137.災厄の誕生
「悪かったな、皇帝。無理矢理拘束して」
意図的に魔力を霧散させて、魔人形スキルによる内側からの拘束を解除する。キラキラと魔力残滓が瞬き、やがてどこかへ消えていき、皇帝の体には薬による痺れだけが残された。
そして、小さな痙攣を起こす体を起こした皇帝に、俺は今更になって、ヤバイ事したんじゃね? と思い一言添える。
「やっておいてなんだけど……不敬だとかで、死刑にしないでくれると助かるよ」
「…………一つ聞かせろ。お前には、アーガスの声が本当に聞こえているのか?」
しかし、俺の心配は無用だったらしく、その気はまるでなさそうな皇帝から、物静かな問い掛けが返ってきた。
「もう、聞こえないよ。ついでに言わせてもらうとだな、一瞬乗っ取られそうになった。あんたの弟に」
「そうか……」
俺の返事を聞いて何を思ったのか、皇帝はそれっきり俯いて、考え込んでしまった。その顔には、先程までの気迫はなく、一変して静けさを纏っている。
俺は、それが不快だった。それが一瞬、ピクリと目元を通して外界に漏れるが、口を吐いては出ない。
「…………」
掛ける言葉が見つからない、なんて同情を口にする気はない。
何故、家族を守らなかったのか。
何故、昔の友を殺す事に躊躇いさえ見せなかったのか。
何故、終わった後で、後悔を滲ませるような道を、敢えて選ぶのか。
それを口汚く罵る事は容易で、そんな言葉なら湧き水の如く出てくるだろう。
だが、そこに皇帝という立場が介入してきたら、俺ならば果たしてどうするのか。
例えば、家族。この場合近いのは、スクルト、あるいは、ハクか。
この2人のどちらかの命を引き換えに、国を守る。そんな決定を、俺は下すのか。
はたまた、ギルクや、ゴルド、アンナといった友を躊躇いなく殺すのか。
答えは、ノーだ。
今は、そう断言出来る。だけど、そこに立場も、責任も、その場の状況も考慮していない、不確定で、無責任な答え。
一つ言えるのは、俺はそんな状況でも、決して認めはないだろう。最後まで争う。しかし、それでも同じような決断を下さなければならなかったとしたら。
俺も、こんな風に打ちひしがれるしかないのだろうか。
そうはなりたくないと、思う。今の彼は、不憫で、愚かで、不自由に見える。
きっとそれが、俺の中に生まれた嫌悪感の正体。
不確定な未来で、相似的な状況下に置かれる自分を否定したいが為に、その状況下にある皇帝に対して嫌悪感を覚えたのだろう。
「…………はぁ」
俺はそんな自分に深くため息を吐いた。
なりたくないのなら、ならないようにすればいい。ただそれだけの事であるのに、人を嫌う理由としてしまった自分に呆れたのだ。
そして、それを少し反省してから、俯向く皇帝に手を差し出した。
「……ここに長居はしない方がいい」
そう誤魔化すように、この場にいる危険を口にして、何気なくルクセリア達の方を見る。
今俺と皇帝が立っている場所は、気持ちの悪い怨念渦巻く氷の上。長居するのが良くないのは、本当の事だ。
だから、俺は無言で手を取ってきた皇帝を引き起こすと、安全な大地に向けて歩き出した。そこには、痺れ薬で動きの取れない勇者達御一行と、ルクセリアや、グールがいて、雰囲気は落ち込んでいる。
それが、濃密な死の気配に当てられたからか、それとも、人一人を消滅させる決着の酷さに気を滅いらせたからかはわからないが。
またしても彼らにとっては辛い経験を重ねさせてしまった。
思えば召喚されてから彼らは碌な経験をしていない。きっと彼らの中でこの世界の評価は酷いものだろう。俺はそれが残念でならなかった。
もっと良いところがこの世界にはあるというのに、何故悪い事はこう重なって起こるのだろうか。
そんな事を漠然と考えて、ツルツルの地面を歩いていた時。
俺の中である疑問が生まれた。
ーー何故声が聞こえない?
俺と殺人鬼にだけ聞こえる死んだ者の声。それは、今日初めて体験した摩訶不思議な出来事。
しかし、事ここに至っては疑問しか浮かばない。何故か?
