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10.シエラ村のライバル

 

 まだ日も昇っていない時間。静かでどこか閑散とした夜更けに、風を切る軽快な音だけが暗闇に染み渡り、消えるように溶け込んでいく。

 時刻は定かではないが、もう家の明かりは消え、とうの昔に村の人達は眠りついているような時間帯。人っ子どころか、誰一人として外を出歩いていないそんな夜更けに、村の広場で俺は一人長い時間剣を振り続けていた。


 無心になって、無我夢中で剣を振るう。

 そんな風に言えたら、格好の一つもつきそうなものだが、俺は体の疼きを解放するように、がむしゃらに剣を振るっていた。


 そうやって、どれだけ木剣を振っていただろうか。


 段々と激しさを増した動きに、汗が漏れ出し、呼吸は荒れていた。


 そこになって、ふと気が付き空を見上げられば、夜空には実に綺麗な満月が浮かんでいた。きっとこの収まる事を知らない猛りは、俺が狼男に変身する前触れなのだろうと、くだらない冗談を考えて、俺は正面に顔を戻す。


 月光に緩和された夜の闇は、広場を見渡せるほどに浅い。今俺が立っているのは、開けた広場の中央。幾ら開けていくるとはいえ、雑草が芝生のように広がったそこで、唯一茶色の地面が顔を覗かせている場所。まるで緑に囲まれたリングの上に立っているかのような気分になる。


 でも、その例えはあながち外れていない。ここは、俺とディクが毎日のように剣を交わし合い、踏み荒らした地面だ。いつしか土地が禿げた事にも気が付かず、この緑のない場所で向かい合うのが当たり前になっていた。


 だが、それも今日で終わりである。


 昨晩家で行われたディクとのお別れパーティ。一足先に旅立つ事になったディクが目指すのは、ディルベルクという街にある騎士学校。

 そこまでの道のりは遠く、大人の足で1ヶ月はかかる。二週間足らずの王立学院と違い、そう簡単には帰って来られないような場所だ。


 ディクが先に旅立つのは、そういう理由があって、しばらく──最低でも学校を卒業して騎士になるまでは、この村に戻って来る事はないという。

 その後は、ディクは騎士としてこの国を守り、俺は冒険者となって世界を回るつもりでいる。

 だから、ディクとはもう会う事はないかもしれない。


 そう思うと、心にポッカリと穴が空いたかのような虚しさがあった。永遠の別れとなってもおかしくない別れに、俺は柄にもなく沈んでしまっているのだろうか。


 これが、寂しいという感情なのかもしれない。前世ではそんな事一度も感じた事がなかったのに……寂しさを感じてしまう程に、ディクとの勝負は俺にとって、日常となっていたようだ。


 ここに居ると、ディクとの一戦一戦が、思い起こされる。勝利する喜びも、負けた時の悔しさも、どうやったらディクに勝てるのかと考え特訓した日々も、そして下らない勝負でも真剣に競い合った毎日も、今となってはいい思い出だ。


 そんな回想に思いを馳せて、ジッと地面を見詰めていると、不意に足音が聞こえた。

 背の方から近付いてくるか サクサクとした耳障りの良い足音は、草を踏み締めている音だろうか。

 何にせよ、こんな時間に、こんな場所へ来る物好きを俺は一人しか思い付かなかった。


「やぁ、レイ。こんな時間に何してるんだい……ってそれは僕もだね」


 声を掛けられ振り向くと、そこにはやはりディクが立っていた。


「もう出るのか?」

「ううん、まだ父さんたちは寝てるよ。でも、眠れなくって、出てきちゃった」

「お前もか」


 俺は小さく笑みを零す。どうやら眠れなかったのは俺だけではないらしい。蒼白にも映る月光に照らされた顔は、少しも眠気を感じさせない。そこにあるのは、俺と同じ疼きを抑えるウズウズとした少年の表情。

 そんな表情を向けられては、とても理性の歯止めは効かなかった。

 

「なら──」

「うん──」


 別れの日? 夜?

 だから、何だ。

 二人揃ったのなら、やる事は一つしかないだろ。


「「──勝負だ」」


 馬鹿の一つ覚えのように、俺たちはそれ以外の別れ方を知らなかった。

 だが、勝負で飾られたディクとの関係の終止符には、それでいいと思っている自分がいる。たぶんそれはディクも同じだろう。


「これで決着がつくね。僕と君の勝負に」

「ああ……今は丁度引き分けだからな」


 俺たちの今の戦績は、互いに7825勝7825敗2引き分け。

 勝とうが、負けようが、これで決着はつく。


「ルールは?」

「確認しなくてもいい。俺も同じものを希望だ」

「じゃあ、本当に決着が付くね」

「付けに来たんだろ? なら、今まで一度もやった事のない勝負で、白黒ハッキリさせよう」


 すなわち──どちらが本当に強いか、だ。


 これだけ勝負を重ねてきて、今まで一度も俺たちは本気のぶつかり合い──真剣勝負をしていない。

 いつも特定の、剣なら剣、力なら力、頭なら頭と細分化された勝負を重ねてきた。それらを合わせた『強さ』の総合を試した事は、今まで一度たりともない。


 もちろんそれは偶々などではなく、親達に止められていたからだ。どんな事故が起きるかわからないと、きつく言い聞かされ、実際そうだろうと俺も納得していた。


 でも、それを比べないで、果たして俺とディクの決着はつくのだろうか。

 俺は……いや、俺たちはそうは思わない。


「……怒られるだろうね」

「かもしれないな」


 たとえ叱られる事になっても事故──すなわち俺たちのどちらかが死ぬ事になっても、真剣勝負で決着を付けたい。

 これは、口にせずともわかる俺たち二人の双意だ。


「でも──今日はいい夜だ」


 本当に。

 何時間ここに居ても見回り一つ来ない、いい夜だ。


「誰も止めには来ないさ。それとも、怖気付いたか?」

「まさか……怒られる覚悟はして来たよ。レイこそ、明日から一人だけど、いいの?」


 俺を心配でもするように、ディクは今更言っても仕方ない事を聞いてくる。俺が、ここに残ってくれと言ったら、困るのはお前の方だろうに。


「それこそずっと前から覚悟してたさ。けど、お前にだけは言われたくないな」

「ぼ、僕は、騎士学校で出来るもん」

「俺だってそうだ。いや、そもそも友達を作るために学校に行くんだよ」

「それ、前から思ってたけど、どうなのかなぁ? レイらしいと言えば、レイらしいんだけど……」

「ほっとけ、俺の勝手だ」


 そんな風に、勝負の前に軽口を叩き合うのも今日で最後と思うと、いつまでも続けていたい気持ちが湧いて来るが、時間はたっぷりあるとは言い難い。俺は気持ちを落ち着かせるように息をゆっくりと吐いてから、木剣を構えた。


