122.投獄されし者
今年ももう終わりですね。
みなさん良いお年を。
「ルクセリア、こんな話知ってるか? ゴキブリって一匹見つけたら100匹はいるらしいんだよ。恐怖だよな。俺その話聞いてから、ゴキブリ見つけたら部屋に薬品撒いて退治しまくったよ」
薄暗い地下。
明かりの乏しさの中でも目立つ汚れは、壁や床にこびり付いていて、綺麗好きな性格なら、鳥肌ものかもしれない。
そんな汚い地下の独房の中で、俺はふと気が付いたのだ。
こんな汚い地下なのに、いや、この世界に来てから、日本に比べ衛生面で劣っているにも関わらずゴキブリを見たことがない事に。
それを口にしてみたところ、ルクセリアは小さく首を傾げて言った。
「ふむ、まったく聞いた事がないな」
「ほほう、ゴキブリを見た事がないのか? 素晴らしいな。あの人類最大の強敵と出会った事がないなんて」
そんな俺の比喩した言い方は、腕組みをしてただ時が経つのを待っているルクセリアに誤解を与えてしまったらしく。
「何? ゴキブリとやらは魔王を差し置い人類最大の強敵と称する輩なのか?」
「ああ、とんでもない程の強敵だぜ。攻撃は全然当たらないし、何処にでも現れて、手を出せない所へすぐに消える。何より目にするとゾクッと寒気が走る」
「なるほど。一切の攻撃を見切られ、瞬間移動の如き動きをし、魔王と同等以上の気配を放っていると……それは強敵だな。そのような強者がいようとは、世界は広いということか」
俺のおふざけでゴキブリは、魔王を超える強敵になってしまった。ある意味それは間違いでもないが、実に下らない会話である。
しかし、今はとにかくやる事がなく、こんな下らない話でも続けないと、暇で仕方ないのだ。
それもこれも、全てセシルのせい。あいつがいつまでも手をこまねいて俺たちを解放してくれないからだ。
もう二カ月だぞ⁉︎
俺たちがこの檻の中に閉じ込められてから!
流石の俺も我慢の限界だ。最近は、封じた筈の秘奥義を繰り出してまで、このちっとも代わり映えしない状況の改善に乗り出し始めた。
その甲斐もあって、毎日三食の満足出来る食事を手に入れ、俺の安眠を支える枕も手に入れ、最低限の生活水準を維持できるようにはなった。
後はここから解放されれば、文句はないのだが……
「旦那、今思い出したのだが、あの名前の件はどういう事なのだろうか?」
ルクセリアはふと思い出したといった風に、2ヶ月前にも聞いてきた、俺の名前について持ち出してきた。
「あれはな、一言でいえば魔王対策だよ。あの魔王、どうやら意識を共有している奴が後5人いるらしいんだ。つまり、俺たちは現状、いつ命を狙わねてもおかしくない状況にあるって事だな。そんなわけで、少しでも撹乱出来たら儲けものかな程度の気持ちで、名前を変えたんだよ。ルクセリアも一応しといた方がいいと思うぞ」
俺が魔王に対してとった対策は、偽の情報を流し行方を眩ます事と、俺自身が改名する事で行動を悟られないようにする事だ。
一つでは弱いかもしれないが、二つセットならそれなりに効果は現れるのではないかと考えた。勇者召喚でどちらも無意味になる可能性は高いが……
「なるほど。それで改名したのか。実に簡単で効果的な方法だが、私はもう暫くは出来ないな。しかし、そう言った事はもっと早く教えて欲しいものだ」
「悪い悪い、色々忙しかったから、いつの間にか忘れてた」
改名に伴い、俺の冒険者としてランクはゼロからのスタートとなった。アフロト大陸にいた時に頑張ってDまで上げたが、まだまだ先は長い。だが、焦る事はない。王都に戻れば、ギルマスに事情を話して元へ戻してもらう事も可能だと考えているからだ。
多少のお小言はもらうかもしれないが、処罰されたりはしないだろう。何たって命が掛かってるんだから。
ヒナタという名前にしたのは、考えるのが面倒だったからだ。
だから、別にレイジでも良かったが、ジを付けただけでは余り変わらない気がして、ヒナタにしたのだ。レイからヒナタ。この繋がりを見破れる者は俺以外にはいまい。安心度が違うというものだ。