それは、今立っている場所が、邪神の加護を多量に含んだ氷の上であるはずだからだ。
セルナと過ごした村でセシルが俺に差し出した小瓶に俺は触れる事なく、憎悪の声を聞いた。なら、何故今それが聞こえない?
直接触れていないとはいえ、聞こえないのはおかしい。未だ謎の多い現象だが、それを抜きにしても、俺は、悪い予感を覚えずにはいられなかった。
ーーその時。
「ピ、ピィィィッ!」
「キャァァァア!」
「……っ!」
上空から悲鳴が落ちてきた。何事だと心配して空を見上げれば、ハクの体が不自然な変形を繰り返し、さらに、それでバランスを崩したハクと、その背に乗っていた二人が落下してきているではないか。
「どうした? ハクッ!」
咄嗟に飛び上がり、両手で抱えられるほどの大きさまで縮んだハクを捕まえて、土の地面に着地。それと時を同じくして、ルクセリアと皇帝が、ルーシィとシルビアをそれぞれ抱え、擦り跡を地面に残しながら着地した。そのお陰で2人に大事はなかったが、一方でハクの苦しみようは尋常ではなかった。
「ピ、ピィ……!」
「大丈夫かっ、ハクッ?」
「ピィィ……」(力が抜ける……)
身を捩り、もがき苦しむハク。まるで何かを毟り取られているかのように、みるみるうちに小さく、また弱っていく体。
「くそっ! 何が起きてんだ⁉︎」
不測の事態と言っていい、ハクの身に起こった変化。それは変化というよりは、変身、変形と言う言葉が似つかわしい、まるで体が組み変わる最中にあるような様子だが。
ハクの変形スキルの力でない事は、この苦しみようから明らかだ。
だからと言って、何が起きているというのか。
その問いに対する明確な回答を、俺を含めてこの場の誰も出す事が出来なかった。
頰をやけに冷たい水滴が伝う。それは、悲鳴を上げ続けるハクに何もしてやれない事へ焦りを覚えたからか。或いは、何かの予感に際してか。
俺は自分の精神が乱れているのを自覚し、心の中で唱えた。
ーー落ち着け。一旦、落ち着いて、情報を整理しろ。
深く息を吸い、心を落ち着け、頭の中を一度リセットする。それが出来次第、取捨選択した情報を頭の中に入れていく。
声に対する違和感。ハクの言葉と、その身に起こった変化。
そして、ハクにだけ影響を及ぼす何か。
俺は、改めてハクの変化に目をやり、己に問い掛ける。
この変化に心当たりは? と。
ボコボコと肉と骨が激しく蠢き、あまつさえその形が、球体にすら変化するこの変化を。
俺は初めて見たか?
いや、俺はこれを何処かで目にした事がある。
かなり前。
旅に出るよりもずっと前に、どこかで……
「ーーッ!そういう事か!」
ハクに起こった変化と、先に感じた悪寒が頭の中で繋がった。
この状況全てに通ずるピース、共通点に。
そして、そこから予測される最悪、いや、災厄に。
気が付いた。
「旦那、何に気が付いた?」
「悪いが、話してる時間はないッ!動ける奴は、あの氷を壊せ!」
ルクセリアの冷静な問い掛けに、俺は焦る心を抑えられず、怒鳴りがちに返答。その声で、俺の焦りが伝播したのか、戦闘終了後の虚しい雰囲気に囚われていた周囲の顔付きが一様に険しくなる。
だが、その殆どが身動きの取れない勇者達。動けるのは、10人にも満たない少数だけだ。
くそっ、間に合うか……?