「…………」

「…………」


 無言で視線が交わる。ディクが構えるのを待つ俺と、少し残念そうに眉を下ろしたディクの視線が。

 だが、ディクは一度噛みしめるように目を閉じただけでそれ以上の話を続けようとはせず、同じように木剣を体の前に構えた。


 いつもならこのまま剣を交えて、身体能力と剣だけの勝負が始まる。

 しかし、今日は何でもあり。


 スキルに後押しされた俺を超える身体能力。

 一度見ただけで魔力充填を応用した魔法を完全コピーした魔法力。

 そして、俺の知らないディクにのみ許されたユニークスキル。


 その全てが使用可。


 手の内がまったく読めなかった。あれだけ勝負を重ねて来たというのに、本当の戦いになっただけで、こうも違うのか。

 月明かりは剣を交えるには十分な明かりをくれているが、それだけでは不十分だった。


 いつもの事だというのに、開始の合図がない事が煩わしい。


 冷たい夜風が肌に沁みた。

 吐く息は白かった。


 ディクはまだ動かない。俺もまだ動けない。


 どれくらいの間、そのままでいただろうか。

 少なくとも火照った体が肌寒くなるぐらいは、俺もディクも動けずにいた。


 そんな時、不意に深い暗闇がその場に落ちた。


 唯一の明かりが雲に侵食され落ちた黒い影。その中で、朧げに映る人影に向かって俺は動いた。


 ──ガンッ!


 初撃は重なった。夜の闇に、鈍い衝突音が鳴り響く。


 続く二撃目。

 弾かれた時の勢いを利用して回転した俺は、しゃがみ混むように姿勢を低く、下段を切り払った。瞬間、訪れたのは、当たったという感触。先よりも柔らかなものを打った音が剣を通して骨髄と伝わってきた。


 だが、音は一つではなかった。


 殆ど同時に、俺の肩からも骨へと伝わる波──痛みがあった。


 僅かに遅れてやって来た痛みに一瞬顔が強張ったが、俺はすぐに手を軸に半回転して後ろに下がると、確認するよりも先に頭の上で木剣を横にして構えた。


 そこへ、間髪入れず叩き込まれた一閃。腕に伝わった先程よりも重い一撃と、甲高い衝突音。身体強化系スキルとと魔力充填を使用したのだろうという予測を元に、俺も魔力充填と身体強化のスキルを発動。

 即座に体を斜め前にスライドさせ、ディクの間合いの内側へと入り込んだ俺は、左腕でディクの腕を巻き取り、右足を腕の振り子と共に蹴り上げた。


 しかし、夜の闇にかどわされても、重ねて来た経験は反射的に体へと反映される。斜め横合いから上がった膝蹴りは、寸前ディクがねじ込んだ左足の脛により、防がれた。


「チッ……」


 舌打ちを一つ奏で、俺は足を戻すと共に顎を引き勢いをつけて体当たりした。人体で最も重く、硬い頭蓋を使った頭突きである。

 この至近距離ならまず外れる事はない──そう思っていた俺は、直後脇腹を深く抉る一撃に吹き飛ばされた。


「あがっ……」


 呼吸が漏れ、一瞬息が止まる。思わず手を離してしまった俺は、不発に終わった体当たりの勢いもあって、頭から地面に落ち、地面の上を転がった。


「お前、いつの間に体術を……!」

「あれだけ撃たれたら嫌でも覚えるよ。それに撃つ君より、防御は僕の方が上手い」

「くそっ……最悪だ。このパクリ野郎め」

「ち、違うよ! いつの間にか覚えてだんだよ!」


 それで覚えられるのなら、俺の苦労はなんだったのかと言いたい。しかしながら、俺はこのディクという幼馴染の異常性について、思考を放棄した後である。ディクなら仕方ないと納得してしまう自分がいた。


 だが、スキルも含めた身体強化はディクの方が上である。必然、一撃の威力はディクの方が高い。それが、体術まで組み合わせてきたのなら、接近戦では俺にはまず勝ち目がない。このままでは。


「なら、ついでにこいつもパクってみるか?」


 俺は脇腹を摩りながら立ち上がると、ニヤリと口角を上げ、前進した。


「だから、パクったんじゃないんだけど……」


 そうは言いながらも、動きを注視するように目を細めたディクに向かって、俺は爪先で石を蹴り上げた。


「牽制のつもりかい?」


 ディクはそれを軽くいなしながら、力強く一歩前に踏み込む。

 上段の構え。重心は腰に据え、上半身を前にスライドさせたかのような滑らかな踏み込みは、相手の動きに合わせる柔軟さを持ち合わせている。

 たとえ弾き返されたとしてもすぐさま後方へと体を引き戻し、すぐさま攻勢に転じるそれは、守りと攻めを合わせ持った父親仕込みの騎士団流剣術の振り下ろし。


 幾度となくその柔らかで硬い守りに剣を阻まれてきた。


「いや、ただの確認さ」


 だからこそ俺は前進を強め、防御ではなく回避を選択。

 ギリギリまで引き付け、髪先が触れるほど紙一重の回避をした俺は、ディクの腕の真横に躍り出て倒れながら斜めに剣を振り上げる。


 しかし、体重を乗せず腕だけで剣を振るったディクの追撃は早い。俺が躱したと見ると、すぐさま剣を横薙ぎに振るって、俺の攻撃に合わせてきた。

 俺は反射的に剣を後ろに引き、反動を殺す。そして、続けざまに空中で体を捻り、急回転。地面を指で削り取った俺は、掴み取った砂利をディクの顔目掛けて放り投げた。


「っ……!」


 迫る砂と石ころの散弾銃。それを認知するや否や、剣と腕で顔を庇い後方に飛び退いたディクは、直後剣を持つ手で体の回転を止め、跳ね上がるように飛び起きた俺の飛び蹴りを顔面に食らう。


