番外編〜アルバイト王子の転々職報告
「……行ったか」
去っていく自分よりも小さな背中を見つめ、ギルクは少し寂しげに呟いた。
「やれやれ……騒がしい問題児が消えて、ようやく静かになるな」
と、ギルクは軽く息を吐きながら、若干強がりが見え隠れするような言葉を吐いたが……
「そうかなぁ? ギルクの方がうるさいけどなぁ」
ゴルドのノンビリとした指摘を受けて、カッとなって口を開く。
「何だと⁉︎ 俺があのドグサレ鬼畜野郎よりうるさいわけがないだろ⁉︎」
『いえ、マスターは平均1日に10回ほど声を張り上げますが、面白王子は平均30回ほど声を張り上げています』
「シーテラ!俺が言いたいのは、そういう事ではないんだ!」
ゴルドとシーテラ。少し人とは違う感性をお持ちの二人に、ギルクは論点がズレつつある事をいちいち声を張り上げて、指摘する。
「俺が言いたいのは、これから平和になるなという事だ」
「……ですね」
力を抜いたギルクの言葉にライクッドは未だレイの背から目を離さずに同意を示した。その横では、泣き虫が二人慰めあっていたりする。
「さて、俺たちも王都へ帰るぞ。お前らの卒業式に遅れてしまう」
〜〜〜〜
ゴルドとアンナの卒業式が、レイとシャルステナの二人がいないまま執り行われた。式はつつがなく、何も起こらないまま平穏無事に終わった。ギルクの中に物足りなさを残して。
あれから、1ヶ月。
王都ではいつもと変わらぬ時が流れている。街は、活気に満ち、人の出入りも多い。特に、冒険者や行商人達の出入りは盛んだ。
街には国中から、人も物も集まってくる。
変わった事と言えば、どこかの王子が職を変えた事ぐらいだろうか。
「王子、3番テーブルと4番テーブルだ!」
今日も王子は新たな仕事場で大忙しだ。
「なにぃ⁉︎ さっき運んだばかりだぞ!」
「黙って働きやがれっ!」
いや、大騒ぎだと言うべきか。文句の多い王子に、今日も小料理屋の大将の怒声が飛ぶ。
『ヘイ、マスター代理。何なら俺っちが運ぼうかい?』
と、両手に山盛りに積み上げられた料理を持ちながら、運んでいたギルクに声をかける薄緑の髪の女性。軽い調子の言葉を使っているのに、淡々と棒読みな口調からは違和感しか覚えないものであったが……
「シーテラ、お前どこでそんな言葉使い覚えたんだ?」
『ヘイ、そこのボーイが、こうした方がイイって言ってたぜ、ヤェイ』
色々と混ざっているような喋り口。しかも、更にバージョンアップした言葉が実に痛々しい。
プククッと口を押さえているそこのボーイはどうやら注文をミートスパゲティから、タバスコスパゲティに変更したいようだ。
「何でもやろうとするのはいいが、それは俺が殺されねかねんからやめてくれっ」
ギルクはタバスコを散開させた片方の皿をシーテラに渡すと、火炙りにされる自分を想像してぶるっと震えた。
『了解しました、マスター代理』
元の言葉使いに戻ったシーテラは、淡々と受け取った皿を指定の座席ーーすなわちそこのボーイへ。
ギルクは店内で火吹き芸を披露するそこのボーイを流し見してから、すぐに店内を走り回る。一方で、シーテラは悠長に無表情な顔でパチパチと手を叩いて、火吹き芸に対して称賛を送る。アンコールと淡々として口ずさんでいるのは、きっと気のせいだ。それで、そこのボーイが、悪ノリした周囲からのコールに涙目で狼狽えているのも。
しかし、忙しく動き回るギルクと、呑気に客と遊んでいる……客で遊んでいるシーテラでは、雇用の待遇がえらく違う。けれど、これは役割の差であるからして仕方のないことなのだ。
シーテラはウェイターであり、リピーターを狙うための看板娘。一方、ギルクはただの煩い王子。愛想は振りまかないが、こうしてギルクが馬車馬の如く走り回る中、客とのコミュニケーションをするというのも彼女の仕事なのだ。
「はぁはぁ、何で俺がこんな所で……」
息を切らしながら、ギルクは愚痴を漏らす。
それは、シーテラとの対応の差に対してではない。基本働く必要などない彼にとって、働くのは趣味のようなものだ。
それが楽しかったり、やりがいがあればいいのだが……残念ながら、彼はウェイターという仕事にそれらを感じる事はなかった。
何故って?
