表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
145/253

131.僕

解放記念!



 

『僕がいる』


 僕が『レイ』の記憶を守る。絶対に、絶対に2度とこの記憶を奪わせたりしない。


 強い決意と怒り、そして拭いきれぬ後悔と悲しみを抱えて、僕は『レイ』の体を借りて現世で目を覚ます。


 初めて目にする己の意思と直結した世界。彼を通してではないその世界で、僕は歳も性別の様々な集団に囲まれていた。


「旦那、よかった。気が付いたのだな」


 そう強張った顔の力を抜き、目を覚ました僕を『レイ』だと勘違いして安堵の表情を見せてたのは、大柄な男性だった。僕がこうして彼と会うのは初めてだけれど、彼の事は『レイ』を通して見てきた。ううん、彼だけでなくここいるのが誰で、どんな人なのかは、何となくわかっていた。


 ただ僕には、彼が何と言っているのかは理解出来なかった。


 だから、僕は結果として彼を無視した形で、口を開くことになった。


『僕をアークティアに連れて行って欲しい』


 僕は彼らでいうところの古代語しか話せない。それしか知らないし、『レイ』を通じてでないと、彼らが何を言っているのかも理解出来ない。だから、この中にその言葉を理解出来る人物がいたのは幸いだった。


『……あなた、キッチックではないわね?』


 鋭い眼光が僕を睨むように捉える。僕は少し気圧され気味に、小さく頷いた。それに対し、驚いた顔をしたのが、三人。


『答えなさい。あなたは誰? 何の目的で、キッチックの体を乗っ取ったの?』

『僕は……』


 一度に幾つも質問を重ねてきた青髪の女の子。その横で、困惑顔を浮かべる同郷の2人と、敵意混じりの視線を向ける少女。

 彼らは皆、僕と彼女の会話を理解しているようだ。


 そんな彼らの前で、自分という存在をどう表したらいいかわからなくて言い淀んだ僕は、俯いて適切な答えを探した。


 僕は……誰なのだろうか?