「あぐっ……!」


 ディクは顔を押さえ、よろけながら後ろに下がると、鼻血を地面に落としながら、引き攣った笑みを浮かべた。


「む、無茶苦茶するなぁ……そんな出たとこ勝負のような動き、僕には出来ないよ」

「簡単に真似されるような動きじゃ、攻撃が読まれるからな。ちょっとアレンジを加えてみた」


 そう、俺はただ無茶苦茶したのではく、出たとこ勝負に持ち込んだのだ。


 夜は視界が鈍る。高速で動き回る相手なら尚のこと、反応は遅くなる。それがほんの僅かな誤差のようなものであれ、反射的な反応の速度がより顕著に現れる状況下において、その遅れは致命的である。

 しかし、互いに条件は同じだ。ディクの反応が遅れるように、俺もまた遅れている。それだけではとても一撃は入れられない。


「さっきより動きが良くなったのは、身体強化でも使ったからなのかな?」


 生憎と既に身体強化系のスキルは、売れ切れ御免の看板がぶら下がっている品切れ状態だ。そう易々とこの場で新たなスキルが身に着くなんて都合のいい事は起こらないし、何より俺の動きは何も良くなってなどいない。

 この場合は、その逆。


「お前の動きが悪いんだ」


 元に戻った──それだけの事である。


「俺には目を閉じてても、お前の動きが昼間と変わらないぐらいよくわかる」


 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。

 外界の情報を得るため人に備わった感覚はこの五感のみ。しかし、この五感は実に簡単に麻痺する。例えば耳元で大声で叫ばれた時など、あるいは今のように暗闇に影が落ちた時など、感覚は容易に鈍る。

 しかし、俺には五感とは別の第六感と呼べる感覚器官が備わっている。


「──【空間】のスキルだ。このめくれ上がった地面の上にいる以上、俺に死角はない」


 誤解しているかもしれないが、空間スキルは本来探知のためのものではない。それは鍛え上げて初めて可能な応用だ。

 本来の使い方は、まさに俺が今やっているような周囲の状況を視覚──いやそれ以上のレベルで詳細に読み取る事にある。


「俺は常にお前より早く動いていたんだ」


 小石で確認したディクと俺の反応速度の差は、およそ0.2秒。速度負けしているとはいえ、絶望的なまでに差があるわけではない。反応速度の差に比べれば、僅かな差だ。

 俺はそれを合算し、自分の有利な状況に持ち込んだに過ぎない。


「……なるほど、これが、君が言っていたスキルを鍛え上げるって事なのか。これは僕も、見直さないといけないかな」


 それは後で好きなだけすればいい。俺に負けた後でな。

 そう、言いかけ勝負を掛けようとした俺は、続くディクの言葉に耳を疑った。


「──でも今は無理だから、もう一段階あげていくよ」

「なにッ⁉︎」


 まだ上がるのか、と目を見開き驚愕した俺は、直後第六感に従い、後ろへと飛ぶ。


「あれ? 躱された?」


 パサッと胸の生地が引き裂かれ、肌が外気に晒された。背筋に走った寒気は、決してそれが原因ではないだろうが、視覚以上に鋭敏な【空間】を持ってしても、ディクの動きに紙一重でしか反応が出来なかった。


 冗談じゃない。どれだけ化け物なんだ、俺の幼馴染は……


「うーん、踏み込みが甘かったのかな」


 そう言って、残像を残し消えたディクは、次の瞬間俺の背後にいた。


「くっ……!」

「ははっ、だいぶ慣れてきたよ」


 たった二撃。それだけで、大きく開いた身体能力の差をものにしてきたディクの動きに、辛うじて防御を間に合わせた俺だったが、受け切れないほどの大きな力の差に宙を舞う。


「なっ……」


 子供とはいえ、人一人を容易に吹き飛ばす膂力。もはや力の差は拮抗からは程遠く、空間による先読みも追い付いていない。


 無茶苦茶だ。

 身体能力の差を埋める秘策を、さらに身体能力を上げることで潰してくるなんて……理不尽にもほどがある。


 でも、それが許されているのが、こいつなんだ。


 単にフライングしただけの俺とは違う。亀とは言わないが、凡庸な才能しか持たない俺では到底辿り着けぬ場所へ、最速で行ける兎としての素質をディクは持って生まれてきたのだ。

 だからきっと、一度追い抜かれたら最後、俺がその背中を見る事はない。現実は途中で休憩などはしてくれないから。


 それはずっと思っていた事だった。


 ────でも、もうなのか?


 もう、俺はこんなにも差を付けられてしまったのか?


「このっ……!」


 知らず知らずのうちに、手に力がこもっていた。宙を舞いながら、歯が割れんばかりに強く噛みしめられた口から、悔しさが転じて怒声となって振り撒かれた。


「──異常児がッ!」


 全身の血が煮え滾り、頭が沸騰する。流れ込む数多の情報によって白熱する視界は、夜の闇を鮮明に映し出し、一欠片の土くれさえ見逃す事なく鋭敏に捉えた。


 俺は地面に着地する共に両足を跳ね伸ばし、地面に対して平行に跳んだ。


「いったい何のスキルだ!」


 ガキッ──と木剣が交差し瞬間的に火花が散ったが、突撃の勢いは完全に殺され、鍔迫り合いの状態にもつれ込む。


「これはそうだね……色々全部さ」

「答えになってねぇッ!」


 力では勝てないと、即座に剣を引きながらも、腕の回転速度を上げ、決して正面を譲らない。その場に足を止め、はち切れんばかりの脳を酷使して、俺は加速した。


 真正面から交錯する剣戟の束は、まるで深紅の薔薇のように咲き誇り、火花のように互いの魔力が散ってゆく。

 どちらも引かず、かといって押せず、拮抗する剣技と体技の猛襲。しかし、それもディクが完全に自分の力をものにするまでの僅かな時だった。


「っ────!」


 涼し気な顔で俺の猛攻を全て弾き返したディクは、一瞬の隙を突いて、俺の剣を上に弾き飛ばした。手を離してなるものかと、反射的に握りを強めた俺は、体制を崩し背中から後ろに押し倒される。