もはや言うまでもない事だが、敢えて言うのならーーこの酒場には殆ど男しか来ないからだ!
男に酒を運んで何が楽しい⁉︎
運ぶなら見目麗しい女性に運んで、楽しくお喋り、いや、お持ち帰りしたい!
と、彼の心の鬱憤は叫んでいた。
しかし、それでもシーテラが少しでも楽しそうに会話したり、笑顔で料理を運んでいたのなら、彼も我慢出来ただろう。
それが、友から頼まれたことであるのだから。
だが、一週間働いて見て、彼女のそんな素振りは一度も見られなかった。その事が、ギルクにある決定を下させてた。
「こんな店、今日限りでやめてやる!」
彼は最後まで騒がしかった。
〜〜〜〜
「で、あんたはまた仕事やめたわけ?」
「ああ、やってられないからな」
「じゃあ、ギルクは今無職なんだ〜」
場所は変わり、王都にある店の個室で、ギルク、アンナ、ゴルドの3人が顔を突き合わせ、食事を取っていた。シーテラは、魔力を摂取できる食べ物がいいので、一人で魔石屋に行っている。
「そんなわけで、次の職の候補を考えるぞ」
「何よそれ、あたし達関係ないじゃない」
何がそんなわけなのかと、こちらも無職のアンナさんは、面倒くさいとばかりに手の平をパタパタさせ、勝手にやれと言わんばかりだ。
「そう言うな。共に机を囲んだ仲だろう?」
「あんた以外はね」
鋭い突っ込みが冴える。痛いところを突かれたギルクは一瞬口を閉ざしたが、その横で代わりとばかりにゴルドが机に乗り出した。
「ねぇ、アンナ。今度布団囲もうよ」
「何がしたいわけ⁉︎」
入ろうではなく、囲むらしい。だけど、何となくアンナの手はゴルドの頬を叩いていた。卒業してもまだ、彼の頬から紅葉が消える事はないのだ。それが少し嬉しそうに見えるのはきっと気のせいだ。きっと……
そんなよく見る光景をサラッと流しつつギルクは言った。
「一つ思い至ったんだがな。彼女は街中以外の仕事に就いた事がないだろう?」
先日の事だ。仕事終わりに暗い夜道をギルクとシーテラが歩いていた時の話だ。
会話もなく、ただ家ーー城に向かって歩いていると、ギルクはふとシーテラが付いて来ていない事に気が付いた。
彼は慌てた。火炙りに、氷漬けが追加されると。
そうして、慌てて探し回ったギルクは、大通りから少し小道に入った場所で、シーテラの姿を見つけた。
その時彼女は道の隅に隅に座り込み、石畳の合間から生えていた花をジッと見詰めていた。
それを見たギルクはこれだ! と確信に近いものを覚えた。
だから、こうしてこの二人を呼び出し、話をしていたのだ。
「あんた馬鹿? いや、馬鹿なんだけど、シーテラが戦えない事は知ってるでしょ? それで何が出来るって言うのよ?」
「僕も危ないと思うなぁ」
しかし、二人はその意図をまるで理解していない。ギルクが彼女達をわざわざ自腹を切ってまで食事に誘った理由は……
「明日から全員で冒険者になろう」
そう、護衛だ。
「嫌よ。あたし、忙しいし」
「フッ、何もする事がない癖によく言う」
鼻で笑い飛ばすギルク。それに対し、アンナはバンと机を叩き立ち上がると、
「はぁ⁉︎ あるわよ! こう見えて、あたしは忙しいのよ! 毎日、朝からお兄ちゃんの仕事場に行って、遠くから見てたり、さり気なくお兄ちゃんに近づく女がいないか見回ったりしなきゃいけないのよ!」
学校という縛りから解放されたブラコン娘の日常を恥ずかし気もなく暴露した。
それに続き、ゴルドはのっけらかんとした顔で言った。
「だから僕も忙しいんだ」
だから、らしい。アンナが兄を追い回すから、忙しいらしい。
「お前らは二人は、ストーカーカップルか」
ギルクは一瞬、衛兵に突き出した方がいいのかと本気で考えた。
