面目と復仇
伊賀から江戸方面へ抜ける『伊賀越』の道を行進する十人ばかりの集団が居た。それも、まるで人目を避けるかのように。十一月の早朝、それも山間部ともなるとその寒さは尋常なものではない。それを押してこんな早朝から出立するのならば、それ相応の理由があって然るべきだ。
その理由を示すが如く、『萬屋』内部より行列を凝視する四人の武装集団あり。三十半ばの武芸者と思しき男とその従者が二人。それに二十半ばの、これは武芸の心得に乏しそうな青年が居る。だが行列への眼差しが最も険しいのは彼である。
「やはり来たか。情報通りだな」
声を潜めて武芸者が言う。眼を皿にして集団の構成員を見定めた彼は、やがて確信とともに頷いた。
「間違いない。事前に報せがあった通りだ。あの二人以外は物の数に入らぬ小者に過ぎん」
自慢の新刀和泉守金道の具合を確かめながら、武芸者は三人の同志を見る。その眼差しには覚悟の炎が宿っていた。
「よいか。万事手筈通りに事を進めるのだ。さすれば勝機は十分……否、必ず勝たねばならぬ。でなくば源太夫と今は亡き備前宰相様に顔向けが出来ぬ。武士の面目を施すは今ぞ」
三人はそれぞれの得物に手を掛けながら、無言で頷いた。行列はもうすぐこの『萬屋』の向かい側にある『鍵屋』に差し掛かろうとしている。
武芸者の無言の合図と共に、一斉に四人が飛び出す。各々が定められた目標に矢の如く突き進む。行列の面々は驚きを露わにし、咄嗟の反撃が出来ない。
「推参なり、河合甚左衛門! 我こそは渡辺数馬が介添人、荒木又右衛門! 仇討の露払いをさせて頂こう!」
先手を打った武芸者の雄叫びに呼応するように若武者が走りながら、吠えた。
「先の遺恨覚えたか河合又五郎! 我こそは渡辺源太夫が兄、数馬! 備前宰相様ご遺命につき、貴様の首級を貰い受ける!」
後世に名高き『鍵屋の辻の決闘』は、かくて幕を開いた。それは様々な思惑と因縁がぶつかり合った果ての、必然の戦いであった。
そもそもの発端はまことにつまらぬ事件だった。岡山藩主池田忠雄には寵愛する小姓が居たのだが、そこに横恋慕する者が現れた。元々この二人は忠雄の小姓になる前恋人の関係にあったのだが、取り立てられてからは疎遠になっていた。復縁を迫ってのもつれの果て、遂には殺人事件に発展してしまったのだ。
その加害者たる河合又五郎は、父半左衛門の手引きで江戸に逃亡。有力旗本の安藤家を頼った。これがありふれた事件を大事にしてしまう。岡山藩側の引き渡し要求に安藤家は断固として承知しなかった。かつて河合半左衛門は高崎藩安藤家の家臣であったのだが、その時に殺人を犯して岡山藩を頼った。その時の引き渡し要求に対して岡山藩は、
「当家に河合半左衛門なる者はおらぬ」
という強弁でもって退けた。それを長年恨みに思っていた安藤家側は交換条件の約束を反故にして河合半左衛門を奪い取り、
「当家に河合又五郎なる者はおらぬ」
と突き返した。あからさまな意趣返しである。その結果交渉を担当した岡山藩士野間八左衛門は切腹に追い込まれた。それがいよいよ事態を複雑にした。
「最早我慢がならぬ! 我が池田家をこれ以上愚弄するならば、一戦を交えてでも河合父子を奪い返すまでの事! 例え所領没収になったとしても武士の面目に賭けて断じて譲る訳にはゆかぬ!」
と池田忠雄が激怒して態度を硬化させるならば、
「我らは徳川家御為に数多の戦場を往来し、天下統一に貢献した栄えある将軍家直参の旗本である! 外様ばらの横車如きに屈するなど到底認められるものではない! 武士の面目に賭けて、奴らの横暴を通させはせぬ! 心ある旗本や譜代の力を結集して外様どもに対抗するのだ!」
と安藤家を始めとする『武功派』旗本や一部の譜代大名が同調して対抗する姿勢を見せる始末。そして池田家側にも縁戚関係のある蜂須賀・伊達両家が加勢するに至り、一つのつまらぬ殺人事件は遂に幕府にとっても無視出来ぬ一大政治問題に発展してしまったのである。
幕府は仲裁に乗り出したが、面目を潰された岡山藩(特に藩主忠雄)の怒りは凄まじく、安藤家側も同じ『武士の面目』を盾にして全く譲る気配を見せない。今回の事件に関しての道理は岡山藩側にあるが、それ以前の事件で無理を通された経験のある安藤家からすれば納得の出来る理屈ではない。交渉は難航を極めた。
それに一定の進展が見られたのは事件からおよそ二年後。岡山藩主池田忠雄の急死によってだった。後を継いだ勝五郎(後の池田光仲)は寛永九年の時点でまだ三歳。到底政務を執れる年齢ではない。
幕府の動きは迅速だった。池田家は藩主幼少なるを理由として因幡国鳥取に転封とし、騒動に関与した旗本には謹慎を命じ、加えて河合又五郎を江戸所払いにした上で今後彼を匿う事は固く禁じられた。池田家が藩主の死によって手を引く形となった結果旗本達もこの決定に同意し、表面上事件は落着したかに思われた。
しかし。
「……それにしても無念なのは忌まわしき河合又五郎の事。あれの首級を見る事なく天に召されるはあまりに口惜しい。よいか、皆の者。いかなる手段を用いてでも、又五郎めを討ち果たすのだ……」
死に際に忠雄が遺したこの言葉が、事件の落着を許さなかった。それは上意討ちを意味する言葉であり、この場合誰が起つべきかは自ずから明らかだった。殺害された小姓渡辺源太夫の兄数馬だ。
当時の日本における仇討の慣習として、本来兄である数馬は弟の仇討をする資格を持たない。何故ならば仇討とは尊属が殺害された場合にのみ許されるものであって、卑属の場合はそれが認められないからだ。
だが上意討ちとなれば話は別だ。それは池田家そのものの敵を討つという意味であり、その場合においては尊属・卑属の別によらず行動を起こさなければならない。数馬は本人が望む望まざるに関わらず、弟殺しの犯人たる河合又五郎を殺害するまで池田家に戻る訳にはゆかなくなった。親族として『武士の面目』を施さねばならぬが故に。