 その上から襲い来るのは、深紅の煌めきを帯びた剣。

 俺は、それが自分に向かって振り下ろされるのを見て、崩れた体制がすぐに立て直せない事を感じて──


「──固定空間!」


 最後の切り札を切った。


 空間探索の上位スキル【固定空間】。

 一片、数十センチの空間を、数秒間完全に固定するスキル。すなわち、数秒の間その固定された空間は力では決して破れはしない防壁と化す。


「なっ……」


 驚愕が空気を震わした。


「隙だらけだ」


 左手をバネに俺は動きを止めたディクに鋭い突きを放つ。


「────!」


 文字通り、意地を貫き通す一撃。僅かでもいい。これが届けば──そう思って放った渾身の一撃は。


「あ、危なかった……」


 あろう事かディクの掌で掴み上げられていた。


「……お前はほんと嫌な奴だよ」


 俺は剣を捻りながら体を起こすと、握りを切って後方へと飛んだ。


「本当に、レイは隠し玉が多過ぎるよ。何をしてくるかわかったもんじゃない。でも……僕にはもう通用しないよ」

「……みたいだな。今の俺には、どうやってもお前に攻撃を加えられないらしい」


 もはや認める以外の選択肢は、存在しないように思えた。確実に晒した隙へと撃ち込んだはずなのに、防御されるどころか、その剣を掴み上げられたのだ。


「……どうしたの? 珍しく弱気だね」

「いいや……弱気なわけじゃない。やっと認めたんだよ」


 どれだけ策を凝らしても、どれだけ意地になっても、ディクにこの剣は届かない。

 ディクはもう俺よりも遥かに高い場所にいる。

 それがわかった。


「ディク、お前は強い。正直、腹が立つぐらい強い」


 どこまでも純粋な、シンプルな強さ。

 動きが目で追えない。体が速さに追いつかない。力が受け止めきれない。

 身体能力というたった一つの武器だけで、こうも強い。


「だから、意地を張るのはもうやめだ」


 相手の土俵で満点を取る必要などどこにもない。

 天才が100点を出してくるのなら、俺は全てで80点取れればそれでいいのだ。満点である必要など、どこにもない。それにこだわろうとするのは、ただの意地だ。


 でも、悔しいから。転生チートがあって、対等ですらいられないのは、死ぬほど悔しいから、認めたくはなかった。

 でも、ここまできたら認めざるを得ない。


 ディクは俺の前を行く兎で、俺はそれを追いかける鈍間な亀だ。恐らくは二度と、この相関関係が変わることはない。


 だが、そういう選択を俺はしたのだ。それでいい選択を俺はしたのだ。


「こっからだ。こっから、馬鹿の一つ覚えのお前に、俺の戦い方を見せてやる」


 満点などいらない。80点、それだけあれば十分だ。


 あくまでディクの異常性は、身体能力とその覚えの良さという二点に尽きる。

 だから、俺はそれ以外の部分で俺は戦えばいい。

 兎に追い付ける亀はいる。バイクでも、車でも、何でも使って兎を追い掛ける亀は、ここにいる。そうなろうと、俺は決めた。


 凡庸な才能も束になれば、一つの抜きん出た鬼才に勝るという事を、証明してやる。


「──忠告を、一つしておいてやるよ」


 俺は、不敵に笑いながら言った。


「それだけスキルを重ね掛けすれば、幾ら魔力消費の少ないスキルでも、すぐに枯渇するぞ」

「あははっ、ほんとレイは抜け目ないよね。でも、解除はしないよ。魔力がなくなる前に勝負は付けるから」

「逆だろう? 魔力がなくなって勝負が付くんだ」


 ピクリとディクの顔が強張る。どうやら、俺が言わんとする事に気が付いたらしい。


「させないよ」


 声が風を切った。これまで以上の真剣味を帯びた声が、剣気とでも言うような刃となって、ビシビシと俺の肌を切り刻む。


 動き出しは、わからなかった。

 俺が捉えたのは、停止した体の動き。左腰から斜めに剣を振り被るディクの姿──しかし、その時にはすでに、俺の体は剣と腕を胸の前で交差させ、防御の姿勢を取っていた。この速さなら、正面から来るだろうと予測していたからだ。


 本来、ディクの戦い方は単調だ。俺のように体術を混ぜたり、搦め手を使ったりはしない。

 何故なら、する必要がないから。


 速さで劣る相手にわざわざ背を取る理由はない。

 力で劣る相手に防御されたからといって、剣を撃ち込むのをやめたりはしない。


 正面から、その守りごと叩き潰す。それが本来、俺と出会った当初のディクの戦い方だった。

 それが持ち前の覚えの良さで、俺の動きを真似たり、戦術を覚えたりしてくるのだから、たまったものではない。


 だが、焦りから熱くなったディクは忘れてはいけない事を忘れている。


 利用出来るものは何でも利用するのが、俺の戦い方なのだということを。


「ハァッ!」


 ブンッと風を切り大凪に払われた紅に染まった刃。それが触れるか否かの直前、俺は地面を蹴り砕く勢いで飛び上がった。交差させた腕と剣に、大きな衝撃が伝わる。


 ピキッ──と、まともに受けた腕の骨には不穏な音が走り、魔力を通わせた木剣が首筋に食い込む。されど、受け止めるのではなく受け流した事で、俺の体はまるで砲丸投げのような弧を描く推進力を得て、空に撃ち上がった。