〜〜〜〜
翌日、渋るアンナを強制的に屋敷から連行し、ついでにゴルドというストーカーもゲットしたギルクは、シーテラを連れて、冒険者ギルドへと来ていた。
『マスター代理。ここが次の職場でしょうか?』
トコトコとギルク達の後ろについて来ていたシーテラは、ふとギルド前で立ち止まると、ギルクに質問した。
「そうだ。俺たちは今日から冒険者になる」
『それはつまり、マスターと同じ職に就く事になるのでしょうか? しかし、私には戦闘機能は備わっておりません』
つまりは不可能だとシーテラは言うが、ギルクはアンナとゴルドを見て、大丈夫だと笑いかけた。
と、その時後ろから声が掛けられた。
「あれぇ? 何してるんですか、皆さん」
「珍しいですね。……というか、お久しぶりです」
ギルク達が振り返ると、そこには彼らの後輩、リスリットとライクッドの姿があった。
リスリットは軽装だが丈夫そうな装備を身に付け、武器は細めの片手剣が一本と、短剣が一本腰にぶら下がっている。偶々の思い付きが上手くいき、レイから褒められた事もあって、彼女はいつの間にかアンナと同じ二刀流になっていたのだ。まぁ、少し変則的で、その習熟度はまだ遠く及ばないが……
一方、ライクッドの防具はリスリットのよりもさらに軽装で、ローブ姿であった。だが、実はそれはレイが気紛れにプレゼントした高級品で、オーガの皮膚で出来ており、頑丈さは折り紙付きだ。
そのローブの裏生地には短剣がビッシリ。もしもの時の爆発魔石も完備だ。しかし、中後衛型の彼はそれだけでなく、杖も持っている。こちらは自分で買ったもので、魔力の消費を抑えてくれるものだ。
そんな彼らの見た目は十分一端の冒険者を名乗れるもので、ギルドの中にいても、幼い見た目以外は違和感がない。それに、幼い見た目は、7歳児が働いていた事もあり、このギルドの中では悪目立ちする事にはならなかった。
むしろ違和感があるのは、ギルクとシーテラの方だろう。ギルクは体格に似合わない重装備で、シーテラは普段着だ。違和感しかない。
「そうか、お前達も今日は休みか。実はな……」
丁度いいとばかりに、二人を自陣に引き込もうと、説明を始めたギルク。掻い摘んで要点だけ話し終えると、どうだ? と先輩の威圧感たっぷりに聞いた。
「もちろんです! 私達だけじゃ、危ない時もあるので、むしろ助かりますよ!」
「僕も構いませんよ。高難易度のクエストも受けられますから」
あまり威圧感が関係ないところで了承してくれた二人に、ギルクは一つ頷くと、冒険者登録が終わっていない面子ーー具体的には、ギルク、シーテラ、そして、卒業して以来無職のアンナさんは、まずその登録をする事にした。
全員登録し終える頃には、アンナの機嫌も直り、銭ゲバアンナさんの登場だ。グヘヘと笑う彼女は頭の中では碌でもない事を考えているに違いない。
再度、全員が集まったところで、ギルクはライクッドの方を向いて、
「よし、ライクッド。このパーティのリーダーはお前だ」
「えっ?」
リーダーに任命した。てっきりギルクがリーダーをする流れであると思っていたライクッドは思わず惚けた顔をした。
「俺は冒険者の事はよく知らん。だが、ゴルドやリスリットに任せるには、不安があり過ぎる」
「何でみんな私を馬鹿な子みたいに扱うんですか!」
「違うよ、リスリット。僕は天然ボケらしいから、リスリットも天然ボケだよ」
「フォローになってないですぅ!」
そんな風に割り込んできた二人をサラッと無視し、ギルクは続けた。
「この中では、一番お前が適任だ」
「そういう事なら……」
ライクッドは小さく頷きつつ、ポチッとあのスイッチを押す。