俺は、苦しむハクを地面に寝かすと、手を翳し照準を合わせる。
「落ちろ、ライトニング!凍えろ、ブリザード!」
雷鳴が轟く。氷の大地の上に吹雪が舞う。
それは、現在俺が使用出来る技の中で、最大威力を誇る複合魔法の第一段階。
「飛び散れ、ロックショット!」
岩石の弾丸が天から降り注ぎ、氷を穿つ。弾け飛んだ氷の粒がキラキラと雷光に輝き、複雑に混合、両立した魔法が、相関し合う。
と、そこで俺の言葉を信じ、技の準備を終えたルクセリアの攻撃が放たれた。
「業火空波斬ッ!」
飛ぶ斬撃。それも業火に包まれた。それが、飛び散った氷の破片を溶かし、水蒸気へと変えていく。それだけにとどまらず、氷や水といった火を打ち消す要素があるというのに、その勢いは止まることを知らず、なお一層荒々しく燃え上がる。
「巻き上がれ、トルネード!」
ルクセリアの付けた火に、竜巻という追い風を与え、業火へと成長させる。
大炎上。そう言って過言ではない程に膨れ上がった炎を前に、尋常ではない魔力の高鳴りを感じた。
「天より出でし星々の輝きよ、大地を穿つ槍となりて落ちよ、『11の輝き』!」
うおっ⁉︎ 誰だ最上級魔法唱えたの⁉︎
と、横を見ると、天に手を翳すシルビアの姿が。
流石だなと、その焦りも浮かべていない冷静沈着な横顔に称賛を贈りつつ、彼女が唱えた初見の魔法に目を向ける。
空に生まれた強い輝きを放つ光。それぞれが星型に輝く中、そこから真下へと伸びようとする光の柱。
11の星々からそれぞれ伸びた光の柱は、激しい光明を放ちつつ、その内に内包した熱で全てを溶かす。例えそれが鉄であろうと一瞬で溶かしてしまいそうな熱量が、離れていても伝わってくる。
これが、光の最上級魔法か。
素直にすごいという感想しか浮かばない。それにしても、運が良かったと言うべきか、これを目に出来たのは俺にとっていい経験になった。
というのも、最上級魔法というのは、使える人がかなり限られている。そのため、いくら大陸屈指の名門、王立学院と言えど、最上級魔法に数えられるうちの幾つかしか目にする事は叶わなかった。
そして、目にしたことがあるか否かで、イメージ過程において大きな差が生じる。それは、魔法の完成系を知らないため、イメージすることが難しいからだ。そして、それが災いしてさらに最上級魔法を唱えられる人は少なくなってくる。
だから、光の最上級魔法の一つを目にする事が出来たのは幸運だった。また今度挑戦してみよう。
しかし、今は……
「爆発しろ、エクスプロージョン!」
シルビアに比べたら俺の魔法はなんと拙い事やら。詠唱などあってないに等しい発動プロセスを、芸術家の裏補正で補う始末。本来の魔法の威力には程遠い。
しかし、込める魔力だけは大量にある。それで暴発しない程度に威力を底上げしているのも確かだ。まぁ、やり過ぎたら魔力暴走が起きるんだけどもな。
しかし、その辺のさじ加減はお手の物だ。だてに魔爆を使い続けていない。
「行きます! グングニル!」
「散れ、エアロボム」
ルーシィの唱えた業火に包まれた槍と、皇帝が放った風の爆発がいい意味で同時発動し、お互いの魔法に相互作用する。簡単に言えばエクスプロージョンのすごい版が放たれ、俺の魔法が打ち消されていないか心配になる。だが、威力があるのならば文句はない。俺が未熟だった。それだけの事だ。
魔法の同時発動による相互作用。先のシルビアの魔法と共に、挑戦してみようか。面白そうだ。
そんな風に新たな発見をしつつ、俺は集中力を今まで以上に高めていった。
すでに氷の大地は見るも無残な程に破壊され消滅必死だが、氷を破壊する事が目的ではないのだ。
これがあって初めてこの無意味にも思える無秩序な破壊行為は意味を成すのだ。
「歪め歪め」
俺は最後の詠唱に入る。
「世界を歪める波動を」
かつてない程に無茶苦茶に発現した魔法。その威力は俺の想像を超えるだろう。
「歪みの収縮をその身に受けろ」
だが、それでも俺の背中を伝う嫌に冷め切った汗は、止まることはなかった。
「ディストーションーー!」
世界に歪みが放たれた。グチャグチャに歪む視界。空が街が、魔法の乱舞が、全てが歪む。
そして、俺たちの立つ地面もまたその歪みの影響を受け、大地に亀裂を走らせる。
今度こそ消えろ!