だが、彼には武芸の心得がなかった。これでは暗殺を恐れて手勢を集めているであろう又五郎に返り討ちにされるのは火を見るよりも明らかだ。
彼は仇討を確実に成功させるべく一人の縁者を頼った。その男こそが大和郡山藩剣術師範役にして、数馬の義兄(姉婿)である荒木又右衛門だった。
「そうか……手紙では聞いていたが、そこまで話が拗れていたとはな」
数馬の話を聞き終えた又右衛門が、腕組みしながら唸る。
「備前宰相様のお言葉、間違いないのか」
「ええ。ご家老様より伝えられたものです。間違いありません。そして私以外に仇討を行うべき人間は居ないのだとも。それ故に不躾とは承知ながら、義兄上を頼らせて頂きました」
「……そう、か」
又右衛門は沈思黙考する。彼は幼少の折、父に従って池田忠雄に仕えた事がある。備前宰相様と尊称を使うのはその為だ。父の同僚が数馬らの父内蔵助であり、その縁で今日の関係を結んでいる。
(あの備前宰相様がそこまで仰せになるとはな。しかし、よりによって数馬に大命が下るとは。およそ武芸の素養などない男だというのに)
事情を聞かされてなお、又右衛門は数馬の事を考えて悩んでいる。彼自身が自覚している通り、数馬は武芸などからきしで、本来ならば上意討ちを命ずるのに最も相応しくない男だ。それがこんな仕儀になっているのは、彼が被害者の実兄であり、仇討をせねば武士の面目が保てないからである。それが『話が拗れている』と又右衛門が評した所以だ。
そしてこの『武士の面目』は又右衛門にも関わって来る。彼も義理とはいえ親族であり、こうして正当な仇討の介添人にと頼られた以上、倫理的に彼はこの話を断れない。断ったが最後、彼は終生罵声と嘲笑に晒される事になろう。しかも彼は単なる武士ではなく剣術師範だ。名声の失墜は即ち失業を意味する。
又右衛門は仇討の介添役を引き受ける事を承知した。立場もそうだが、彼自身弟を殺された妻の悲嘆を晴らす絶好の機会だろうとも考えたからだ。事実、彼女は主家退転と仇討の件を告げた時には一言の文句も漏らす事はなかった。
「殿ならば必ず、弟の仇を討ってくれるものと信じております。家の事は万事私にお任せ下さいませ」
又右衛門は黙って頷いた。それ以上この二人にやり取りなど必要なかった。
それからの旅は、二人にとって途方もない長旅を思わせる苦難を伴った。既に河合又五郎は江戸を離れて諸国を転々としており、その消息の一端を掴むのも一苦労だったのだ。
それでも彼らにとって悪い話ばかりある訳でもない。まずこの一件が幕府をも巻き込む騒動になったお陰で事件の知名度は高く、通常の仇討よりは遥かに情報を得る機会に恵まれていた。世の仇討には、痕跡すら掴めぬまま当事者が死亡してしまった事例など数え切れないほど存在するのだから、これは彼らにとって大きい。
更に大名達の河合又五郎及び旗本達への悪感情も大きな後押しになったと言える。旗本達のやり方はあまりにも強引に過ぎた。特に外様大名の反感は相当なもので、幕府の命令によって蜂須賀家預かりとなった河合又五郎の父半左衛門は、その途上『頓死』している。そうした反感と仇討への同情から、有形無形の援助が旅する二人には与えられる事になった。
やがて具体的な情報が集まり出す。河合又五郎は一見孤立無援に見えるが、彼に味方する者も居た。その中にはかつて又右衛門と同じ大和郡山藩に上席の剣術指南役として仕えた河合甚左衛門と、尼崎藩に槍術指南役として仕え『霞の半兵衛』の異名を取った桜井半兵衛という油断ならぬ武芸者が含まれていた。前者は又五郎の叔父であり、後者は妹婿だ。いずれも騒動の余波を受けて退転を余儀なくされた身である。
(これは難儀な事になった)
この情報を得た時、又右衛門は深く考え込まざるを得なかった。彼は兵法家であり、自殺的な突撃など許容出来るものではない。彼我の戦力比を冷静に分析する事こそが、この戦いを勝利に導く絶対条件だと信じている。
一人だけならば相手を斃す自信はある。だが二人となれば話は別だ。熟慮の末、彼は確実を期す為に自分の従者である岩本孫右衛門、河合武右衛門を味方に引き入れる事にした。そして二人に以下の事を命じた。
「今からそなた達二人は手裏剣術の鍛錬を積み重ねよ。最低でも真っ直ぐに投擲する事が出来るようにするのだ。それによって仇討が成るか否かが決する。ゆめゆめ怠るなかれ」
戸惑う二人に対して、又右衛門は険しい表情になった。それは戒めであり、同時に自分自身に言い聞かせる為のものでもある。彼は決然として言った。
「よいか、戦になればそなた達には桜井半兵衛を相手にして貰わねばならぬ。だが桜井半兵衛は稀なる槍の使い手。奴に槍を持たせればわしとて勝てるとは言い切れぬ。それをさせぬ為の手裏剣なのだ。奴は熟練の勇者だが、その槍持ちもそうである訳ではない。自分に向かって来る手裏剣を前にして平然とはしていられまい。当てる必要はない。威嚇として投げるのだ。だがあらぬ方向に吹っ飛ぶのでは話にならぬ。自分に当たるのでは、と思わせるだけの投擲はする必要がある。その為にこそ鍛錬を積み重ねよ」
彼を知り己を知れば百戦危うからずという。又右衛門は勝つ為に綿密に作戦を練って来た。その結論がこれだった。自分は河合甚左衛門を討ち、その間に従者二人が桜井半兵衛を相手取る。そして数馬が又五郎と対峙する。それが基本線だった。二人はいずれ劣らぬ畿内に名を成す武芸者。だが逆に言えばこの二人さえ仕留めれば勝てる。又右衛門はそう踏んでいた。
そして遂に、彼らは自分達の至近で又五郎一行の消息を掴む事に成功した。時に寛永十一年十一月頃。数馬が仇討に旅立ってから二年、事件からは四年の月日が流れていた。