まぁ、魔王級なら世界レベルの索敵スキルを持っていてもおかしくはないが、そうなると逃げようがない。楽観はするべきではないが、悲観的になり過ぎて、手の打ちようがない事態の事まで考えても仕方ない。
やれる事だけやっておこう。暫くはあいつの顔を見たくないんでね。
「むっ、誰か来たようだな」
「おっ、牢獄生活唯一の至福がやってきたか」
「つい先程私の5倍は食しただろう?」
ルクセリアは若干呆れ気味であったが、俺は特に取り合う事なく、やって来る人を今か今かと待ち受けた。
しかし、やって来たのは、いつも食事を運んで来てくれる神ではなく、俺たちを捕らえた憎き紫髪の帝国兵であった。
「お前かよ。飯は持ってきたんだろうな?」
「つい2刻前に運んできただろう⁉︎ まだ食べる気なのか⁉︎」
「チッ、飯がないのなら用はない。去れ」
「ふざけるなッ、この野郎!」
激昂する紫髪。しかし、無実の罪で囚われいつまでも解放されない鬱憤を晴らすのに、俺を捕えた相手ほど適任はいない。今日も俺の憂さ晴らしに協力して貰おう。
「それで何しに来たんだよ? マジで用がないなら、一度戻って飯運んできてから、帰れ」
「貴様ッ、いい加減……あっ、すいません、その手に持ったものを下ろしていただきたい」
俺が必殺の構えを取ると、帝国兵は手揉みして頭を下げてきた。どうやら俺の禁じられし必殺技に恐れをなしたようだ。
この手が魔王にも通用したらいいんだけど……
「やれやれ、それで何の用だよ?」
「はい、それがですね。貴方達の処分を決定する方がお見えになられたのですが、その方と面会する間、その手に持った物をぶちまけるのだけはやめて頂きたい」
「よし、食事の量を倍にする事で手を打とう」
俺は即座に条件を出した。帝国兵のこめかみがすごい速さで痙攣している。彼の特技なのかもしれない。
そんな風に秘匿されていた特技を披露しつつ、彼は誰かを手招きした。
牢屋は三方を壁に囲まれ鉄格子の部分しか開けていないため、壁が邪魔して誰を呼んだのかは見えない。
どんな相手が出てくるのかと待ち受けながら、セシルはちゃんと仕事してくれてるのか、と心底疑問に思った。
俺たちの処分を決定する人が来たとか言ってんだけど…?
何とか先延ばしにするしかないよなと、覚悟を決めた俺の前に現れたのは、見知った女性であった。
「えぇっーーーッ⁉︎ な、何故貴方がここに⁉︎」
……ちゃんと仕事してたのか、あいつ。
「やっほー、レーナさんお久しぶりですね。いやはや、アフロト大陸で保護した帝国貴族を送り届けたったのに、二カ月もこんな所に入れられてるんですよ」
セシルからのパスを受けとった俺は、白々しく無実である事を語った。
「そ、それは誠に申し訳ない! おい、今すぐ鍵を開けて彼らを解放しろ!」
「し、しかし、先生、彼らには疑いが……」
ほう? 疑い?
それは俺の身分偽装と盗賊の件か?
「あぁ、そうであった。レイ殿、何故身分を偽装しているのです? それと、盗賊団の頭領といる理由がわからないのですが……」
「説明するとかなり長いので、簡単に言うと、俺の身分偽装の件は怖〜い魔王から逃れる為の手段の一つで、今はヒナタと名乗ってます。それと、盗賊の頭領と言っている彼は、新しく出来た国、商業国クールキャスの設立者ですよ?」
レーナさんの血の気がサーと引いた。それはもう目に見えて。
「と、とんだご無礼を‼︎ お、おお許しください‼︎」
即座に土下座したレーナさんは、ルクセリアに誠心誠意謝罪した。国際問題に発展しそうな大問題を任された彼女も大変だ。
「いや、私が盗賊団を率いていたのは事実であるからな。誤解が解けたならそれでいい。詳しい話は、このような場所ではなく、しっかりとした場で話すが、一先ず私達を解放してはくれないか?」
「はっ、ただいま!」
レーナさんの慌てように触発されたか如くに、紫髪の帝国兵の持つ鍵がカタカタと揺れていた。今彼の頭の中では、降格や首になるのではないかと言った将来の不安が巡り巡っているのだろう。
可哀想に。真面目に仕事をしていただけの彼をこんなに追い込んだ酷い奴は誰だろう?