「ギルク先輩! 無視はダメですよ! そんな事してもアバババッ!」
骨まで透ける勢いで痙攣したリスリット。ボテッと頭から床に倒れ、体からプスプスと煙が上がっている。
ライクッドはリスリットの足を掴み、地面を引きずりながら、手始めにと簡単な依頼を受けて、彼らはライクッドリーダーのもとギルドを後にした。
戦闘不能者1名を引きずりつつ、街中を進んでいると、大通りを馬に乗った団体が横断していた。王族か貴族の団体だ。王都では珍しくもない光景に、特に取り繕う事なく、ギルク達はその横を通り抜けようとした。が、その集団の一番前を行く、金髪の髪を後ろに流すようにして固めた男性が、ふとライクッド達ーー正確には同じ金髪のギルクに気が付き、親しげに声をかけた。
「ギルク、お友達かい?」
そうニッコリと笑って馬にまたがる男性の顔はギルクによく似ている。血の繋がりを感じるレベルだ。
しかし、ギルク以外誰も彼の顔を知らなかったために、誰この人みたいな目を向けている。
「あ、兄上⁉︎」
不意を突かれたせいか、ギルクも驚いていたが、すぐにいつもの調子を取り戻すと。
「今、お戻りになられたので?」
「ああ、そうだよ。3年ぶりかな? いやぁ、すっかりギルクも大きくなったんだね。私は嬉しいよ」
「兄上も一層逞しくなられましたね」
3年ぶりという二人は、ギルクの言った通り、兄弟の関係にある。王族の中では、最も年若いギルクと、目の前にいる兄ーージャニス・ライクベルクとは10近く歳が離れているが、側室の多い王の子の中では唯一母も同じという血縁関係にある。
その為か、幼い頃からギルクはジャニスを慕い、数多くいる兄弟の中で最も尊敬している。それは、ジャニス・ライクベルクの人柄も理由の一つに含まれている。
ジャニスは第1位の王位継承権を持つ、時期王候補の中でも最も有望株だ。彼自身、幼い頃から勉学だけでなくあらゆる面で努力し、更には自らの足で国を周り、民に寄り添おうとする人物である。
そんな兄の人柄も、ギルクは尊敬していた。自分にはとても真似出来ないと。
「見た所、武装しているようだけど、街の外に行くのかい?」
「はい。友人からの頼まれ事がありまして」
少し心配そうに目を細めたジャニス。彼は、弟を心配して、提案した。
「そうか。けれど、街の外は魔物がいて危険なところだ。何なら私の兵を連れて行くといい」
「いえ、それには及びません。街の外が危険である事は重々承知しております。故に、この二人を連れて行くのです」
ギルクはすぐに兄の申し出を断った。それは、忙しい兄に迷惑は掛けたくないという気持ちからだ。それに、安全を確保する為にゴルドとアンナも連れて行くから、心配ないとギルクは言いたかった。
だが、ジャニスは生憎二人の事をよく知らない。その背丈から、まだ子供ではないかと心配を募らせた。
「心配だなぁ。私の兵を連れて行くのは、嫌かい?」
「いえ、そうではありませんが……この二人は一人でS級を仕留められる実利者です。なので、兄上のお手を煩わせる事はありません」
これはギルクの言い方が悪かった。ジャニスは、二人が旅先でも噂になっていた二人だと勘違いした。
そう、レイとシャルステナだ。
「へぇ、じゃあ君達があの……うん、わかった。それなら、心配は無用というのものだね。二人とも、弟をどうかお願いします」
「はい、お任せ下さい」
アンナの毅然とした態度で頭を下げる様子に、ギョッと目を剥く一同。誰だお前はと、どの眼も語っていた。
しかし、一方でゴルドはいつもと変わらぬ調子でズバッと敬礼すると……
「あいあいさっ痛い!」