「ほんと馬鹿みたいな力してやがる」


 脚力にプラスしてディクの馬鹿みたいな膂力により大きな推進力を得た俺は、グングンと高度を上げ、家よりも高く満月の空に浮かび上がった。

 いつかテレビで見た強力なバネで空に打ち上げられる人間砲台にでもなった気分だ。


 でも、お陰で俺一人では上がれないような随分と高いところまで上がれた。


 俺は交差させた腕を解くと、重力と相反した勢いを完全に殺し、着地した──空中へと。


「えっ……空に浮いて……」


 追撃を忘れピタリと動きを止めたディクは、空中で静止した俺を唖然とした表情で見上げてきた。


「ただの応用さ」


 そう、これは俺が浮遊術を身に付けたとか、そんな次元の話ではない。先程ディクの攻撃を弾いた固定した空間を応用し、その上に立っているだけの事だ。

 でも、生憎とこれは10秒しか持たない。それも、使用時間がそのままリキャストタイムとなるため、絶えず発動と解除を繰り返さなければ、連続使用は出来ないという弱点がある──が、そんな事は今日初めて見るディクにはわかりっこない。


「でも、それで逃げ切れたと思うのは、僕を舐めてるよ!」


 俺に向かって勢いよく跳躍したディクに、俺は後ろに倒れ込みながら、ニヤリと口角を上げた。


「またまた逆だ」


 まさか、魔力切れを狙って空に逃げたとでも思ったか?

 俺が飛び上がれる範囲に、お前が来れないと舐めていると思ったか?


「舐めてるのはお前だ、ディク」


 初めからいつ訪れるかもわからない魔力切れなど狙ってはいない。本当の狙いは、ディクを身動きの取れない空中へと誘い出す事。

 この7年、可愛いらしく、素直ないい子(親の前だけ)を演じ続けた俺の演技力なら、挑発に自然と罠を折り込むぐらい朝飯前だ。


 俺は固定空間を思いっきり蹴り、ディクの攻撃を躱すと同時に、空中で逆さまになりながら、両手を地面に伸ばした。


「ロックウェーブ!」

「えっ……」


 ここまでは予定調和。魔力の充填(仕込み)はとうに済ませてある。俺が発動を意識すると寸分違わず、地面が轟音を立てて口を開いた。

 アーンと、緩慢にも見える速度でディクを飲み込まんとするように立ち昇る土砂の壁は、渦を巻くように塔を築き上げていく。


 その予想外の反撃に、体を丸くして守りを固め飲まれる覚悟したディクは、ビシッと掴み損ねたように土砂の勢いが止まったのを見て、ホッとした表情を浮かべると、そのままこちらを見た。


「魔力切れかい、レイ? 残念だけど、僕には届いてないよ」


 俺の反撃が途中で止まった事で、ディクは己の勝利を確信したのか笑みを零す──が、俺は悔しさを微塵も見せず、答えた。


「そりゃそうだ。これは捕獲用だからな」

「えっ……?」


 そう、届いていないのではない。届かせなかったのだ。


 ディクの顔からスッと笑みが消え失せる。俺はさらに畳み掛けるように言った。


「だって、お前自分で砕いた瓦礫の上を平気で走りそうだろ?」


 冗談のように俺は笑って言ったが、半分は本気だった。


 この捕獲用というのはある意味予定調和だが、予定通りではない。本来これは、ディクを拘束するための仕込みだった。

 しかし、予想外だったのは、ディクの力の上がり幅。今のディクならば、俺が言ったような事をやりかねない。予想以上の高さまで飛ばされた俺は、そう警戒して当初の土魔法での拘束から、自然落下による捕獲へと切り替えたのだ。


「まさか……」

「そうだよ、これはお前専用の落とし穴だ」


 空中で人は動けない。飛び上ったら最後、地面に落ちるまで落下するしかない。

 俺のように空中で跳ぶ事が出来なければ。


「でも、念押しはさせて貰うぜ──アクアウェーブ!」


 真上から真下へ。予め用意していた水の荒波がディクを襲った。


「がふぁぉぉッ!」


 人一人を覆うには十分過ぎるほどの水量が、滝のようにディクを巻き込んで大地の穴へと落ちていく。その低い谷底は、殆ど直にディクの体を叩き付ける事になるだろうが、それぐらいで倒れるようなタマではない。

 俺は穴の中へと全て水が入り込んだのを確認すると、即座にディクを逃さないための土砂の壁を崩し、大地の穴に蓋をした。


 果たしてこれにどれだけ意味があるのか。一瞬の時間稼ぎにしかならないかもしれない。


 でも、それでいい。時間さえ稼げれば、それで。


「俺のとっておきを見せてやる」


 培ってきた経験が、これ以上ない程にうるさく、今だと吠えていた。勝負勘──今がその時だと、まるで手に負えない化け物が生まれようとしているかのように、けたたましい警鐘が俺を駆り立てる。


 対して、頭は驚くほど静かに冴え渡っていた。


 脳裏に浮かんだのは、親父の技だった。あの技を真似て作った、俺の技だった。

 そして、まだ日の目を見ていない俺の魔法だった。


 思考は回る。

 この追い詰められた極限の状態で、僅かに生まれた時間で、何が出来るのか。


 スキルの補助を超えて、思考が加速する。


 およそ2年考え、導き出したイメージの行程。


【風の刃】+【火を纏う風】+【風を生み出す剣】


 風をキーワードに全てに相関を持たせたイメージの式。書き出せば要素はたった三つ。しかし、簡略化したとはいえ、簡単化はなされていないそれは、想像するだけでも一苦労。さらには、その性質上、上級魔法クラスの膨大な魔力を同時操作しなければならない。