伊賀上野の巷。東への道を行く十人ばかりの集団に、三人の馬上の男が居る。しんがりに構える男と近くに槍持ちの従者を侍らせている男の態度は堂々たるそれであり、一目見て熟練の武芸者と見て取る事が出来る。
だが最後の、皆に守られる形で中央に構えている青年にはそうしたものは一切感じられない。その線の細さは青年と言うよりも少年と言った方が適切ではないかとさえ思われる。実際彼はまだ二十歳であり、その容姿はまず美少年と呼ぶべきものと言える。だがその美貌は、焦燥と疲労感によって影が差している。
(どうしてこんな事になってしまったんだ)
心中を悔恨の闇に塗り潰されそうになるのを懸命に押し留めながら、それでも河合又五郎は己の境遇を嘆かずにはいられなかった。
若気の至りだった。渡辺源太夫が自分の下を離れたのは主君池田忠雄の寵を受けて召し出されたからであって、彼自身ではどうする術もない事だ。だがその時彼はまだ十五にもなっていなかった。その熱情を冷ますには、あまりにも若すぎた。
(俺はただ、あいつとよりを戻したかっただけなのに)
だが仮にも主君に児小姓として取り立てられた以上、今更復縁する事など出来よう筈もない。万一主君に露見すれば二人とも命はあるまい。二人は幾度となく激しい口論を交わし、遂に又五郎は怒りに身を任せて若党を引き連れ、源太夫を手に掛けてしまった。
その後の成り行きは、彼の想像を遥かに超えていた。復縁を巡る感情のもつれが、いつの間にか天下を揺るがす大騒動にまで発展してしまう様は、事件当時十五歳の少年にとって到底理解出来ない流れだったと言える。そしてその過程で父は殺され、自分も追われる身となった。もし叔父甚左衛門と義弟桜井半兵衛の助力がなければ、まずそもそも正気を保っていられたかどうか。
彼は常に鎖帷子を着込んでいる。それこそ江戸を追放されてから二年に渡って。いつ襲撃されるとも知れぬ恐怖は、心身共に彼を極限まで追い詰めていた。
そんな中もたらされた江戸からの『朗報』は彼にとってすぐにでも飛びつきたいほどに甘美な響きを持っていた。先の裁定以来、表向きは又五郎への援助を断った旗本達だが、一部の者は密かな援助を続けていた。その内の一人が、彼を極秘裏に江戸で匿ってもいいと申し出て来たのだ。又五郎は喜び勇んで旅の支度を急速に整えた。この旅が終われば自分は安全を取り戻せるのだ。そう信じた。信じたかった。
「推参なり、河合甚左衛門!」
通り過ぎたばかりの店から飛び出して来た武芸者の叫びによって、その甘い幻想が崩れ去るまでは。
(なんだ、これは?)
突然の事態に頭が回らない。一直線に叔父に突っ込む武芸者。義兄弟とその槍持ちに躍り掛かる二人の男。そして、自分に向けて突っ走る見覚えのある男。それ以外の全てが、自分の認識から消えた。
嘗ての想い人に似た顔立ちの男が、何かを吠える。その瞳に確かな炎を宿らせながら。叔父が足を斬りつけられて馬から落ちる。そこに容赦のない刃が振り下ろされる。断末魔と共に血飛沫が、飛んだ。
自分の頬に生温いなにかが飛び散る感触で、彼の心が現実に無理矢理引き戻される。血溜まりに沈む叔父の真っ赤な姿が、恐ろしく鮮明に彼の視界を彩っていた。
(何故、こんな)
彼の思考は混乱の極にあった。憎悪に燃える刃を本能で辛くもかわす。空を切る甲高い音が響く。それに怯んだのか、半兵衛の槍持ちが身を竦めて止まる。その近くを棒状の何かがすり抜けていった。棒手裏剣と呼ばれる投擲武器だ。怯んだ隙に一気に男が懐に飛び込み、刺突を見舞った。義弟が持つべき槍が、からんと音を立てて転がる。罵声にも似た焦燥の叫びが辺りに響いた。
逃げなければ。本能がそう告げる。幸い、自分は馬に乗っている。遮二無二駆れば何とか逃げ切れる筈だ。義弟を置き去りにし、叔父を野ざらしにするのは忍びない。だが逃げねば自分の命が――。
思考を引き裂く凄まじい雄叫びが上がったのはその時だった。魂が凍るほどの声に、びくりと身が震える。叔父を殺した武芸者が左手に小さな物体を掲げ、投げた。
きぃん。
心地よい音を響かせながら、しかしその恐ろしい物体は、真っ直ぐに自分の顔面に飛んで来る。それも、自分の瞳を目掛けて。
言葉にならぬ叫びを上げながら、馬がほとんど棹立ちにならんばかりに手綱を引く。手裏剣こそかわしはしたが、その先に待っている事態は一つしかあり得ない。
一瞬の浮遊感。その直後に訪れる苦痛。空気という空気を吐き出し、悶えた。そして一瞬の逡巡と共に迫り来る、復讐者の殺意に満ちた刃。
狂乱にも等しい叫びが、鍵屋の辻に響き渡った。
夥しい量の返り血が、又右衛門の全身を紅く染め上げる。一瞬だけもがき、動かなくなった嘗ての同輩を見下ろすその目には僅かな哀惜の念が込められている。
「悪く思われるな、甚左衛門殿」
又右衛門は彼の実力を知り尽くしている。こういう奇襲戦法を用いる以外、確実に葬る方法などなかった。後悔はない。だが、見知った人間を殺す重みそのものは変わらない。
油断なく刀を引き抜き、周りを見回す。甚左衛門の小者は主人の死に恐れをなしてか、既にその姿が見えない。手練二人を最優先に殺害する作戦を採った理由はこれにこそあった。事実、他の従者達は大方が逃げ腰になってまともに戦おうとする気概が感じられない。
きぃん、きぃん。
甲高い音の方向に目を向ける。従者二人が棒手裏剣を投げた音だ。桜井半兵衛は容易くかわしたが、槍持ちの方は明らかに怯んだ様子で、その間隙を縫って岩本孫右衛門が突進し、仕留める。その後槍を遠ざけて、半兵衛に渡らせぬように処置をした。
「おのれ小癪な下郎どもが!」
半兵衛は抜刀しながら怒鳴る。得意の槍が封じられて焦りの色が濃い。ここまでは万事作戦通りに進んでいる。