 日向嶺自……ではないだろう。僕はその名で生きた過去を何一つ持っていない。

 かといって、レイでもない。


 ただ、僕という存在を表現するとしたら、それは日向嶺自だったもの。彼の後悔と自責の念が、記憶という理由を失ってなお、僕を存在させ続けている。


『……燃えカスのようなものだよ』


 それ以外どう表現したらいいというのか。

 燃え尽きる事も叶わず、ただ木の影に隠れて、その僅かに残った火種を保ち続けている。それが、木の影から出たところで、何が変わるというのか。

 僕という燃えカスは、小さく惨めで、弱々しい。


 だけど、そんな僕だとしても、彼の養分になるくらいは出来るはずだ。


『僕は、彼を、レイを助けたい。このままでは、彼は消えてしまう』

『それはキッチックが死ぬという事?』

『ううん、僕が彼になってしまう。そして、彼は消える。だから、力を貸して欲しい。僕をアークティアに連れて行って欲しい』


 僕が表に出た事で、肉体との繋がりは保たれた。だから、僕らが死ぬ事はない。あるのは彼が僕に取り込まれてしまうという消滅の結果だけだ。


 僕と彼は元々一つ。

 彼は僕から別れたもう一人の自分。だから、彼は支えなくして生きられない。何かに己の魂を預けないと、すぐに崩れてしまう。

 おそらく今回の魂の崩壊は彼女との別れが原因だろう。彼の心の支えが、少しずつ少しずつ削られて、そして、とうとう限界を迎え一気に崩壊が始まった。


 だけど、僕が表に出た事で元の形に近づき、彼の魂は崩壊ではなく、僕に吸収され始めた。少しずつ僕に彼が流れ込んでいるのを感じる。

 この先に待つのは、崩壊と何も変わらない。彼という人格の消滅だ。


『あなたはキッチックを助けたいと言った。それは、何故?』

『僕にとって、彼が唯一だからさ。他には何もない。……僕という存在はーー空っぽなんだ』


 それに、彼を奪いたくない。それをしてしまったら、僕はあいつと同じだ。それだけは、絶対に嫌だ。

 だから、彼を助けたい。今度は偽善ではなく、心から。


 記憶を奪われ、自分を奪われ、思いを奪われた僕に残っているのは、彼との繋がりと後悔だけなんだ。

 だけど、その後悔が僕を存在させ続けている。だから、僕は行かないといけないんだ。彼女と過ごした地へ。


『……いいわ。どのみち私達にはあなたをどうする事も出来ない。その言葉を信じて、キッチックを助けるために動くことしか』

『ありがとう、シルビアさん』


 僕は慣れない笑顔を作って、彼女にお礼を言った。もう一人の僕を人質に取っている形で、彼らの力を借りるのは不本意だったが、僕は彼のように強くはないから、きっと一人ではたどり着けない。


 だけど、きっと彼を救ってみせる。彼は僕に残された最後の絆なんだ。


『ところで、あなたの事は何て呼べばいいのかしら?』

『ヒナタって呼んで』


 その名は特に深い意味はなかった。

 ただ単純に、それがかつての僕の名前だったからという理由だった。



 〜〜〜〜



 ーー次の日。


 早速、僕らはアークティアに向けて出発する事になった。同行者はあの場にいた全員と、勇者軍の面々。それから、皇帝とそのお付きの人達も付いて来るらしい。

 何やら知らない間に、かなりの大所帯になってしまっていた。


 シルビアさんを通して聞いた話では、勇者の人達を反発が特に大きい帝都から離したいという話であった。

 それで、その動かす先の候補として挙がっていたのが、アークティアだったらしい。どうもそこは勇者軍に対しての反発が少ないそうだ。皇帝までが付いてくるのは、公務と言われ詳しくは教えてもらえなかった。


 どちらも移動するなら大勢の方がより安全という理由らしいが……沢山の人から見られていると、監視されてる気がしなくもない。

 僕を逃さない、もしくは、何かしようとした時に止めるというのが、本音かな。


 僕はこんな大所帯相手に大立ち回りなどとても出来ないけれど、僕が乗っ取ったのが彼だからというのもあるかもしれない。ただでさえ、この国は今荒れているのだ。問答無用で殺されないよう、気を張っていかないと。


 そんな風にやや警戒気味に彼らを見ていると、シルビアさんが手に何かを持って近付いてきた。


『ヒナタ、これを付けて』

『これは?』

『これは意思疎通が可能になる魔具よ』


 手渡されたのは、腕に巻く腕輪のようなものだった。

 凄い。こんなもので言葉を知らなくても話せるのか、と少し感動しつつ、何の疑いも持たず手にそれを巻いた。

 すると、それを見て彼女の目から敵意が少しだけ抜け落ちた気がした。


「……素直ね。それが、罠だとは思わなかった?」

「えっ⁉︎」


 嘘だったの⁉︎ 警戒しようって決めたばっかりだったのに……早速失敗しちゃったよ……


「嘘よ。それは本当に意思疎通を可能にするだけの魔具だから」

「えぁ、そ、そうなんだ」


 確かに言われてみれば、聞こえてきた言葉が違う。だけど、彼を通していた時と同じように、意味だけはわかる。

 これがこの魔具の力か。凄い便利な道具だ。


「けど、少しあなたの事を信用出来たわ。彼を乗っ取るぐらいだもの。そんな相手が警戒してたら、この程度の罠にかかりはしないもの」

「ははは……それは良かったよ」


 僕は素直に喜んでいいのかわからず、乾いた笑い声を漏らした。もう少し慎重になろう。


 彼らにとって僕は、敵かもしれない相手なのだから。


 そんな風に警戒心を吊り上げる僕だったが、それはすぐに見透かされ、そんな僕を宥めるように彼女は笑みを浮かべて言ってきた。


「彼を救うまでは、貴方に危害を加えたりはしないわ。こちら(・・・)からはね」


 ……という事らしい。一先ずは気を抜いて良さそうだと、感じた。彼女が嘘を言っているようには見えなかったし、嘘を吐く理由も思い付かない。

 僕が危害を加えたりしなければ、彼らにとって僕は悪者ではないのだから。



 〜〜〜〜



 アークティアまではおよそ一ヶ月かかるそうだ。その間、僕は馬車に乗っての移動となる。体を得たばかりの僕にはとても助かる措置だったが、疑いを持たれ閉じ込められたとも取れる扱いだったため、素直には喜べない。