「点なる世界」
俺たちの正面。歪んだ空間に重力場が出来る。それは、この前戦った魔王の時よりも強く、力のないものからそれに引き寄せられてく。
「土遁、土壁!」
大地が盛り上がり、歪みを増していく空間を隠す。それは、コントリクションの悪い部分。敵味方関係なく、解放時に攻撃してまう特性から守るため、ついでに重量に引き寄せられても壁で止まるようにと土壁を作った。ちなみに、これは忍術ではなく、魔法だ。イメージしやすければ、詠唱は何でもいいのだ。
しかし、改めて使ってみても、この魔法はやはり街中で唱えるようなものではない。重力場が街まで影響を及ぼし、軽いものから空を飛び、歪んだ空間の中に引き寄せらていく。
そして、解放時には街の建物にも多少被害が及ぶだろう。救いなのは、ここでかなり激しくドンパチやったお陰でこの辺りに一般人の気配がない事か。
だが、そうも言ってられない事情が今はある。俺の考えが正しければ、何もしなければ、ほぼ確実に俺も含めこの場にいる者は死に、街は滅ぶ。そして、帝国が。あるいは、もっと多くの国が、人が巻き込まれるかもしれない。
俺はどこか祈るようなつもりで、ギシギシと音を立てる土の壁を睨み続けた。
「旦那、そろそろ余波が来るのではないか?」
「あぁ、そろそろだ。麻痺ってる勇者を集めて、全員防御姿勢!」
解放の時が来る前に、今度は具体的な支持を出しつつ、何を言っているかわからないであろう勇者達とアルクとカノンの二人を掻き集めた。おそらく皇帝もわかっていないと思うが、他は一度その解放に巻き込まれた事のある経験者達だ。すぐに指示に従ってくれた。
そして、それらがひと段落した後、ルクセリアが。
「今ならば聞いても問題はないか?」
そう、聞いてきた。その横に並び立つ皇帝やシルビア達もその声に反応して、俺に視線を寄せてくる。
俺は、消えてくれない冷や汗で濡れた手を握り締めると、覚悟を決めて頷いた。
「ああ……俺の予想が当たっていたのなら、たぶん魔王が誕生してる」
「魔王、だとっ……?」
「ああ、しかもたぶん俺たちが倒した奴より、数十倍強いな」
「そんな馬鹿な……いったい誰が……」
「ッ!くるぞ!」
会話の途中で解放の時が来た。雷が弾け、光がまるで閃光玉のように視界を覆う。風が暴発し、その風に乗って、火が飛び散る。そこへ、氷と岩の礫が散乱する。
土壁はみるみるうちに削られ、周囲の建物も激しい風と散乱する魔法のお陰で、脆く崩れ去る。その崩れた破片が突風に吹かれ、解放点を中心として放射状に乱れ飛ぶ。それがまた、建物へとぶち当り、破片を散らしながら、街に大きな被害を与えていく。
一方、解放点に近い俺たちには直接魔法が襲いかかって来ていた。そに中にはルクセリアの放った風の刃もある。視界はシルビアの放った最上級の光魔法の残骸で覆われ、魔法がぶち当たる寸前に氷の壁と土壁のコンボで何とか防ぎきった。
やはり、この魔法は解放点から遠ざかるのが一番の解決方のようだ。しかし、言葉を隠さず言うのなら、今回は足手まといとなる奴が多すぎた。流石にこの人数を抱えて、逃げるには時間が無さ過ぎた。
歪みに歪みまくった空間が、元へと戻る。崩れた土壁の先の景色が戻り、爆炎の余韻が残る光景を視界に収めた。
「チッ、……最悪のパターンだ」
何故こう悪い予感の的中率は限りなく100に近いのだろうか?
俺の目の前には、王都進行で戦った邪神化した魔王と同等の気配、いや。
ーー遥かにその上をゆく気配を放つ、殺人鬼の変わり果てた姿があった。
「ひっひっひ、ベリーグッドですね」
「こっちは、ベリベリバッドだ」
全身から嫌な汗が滝のように流れ落ちる。体温が冷水に当てられたかのように冷たい。俺たちは蛇に睨まれたカエル、いやそれ以下の存在だと、目にしただけで思い知らされる。
横に立つルクセリアがかつてないほどに緊張しているのがわかる。未だ底を見せていない皇帝ですら、今目の前にいる殺人鬼には、勝つビジョンが微塵も見えていないように感じられた。シルビアとルーシィに至っては、地面にへたり込み恐怖で震えていた。
もはや、死以外の道が見つからない。そう、目の前にいるだけで、負けを認めてしまう存在。
これが本当の魔王の姿なのか……?