馬のいななく声に、又右衛門はその方向を見る。他ならぬ最大目標、河合又五郎の馬の声だった。馬上の少年の秀麗な顔は恐怖で歪んでいる。その恐怖のまま、彼は馬首を返そうとしていた。ここから逃走しようというのだ。又右衛門は咄嗟に決断した。
戦場を圧する大音声を響かせて、又右衛門は棒手裏剣を取り出す。それを左手に構え、投げた。大喝で動きを止めた河合又五郎の眼球目掛けて。
又五郎が錯乱のあまり手綱を力の限り引いた。馬が棹立ちにならんばかりに。手裏剣は空を切ったが、無理な回避によって馬上から地面に叩きつけられる。数馬は一瞬躊躇い、そして駆けた。仇敵を討ち果たす為に。
だが必殺を期して突き出された刀が、又五郎を貫く事はなかった。激痛に身悶えていた又五郎がのた打ち回るようにしてごろりと横に転がったのだ。目一杯の力を籠めた刃は深々と地面に突き刺さり、容易に引き抜く事が出来ない。
「畜生、もう一息なのにっ!」
数馬が必死に刀を地面から引き抜こうとする間、なお暫く又五郎は身を丸めて痛みに震えていたが、やがて頭を激しく振り、半ば朦朧としながらもゆっくりと身体を起こす。数馬がようやく刀を引き抜いたのはその後だ。数馬は憎々しげに又五郎を睨んだ。又五郎は血走った眼で刀を抜く。息遣いが荒く、頭部からは軽い出血が見られる。だが戦いに支障が出る類のものではなかった。
(歯痒い事だ、介添人というものは)
その一部始終を見届けていた又右衛門が嘆息する。介添人はあくまで介添人。仇討の露払いまでが為すべき仕事だ。仇討人の代わりに仇を殺害する事は許されない。そして当の仇討人は、武芸に関しては素人に毛が生えた程度に過ぎないのだ。この仕留め損ないは完全に数馬の未熟によるものだった。もし自分なら、落馬した時点で確実に仕留めていただろうに。
不意に聞き覚えのある声の悲鳴が上がり、又右衛門は一瞬の思索から弾かれたようにその方向を見た。
「武右衛門!」
口から言葉が自然に飛び出した。足が勝手に動き出す。その眼前には、血の海に沈む河合武右衛門と、手負いになって今にも打ち破られそうな岩本孫右衛門、そして血染めになった桜井半兵衛が刀を手に暴れ狂う光景が広がっていた。その半兵衛が全力で突進する又右衛門の姿を認め、吠えた。
「雑兵風情にこの俺が止められると思ったら大間違いだぞ、荒木又右衛門! 槍が使えずとも貴様如き、すぐに部下の後を追わせてくれるわ!」
半兵衛の挑発に又右衛門は言葉の代わりに刀の一閃でもって応えた。半兵衛はこれを易々と受ける。短い鍔迫り合いの後、間合いを取って対峙する二人。
「そ、そこな御仁。ここは上野ご城下にござるぞ。一体これは何事であるのか!」
又右衛門はその声には振り向かない。だが敵味方の声でないのははっきりわかった。事実、その声の主は衣服に蔦の紋が刺繍された武士である。たまたま通りかかった伊賀上野詰めの藤堂家臣だった。もっとも蔦の紋自体は又右衛門には見えていない。彼の眼差しは半兵衛一点に据えられたままだ。
「おう、これは主命による仇討にござる」
なおも半兵衛と睨み合いながら、又右衛門は平然と答える。達人同士の戦いでは僅かな隙が命取りになる。声を掛けた武士自身、又右衛門から返事が得られるとは思っていなかった。
「町奉行様にお目にかかる事あらばお伝え下され。これは騒擾に非ず、大義に基づく仇討なりと。それと深手を負った者も居る故医者もお連れ頂きたい。どうぞよしなに!」
「お、おう。心得申した。確かにお伝えしよう」
武士はしどろもどろになりながら承知し、城に向かって走り去っていった。無論又右衛門の視線は半兵衛に据えたままだ。
きぃん、きぃん。
再度鉄が空を切る音がした。そしてその音を聞いた瞬間、又右衛門が半兵衛の懐に飛び込んでゆく。半兵衛が一瞬その音に気を取られたのを見逃さなかったのだ。孫右衛門の手裏剣による援護だった。付け焼刃の手裏剣術は決して精妙なものではなく、まかり間違えば又右衛門に当たりかねない。だが彼は躊躇わなかった。半兵衛はほんの一瞬だけ警戒せざるを得なかった。それが、勝敗を分けた。
鮮血が迸る。返り血に染められていた半兵衛の肉体が、今度は自分自身の血に染め上げられた。咄嗟の反撃も、又右衛門に見切られて空を切っていた。彼は半兵衛の斬撃の軌道を読んで体勢を低くし、逆袈裟に斬り上げたのだ。
半兵衛が倒れ伏す。まだ息があるがとどめは差さない。それは彼の仕事ではない。仇討の邪魔にさえならなければそれでよいのだ。それより気がかりなのは深手を負った武右衛門の方だった。すぐに駆け寄ると既に応急処置が施されているが、出血は止まらず苦痛に満ちた呻き声が漏れ聞こえる。
(これは、駄目だ)
沈痛な思いで判断を下す。だがそれは色にも出さず、彼は口の端に笑みすら湛えて部下に語りかける。
「よくやった、武右衛門。お主のお陰で半兵衛に勝てたのだ。その功はお主のものだ」
「勿体なき……」
それだけを言って、武右衛門は再び苦しげに呻く。
「孫右衛門、何とかして止血を試みよ。これだけの勇士をあたら死なせたくはない。武右衛門はもう喋らずともよい。無駄に力を使うな」
元より孫右衛門も武右衛門が助からないであろう事は承知している。それでも彼は無言で頷く事で主人の真心に応えた。だが次の瞬間、彼の顔が青ざめる。
「殿、後ろに!」
その声より先に、一変した表情を見て又右衛門が振り返る。半兵衛の別の小者と思しき男が木刀を振りかぶり、腰を目掛けて打ち据えようとしていた。奇襲に近いが、又右衛門にとっては『見える』攻撃だ。すぐに刀で防御する構えを取った。
「ぐ……!?」
だが、嫌な音と共に木刀は腰をしたたかに打ち付けていた。さしもの又右衛門も何が起こったのか一瞬理解が及ばなかった。そして己の刀を見た。愕然とした。
(そんな馬鹿な)