「この馬鹿っ! ……申し訳ありません、王子。この者は重度の馬鹿でして」
すかさず飛んできたアンナの鉄拳にゴルドは頭を抱える。そして、ゴルドの失態をカバーするように、アンナが頭を下げる。
それに対しジャニスは少し悪いことをしたかなといった顔をしつつ、アンナに頭を上げさせた。
「構わないよ。気にしないでくれ。それよりも、君たちも気を付けて。ゆめゆめ油断などしないように」
「王子、そろそろ」
と、ジャニスの隣にいた男性騎士が、時間を気にして一言掛けた。この声を掛けた男性騎士を、ギルク達は知らないが、実は王都進行の折に、レイと共に前線に出ていたゲルクだったりする。
「ああ、わかってる。すまない、ゲルク。じゃあそういう事だから、ギルク。また、今度ゆっくりと話そう」
「はいっ」
久々に再会した兄の言葉に強く頷くギルクは、レイ達の前では殆ど見せた事がない少年のような笑みを浮かべていた。
パカパカと馬の蹄が石畳を鳴らし、ジャニス率いる団体が過ぎ去っていく。
それを全員で見送りながら、ライクッドが一言。
「今のは何かのドッキリですか?」
と、余りにも違う態度に思わずそう呟いた。
〜〜〜〜
ギルク達が受けた依頼は、C級のホーンラビット討伐クエストだ。数は50と多めだが、アンナとゴルドという突起戦力がある今、それは大した数にはならない。
しっかりと準備をすれば、ライクッドとリスリットの二人でも十分倒せる相手だからだ。
ホーンラビットの住処は、王都近くを流れる川の上流。その先にある少し丘だった場所だ。
彼らはそこに向けて、楽しくお喋りしたり、アバババッ!となったり、バチンッと叩かれたりして、賑やかに移動していた。
その中で、シーテラだけは静かに、風を感じたり、景色をボーと見たりしていて、一歩引いた感じであった。
「どうした、シーテラ」
『いえ。何もありません』
シーテラの何処か遠いところを見る視線に気が付いたギルクに、彼女は小さく頭を振った。
「本当にそうか? 何か気になる事があるのならば、遠慮せずに言ってくれ」
『はい。では、言います。……昔とは随分景色が違うと思いまして』
ギルクはその小さな感情の現れに、鋭く気が付いた。しかし、それに反応する事はせず、聞いてみた。
「昔はどのような景色だったんだ?」
『そうですね。私が起動した頃の世界は荒んでいました。山は土以外何もなく、野原は焼け焦げ、川には死体が散乱し、空は戦いの戦火で赤く染まり、雷鳴が鳴り止む日はありませんでした』
彼女の言葉から想像する過去の世界と、今目の前に広がる世界。確かに大きく違う。山や野原には草花が生い茂り、川は濁りのない綺麗な水が流れ、空は青く白い雲が風に流されている。
「戦争か?」
『はい、それもありました。しかし、邪神が生まれ、私が破棄された街に残る事になるまで、私の見た世界は今の世のように平和ではありませんでした』
彼女の見詰める先ーー遠い過去で彼女がその瞳に映した世界。それをギルクは想像する事しか叶わないが、酷いものであったのだろうと、感じていた。
『叶う事なら、前マスターにもこの景色を見てもらいたいものです』
そう、彼女は締めくくると、足を止めたギルクを置いて、歩き出した。
残されたギルクは、少し寂し気に映る彼女の背中を見ながら、小さく呟いた。
「それが、やりたい事か?」
その問いかけは彼女に向けたものではなく、己の中にある約束に向けられたものであった。
〜〜〜〜
「見つけました。数はザッと100ですかね」
目的の場所から少し離れた場所で敵情視察を行っていたライクッド達。その方法は、ライクッドのオリジナル魔法だ。
「凄いな、この魔法は」
