動かない。


「どうやら、時間のようですね」


 違うッ!

 まだ、まだ、終わってねェッ!

 お前を殺すまで、俺は死んでも死に切れねぇ!


 レイは憎しみを力に変えて、代償を支払った体で剣を支えに立ち上がろうとする。もう体は、魔王とどっこいどっこいな程に傷付いていて、出血が多い分、酷く見えた。その状態で、辛うじで立ち上がったレイに、魔王は少しだけ興味を取り戻す。


 だが、たった一撃。


「かはっ……!」


 たった一本の伸ばされた触手で、抵抗も何も出来ず、レイの体は血を撒き散らして空を舞った。


 戦闘で荒れた大地の上に腹から落下したレイ。荒い息をしながらも、起き上がろうとボロボロの体に鞭を打つ。

 しかし、震える手足には、体を起こす力もない。レイは、少し体をあげては地面に落ちるを繰り返し続け、ゆっくりと近寄ってきた魔王の言葉を聞いた。


「あなたの憎悪を、邪神様に捧げなさい」


 もう隠す事もなく明言して、魔王は魔力で出来た腕を、落とし──


「──レイから離れてッ!」


 それは今日何度目の命拾いか。氷の蔓が魔王の体を拘束し、またしてもレイは九死に一生を得る。

 地面に這い蹲りながら、レイはゆっくりと震える頭を上げた。


「シャ……ル……」


 そこには足を這わせ、体を引きずりながらも、こちらに向かってくるシャルステナがいた。


「邪魔しないでいただけますか?」


 魔王が氷の蔓が引きちぎり、シャルステナへと不快そうに顔を向けると、シャルステナは体を起こしながら、無詠唱で魔法を発動させた。


「邪魔するに決まってる。レイを死なせない」


 シャルステナは、前屈みで肩で息をしながら、一瞬たりたも間を空けず魔法で牽制を繰り返し、一歩また、一歩と足を引きずって、二人に近付いていく。


「その意気は買いましょう。しかし、本来の力を失っているあなたに何が出来るというのです? それに、見たところその体ではもう限界。先程のような力も使えないでしょう?」


 腕を振るい、時には躱して魔法を防ぎつつ、現実を突き付ける魔王。対して、シャルステナは、徐々に魔王を押し返しながら苦々しげな表情を傾けた。


「──だから?」


 だから何だと言うのだと。


「ここで、私の前で、レイを死なせるぐらいなら、私はここで死ぬ事を選ぶ」


 レイが今、最も聞きたくない言葉を。


「今の私でも、あなたを道ずれに死ぬ事ぐらいわけないわ」


 決然と言葉にした。


「やめ……ろ……」


 レイの声は弱々しい。体が足りない血を求めて、痙攣を起こしている。

 そんな状態のレイを見て、シャルステナは今にも消えてしまいそうな儚い笑顔を見せた。


「レイ……私はあなたを愛してる」


 紡がれたのは愛の告白。


「だから、あなたは私に囚われないでね。私は……」


 そして、自分の死後を願う。


 生きて欲しい。

 でも、背負って欲しくない。

 そんな我儘な願いが込められた言葉は、願われるレイにとっては残酷で、酷い願いだ。


「──今、ここにしかいないんだから」


 それは、だから見失わないで。同じ道を歩まないで、という願いが込められた、シャルステナの答え(・・)だ。


 だが、違う。レイにとってそれは、失ったものの大きさを再確認させ、これから失おうとしているものを突き付ける言葉だった。


 また……失うのか?

 また……守られるのか?


 俺が弱いから。

 俺が勝てないから。

 誰かが代わりに死ぬのか?


 ふざけるなっ……!

 誰が、そんな事頼んだよ……っ!


「ぁぁ……」


 ……動け!

 もう2度と動けなくなってもいい。

 だから、今、動けっ……!


「ッ……ぁ……ぁ」


 諦めてんじゃねぇッ!

 這いつくばってんじゃねぇッ!