セシルかな。
「よっしゃぁッ! やっと自由だ! 長い牢獄生活だったぜ、なぁ?」
解放された俺は恨みったらしく、ポンと帝国兵のお兄さんの肩に手を置いた。ビクッと体を震わし、苦笑いの彼に、俺はもう仕返しは十分かと満足した。
「それで、解放されたわけだけど……セシルちゃん」
「ククッ、久しいな主よ」
「「ッ⁉︎」」
やっぱりいたのか……
俺の何となくの問い掛けで今日何度目かの驚愕を重ねる二人。彼らは今日1日ですごく精神的に痛めつけられた事だろう。
「お前さ、いい加減姿を現して喋ったらどうなの?」
「いやはや、これは情報屋としてのサガというものだ。致し方ないと諦めてくれると、私としても助かるのだが……」
「と言いつつ、どこに居るのかわかんねぇし……もういいよ、キャロットさん達は?」
もうセシルの気配現せよ問題については早々に諦めて話を切り上げる事にした。
「この街の宿屋にて、主達の帰りを待っている」
「了解、先戻っててくれ。宿の名前は?」
「『豊穣の女神』である」
豊穣の女神ね。
「あの、レイ殿いえ、ヒナタ殿に説明して頂けると助かるのですが……」
「今のは俺の専属の情報屋だよ。何もかも怪しい奴だけど、まぁ、悪い奴じゃない」
「そ、そうですか……では、私達も参りましょう」
完全に納得出来たわけではなさそうだったが、レーナさんは気を取り直したように、俺たち二人に出口の方を手で指し示した。
俺はその手をたぐり、視線を出口の方向に向けてーー
「なっ………」
一瞬固まった。
な、なんで……
なんであいつらがここにいる⁉︎
それは声にならない驚愕であった。
俺はすぐさま視線を逸らした。動揺が激しい内心をよそに、俳優スキルの進化系、ポーカーフェイスによっていつも通りの顔に固定された俺の顔。しかし、額には焦りと、驚愕からくる汗が浮き出ていた。
その動揺を俺へともたらしたのは、三人の顔であった。
俺がまだ日向嶺自であった頃の、担任と、友。そして、その友の幼なじみの顔がそこにはあった。
「れ、レーナさん、あの人達は?」
「あの者達は勇者軍の皆さんです。彼らがどうかされましたか?」
「い、いや何でもないよ。ただ、く、黒髪が珍しいなと」
俺は咄嗟に言い訳を考え、若干言葉に詰まりながら、答えを返した。
「確かに黒髪は珍しいですね。しかし、彼らはこの世界でなく別の異なる世界から呼ばれた勇者の方々で、ここにおられる方以外も殆どの方が黒髪なのですよ」
「へ、ヘぇ……」
こいつら以外にも、来てんのかよ。
っていうか、何であいつらが?
ひょっとして……またノルドの仕業なのか?
「彼らに興味がおありですか、ヒナタ殿?」
「ま、まぁ、異世界から来た人なんて珍しいし……」
「でしたら、彼らの指南をお願い出来ませんか?」
いやけど、ノルドの仕業だとして、あいつは今度はいったい何をする気なんだ? それとも、帝国が偶々彼らを召還してしまったのか?
……いや、ちょっと待て。
今なんて?
「指南?」
「ええ、実は彼らはまだ訓練中の身で、余り声を大にしては言えない事なのですが……空間系スキルを指導する者が不足しておりまして、願わくばその使い手たる貴方に指導をお願いしたいと」
俺はレーナさんの言葉を吟味した。
俺が彼らを指導する理由は何だろう?