「そんな釣れないことを言わないでください。貴方ならば、私と同じ存在になれるはずです。どうですか?私と共にこの世界を楽しみませんか?」
「……この世界を楽しむってのは同意だが、そっち側に行くつもりはない」
この後に及んで殺人鬼が俺を見る目は、狂気だけでなく同類を求める何かが含まれていた。その視線がとても恐ろしい。
だって、俺には理解出来ないから。あいつが何故人殺しを楽しめるのか、何故俺を求めるのかが、俺にはわからない。理解出来ないというのに、奴は俺にわかるはずだ断言する。それが恐ろしい。
「ひっひっひ、本当につれない。しかし、いずれ貴方にもわかる日が来ます。今はまだ待ちましょう」
「……どういうつもりだ?」
俺は殺人鬼の意図を測りかねていた。これほどまでに俺は拒否しているというのに、奴はまだ俺を求めている。
何故、そうまでして俺を求めるのか、理解に苦しむ。
「貴方はとても強い。けれど、貴方がこちらに一歩踏み出せば、私達はいい友になれると思うのです」
「はっ、笑わせてくれる。これだけ人を殺しておいて、お前は友達が欲しいのか?」
「ええ。誰にも理解されないのは、苦しいでしょう?」
そう、確信を持っている様子で尋ねてきた殺人鬼は、俺を絡め取るような粘つく瞳で見つめて、言葉を続けた。
「貴方も苦しかった」
「俺が? 何をわかったような口を……」
「わかりますよ。貴方は誰にも理解されず、一人で抱え込んで生きていた。あの日、貴方の目を見て私にはわかりましたよ。貴方は私と同じ穴のムジナだと」
同類だと断言する殺人鬼の言葉で、俺はこいつが何を言っているのか理解した。
この男はーー俺の前世のことを言っているのだと。
誰にも理解されないのは苦しい。確かにそうかもしれない。
常に付き纏う孤独感。そこから生まれる自己と周囲に対する違和感。
それらが、最終的にもたらすのは、世界からの束縛感、それだけだ。どこにいようと、何をしようと、まるで体を縄で縛り付けられているような息苦しさが、拭えない。
おそらくこいつも同じような思いを重ねてきたのだろう。だが、一つ違いを上げるとしたら、俺は理解されようなどとは、微塵も思ってもいなかった事か。
俺にとって、あの世界は違和感の塊だった。それ故に、違和感の外へと俺は逃げ続けた。逃げる場所があった。
そして、この世界がおかしいんだ。俺がおかしいんじゃないと、現実を否定し続けた。
思えば、あれが俺の思い上がりの最たる原因なのかもしれない。
周りと自分自身の間に壁を作り、俺はこいつらとは違う、特別なんだと、その違和感の正体が、奪われた記憶との差異によるものだとも知らずに、周りと自分を明確に分けることで世界を否定し続けた。
だから、彼らに俺を理解して貰おうなどと考えはしなかった。
だが、こいつは他者への理解を求め続けたのだろう。俺とは違った形で、こいつは世界への違和感と戦い続けた。俺とはこいつと違って逃げ込む世界がなかったから。
ならば、こいつの言う通り、俺はこいつと同じ穴のムジナなのかもしれない。
世界に違和感を覚え続けたその一点のみでは。
「……確かに、俺はお前の言う通り、お前を理解できる唯一の人間かもしれない」
「おおっ!わかってくれたのですか!」
「その答えはイエスでもあり、ノーだ」
殺人鬼の純粋に喜ぶ顔は実に気持ち悪かった。人殺しを快楽とする人間がこんな風に笑うのかと、唾を吐き捨てたくなる。
「確かに俺は、お前の言う事が理解できる。だが、共感出来るかはまた別の話だ。俺はお前に共感は出来ない」
「……なるほど。それは少し残念なことですが、今は良しとしましょう。私を理解出来る貴方の共感が得られる日が楽しみですよ」
残念と口にしながらも、未だ俺に希望を持ち続けている殺人鬼は、クルリと踵を返す。
本気で俺を殺すつもりがないようだ。
正直、心の底から安堵したくなるが、こいつの行動が読めない今、それは身勝手な安堵でしかない。ここでこいつを見逃すことは、つまり世界に新たな脅威を放ってしまうことなのだから。