 初めの一週間、僕はそこで一人だった。特にやる事もなく、時折揺れる馬車にお尻を痛めながらの移動となった。偶に暇つぶしに外を覗くと、周りには強そうな人達が馬車を囲んでいて少し……だいぶ怖かったが、『ご、ご苦労様です』と労いの言葉をかけておいた。


 そうして、退屈な一週目が終わり、二週目に入った日。馬車の中に人が入ってきた。その人は、ルクセリアさんだった。

 いきなりの事で驚いたが、彼は紳士で優しく語りかけてきてくれた。


「この馬車に私も乗っていいだろうか?」

「あっ、はい、どうぞ。僕のじゃありませんし」

「そうか、助かる」


 彼はすごく優しそうだったが、この人が物凄く強い人なのは知っていたので、僕は少し緊張気味だった。

 加えて、無言の圧力というか、馬車に乗ってから僕を観察するように見てくるものだから、人と接する事に慣れていない僕の緊張は余計に高まる。それに、怖くもなってきた。


 そんな風に次第に縮こまる僕から目を逸らさず見詰めていた彼は、数分経ってようやく口を開いた。


「君が旦那の体を乗っ取ったと聞いた」


 僕は緊張して声が出ず小さく頷き返す。


「そして、それは旦那を助ける為だと君が言ったと聞いた」


 また頷く。


「私は旦那に返しきれない程の大恩がある。だから、君に力を貸そう。共に旦那を救おう」


 強い人の言葉だった。僕みたいな弱い者の言葉ではなく、芯のある強い言葉だ。


「あ、あの、ルクセリアさんは僕が嘘を言っているとは思わないんですか? 他のみんなは疑ってるのに……」

「……この一週間私なりに君の事を考えた。私の持つ知識、君の言葉。色々と考えたがその結果……私にはわからなかった。だが、その時ふと初めて君が目を覚ました時の事を思い出した。あの時の君の目は、昔の私そっくりであった。君の目は奪われたくないと、必死で足掻く者の目だ」


 そうか……この人は、僕とは違うものを、奪われた人なんだ。僕は記憶を。彼は大切な人と理想を。

 それを奪い返すために、手段を選ばず足掻き続けた結果、今のルクセリアさんがあるのだ。


 そんな人に、自分と同じ目をしていると言われた。もうこれ以上奪われたくない。その思いは同じだろう。

 けれど、僕には彼と違って奪い返せるものが何一つとしてないことか。


「僕は……ルクセリアさんとは違います。あなたのように、強い覚悟と意思を持っているわけでもなく、ただ子供のように嫌だ嫌だと、喚く事しか出来ません」

「……私は、君が何を奪われたのか、あるいは奪われようとしているのか、知らない。だが、それが君にとってかけがえのないものである事はわかる。その上で、君は旦那を救うと口にした。だから、私は君を信じる事にする」


 目を逸らさず、真っ直ぐな瞳でそう言われて、僕はすごく嬉しかった。

 目が覚めてから、初めてかもしれない。嬉しいと思ったのは。


 人に信じてもらえるってこんなに嬉しい事だったんだと、僕は初めて知った。


「あ、ありがとうございます。信じてくれて」


 少し緊張が和らいだ。それと同時に僕の中に何かが芽生えた。それが、悪い感情か、良い感情なのかは僕にはわからなかった。


 だけど、少しだけ羨ましくなった。もう一人の僕の事が。


 それからルクセリアさんは僕の話し相手になってくれた。話の内容は他愛もない世間話から僕とレイの関係についてまで、色々だった。世間話は、どちらかと言うと、教えてもらうような形だったが、レイとの関係については一方的な話口になってしまった。