「なんか、ボン、グシャ、バーン、ってやっちゃうシャルのとは違うわね」
アンナの謎の擬音語はさて置き、ギルクが素直に称賛した通り、ライクッドの魔法はかなり有用的なものであった。
具体的には、実に細かい魔力操作により、成り立っている魔法だった。そういう意味では、アンナの言う通りボンとかグシャなど威力重視のシャルステナとは違う種類の魔法だ。
ライクッドの開発した魔法は、マジックミラーという名前だ。その名の通り、魔法の鏡である。
空に薄く伸びた水。そこに、光魔法で見たい先の光景を映し、反射させている。千里眼や、空間を思うように使えない彼なりの索敵方法だ。
「では、ゴルドさんとアンナさんは敵の数を減らして下さい。僕とギルクさんは、そこの駄犬のサポート」
「そこの駄犬⁉︎」
「シーテラさんは僕とギルクさんから離れないで下さい」
綺麗なスルーパスをされたリスリットは、目尻に涙を溜めて、大声で泣いた。
「えぇーん! 誰も構ってくれないーー!」
「構って欲しかったら、このボタン押そうか?」
これ見よがしに電撃スイッチを見せるライクッド。それにリスリットはギョッと目を剥いて、アタフタし始める。
「そ、それはダメ! 私に構っちゃうダメよ、ライクッド!」
「うん、元からそのつもりだよ」
彼は師の教えに忠実だ。
〜〜〜〜
「ゴー!」
ライクッドの短い号令に、全員が一斉に走り出す。その中でも飛び抜けて速いのはやはり、アンナだ。スピード型の彼女は、瞬く間に最初の獲物を無駄にみじん切りにし、次の獲物へと足を動かす。
次にホーンラビットに襲い掛かったのはゴルドだ。片手持ちの両手剣を振り下ろし、ドボンと地面を陥没されてホーンラビットを押しつぶす。
「リスリット、左から来るよ!」
「了解!」
後方で視界が広いライクッドが、リスリットに指示を飛ばす。もう一年近く前から時折パーティを組んで戦ってきた二人のチームワークは抜群だ。普段の主従関係は何のこと、戦いにおいてこの二人の息は寸分の狂いなく合っている。まぁ、ライクッドが合わせてる部分も多分にあるのだが……
一方で、ライクッドの横で、同じくリスリットのサポートをする役目のギルクが取り出したのはーー魔石だ。
「えっ……何を……」
思わずライクッドは目が点となったが、ギルクは構わずそれを放り投げた。
どかーん!と一発リスリットの遥か前方に放った魔石が爆発した。
「フッ」
短く笑い飛ばすギルクだが、C級の魔物相手に高すぎるコストパフォーマンスである。ライクッドは、この人本当は馬鹿なのかもしれないと思った。
「ギルクさん、魔法で援護お願いします」
「フッ、任せろ」
若干悦に入っているギルクに、魔法でと限定して指示を飛ばしたライクッド。あんなものポイポイ放り投げられたら、修行にならないとその顔には書いてあった。
「リスリット、右に走って! そのままだと一度に2体相手にする事になる!」
「了解!」
リスリットはすぐに右に体を走らせ、その先で接敵した相手と剣を交えた。ホーンラビットの大きな角と火花を散らし、その瞬間ライクッドからの援護射撃が飛ぶ。
ファイアボールを三弾。休む間なくぶつけられたホーンラビットが、地面に転がった瞬間、リスリットの剣がその上からズンと突き立てられた。
「大きいのいくよ! 下がって!」
「了解!」
シュバッとその場から後ろに飛び退き、空中で翻ると後衛に向けて走るリスリット。その視線の先で、ライクッドは天に向けて杖をかざした。
「落ちろ稲妻、ライボルト!」
それは中級の魔法であるが、規模はかなり大きい。アンナとゴルドを巻き込まないよう注意して広がった雨雲から、無数の雷が地面へと落ちる。