 とても今の俺の力量では、発動出来るレベルの魔法ではなかった。


 ──だが。


 もし力量を底上げ出来るのならば、話は変わってくる。


「【芸術家】発動」


 希少スキル『芸術家』は、器用の能力値を上げるスキルだ。つまり、単なる能力補正。意識して使う類のものではない──と思っていた。


 しかしだ。


 多少器用が上がったからと言って、何故俺は芸術家の真似事が可能なのか。


 例えば絵。


 手先が器用であれば、絵が上手いのか。


 確かに、筆使いがままならなければ、思うように絵は描けないだろう。絵を上手く描きたいのなら絶対に必要となる技術だ。

 しかし、その思うようにというのがミソである。筆使いが一流でも、描くものを正確に思い浮かべる力がなければ、上手には描けない。


 それも、超一流の画家にでもなれば、その制作期間は何十日、何百日にも及ぶ事もある。

 その間、初めに描いた頭の中のイメージが途中で変わってしまっては、描きたいものも描けない。だから、本格的に絵を描く前に、下書きをしたりする習慣が付くのだろう。


 だがそれも、全部なんて事は出来ない。色合いや雰囲気、細かな描写などを全て下書きする絵師がいるだろうか。

 世界を探せばいるかもしれない。あるいは、ただ感性の命じるままに筆を動かすような天才もいるだろう。

 でも、大概の人間はそうではないはずだ。必然、その人達には、想像したものを保存出来る頭が備わっている。


 仮にそれを想像力と一括りにするのなら、それは万物生み出す大前提として必要となる力である。そして、それは魔法に置いても同じ。

 作り上げようとする魔法を想像──すなわちイメージ出来て初めて発現するのだ。


 ならば、それを利用しない手はないだろう。


 すなわち、芸術家スキルに備わっているであろうこの裏補正──想像の保存力の魔法転用。


 絵の具は、魔力。筆は、魔力操作。キャンパスは、現実。

 魔法は、作画だ。


 想像を脳のキャンパスに焼き付ける。

 残る魔力の殆どを一箇所に集め、赤い棒となったそれを俺は握った。


「──来い」


 現実に。

 頭のキャンパスを、この手の先に映し出せ。


「炎風剣ッ!」


 ぶっつけ本番もいいところ。練習も、予行も何もしていない。だが、出来るという確信があった。それは、今まで何度も何度もやっきた事を、ただ組み合わせただけのことだったから。


 そして、それを証明するように、手が熱を掴む。その発動の兆候を感じ取った俺が目にしたのは、夜の闇を青白く染め上げる澄み切った光だった。


 キィィィィッ!


 聞きなれない音が鼓膜をくすぐった。


 薄っすらと開けた目に飛び込んだのは、立ち昇る光の奔流とその中から飛び出してきた青光を纏う人影、そしてそれに対抗するような赤の煌めき。


「それが、君の奥の手かい?」


 砂漠の砂のように細かな粒が舞っていた。それが、土砂の成れの果てと気付くのに数秒、あれだけ激しく土砂の蓋を破壊したのに水が一切飛び散っていない事に気が付くのにさらに数秒を要した。


 おそらく水は気化したのだろう。水に飲み込まれたはずのディクの体が不自然に乾いているのがその証拠。

 光の熱か?

 一瞬、そう思ったが、土砂を粒にまで分解したのも同じ光である。


 単純な光じゃない。先程の放出と、今その体に纏っている事を考えると、魔力に似た何か……

 一つ確かなのは、先程までとは比較にならないほどの圧力を、今のディクからは感じる。


「お前こそ……それが奥の手か?」

「うん、レイには初めて見せるかな。これが僕のユニークスキルだよ。効果は──」


 そう言って、まるで邪魔だと言うように、立ち込める噴煙が消し飛ばされたのを見て、無造作に腕が振るわれたのを、俺は事後的に知った。


「……こんな感じかな。あとは、少し魔力に似ている気がするけど、正直まだよくわかってないんだよ」


 魔力に似ているとは、その輝きを指しての事か。それとも、先ほどの光線を意味しているのか。

 疑問を返したところで、納得のいく答えは返ってこないように思えた。


「でもさ、今の僕はこれまでのどの僕よりも強いよ」


 それ以上の答えは。


 ゴクッ──と無意識に自分が息を飲んだのがわかった。喉がやけに乾いている。

 全身の汗腺が開き、手に持つ火炎に包まれた魔法の剣とただの木剣の二振りが、一回り小さくなったような気がした。


 対して、ディクの持つ木剣は、まるで内側から弾けとぶ寸前のような一際激しい閃光を放ち続け、ディク本人といえば超然的な威圧感を服でも着込むように纏い、その場に存在していた。


「これで終わりだよ、レイ」


 余程自信があるという事なのか、言い切ったディク。


「……奇遇だな、俺もそう思ってたところだ」


 別に強がったわけではないが、負けじと完成したばかりの剣を掲げる俺。


 どちらも己の手にした力の方が強いと言い張る。


 こうなれば最後、俺たちには一つの選択肢しか残されていなかった。


 すなわち、正面からの衝突。単純な力比べだ。


 自分の方が強いと思うのなら、真正面から相手を打ち破り証明すればいい。

 そうやって俺たちは、互いに証明し続けてきた。


 だから、わかる──今がその、比べ時だと。


 俺たちは示し合わせたように剣を上げ、距離を置いて全力で己の手にした力を振り下ろした。


 火と光の剣の軌跡から生まれたのは、炎の刃と光の奔流。お互いに距離を食い潰すように突貫したそれらは、丁度中央で交わり、衝突する。


 直後鳴り響いたのは爆発音。衝突する光の奔流の火炎の嵐。絶え間なく攻撃をぶつけ合う俺たちの咆哮が加速する。


「おぉぉぉぉっ!」


 風を焼き斬る刃を俺は全力で振り回し。


「はぁぁぁぁッ!」


 剣に溜め込んだ青光を解放するディク。


 視界は、粉塵を巻き上げる爆炎に覆い尽くされていた。


 剣を、振る、振る、振る。


 紅蓮の刃と光の奔流が、ぶつかり、せめぎ合い、爆散──何度でも繰り返す。


 力がある限り。攻撃が返ってくる限り。相手が立ち続けている限り。


 どれか一つ、その限りを満たすまで、俺もディクも止まらなかった。


 でも────


 一撃一撃を放つ度に、感じた。


 決着が近づいていると。

 終わろうとしていると。

 これで、あと少しで、終わりなのだと。


 一発一発を放つ度、失われていく魔力に合わせて、剣が重たく感じた。


 これで……これで本当にいいのかと、自問自答した。


 何度も、何度も、何度も。


 ディクの一撃を、二撃で返しながら、思った。


 終わりたくないっ……!