なんとこの戦いの為に持ち出した自慢の新刀、二尺八寸の剛刀和泉守金道が、無残に折れていた。確かに刀は耐久性に関しては脆い所がある。だがまさかこんな事で折れてしまうとは。
「小癪」
それでも又右衛門は心中の動揺を押し隠し、毅然として曲者に向かい合った。その強烈な殺気と平然とした姿に恐れをなしてか、小者に先程の勢いはない。木刀で打たれたといっても、胴は仕込み防具で守りを固めているので大した傷にはなっていなかったのだ。そして正面から戦って勝てる相手でないのは瀕死の主人を見れば一目瞭然である。
「小者にしてはなかなかの太刀。褒めてやろう」
脇差を抜きながらあえて傲然と又右衛門が言い放つ。
「だが二度同じ手は通じぬぞ。主人の後を追いたくば……」
それは電光石火の極致と言うべき武技だった。目にも止まらぬ疾さで棒手裏剣を左手に握るや、凄まじい勢いで顔面に向けて投擲したのである。それは恐るべき音を立てて、小者の頬を掠めた。遅れてそれを認識し、流れる血を手で触る。戦慄に顔が蒼くなるのを、又右衛門は見逃さなかった。
「この荒木又右衛門、いつでも貴様の相手をしてやろう。さあ、参れ!」
とどめの一撃だった。小者はじりじりと退がり、遂には逃げ出してしまった。この又右衛門の威を見て、最早抵抗する者達は一人も居ない。
馬蹄と複数の武装した集団の足音が聞こえる。又右衛門は悠然とそちらを見た。藤堂蔦の紋が記された旗が見えた。先程の武士か、あるいは騒ぎを民衆が通報したか。いずれにしても伊賀上野を預かる町奉行率いる部隊が現場に駆け付けた証だった。
「静まれ、静まれ! 神妙にせよ!」
そう叫びながら町奉行は馬から下りる。そこにずいと進み出た者が居た。他ならぬ又右衛門である。
「貴様がこの騒擾の首謀者か。わしは上野町奉行加納藤左衛門だ。名を名乗れ。これは一体如何なる仕儀か!」
又右衛門は脇差を鞘に収め、深々と頭を下げる。敵意はない事を示す証である。顔を上げた後、彼は藤左衛門の顔を凝視した。その顔に恐れの感情はない。
「それがしは和州浪人荒木又右衛門と申します。此度の仇討の介添人を務める者です」
「仇討?」
その言葉を聞いた藤左衛門の表情が一瞬険しくなる。
「仇とは誰の事か」
「亡き備前宰相清泰院様に仕え、その同輩を殺した河合又五郎」
又右衛門が向きを変える。藤左衛門もそれに続いた。そこには息を切らし、地面に各々の血を流しながら対峙する二人の青年の姿があった。
「そしてあちらで仇敵と向かい合う男が、仇討人渡辺数馬にございます。今まで血を流したるは、これ全て仇討の本懐を遂げんが為。介添人の作法に従い、二人の決闘には誓って助太刀致しませぬ。どうぞ我が義弟に、本懐を遂げる機会をお与え頂きたい。それをお認め頂ければ、喜んで沙汰に従いましょう」
藤左衛門は腕組みをして考え込んだ。既に部下達は周囲の封鎖に取り掛かっている。又五郎が逃亡出来る可能性はほぼ消えたと言える。後は彼の決断一つで全てが決まる。
「……よかろう。その本懐、遂げさせてやろうではないか」
又五郎が半ば朦朧とし、決闘に集中せざるを得なかった事は彼にとってむしろ幸いであったろう。もし彼が聞いていたなら絶望していたに違いない。それは事実上、河合又五郎という男に下された死罪判決のようなものだったからである。
その又五郎は肩で息をしている。足は震え、立っているのもやっとだ。それは向かい合う数馬も同じだった。二人の技量は公平に見てほぼ互角。しかも低い次元での互角だ。達人同士の長期戦は概ね神経戦になるが、この二人の長期戦は過酷な消耗戦の様相を呈していた。又右衛門が怒鳴った。
「数馬! もう邪魔立てする者はおらぬぞ! 後はそなたの働きが全てだ! 本懐を遂げよ! 備前宰相様ご遺命を果たせ! 源太夫の無念を晴らせ!」
又右衛門の叱咤を受け、数馬がのろのろと刀を振り上げる。又五郎もそれに続いた。摺り足のような足取りで踏み込み、それぞれが斬撃を見舞う。もっともそれは、もう斬撃と言うには勢いがない。共に相手を斃すに至らず、間合いを取った後に足がふらついて倒れ込んでしまった。
こんな調子で二人の決闘は、なんと二刻半もの長きに渡って延々と続けられた。戦いが始まった時まだ山際に隠れていた日差しが、今や決闘する二人に激しく照りつけられている。それも二人の体力を容赦なく奪っていた。
その間、又右衛門は奉行との約定通り一切手出しせず、叱咤激励に声を嗄らした。心はざわつき、じりじりと焦燥の念が渦巻いている。しかし今まではおくびにも出さなかった。それで数馬に悪い影響を与えたくなかったから。
だがこうも長きに渡る戦いに、遂に又右衛門の忍耐も限界に近付きつつあった。横目で見れば奉行も似たような感情に見える。いつ彼が先の判断を翻さないとも限らない。又右衛門の形相が一変した。
「数馬! 貴様一体今まで何をして来た! 目の前に仇敵が居ると申すに、自分一人でこれを誅する事すら出来ぬのか! 貴様の主君に対する忠義はそんなものか? 弟を殺された怒りはそんなものか! 怒れ! 怒って奴を討て! 俺は手助け出来ない! お前がやるしかないのだ!」
腹の底から響くほどの大音声が辺りに響き渡る。嗄れ気味の声が、逆に彼の熱情を物語っていた。
「やれ! やるんだ! 仇を取れ!」
もう二人とも意識が飛びかかっている。又右衛門の叱咤がまともに聞こえているかかなり怪しい。だがそれに応えるかのように、数馬が動いた。全ての力を振り絞るようにして刀を握り、歯を食いしばって仇を睨む。そして担ぐように構え、重い足取りで間合いを詰め始める。
又五郎も生き残る為、必死に構えようとする。だがここに来て落馬で肉体が痛めつけられたのが響いた。声なき叱咤と裏腹に、身体は言う事を聞かない。
(畜生、畜生! 動け、動けぇっ!)