 レイと僕は元々一つの魂である事。それが原因で彼の魂が壊れかかっている事。僕にわかる範囲で、彼に伝えた。

 ルクセリアさんは難しい顔で頷くだけで、理解してもらえたかは、わからないが……


 それから、暫くして新たに馬車の仲間が増えた。今度は二人。どこか懐かしい感じを覚える、同郷の二人だ。


「……いきなりこんな事聞くのも抵抗があるんだけどよ……あのよ、ヒナタ。俺たち一つだけどうしてもお前に確認したい事があるんだわ」


 そう、馬車に乗り込むなり話し始めたのは春樹だ。春樹は言い難い事を語るように、目を逸らし指で頬を掻いていた。

 一方、もう一人乗り込んできた女の子、結衣は膝の上で固く手を握り、何かを覚悟しているような面持ちであった。


 春樹は一度結衣の顔を見てから、僕を見て言い難い事を口にした。


「お前も嶺自じゃねぇんだよな……?」


 グッと結衣の拳にさらに力がこもる。


「……ごめんね、それは僕じゃない」


 もう二人の知っている嶺自は死んだ。それは、本当に。


 僕らは彼らの事を全然覚えていない。少し懐かしいような感じがあるだけで、それは久しぶり訪れた街へ抱く印象とさして変わらない。

 もうこの二人と共に過ごした日向嶺自は死んだんだ。それはセルナと過ごした日向嶺自もそう。


 僕はもう死んでいるんだ。


「……そうか。悪いな、変な事聞いて」


 元々大きな期待を抱いてはいなかったのか、春樹は実に潔かった。すぐに自分の勘違いだと、手を合わせ謝ってきた。

 しかし、大きくはなくとも、小さくはない期待を抱いていた結衣はそうもいかなかったようだ。その瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。


 だけど、それだけ。以前のように彼女が取り乱す事はなかった。

 彼女は自分の涙に気がつくと、それを手で拭い、すぐに悲壮感が拭えていない笑顔で『ごめんね』と謝ってきた。


 そんな彼女を見て、僕の中にある疑問が浮かぶ。


 彼女達は、日向嶺自の死をどう思っているのだろうかと。


 僕達の中では、もう日向嶺自は死んでいると同義だ。何が違うのか、わからない。けど、彼らはどう思うのだろうか。


 記憶を無くし、もう思い出す事も叶わない状態の僕らであっても、彼女達は日向嶺自であると思うのだろうかと。


 だから、僕は聞いてしまった。

 聞くべきではないと思っていたけど、聞いておきたいと思ったのだ。

 僕が僕であるうちに。


「その人、どんな人だったの?」


 その返しに二人は目を見合わせた。予期してはいなかったようだ。


「そいつは、俺たちの幼馴染だったんだよ。いい奴……じゃなかったな。人の事忘れるわ、避けるわ、碌でもねぇ奴だった。……でもよ、俺にとっちゃ大切な友達だったんだ」

「ええ……大事な人だった。けど、最後まで私達は彼を助けてあげられなかった。私は側にいる事さえ出来なかった。だから……凄く会いたい。もう一度だけでいいから、会って話がしたい。もう無理だと、頭ではわかっているんだけどね。けど、どうしても、どうしても、諦めきれなくて、こんな所に来ても、彼を探してしまうんだ。……馬鹿みたいでしょう?」


 二人はいい顔はしてなかった。けど、辛そうに言葉を繋げながらも、目を逸らそうとはしなかった。


 この二人は、死に向き合おうとしているんだね。

 ……僕はどうなのかな。彼女に死と向かい合えているのかな。まだ逃げ道を探してしまっているのかな。


 ……僕にはわからなかった。


 けど、彼らの中に消えてしまった僕が残っているんだと、僕は知る事が出来た。それが嬉しいと感じると同時に、心残りでもあった。


「ありがとう、話してくれて。ごめんね、こんな事突然聞いちゃって」


 本当のありがとうは、僕を忘れないでくれた事に、ごめんねは、苦しめてしまっている事に。


 彼はそれを伝える事を望んでいないから、真実は話せないけれど。

 感謝と謝罪の気持ちだけは伝えておきたかったんだ。



 〜〜〜〜



 カタカタと揺れる馬車に揺られて、時は穏やかに過ぎていった。

 僕にとって、それは馬車の中という限られた空間で流れた一時。四方2、3メートル程のとても狭い世界での、一瞬のような出来事。

 けれども、僕の心が満たされるには十分な時と場所だった。


 ーー彼らと少しでも長く一緒にいたい。


 そう思うようになった頃、馬車の揺れが止まった。それに合わせ、楽しいお喋りも中断してしまった。何だろうと耳を澄ませば、聞こえてくるのは、人の声。懐かしい言葉が数多く耳に入り、ガヤガヤと話し込む人々の声が聞こえた。