その雷鳴の餌食となるホーンラビットは一瞬で焼け焦げ、チリとなって消えていく。
「では、俺も……アイスブラスト」
冷たい風が吹き抜けた。その風はパキパキとライクッドが仕留めそこねたホーンラビットを凍らしていき……
「冷たっ! ちょ、いきなり何よ!」
「さ、寒っ。あ、剣が凍った」
「ううっ、足が凍ってるんですけど……動けないんですけど……」
3人を巻き込んだ。幸いだったのは、威力が低めだったために、三人の体ごと凍らすには至らなかったようだが……ギルクはうっかりしていたとばかりに、謝った。
「おっと、すまん。久しぶりに戦ったものだから、すっかりお前達の事を忘れていた」
「ははは……」
この先輩はやはり馬鹿だったようだ。ライクッドは心の中でそう呟いた。
〜〜〜〜
『マスター代理、請け負った任を果たして参りました』
シーテラは大量の魔石と素材が入った麻袋を抱え、ギルクに集め終わった事を報告していた。
「ああ、お疲れ様。すまないな、一人でやらせて」
「ほぼほぼギルクさんの所為ですけどね」
そう、ギルクが三人を巻き込んだしまったせいで、その治療に二人は追われていたのだ。まぁ、治療といっても、アンナは服が凍った程度だったので、自分でどうにかしたし、ゴルドの剣はギルクが火魔法で燃やし、リスリットの足はライクッドが水でゆっくりと溶かしていたぐらいで、治癒魔法を使う事態にはならなかった。
しかし、シーテラは目を閉じて、頭を一度だけ横に振ると、
『いえ、私は戦いに関しては無力ですので』
そう少し残念そうな声で言った。
その言葉を聞き、何とも言えない雰囲気になる中、ギルクだけはニヤリとまるでそれが狙いであったかのように笑った。
「本当にそうか?」
ギルクは一言そう聞いた。しかし、誰も、ギルクの問いの意図がわからず、戦う力を持たないシーテラを見た。
『はい。私には戦うための機能は付いておりません』
「なら、お前が抱えているのはなんだ?」
『魔石とホーンラビットの角が入った袋ですが……』
ピッと指差した先にある袋の中身を説明するシーテラ。ゴルドとリスリットはシーテラと同じく、ギルクの言いたい事がわからず首を傾げていたが、アンナとライクッドは、そういう事か、頷き納得していた。
「そう、魔石だ。先程の戦闘中俺が投げたのも、魔石だ。つまり、これがあればシーテラ、お前も戦えるんだ」
『しかし……刻印が刻まれた魔石は高価なものです。とても私には……』
「それならば、何も問題ない。レイから金は貰ってるからな。あいつは加減を知らないアホだから、文字通りアホほどな」
話を黙って聞いていたライクッドは訝しげな視線をギルクに向けた。この人、頭いいのか、馬鹿なのかどっちなのだろうと。
もしかして、リスリット達を凍らせたのも、円滑に話を進めるための演技だったのか? と、無駄に深く考えていた。
「それと昔こんな話を聞いた事がある。ある国では、死者に本を読む風習があるそうだ」
突然、明後日の方向に飛んだ話は、ギルクなりのアドバイスのつもりだった。
彼女のやりたい事を見つけるための……
『本……ですか……』
小さく呟いた彼女の心が揺れ動いたのは、その場にいた誰も感じ取っていた。それに気が付いていないのは、シーテラ自身だけであった。
「そろそろ戻りましょうか」
タイミングを見計らい、ライクッドが全員に声をかけた。
「ああ、そうしよう」
一つ頷いてギルクはドッコイショと立ちがあると、吹き抜ける風を感じ、青い空を見上げだ。
「俺も探すか……」
その呟きはどこまで続く空の向こうへ。
吸い込まれるように、消えていった。