知り合いをみすみすこの厳しい異世界に放り出すなんて出来ない……とは言わない。
俺はそこまで善人ではない。何より、日本での生活が俺は嫌いだった。それは、彼らとの日常もそう。
俺にとってあそこは檻の中だった。狭くて狭くて、何もないあの中が嫌いだった。だから、その檻の中にいた彼らに対して、俺は何の感情も思っていない。
むしろ、彼らに関わる事でこの世界で築いてきた物が崩れそうで、思い起こす事さえ無意識の内に忌避していた。
では、俺が彼らを指導する理由はないだろうか?
罪滅ぼし?
今はその最中。それを放り出しては罪滅ぼしにならない。
他には?
俺には、何も思い付かなかった。ノルドへの疑いを除いて。
結局のところ、俺はノルドが何かしたのかが気になっていただけだった。ただ、それだけだと俺の勘違いという可能性もある。だから、色々と理由を探してみたが……見つからない。
だけど……
「いいですよ。俺が教えます」
ノルドという俺にとって切っても切り離せないピースがあるのなら十分だ。あいつにとってもそう。だから、もしもこれがあいつの導いたものなら、何か理由があるはずだ。俺はそれが知りたい。
「おおっ‼︎ それは誠ですか⁉︎」
「ああ」
「助かります、ヒナタ殿! 私は断られるものだとばかり……」
心底ホッとしたように息を吐くレーナさんを見て、俺は思った。一つだけ理由があったと。
この人に俺は悪い事をした。殺気を向けて、斬ろうとした。
罪滅ぼしと言うのなら、大きな枠にではなく、個人へ。
そんな当たり前の事に俺は今気が付いた。
「では、皆様に紹介致します。ルクセリア殿は後ほど本国へお送り致します」
「あー、悪いんだけど、すぐにってわけにはいかない。二ヶ月ほど待って欲しい。用事があるんだ」
罪滅ぼしを放り出すわけにはいかない。それでは、またセーラと同じ結果になってしまう。俺の掌は俺が思ってるより小さい。一つずつ確実にやっていかないと。
「こちらとしては、レイ殿にお願いする立場です。それはもちろん構いませんとも」
俺の我儘を快く承諾してくれたレーナさんに、俺は自己嫌悪に陥った。
俺はこんないい人に何してんだよ。自分が嫌になる。
そんな風に、苦虫を噛み潰したかのような心情を抱えていると、ルクセリアが俺たちの会話に割って入ってきた。
「すまない、私も彼と行動を……」
「ルクセリア。グール達の事は俺に任せて、お前はソラとノルルを最後まで送り届けろよ」
「いや、しかしだな……」
共に来ようとするルクセリアは、納得がいかないのか食い下がった。
全く頭の固い野郎だ。もっと柔らかく考える事が大事だと思うんだ。
「いいから、先に帝国に行ってろよ。ノルルとソラを送る事も大事だろ? 俺はお前が付いててくれるだけで、安心できるんだよ。逆に聞くが、俺に任せるのは不安か?」
「いや、そうではないのだが……うむ、わかった。私が責任を持って彼女達を親御さんの所まで送り届けよう」
ルクセリアは責任感の伴う声音を聞いて、どこか安心する自分がいた。所詮はルクセリアを納得させるために出した言葉だったが、俺は結構ルクセリアに信を預けているらしい。
シャルステナ達とは違う、どこか頼れる仲間という感覚が知らず知らずのうちに芽生えていた。
「では、ルクセリア殿は私達と共に、という事で宜しいでしょうか?」
「宜しいですよ」
さてさて、話が纏まったのはいいが、どうするか。
一先ずポーカーフェイスの発動は絶対として、どこまで上手くやれるかだな。
今の俺の名前はヒナタ。向こうがその名に反応する可能性は高い。今更変えるというわけにもいかないしな……
ほんとにレイジにしなくて良かった。これなら、まだ誤魔化せるか……?