 シャルステナはここにしかない。親父はここにしかいなかった。


 今、この手を伸ばす事を諦めたら。

 今、立ち上がらなければ。

 今、戦えなければ。


 俺はまた、大切な人を失うのだ。親父を失ったように、また──


「ぁぁぁぁ……!」


 だから、立て。

 立ち上がって、戦え。

 戦って、守り抜け。


 守りいんだろ?

 みんなを!


 これ以上、俺は誰も失いたくないんだろうがァッ!


「ぁぁぁぁああ!」


 体が動かないなら、心で立て!


 心に火が足りないのなら、憎しみを燃やせ!


 憎しみで足りないのなら、怒りを沸騰させろ!


 怒りでも足りないのなら、愛して求めろ!


「ぁぁぁぁぁああぁぁあああああッッ!!!」


 何でもいい。

 俺の全部、俺の人生で抱いた感情の全てを!

 全部燃やして、今、この瞬間、これ以上何も失わないために、立ち上がれッ!


「やめろって言ってんだろォォガァァッ!!! 」


 胸に溢れる激情のままに。

 もう、失くしたくないから。

 もう、誰もいなくなって欲しくなかったから。

 レイは荒ぶる心を、沸騰させ、吐き散らして、もう一度立ち上がる。

 怒りでもない、憎しみでもない。

 敢えて言うなら、その全てを灯した胸を焦げ付かせる灼熱の炎で。

 膨れ上がった憎悪を燃やし、感情を塗り替える。


「やらせねぇ! これ以上、俺の前から誰も消えるんじゃねぇぇッ!」

「レイ……」


 レイの心からの叫びが、シャルステナの最後の剣が鞘から抜き放たれるのを止めた。

 それは、レイの必死な姿を見て、思い出してしまったからだ。


 レイと出会う前の自分を。

 失って、涙を流し続けた自分を。


 しかし、だからこそ、もうレイを死なせるわけにはいかないのだ。そのために、自分は神となり、生まれ変わったのだから。


 シャルステナは、最後の力を振り絞り、手を掲げる。


 もう一度。……ううん、これが最後でいい。私の声に応えて。


「ハ──『俺と一緒に生きろ、シャルッ!』」


 レイは吠えた。プロポーズとも思えるような言葉を、今この時、彼女を止めるために、己の胸の内を曝け出して、吠えた。

 それしか、なかった。それ以外に、彼女を止める力をレイは持たなかった。

 一瞬、シャルステナの口が止まる。瞬きのような僅かな時に、彼女は何を思ったのか。レイを守り死んでいった父親と同じように笑って──


「イ・ウィ──」


 だが、遅かった。もうすでに引き金は引かれていたのだ。

 その一瞬が、彼女の──いや、彼らの命運を分けた。


 ──耳を傾けろ、有象無象。


 深い深い、この世のどこでもない深淵から。


 ──大地の叫びに。


 ──空の嘆きに。


 ──自然の苦しみに。


 その弾丸は、届けられた。


 ──歪めたのは、お前たちだ。


 ──代価を支払うのも、お前たちだ。


 だが、それは決して救いの手などではない。人を殺せる弾丸だ。


 ──さぁ、準備はいいか?


 しかし、その言葉は誰にも届かず、誰も気が付かない。


 ──『天理崩壊』。


 そう、人知れず。

 世界の嘆きが、苦しみが、痛みが、人に牙を剥いた。


 ──刹那、大地が弾むように飛び上がる。


 横や縦、時には斜めに地面が動き、その上に立つ人は例外なく倒された。

 それはもう、大地がひれ伏せと豪語しているかのように。

 気合いで立ち上がったレイも、死を覚悟したシャルステナも、そして、彼らの敵である魔王も含めた大陸中の全ての生物が、世界そのものが激しく振動しているかのような揺れに、立つ事を許されなかった。