 それは、周囲の見張りが暇を持て余し雑談しているような会話ではなくて、街中に溢れる入り乱れた会話に近いものであった。


 アークティアに着いたのかなと、少し外を覗いてみると、そこはまだ街の外。けれど、周りには人が沢山いて、怖い顔の冒険者や、小太りの商人などが街に入る順番待ちをしていた。


「街に着いたみたいだね」

「やっとか〜。ケツがめっちゃいてぇ。車のシートが懐かしいぜ」

「そうね、懐かしいわ。色々と……。それにしても、凄い人の数ね」


 そこは、街の出入り口。外壁に一箇所だけ開く門は、大きな鎖で引き上げられ、開門が為されている。その門に代わって兵士が街へ出入りする人の身元と持ち物をチェックし、それにより長い行列が出来ていた。


 そんな彼らの脇を通って、僕らは列に並ぶことなく街中へと誘導される。さすがは皇帝、勇者御一行というところか。申し訳ない気持ちもあるが、長い行列に並ばなくて済むのは有難い。

 しかし、一方で検問をしている兵士達の顔が緊張からか強張っている。皇帝の前で失敗は許されないと、ヒシヒシその表情からは伝わってくる。


 そうして、彼らに誘導され僕達は、学術都市アークティアの街へと足を踏み入れた。


「すごい……」


 門を潜るとそこは、別世界であった。思わず感嘆の声が漏れる。


 学園都市アークティア?

 とんでもない。僕ならもっと別の名前をつける。


 魔法都市アークティアと。


 この街の人々の普段着は、丈の長いローブとトンガリ帽子、魔法使い風の格好が主流のようだ。大半の人は本を手に持ちながら歩いており、この世界では珍しい眼鏡をかけた人も多い。そんなところは学園都市の名に相応しいのかもしれないが、やはり印象としては魔法都市の名が相応しい。