 でも、こいつにだけは。

 ディクにだけは、絶対に負けたくないんだ。

 何度負かされても、何度勝っても、勝負の度に負けたくないと、心が勝利に飢えるんだ。


「うぉぉぉぉッ!」


 残り一発。炎風剣に残された最後の魔力を、全て絞り出し、俺は剣を振るった。


 終わるな、まだ終わってくれるな。

 でも、これで決まってくれ。


 その相反する思いを全て吐き出すように、炎風剣がその刀身すら、炎の刃に変えて。


「ハァァァァアッ!」


 だが、咆声したディクの光の閃光と衝突し、ぶつけ合う咆哮の圧力を受けたかのように潰れ、そして混ざり合う。

 一瞬──たぶん俺がこれまで認識した中で最も短い時間、それらは1つの玉になった。そう、見えた。


 直後、起きたのは大きな爆発。ドンッと溜め込んだものが弾け飛ぶように玉が膨張し、大気が震えた。

 爆発の中心から全てを押しのけるように生まれた激しい爆風は、瓦礫も、粉塵も、そして俺たちも巻き込んで、この戦いによって荒れた大地の上から、何もかもを吹き飛ばさんとするように、駆け抜ける。


 とても目を開けてはいられなかった。小さな砂つぶが途切れることなく顔を叩き、たまに体や顔を守る腕に石の塊がぶつかる。

 体は風圧によって押され、足はズルズルと後ろへと後退する。


 そんな荒れ狂った風の猛威に晒されても、俺は萎えてなどいなかった。たぶん……いや、確実にディクもそうだ。

 あいつなら、この状況下でも次に備える。何故なら、俺もそうだから。


 俺とディクは何もかも違う。

 夢も、好みも、性格も。


 だけど、俺たちほど似ている奴らもいない。


 勝負事が大好きで、馬鹿みたいに負けず嫌いで、勝つためなら手段を選ばない、そんなところは、笑ってしまうほどそっくりだ。


 だから、目も開けられぬまま、俺は残った相棒の剣へと残りの全てを注ぎ込む。


 次こそは、正真正銘最後の一撃。俺が、あいつがそれに選ぶとしたら、自分の中で最も誇れる最強の技。


 何故なら、これは殺し合いではない。

 憎しみ合った末の戦いでもない。


 ただどちらが強いか、それだけを決める戦いだからだ。


 故に、俺たちなりの美学を。

 勝負の中に勝負を折り込む、馬鹿な戦術を。

 誰にも共感されずとも、迷いなく俺たちは選ぶ。


「「勝つのは──」」


 可笑しな事に、最後の構えは同じだった。



「俺だッ!」「僕だッ!」



 どちらからともなく、俺たちは踏み出し、疾走した。


 不意に刺した朝日に照らされたディクの顔は、泣きそうなほどに歪められていた。

 たぶん、俺も似たようなものなのだろう。


 だが、決着を。


 絞り出せるものは声まで絞り出して。

 目の前の相手より、一歩でも、半歩でもいい。

 この長く続いた勝負に、己の勝利という決着を。


 それは互いに望む俺たちの関係の終着点。


 これだけは、邪魔されたくない。


 誰にも、己にも、そして、ディクにも。


「灼熱魔翔斬ッ!」

「霊光刃ッ──!」


 剣の間合い──互いに手が届きそうな至近距離で、己が最強と誇る技を、ぶつけ合う。


 瞬間、視界は青と赤の閃光に塗り潰された。


 全身に激しい痛みが走る。吹き飛ばされそうになる爆風の嵐。顔を火か光が焼き、風が頬を引き裂いた。

 だがそれでも、負けじと力を込めて、前に踏み出す。


 光と火が混ざり合い、木剣に掻き分けられているかの如く、視界の右へ左へと流れていく。


 前に進むたび、体は裂傷と火傷が負い傷付いていくが、それが逆にこの剣がディクへと近付いているのだと、実感を込めて教えてくれる。


 でも、前に進む度、離れていくような気がした。

 自分が、ディクが。

 互いに背を向けて離れていくような、そんな真逆の錯覚が──


 ──バキッ。


 不意に耳に届いたのは、そんな何かが割れるような音だった。その音が聞こえた同時、剣が軽くなる。まるで空振りして、バランスを崩した時のように。


 そして、俺は激しい閃光に目を閉じ、そのまま剣を振り抜いた。


 俺は……やったのか?


 それとも、負けたのか?


 閃光が収まり目を開けると、俺の前には誰にも立っていなかった。


 思わず目を見開き、俺はそこにディクの姿を探したがどこにもその姿はなく、もしかしてと顔だけ振り返った。


 そこには剣を振り抜いた体制で、俺と同じく首だけを回して立つディクがいた。

 それを認めた瞬間──


「うぉぉぉっ!」


 ──俺の体は無意識のうちに動いていた。

 体が捻じ切れんばかりの動きに、腕が付いていかず肩がギチギチと悲鳴をあげる。


「はぁぁぁッ!」


 だが、咆哮して体当たりでもするように突っ込んできたディクを見て、俺は迷わず体を前に放り出した。


 間合いが重なり、その内側に入り込むまで、1秒とかからなかった。


 気が付けば俺とディクは顔を突き合わせ、額をぶつけ合って、唾と共に咆哮をぶつけ合い、そして首を仰け反るように弾き飛ばされ、それでも負けじと後ろ足をつき伸ばして、遅れて背から回り込んだ腕をその顔目掛けて振るった。


 もはや防御も、回避もする余裕はない。どちらも体はボロボロ。これだけ勢いがのった一撃を受ければ、ただでは済まない。


 だから、本当に……これで終わりだ。


 この一撃を受けて立っていられた方が、勝つ。


 これで決着だ……ディク。


 そう、確信を込めて腕を振り切っ────バチンッ!