 石造りが基本の建物には、亀裂が走り、それが限界を迎えたものから崩れ落ちていく。崩壊する建物は、10や20では済まない。特に震源地──レイに近い戦闘痕の残る王都の街は酷い有様だ。堅牢な外壁までも崩れ落ち、道からは地面が競り上がる。


 突然の地殻変動。しかし、事態はそれだけでは終わらない。


 大地が引き裂かれ、そこから深淵が顔を覗かせる。その中から這い出るのは、無数の岩槍。岩槍は針山のように亀裂に沿って走り抜け、川にぶち当たるまでそれは続く。その川では、水が魚のように空を泳ぎだし、空中を漂っている。

 空は夜でもないのに陽の光が搔き消え、暗闇に覆われた空に雷が噴火の如く大地から空へと駆け昇り、それとほぼ同時に大地には穴が開き、火が噴き出した。


「この技は……!」


 愕然と顔を上げ、驚愕に染まった瞳で、魔王は唖然と崩壊する世界を見た。


 ゴゴゴオォォッ!


 世界が揺れる。

 川は空を流れ、大地は天に伸びる。天は闇に染まり、稲妻をも飲み込む。


 それはまさしく天変地異の光景であった。自然の怒りがあふれ出たかのように、魔法では説明できない規模で世界の法則が崩壊し、人が生まれ落ちて死ぬまで支えとなる母なる大地は、大規模な地殻変動により、その上を歩く事はおろか、立つ事さえ困難な状況に陥った。


「は……破滅だ……」


 誰かがそう呟いた。


「世界が……終わる……」


 世界の終焉。その渦中に巻き込まれた人間は、こうも無力で儚いものなのか。

 世界があるからこそ人は生きていける。もし世界が滅べば、人など虫けらのように消え去るだけだ。

 ただ、そこで呆然と終わり行く定めを受け入れる他に道はない。

 そう、思い知らされるような光景だった。


 しかし、これを世界の終焉と呼ぶには、少し生易し過ぎる。


「レイッ……!」


 硬い岩で出来た地面が何度も、何度も飛び跳ねる。その上を、体を引きずり、転がして何とか近づこうと足掻くシャルステナ。しかし、大規模な地殻変動は文字通り大地を激しく唸らせ、無情にもレイとシャルステナの距離を開かせていく。

 それでも、愛しい人へと手を伸ばそうとする彼女の前で、大地が不気味な音を立てた。


「だめっ……!」


 そう叫び、限界までその手をレイへと伸ばしたシャルステナの目の前から街にまで広がる広範囲の大地に亀裂が走った。真四角に整えられた灰色の岩で舗装された道が、バキバキと音を立てて破れ去り、中から茶色い大地が顔を見せる。

 そして、その亀裂が全てを別つように、それに囲まれた大地だけが轟音と共にせり上がった。


「レイィィッ!」


 盛り上がる大地は、まるで火山の噴火の如く、激しい地鳴りを響かせて、天へと真っ直ぐに伸びていく。それに向かって伸ばした彼女の手は──届かない。


 行かないで!

 もう、私を一人にしないで……!


 そんな彼女の切なる願いを阻むようにレイとの間は開くばかり。せり上がった大地の陰にその姿も隠されて、視認する事さえ叶わない。

 命の鞘を抜き切り、守る事も出来ない。敵もまた彼女の手の届かない場所へ、行ってしまった。


 取り残された彼女に出来るのは、伸びた大地に縋り、ただ無事を願う事だけだった。


 彼女の願う先──何処までも伸びる岩の塔の上に残されたのは、レイと魔王のたった二人だけ。

 どちらも、ボロボロの体を吹き上げる大地にへばりつかせて、その重圧に苦悶の表情を浮かべていた。


 その時、どこからともなく声が聞こえた。



 ──生き残れ、レイ。



 ハッと、顔を上げたレイ。

 その前で、自然の摂理も、世界の法則も、全てを無視し、深淵の彼方より届けられた業火に濡れた雷光が、せり上がった大地に身を屈めていた魔王の体を貫いた。


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