 ベタなところでいうと、空飛ぶ絨毯や水や火で出来た動物達、それから箒に乗って移動する人々が、この街には溢れていた。

 それだけでなく、文字や絵を組み込んだ不思議な絵や、目まぐるしく形を変える噴水からも、魔法的な印象を感じずにはいられない。

 明らかに他の街と比べると異質な光景だった。


「…………」


 僕はその街並みに目を奪われていた。

 世界にはこんな街があるんだ、ともう一人の僕の気持ちがわかった気がした。


 けど、同時に本当にここなのか、と疑いを覚えずにはいられなかった。


 見覚えがなさ過ぎる街並みに不安を煽られる。彼が見付けた唯一の手掛かりを頼りにここに来たが、ここではなかったのだろうか、と失意を感じたその時ーー声が聞こえた。



 ーー大丈夫。間違ってないよ。



 心臓が跳ね上がった。


 それは僕の作り出した幻想かもしれない。けど、確かに僕には聞こえたんだ。彼女の、セルナの声が。


「ッ⁉︎ セルナ⁉︎」


 思わず彼女の名を叫ぶ。そして、激しく視線を動かした。ある筈のない彼女の姿を必死になって探し、何度も彼女の名を呼ぶ。


 けれど……それが空耳だったと裏付けるように、周りからは不審がられ、彼女の姿はその何処にもない。

 ただ、僕の中で、言葉にしようがない後悔と悲しみが膨れ上がるだけであった。


「お、おい、どうしたんだよ急に?」

「……ううん、何でもない。僕の気のせいだったよ。……ごめん、ちょっとだけ一人にして」


 僕は心配してくれた春樹にそう告げると、一人で街を歩いた。その背中を心配そうに見詰める彼らには気が付いていたが、今は一人でいたかった。


 やっぱり僕は彼女の死と向かい合ってなどいなかった。

 未だに、受け入れられないで、彼女の姿を、声を探してる。


 悲しみが頬を伝う。後悔が唇に赤を滲ませる。


 さっきまでは楽しい気分にさせてくれた賑やかで、面白い街が、今は酷く不快だった。

 そこから逃げるように、僕は街の奥へ奥へと静けさを求め、彷徨った。


 どれくらい歩いたか、僕は街の一角で地べたに座って絵を描いている人の前で、ふと足を止めた。


 その人の絵を覗き見ると、それはまだ何も描かれていない真っ白なキャンパスのままであった。今から書こうとしているのか、その人は手に筆を持っている。


 僕はそこで、大分奥に来てしまったなと気が付いた。頬をさすれば、もう涙の跡はすっかり消え、唇には瘡蓋が出来ていた。


 もう……大分落ち着いた。

 そろそろ戻ろうかと思った時、絵師の筆が動き、真っ白なキャンパスの上に小さな模様が次々書き加えられていく。模様の形は様々で、一つとして同じものはなく、色合いも実に鮮やか。

 少しずつ、本当にゆっくりと真っ白だったキャンパスが一つの綺麗な絵となっていく。


 その様子を僕は何となく見ていた。その絵が物凄く上手くて、綺麗だったからではない。

 ただ、次第に模様に埋もれていくキャンパスから、目を離せないでいた。


 と、絵を描く筆の音だけが聞こえる穏やかな時に割り込む足音が聞こえた。その足音は、次第に大きくなり僕の後ろで止まる。


「ーー返してください」

「えっ……?」


 いきなりであった。思わず間抜けた声を漏らした僕の後ろには、少し火照った顔で、息を乱した金髪の少女の姿があった。


「逃げるなんて許しません。あなたが言ったんです。ここに連れて来たら、キッチックさんを返してくれるって。だから、返してください」


 彼女の目は仇を見るようであった。そんな彼女に僕は言葉に詰まりながら、逃げるつもりなんてないと伝えようと口にした。


「ぼ、僕はそんなつもりないよ。ただ、街を歩きたくて。だ、だからさ、安心してよ。彼は助けるから」


 少し怖かったけど、彼女がもう一人の僕を心配している事はわかった。だから、僕は不安を少しでも減らそうと笑いかけた。だけど……


「……やめてください。キッチックさんは『僕』なんて言わないんです! 強気で、笑顔が格好良くて、私が泣きそうになると、頭を撫でてくれる優しい人なんです! あなたが、偽物が、その声で話さないで‼︎ その顔で笑わないで!その体で、優しくしないで! その体はあなたのじゃないんです‼︎ キッチックさんを返してくださいッ‼︎」


 彼女は大声で叫び、僕を責め立てる。背後で何かを倒すような音が聞こえ、街の静けさの中に溶けていった。


 ーー何を考えていたんだ、僕は。


 もう少し、もう少し、と覚悟を先延ばしにし、この満ち足りた時間の中に少しでも長くいたいと、向き合うことから逃げていた。


 彼女の言う通りだ。

 彼らが僕に優しく接してくれたのは、もう一人の僕のため。

 それ以上でもそれ以下でもない。


 結局、僕は空っぽのままだったんだ。


「……そうだね。僕は、君達にとって邪魔者でしかないよね」


 もう甘い世界に浸るのは止めにしよう。


 僕はただの残りカス。

 僕という存在が、彼の存在に入り込む余地などない。

 誰もそれを望まない。


 もう…………終わりにしよう。僕の弱さが生んでしまった彼のために。

 せめて、何かの意味はあったのだと、彼に、彼女らに残してーー


「……行こう。彼を救いに」


 去り際に見た絵は、溢れた絵の具で真っ黒に染まっていた。



異夢世界を読んで頂きありがとうございます。


悪しき行事は終わりました。あれだけ必死になって準備したのに、10分で終わりました。この虚しさはなんでしょうか……


まぁ、そんな作者の近況は置いといて。


今週はね、頑張るんだ。

具体的には、解放記念と称して、卒論発表に回していたエネルギーを執筆に向けて、日曜まで毎日投稿を目指すんだ。

けどね、まだ卒業論文は目次しか書いてないんだ。

だから、過度な期待はなしの方向で、けどちょっとハイペースな投稿は期待してもらっていいんだ。


……ということで、作者の明日が緩い1日である事を祈りながら、また明日!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