今や美貌は汗と極限の疲労、そして恐怖で完全に影を潜めている。その目は怯えと生への執着が入り混じり、身体全体が震えていた。腕も足も、もうまともに動かせない。必死に動かそうとしても、眼前の鬼が自分を食らおうとするのを、指をくわえて見る事しか出来ない。
重い音と共に、どさりと何かが地面に落ちた。僅かに遅れて又五郎が崩れ落ちる。左腕があった場所から血を吹き出しながら。数馬の渾身の一撃が、遂に又五郎の左腕を斬り落としたのである。彼は悲鳴すら上げられなかった。苦痛に顔を歪ませながら、獣のような呻き声を発するだけだ。
数馬も斬った勢いで前のめりに倒れ込んだが、遂に手応えある一撃を与えられた事が、彼に最後の底力をもたらした。又右衛門はもう何も言わない。その必要がない事を悟っている。そしてそれを証明するように立った。剣を杖代わりに地面に突き立てながら。
血と共に急速に力が抜けてゆくのを自覚しながら、又五郎は死神が近付いて来るのを閉じかかった目で見つめていた。人は腕を失うだけで、十分に死に至り得る。彼自身、とどめを刺されずとも遠からず死ぬのだろうと直感していた。
又五郎の心は不思議に穏やかになっていた。もう自分が死から逃れられぬとわかってから。今までの恐怖が、一気に薄れてゆく。
死神の顔を見上げる。嘗て愛し合い、そして殺してしまった想い人に似た顔立ちの青年を。その顔は怒りと憎悪に歪んでいた。それは死に際に見せた少年の顔が、そのまま蘇ったかのようだった。
又五郎の目から涙が流れ落ちる。恐怖は黄泉に去った。代わりに湧き上がった感情が、溢れて止まらなかった。止めたいとも思わなかった。もう今の彼には、それ以外何をする事も出来ないのだから。
(――源太夫)
それを最後に、彼の意識は永遠の闇に閉ざされた。
復讐者が倒れ込むように仇敵に覆いかぶさるのを、その場の全員が固唾を飲んで見守っていた。見届け人たる又右衛門や上野町奉行加納藤左衛門も息を詰めている。又右衛門の汗が背中を伝って落ちた。覆いかぶさった二人の下から、血が水溜まりのように広がってゆく。
「数馬」
掠れた声が漏れる。白くなるほどに力が籠められた握り拳が、小刻みに震えていた。
ゆらりと、男が起き上がった。身体中が朱に染まり、それだけではどちらか判断がつかない。男は自分を支える刀ごとがたがたと震えながら、叫んだ。
「備州浪人……渡辺数馬! ここに我が仇敵、討ち取ったり!」
その瞬間、野次馬達がどっと沸いた。そればかりか、藤堂家の家臣達すらも。その場の全員が拍手をしていた。ただ二人を除いて。
数馬が力尽きて倒れそうになるのを、抱き留める者が居た。その目からは滂沱の如く涙が溢れていた。
「よくやった。よくやったぞ、数馬」
それだけ零すと、彼を抱き締めて嗚咽する。それまで抑え込んでいた感情を全て吐き出すかのように。それを霞みがかった目で見ながら、ようやく数馬が笑みを浮かべた。遂に彼らは、仇討の本懐を確かに果たしたのである。
「……これで宜しいのですな、大殿」
その光景を見つめながら、藤左衛門が独りごちる。出動前に城代家老藤堂高清から見せられた、一通の密書の事を思い出していた。
(和州浪人、か)
周囲の熱狂とは裏腹に藤左衛門一人、思索の海に沈んでいった。それはさながら、この事件の奥に潜む魑魅魍魎から逃れるかのようだった。その密書には、次のような内容が記されてあった。
「和州浪人仇討の儀、これを停止する事を固く禁ずる。御宿老総州公が思し召しなれば、ゆめゆめ叛くべからず」
かくして、仇討は終わった。本懐は果たされ、渡辺数馬と荒木又右衛門は武士の面目を大いに施した。だがその夜に見せた彼らの表情に喜びはなかった。一人の勇士が、静かにその生涯を閉じようとしていたからだった。
「武右衛門、本当によく戦ってくれた。よくわしに従ってくれた。そなたのお陰で、無事に本懐を果たす事が出来たのだ。功績第一はそなたのものぞ」
消えゆく命の手を固く握り締め、又右衛門が震えながら言った。応急処置と休息によって息を吹き返した数馬と、もう一人の従者岩本孫右衛門も唇を噛んでいる。
「ありがたき、お言葉。それだけでこの河合武右衛門……望外の幸せに、存じます」
その声はか細く、弱々しかった。誰が見ても、もう死が避けられないのは明らかだった。
(どうすればいい)
又右衛門は自問する。功績第一という言葉は何も餞ではない。本心からの言葉だ。彼と孫右衛門の足止めがなければ、この仇討は失敗していたに違いないのだ。その忠義と武勲に何としても応えたいと思う。だが、与えるべきものが思いつかない。浪人の身では方法が限られ、しかも功績に報いるにはあまりに不足だからだ。
(……いや、一つだけある)
又右衛門はちらりと数馬を見る。怪訝そうな顔になった。だが彼が見ていたのは正確には数馬ではなかった。郡山で自分の帰りを待っている妻と子供達の顔だった。
(すまぬ、三十郎。すまぬ、みね。俺にはこうする事でしか、武右衛門の義死に報いる事が出来ぬのだ。本当に、すまぬ)
そう心中で唱えながら、又右衛門は決然として武右衛門に語りかけた。