俺は、そんな風に一人緊張を高めていた。そして、その時はすぐにやってくる。
「紹介しましょう。こちらの男性はルクセリア殿。そして、こちらの少年はヒナタ殿です」
「………えっ……?」
三人同時に固まった。瞳の奥で葛藤しているのが、見開かれた目から伝わってきた。
その中で、一際動揺が大きかったのは、俺の事をよく遊びに誘っていた友である春樹ではなく、俺の担任であった舞先生でもない。殆ど関わった記憶がない如月結衣という少女であった。彼女の目に涙が滲み出て、決壊するまで、そう時間はかからなかった。
「嶺自……?」
ピクリとも反応しないポーカーフェイス。真顔のまま一切の感情を表に出さないその顔の裏で、俺は何故か胸をギュッと絞られたような気持ちになった。
「おい、お前嶺自なのか⁉︎」
彼女の次に言葉を発した春樹は、目尻に涙を浮かべながら、俺に手を伸ばしていた。俺はその手を掻い潜るような事はせず、ただ受け止めた。
……こいつはいい奴だった。明らかに人を避けていた俺に唯一関わろうとしてくれた奴だった。だけど、それでも俺が本当の意味で友人だと思った事は……一度もなかった。
グッと春樹に引き寄せられ、眼前に彼の顔が迫っても、スキルの力で俺の顔は一切の変化を見せない。
「誰だよ、嶺自って」
出来るだけ冷たく言ったつもりではあった。だけど、そこに口から出た言葉はほんの少し震えていた。
「春樹殿、こちらはヒナタ殿です。貴方がどなたと勘違いされているかはわかりませんが、手をお放し下さい」
「あっ、いや、俺は……」
レーナさんが俺と春樹の割って入った。それで少し冷静さを取り戻した春樹は、視線を泳がしてから、肩を落とすように力を抜いた。
「落ち着いて、二人とも。確かに彼と同じ名前だけど、偶然よ。現に彼は私達を見て顔色一つ変えなかった。……別人よ」
舞先生は、春樹と如月を慰めるように両の腕で抱き寄せた。
目尻に涙を浮かべる先生。
歯噛みするように、顔を斜めに落とす春樹。
そして、未だ呆然としている如月。
どう見ても、彼らは俺の死を悲しんでくれていた。
何だろうか……この気持ちは。
自分の心がわからない。
死んだ人が望むのは生きている者の幸せだという。
だけど、俺は彼らに何も望まなかった。俺が死ぬ瞬間に思ったのは、やっと終われるという安堵であった。
だから、俺自身生きている人達に何か思ったりはしなかった。
それがどうして……逆はあるのだろうか?
俺にはわからない。何故彼らが俺の死を悲しんでくれているのかが。
そんなモヤモヤして晴れない気持ちを変わらない顔の裏に隠し、ジッと彼らの様子を見ていると、横から声が飛んできた。
「キッチック、貴方らしくないわね。身分偽証で捕らえられたままだなんて」
「シルビア……?お前何でここに?」
以前より少し伸びた青い髪を肩にかけ、以前より柔らかい視線を携えたシルビア。俺は単純な疑問から、彼女へと問い掛けた。
「それは私が言わせて貰いたいわ。相変わらず行動が読めない人ね、貴方は」
シルビアさん、久しぶりの再会に呆れ顏はないんじゃないか?
そんな事を頭の片隅で思いつつ、この重っ苦しい空気を霧散してくれたシルビアに感謝した。正直、お通夜みたいな雰囲気に飲まれるのは居た堪れなかった。だって、目の前にその冥福を祈る相手がいるのだから。それも、それが俺だと言うのだから笑えない。
「へぇ、君がシルっちが言ってた鬼畜っちか」
目を輝かせるとは少し違うが、興味がありそうな視線で、俺へと近寄ってきた黄色い髪の少女。背中にその背に不相応な程大きい弓を下げて、人懐っこい笑みを浮かべる彼女は、俺の顔を下から覗き込むようにふんふんと頷く。
「そこに『っ』て入れるなら、普通に呼んでくれ」
俺はまるで臭いを嗅ぐような仕草をする彼女から一歩後退りながらも、出来るだけ自然にそう返した。
「えぇー、いいじゃん別に。それよか、君〜、あのディクっちに勝ったんでしょ? どうやったらあの鬼才に勝てるの〜?」
軽く弾む口調に馴れ馴れしさを感じるが、それが不快かと聞かればそうではない、慣れ親しみ易い話し方だ。