だが、圧倒的なまでに開いた力の差の前では、この場にいる大事な仲間や、友の命を秤にかけるまでもなく、歯を食い縛り見逃す以外に取れる道はない。
俺は、隙だらけに見える殺人鬼に、何も出来なかった。そして、殺人鬼はそのままどこかへーー
「ーーああ、そうそう」
と、殺人鬼は背中を見せながら、何か思い出したように顔だけで振り返った。その顔が俺の方向を向いた瞬間、ゾクッと背筋に寒気が走り、次の瞬間ーー
「ガハッ‼︎」
軽々と魔装を突き破り拳が腹へと突き刺さった。その動きの一切を俺は見る事が出来ず、気が付いた時には口から血とともに叫び声をもらし、体は真後ろへ吹き飛ばされていた。
まるで瞬動でも使ったかのようなスピードで、俺は街の建物を突き破り、道路を矢のように真横へと突っ切り、街の入り口から外へと放り出され、何度も地面にぶつかり跳ねあげられ、その度に血反吐を吐きながら、ゴロゴロと草原の真っ只中に転がった。
「ぁ……ぅ……」
たった一撃。それだけで、体に負ったダメージは尋常なものではなかった。
殺人鬼の拳をもろに受けた腹のダメージは内臓にも及び、血味のする唾液を口の端からヨダレのように垂れ流す。
腹以外の魔装も途中で痛みと衝撃で制御を失い解除され、全身、特に背中側から打撲……いや、ヒビや骨折の痛みが走る。全身の皮膚には至る所に瓦礫が突き刺さり、血が滲み出している。深く突き刺さったものがない事が幸いか。だが、それでも苦痛に喘ぐ事しか、今の俺には出来なかった。
苦痛耐性があってこれなのか……?
思わずそう疑いたくなるようなほどに、まともに呼吸する事も叶わない。
「おやおや、完全に虫の息、ですね。どうもすいませんねぇ、まだ制御が完全ではないようです。本当は壁に叩きつける程度で済ますつもりだったのですが、思ったよりも力が上がっていたようです」
まるで瞬間移動でもしているかの如く速い速度で、また葉が地面にそっと落ちる時のように静かに目の前に現れた殺人鬼。それはつまり、脚力に任せた強引な移動法ではなく、純粋なスピードがこれだという事だ。それだけで、力の差をこれまでかという程に思い知らされる。
「ぁ……て……」
「少し困りました。貴方に死なれては、私が困ります。仕方ありません。ポーションをかけておくので、後はお仲間に治してもらって下さい」
視界はぼやけ、耳は遠くなる。その中で、俺は殺人鬼にされるがままだ。殺人鬼は収納空間からポーションを取り出すと、栓を開け真上から俺に浴びせた。
「次は共感していただければ嬉しいですね」
明らかな脅しを口にしつつ、殺人鬼はポーションを俺の全身に掛けて、気持ちの悪い笑みを浮かべる。
俺はその行為に今まで感じた事のないほどの無力感と屈辱を味わった。
なんて、なんて弱いんだ俺はっ。
たった一撃で、それもやられた相手に命を助けられるなんて……!
くそっ!くそっ!
情けなくて、情けなくて、手を力一杯握り締めたくても、力なんて入らない。悔しくて、悔しくて、歯を噛み締めたくても、震える口では言葉を出す事すら出来ない。それらの気持ちをぶつけたくて、反撃したくても、その意味のなさと愚かさが、俺に引き金を引かせない。
俺は、この時嫌という程思い知らせられた。
圧倒的な力の差の前では、どんな技も、策も、思いも、意味を成さない事を。
「ああ、それと、先程言いかけた事ですが、私は向こうの世界で『真田慎二』という名前でした。こちらだけ貴方の事を知っているのは、不公平ですからね」
真田……慎二ッ!
絶対に、その名を忘れない。この悔しさも忘れない。
いつか必ず倍返しして、今度こそ俺がお前をこの世界から排除してやる!
そう、強く心の中で誓いながらも、俺の意識は遠のいていく。
「それでは、さようなら。またお会いしましょう」
夜の闇に同化していく視界の中で、殺人鬼の顔を睨みつ続けた。その顔を忘れないようにと。
だが、それもすぐに消え、目の前が闇に覆われ。
「ーー日向嶺自くん」
名乗った事もない相手からかつての名が呼ばれるのを聞きながら、俺の意識は深く深く、闇の底へと落ちて行った。