「よく聞け、武右衛門。そなたの倅平之丞を、我が娘おまんの婿とする。そして三十郎に代わって荒木の名跡を継いで貰う」
その場の全員が驚愕した。三十郎とは又右衛門の実子の名である。つまり又右衛門はその子を廃嫡すると宣言したのだ。
「お、お待ち下さい義兄上。確かに武右衛門の功績は大きいとは存じます。しかし、それでは……」
抗弁しようとした数馬が、自発的に口を閉じた。閉じざるを得なかった。又右衛門の頬を、涙が伝っていたからだ。
「それは俺だってわかっている。三十郎やみねには恨まれても仕方がないだろうと。だが武右衛門は家族も禄も擲って、命すら投げ出して尽くしてくれた。他にどうやって、その忠義に報いる事が出来る? 俺にはこれ以外の方法が思いつかぬ」
そして彼は、畳に頭を擦りつけた。
「許してくれ、数馬。俺の我儘を、どうか聞き届けてくれ。頼む」
そこには、仇討の成就に力を尽くした勇者の姿はなかった。忠臣の死と家族への裏切りに涙する、一人の悲しい男の姿だけがあった。数馬にはもう、どうする術もなかった。
「わかりました。もう俺は何も言いません。だから、どうか顔を上げて下さい」
「……かたじけない」
腕で涙を拭う。
「どうだ、武右衛門。この話、受けて貰えるか」
武右衛門は震えていた。双眸からは涙が溢れていた。
「も、勿体なき話にございます。格別のご厚情、ありがたき、幸せ……この御恩、黄泉に参っても決して忘れは、致しませぬ」
そうして程なく、河合武右衛門はこの世を去った。この時の約束は後に果たされ、武右衛門の子平之丞が婿養子として荒木家の家督を相続する事になる。
江戸城本丸御殿御用部屋。額を突き合わせる年寄衆の表情は曇りきっていた。伊賀上野における仇討の顛末が、藤堂家よりもたらされた為だ。
この報に関する反応は賛辞と非難とにはっきり分かれた。民衆の多くは義挙として称え、旗本達の横暴に嫌気が差していた外様大名も内心溜飲を下げていた。だがそれは必然として、又五郎を擁護していた『武功派』旗本の反発をも招いた。
「既にご沙汰が下され一件落着したと申すに、又五郎を殺害するとは何事。武士の面目に賭けて、渡辺数馬ら下手人を引き渡すべし」
こう声高に主張する者も少なからず存在した。幕閣一同にとっては悩みの種と言うべきだったろう。
「奴らも余計な事をしてくれたものだ。折角一応は片が付いたと言うのに」
「しかし、これは亡き備前宰相殿のご遺命とか。滅多な沙汰を下せば池田家の反発を受けるは必定」
「それがそもそも短慮だと申すのだ。仮にも一国を預かる太守ともあろう者が、つまらぬ感情によって沙汰を私し、仇討などという手段を用いてよい法があるか。最早戦国の昔ではないのだぞ」
「ですがここで旗本どもに肩入れしようものなら、依怙の沙汰を下したとして外様諸侯からの反発は避けられますまい。それは得策とは申せませぬ」
「ならば下手人どもに腹を召させればよい。切腹であれば武士の面目も保て、また喧嘩両成敗の法にも則っている。それしかない」
「しかし、池田家は助命を嘆願しているのです。それでは……」
この喧々諤々とした議論こそ、事件の複雑怪奇な一面を雄弁に物語っていた。だがその議論に、二人の男が加わっていない。揃って腕組みをし、何事かを思案している様子である。自然、年寄衆の視線はその二人に注がれる。議論は平行線を辿っており、この二人の発言が趨勢を決すると言っても言い過ぎではなかった。
「元はと言えば、これは我らの責だ」
その内の一人が、遂に重い口を開いた。
「あの江戸所払いと隠匿停止令は、言ってみれば河合又五郎への仇討を黙認するような話だった。それを棚に上げて池田家や下手人達の責のみを問う事が、天下の政を取り仕切る年寄衆の為すべき事か。わしはその時の合議に加わる立場ではなかった。だがその沙汰には常々違和感を覚えていたものだ。旗本に肩入れしたら依怙の沙汰と呼ばれると? ならば河合又五郎のみならずその父親まで池田家から奪った時点で、安藤家以下関与する旗本どもを処断すればよかったではないか。元はと言えば奴らが武士の面目、旗本の意地などという論理を振りかざし、横暴の振る舞いを為したのがここまで問題を拗れさせた所以なのだ。これ以上奴らの鼻柱を長くしてやる道理などありはせぬ」
ぷつりと言葉を切り、周りをじろりと見渡す。そして断固として言った。
「下手人達の罪は問わず、御構いなしとするべし。それが、このわしの考えだ」
ちらりと横目でもう一人の男を見た。男は黙って頷くだけだった。こうなっては他の年寄達も、迂闊に否と言う訳にはゆかなくなった。何故ならこの二人は、大御所秀忠遺命に基づき大政参与として家光を輔弼する重責を担う宿老中の宿老だったからだ。
松平下総守忠明と、井伊掃部頭直孝。それがこの二人の名だった。そしてこの松平忠明こそ、嘗て荒木又右衛門が仕えた旧主だった。
こうして、幕閣では内々にではあるが渡辺数馬ら三名を赦免する方向で固まっていった。だがそれだけでは問題は終わらなかった。今度は荒木又右衛門の帰属問題が浮上したのだ。池田家側は仇討を成功に導いた稀なる勇者として鳥取に迎える事を強く希望していた。だがそこに、又右衛門の直近の主君である松平忠明が異論を唱えた。こちらの方では議論は水掛け論の様相を呈した。一難去ってまた一難とはこの事だ。
