手紙
冬休みに入ると、葵は担任から旧校舎の整理をするように言われた。取り壊す前に必要なものを運び出して欲しいとのことだった。
壁一面に描かれた絵は運び出せないので、写真を撮って保存した。
「後でハルのお母さんにも送ろう」
ハルが亡くなってからも二人は時々会ったりしていた。
葵が母のように慕ってくれるのをハルの母親は葵の母親に悪いと恐縮したが、年頃の娘だから女親にしか話せないこともあると葵の父親から宜しくお願いされたので無下には断れなかった。
今思うと夫を亡くし、子供まで亡くしたハルの母親への父なりの配慮だったのかもしれない。
「さて、こんなものかな」
ハルの使っていた画材や描いた絵などを一通りまとめると、葵は壁に背をつけた。
部屋には傾き始めた日が差し込み、壁に長い影を落とした。
荷物のすべてはハルの母親の元へ送るつもりだが、欲しいものは貰って良いとのことだったので一枚だけ絵を貰うことにした。
初めて旧校舎に来たときに描いていた夕陽の絵。あの日を思い出せるように、きちんと思い出になるように貰うことにした。
「ん?」
裏を見ると、キャンバスと板の間に手紙が挟まっていた。
葵がそれを手に取ると、葵へ、と書かれていた。
「秋月さん、荷物の整理は終わった?」
急に担任から声を掛けられ、葵は思わず手紙をポケットにしまった。
「はい。後はこれをハルのお母さんに送るだけです」
「そう。じゃあ、先生が送るから住所を教えて頂戴」
葵は住所を書いた紙を一枚手渡した。
「じゃあ、忘れ物がないように帰りなさい」
担任の言葉に葵は名残惜しそうに頷いた。
外に出ると、校舎が夕陽色に染まっていた。
「絶対に忘れないから」
葵はこみ上げる涙を堪えながら、旧校舎の姿を脳裏に刻んだ。
感傷的な心はすべてのものを感慨深くした。
躓いた石、手を繋ぎながら歩いた歩道、そして、二人が別れる分かれ道。
「……そうだ」
葵は思い出したかのようにポケットから手紙を取り出すと、封を開けた。
いつ書かれたものかも知らず、ワクワクしながら手紙を読み始めた。
葵
大好きな葵へ
初めてあった日、余命宣告を受けた俺に君は光をくれた
残された時間でまだ伝えられる想いがあると教えてくれたんだ
君はいつも温かくて、君を想うと涙が出るほど
幸せな気持ちになれるんだ
葵、
僕の目はもうすぐ光を失うだろう
そうしたら大好きな君の笑顔を見ることもできなくなるね
僕の手は感覚を失い
君の温もりはもう感じられない
この耳は君の声を無くし
この口は君に想いを伝える術を無くすだろう
だから、僕のことで哀しい顔をする前にサヨナラをするよ
君の笑顔を思い出にしたいから
もう数ヶ月したら
僕はこの世からいなくなって
きっと思い出に変わるね
もう100年もしたら
思い出さえも無くなってしまうのかな
君に残せるものは
何も無いから
せめて君に手紙を書くよ
この想いを手紙にこめて
君が好き
大好き
だから、
葵、
幸せになってください
便箋に涙が一つ、二つと零れた。
「私、幸せだよ」
涙を流しながら、葵はニッコリと笑った。
(ハル……)
心の中で名前を呼ぶと、一気に思い出が溢れた。
「ハル……」
名前を呼ぶと葵は空を仰ぎ、声を上げて泣いた。
海に沈む夕陽がすべてを優しく包みこんだ。