「努力と根性とちっぽけな勇気かな」
「何それ〜、おっかし〜。君聞いてたより、面白い人だね〜。私、カノンちゃん。よろしくね〜」
「ああ、よろしく。それで、そっちの子は?」
この場でただ一人見知らない少年へと目を向けた。短く切り揃えられた髪。頰に入った切り傷。そして、何より特徴的なのは、肩に背負って離さない馬鹿でかい斧。
俺が視線を送ると、ギラギラと光る目が、俺を捉えた。
「オラァ、アルクってもんだぁ。あんたぁの話しゃ、シルビアから聞いてらぁ。強ええって話だぁ。どうだぁ? オラァとやり合ってぇあみねぇかぁ?」
凄い訛り口だが、嫌いな性格じゃない。好戦的で、戦う事が好き。俺とどこか似たようなものを彼からは感じた。
「いいよ。どこでやる?」
「今からぁでも……」
俺が収納空間から剣を取り出し、アルクが馬鹿でかい斧を片手で肩から持ち上げたのは、ほぼ同時であった。
しかし、シルビアが両手をそれぞれ俺とアルクの前に掲げて割って入ったのも、またほぼ同時であった。
「待ちなさい。貴方達がここでやりあえば、牢屋が持たないわ」
「なんでぇ、邪魔してくれぇねぇでけろ。オラァ、ウズウズしてんだぁ」
そう止めに入ったシルビアに文句を言いつつも、アルクは斧を肩へと戻した。ここで戦う気はもうないようだ。
「抑えなさい、アルク。キッチック、貴方もよ。まさか、闘技場を崩壊させた事を忘れたわけではないでしょう?」
「あれは半分ディクのせいだ」
俺だけのせいにするのはやめて欲しい。俺とディクの戦闘でああなったのだから、責任は半々のはずだ。
「私が見た限りでは闘技場を崩壊させたのは貴方の魔法だったはずだけれど?」
「気の所為だよ」
「本気でそう思うのなら、一度頭を強く打つ事をお勧めするわ」
俺がキラキラと効果音がなりそうな笑顔で、実に清々しく言い逃れすると、彼女も清々しく返してきた。目端が優しくなっても、キツイ性格は治らないらしい。
「それで、どうして貴方はヒナタなどと名乗っているのかしら? 貴方の名前はレイ・キッチックでしょう?」
「いや、これには居た堪れないわ……ちょっと待て、お前今なんつった?」
聞き間違いだよな?
何かおかしな羅列が聞こえた気がしたのだが……
「あら、ごめんなさい。逆だったかしら? キッチック・レイ」
「やっぱりか‼︎ 俺の知らない間に俺の本名がおかしな事に!」
あの野郎!
いや、責めないよ? ギルクには恩があるからな。だけどな、この気持ちはいったいどこにぶつければいいんだ?
今度会った時に楽しい楽しい空中散歩に連れ出すくらい悪くないと思うんだ、うん。
「いいか? よく聞け、シルビア。俺の本名はレイだ」
「ええ、知ってるわ」
絶対わかってない……
「だから、キッチックは偽名で本名はレイなんだってば」
「偽名? まったく意味がわからないのだけど……?」
「いや、俺だってそうだよ。ウチのアホ王子に聞いてくれ」
俺はそこで.ふとアホ王子は今頃何してるんだろうかと懐かしい気持ちになった。前世の友人の事はこれっぽっちも懐かしく思わない癖に、こっちでの友人となると幾らでも思い出が湧き出てくる。
ギルクとの出会いから、二人で馬鹿やってシャルステナに怒られた事、武闘大会での一幕まで、俺にとってかけがえのない思い出だ。
だけど、同時にーー
ーー凄く不思議だった。
どうして俺は春樹の事を全然覚えていないのだろうと。
俺の記憶では週に何度か遊ぶ友人であった筈なのだ。それなのに、彼とどんな事をして遊んだとか、何を話したとか、全然思い出せない。
おかしい。
余りにも不自然過ぎる。
その事に気が付いた時、俺の脳裏でノルドの言葉が響いた。
『俺がお前から大切な記憶を奪っていたとしてもか?』
1年以上前に聞いたその言葉が今頃になって重くのしかかる。
………そういう事か。
「ははは……」
口から苦々るしい渇いた笑いが漏れた。
何てことはない。今まで何故気が付かなかった。
あるいは気付いてて、考えようとしなかっただけか。
俺もまたあいつと同じで……
ーー記憶を奪われていたんだ。