「「えっ……」」




 それは、決着の一撃が奏でた音。

 だが、それは木剣が頭を強打した音などではなく、猛スピードでぶつかり合った()が奏でた音だった。


 思わず唖然として腕を組み交わした状態で固まった俺は、目の前にあった自分の手の中を見て、ディクと顔を見合わせた。


 ディクは間抜けな顔をしていた。その瞳に映る俺もまた、この予想外過ぎる決着に、一瞬理解が及ばなかった。


「これは……」

「……引き分けだな」


 俺たちは互いに腕を放し、手の握りを解いて見せ合う。


 この5年間に築いた関係の終わりを告げるように、根元だけを残し瓦解した相棒の──その成れの果てを。


「7825勝……」

「7825勝……」


 皮肉が効いてると、思った。俺たちの勝負の決着が、長年愛用した剣との別れになるなんて。

 でも──


「「3引き分け」」


 いつしか決着の後、戦績を言い合う習慣。


 それだけは、悔しさや寂しさ、そんなのを抜きにして自然と口から出た。でも──


「決着……つかなかったね……」

「……ぁ……」


 それを終えた俺は、言葉を失った。開いた口からは、空気のような声しか出なかった。


 ふと、明かりを感じ目を上げれば、白み始めた空は俺たちの時の終わりを告げていた。もうすぐ新しい朝が始める。その朝にはもうディクはいない。


 その時のために用意した別れの言葉は、ディクの夢を応援する手向けの言葉は、どうしてか俺の口から出てはくれなかった。


 俺も頑張るからお前も頑張れよ、とか。

 どうせ目指すなら騎士団長になってやれ、とか。

 寂しくなるけど、またいつかどこかで会えるといいな、とか。

 俺たちは一生友達だぜ、とか。


 そんな一杯、一杯考えた激励や別れの言葉は、一つも俺の口から出て来なかった。


 口が鉛を嵌め込めれたかのように重い。カクカクと音のない言葉を出しては、口を噤む。


 やがてそれすらも出来なくなり顔を俯かせた俺は、情けないと自らを恥じた。


 俺は……これから夢に向かって行く唯一の友に、何一つ言葉を掛けられないのか。


 それが、情けなくて、悔しくて、でも口を開けばここにいろと無茶を言ってしまいそうになる自分を必死に抑えつけた。


 そうやって、ディクの前でどれだけ無様を晒し続けただろうか。

 不意に顔に差し込んだ光に顔を上げれば、東から昇った太陽に照らされた、土まみれでスス汚れたディクの顔があった。


「そろそろ……時間だね。僕はもう……行かないと。お互い頑張ろうね」

「…………」


 俺は答えなかった。いや、答えられなかった。


 ディクは少し残念そうに俺の顔を見たが、それを責めようとはせず、涙は見せず笑いながら、別れを切り出す。


「じゃあ……さよなら、レイ」


 さよなら……?

 これで、こんな終わり方で……?


 いや……わかってる。わかってるんだ。この世界での別れは、死別に等しい別れだという事ぐらい。


 これから俺たちは、別々の街で、別々の学校に通い、別々の道を行く。

 俺たちの道が交わる場所は、唯一この村だった。この村を離れたら、そう簡単には巡り会えない。


 でも……でも……でも……


 初めて出来た友との別れを、理屈で片付けられるほど、俺は大人ではなかった。


 グッと拳を握り締める。木剣の柄が掌に食い込むほど強く。


「ディクゥ──ッ!」


 何か言おうと思って、叫んだわけではなかった。でも、今呼び止めなければ、2度と会えないような、そんな気がして、気が付けば俺は叫んでいた。


「こんな……こんな決着、俺は認めねぇぞッ! 絶対だ、絶対に認めないっ!」


 癇癪を起こしたように、心のままを、ありのままの叫びに乗せて、ディクへとぶつけた。


「お前は、俺のライバルだ! 今までも、これからも、死ぬまでずっと!」


 我ながら、生まれて7年の子供に何を言っているのだとは思った。

 でも、大人気なくても、本当は歳が離れていても、俺にとってライバルは、ディクだけだ。今までも、これらからも。


 だから、違ったのだ。俺の用意した別れも激励も。


 古今東西、原初の頃から去りゆくライバルに叩きつけるものは、これだけだと決まっている。


「だから、次に会った時は、俺が必ず勝つ!」


 俺は勝利宣言と共に、手の中のものを放り投げた。


 パシッと片手でそれを受け取ったディクは、それを手の上で確かめてから、ゴシゴシと目を腕で擦ると──


「いいや……僕が勝つ!」


 そう宣言して、投げ付けられた木の破片を俺もまた片手で受け取って、強く握り締めた。


「じゃあ──またな」


 さよなら、などいらない。


「うん──また」


 俺たちの別れに、再会の誓い、それ以外のものは何も必要ない。


 グッと交換した互いの相棒を手に包んで拳を突き出す。

 距離があって触れられなくとも、気持ちはきっと同じだ。


 いつの日か、必ずやろう。


 このくだらなくて、馬鹿馬鹿しくて、けど絶対に譲れない俺たちだけの勝負を──また。




 そうして、俺のライバルは旅立った。



 それから二週間を置いて、俺もまたシエラ村を出立した。


 またいつか、どこかで巡り会える事を信じて、次こそは負けないと、世界を繋げる空に誓いながら。


 俺の道を歩き出す。


異夢世界を読んでいただきありがとうございます。


続く第2章からは、書き直す前なので、少々ステータスや小話に齟齬が出ている部分があります。ですので、軽く読み飛ばす感じで読んでいただけたら幸いです。

あまりに酷い齟齬が出ていれば訂正したいと思いますが、一つ一つ訂正すると更新が滞りそうなので、しばらく放置させていただきます。ですが、これは酷過ぎるというところがあれば、感想かメッセージを送っていただければ助かります。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱり引き分けか 変化がなくていまいち あの状況で剣が折れたから引き分けって納得するのかな
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