(これは総州公に謀られた)
年寄達はそんな想いを抱いた事だろう。何の事はない。忠明は最初から渡辺数馬一行、正確には嘗ての部下荒木又右衛門に肩入れしていたのだ。彼に同調した井伊直孝とは事前に気脈を通じていた。土井利勝に次ぐ長老らしい老獪な手口である。しかし内々とは言え今更裁定を覆す事は不可能だ。見事な作戦勝ちと言えた。
もっともそれ故に、最終的に荒木又右衛門の帰属は池田家にありとする結論が下された。それは暗黙の交換条件のようなものであった。流石の忠明も、それを覆すほどの力までは持たない。渋々引き下がるしかなかった。
だがその結論が最終的に公になったのは、寛永十五年七月。仇討からはなんと四年もの月日が流れていた。それだけ議論が紛糾した証であるが、必然的に又右衛門達はそれだけの年月を藤堂家預かりのまま放置された事になる。
その間又右衛門は、ある人物に師事する事で持て余す時間を利用した。その名は戸波又兵衛。柳生新陰流を修め、刀剣鑑定でも名を成した人物である。
「大事な戦に信頼出来る古刀ではなく折れやすい新刀を用いたのは士道不覚悟と言うべきだ。幸いにして仇討が成ったとはいえ、不調法も極まれる失態と言うべきであろう」
彼が事件について次のような批評を行ったのが又右衛門との交流のきっかけだった。余人なら怒りそうな批評だったが又右衛門は違った。それは彼自身感じていた事だったからだ。
「確かにその通りだ。もし刀が折れたのが小者との戦いではなく甚左衛門殿や半兵衛殿との戦いだったらわしの命はなかった。仇討も果たせなかっただろう。戸波殿のご指摘は理に適ったものだ」
そう言うや否や又兵衛の屋敷を訪ね、彼が修めた柳生新陰流も含めて学ぶ事を求めたと言うのだから只者ではない。又兵衛もこれを快諾し、かくて『柳生新陰流門弟・荒木又右衛門』が誕生した。後世又右衛門が柳生十兵衛の弟子と称されるようになった所以がこれだった。
そして遂に、三人が旅立つ時がやって来た。この時に池田・藤堂両家が行った護衛は厳重を極めた。特に伏見から鳥取に至るまでの池田家の護衛は実に百人を超え、淀川を渡る船団は三十隻を下らなかったと言われる。それは三人に対する誠意であると共に、池田・藤堂両家の面目を賭した護衛でもあった。旗本達や河合又五郎の親類縁者による万一の事態に備えてのものだったからだ。
その甲斐あってか旅は何事もなく順調に進み、寛永十五年八月十一日、遂に二人は鳥取城に迎え入れられた。渡辺数馬は元のように池田家に仕える事を許され、又右衛門とその部下岩本孫右衛門にも身分に応じた高禄が与えられた。三人はそれぞれ妻子を呼び寄せ、それで今度こそ平穏な日々が戻って来る。誰もが、そう考えていた。
荒木又右衛門が急死したと池田家が発表したのはそれから僅か十七日後。八月二十八日の事であった。妻子はまだ、鳥取に到着すらしていなかった。
荒木又右衛門の死因は、今もって明らかではない。それは当時から不審に思われていて、池田家によって毒殺されたとも、あるいは逆に復讐によって又右衛門を失わぬ為に城中深くに留め置いたとも言われる。旗本達による復讐説など、様々な噂は絶える事がなかった。
ただ確かな事は、後に講談を始めとする数多の物語で名を轟かせ『三大仇討』の一角に名を連ねるこの決闘の立役者が、この発表を最後に表舞台から消え去ったという事だけだ。その生き様はある意味では役者のそれに等しかったと言えるだろう。
そしてそれは渡辺数馬も同じだった。又右衛門の死から四年後、まるで彼の後を追うように彼もこの世から去った。三十五歳の若さだった。まるで義兄弟揃って、一世一代の晴れ舞台を全うする為に生きた人生であるかのようだった。
今日にも伝わるこの復讐譚、そのきっかけになったのは衆道のもつれでした。衆道のもつれが殺人事件や権力闘争に発展し大事になるというのはそう珍しい事ではありません。例えば大崎合戦のきっかけは寵童同士の争いがそのまま大崎家中の権力争いに発展した事であり、蘆名盛隆も衆道のもつれの果てに殺された説があります。そして何より、戦国大名大内氏の命運を事実上断ち切った大寧寺の変を引き起こした陶隆房は、大内義隆の嘗ての寵童でした。
この事件をこうまで拗らせたのは『武士の面目』でした。法秩序が現代ほど整備されない時代、世界的に『面目を潰した相手に対する自力救済』が横行していました。当然それは日本にも当て嵌まります。坂崎直盛が千姫の縁組計画で面目を潰し、その結果彼女を奪って縁組を破談させようと計画した事案は俗説も含めて有名な話です。武士の面目とはかくも苛烈で、譲りがたいものでした。
言ってみれば荒木又右衛門は巻き込まれ型の主人公だと言えるでしょう。もしこの事件が起きなければ、大名と旗本の対立にまで拗れなければ、そして彼の義弟が仇討に旅立つ事案が起こらなければ、彼の出る幕はなかったのです。そうすれば彼は、単なる一師範として歴史に名を残す事はなかったでしょう。
奇縁に奇縁を積み重ね、遂には数多の創作の種として活躍するようになるのを、彼は果たしてどう見ていたのでしょうか。