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365日の初恋  作者: 川本流華
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365日の初恋

 葵の父親は割りとすぐに承諾した。

「ただし、自分の将来に与える影響を考えて自分で責任を取ること」

そう念を押すと、父もまた癖のように空を仰いだ。

 担任は強く反対したが、それを拒否できる術はなかった。

 そして、葵は綾瀬の元に向かった。

「綾瀬君が気にするといけないから」

葵はいつもどおりの口調で休学する旨を説明した。

「私、やっぱりハルが好きなんだ」

迷いのない葵の目を見て、綾瀬は黙って頷いた。

「綾瀬君、怪我をさせてごめんなさい」

葵は深々と頭を下げた。

「うん。いいよ」

綾瀬は明るく笑顔を作ると、すぐに背中を向けた。

「じゃあ、練習があるから……」

「うん」

「さようなら」

「うん、さようなら」

別れの言葉を交わすと、葵もまた綾瀬に背を向けた。そして、二人は別々の方向に歩き始めた。

 葵は歌を作り始めた。来年の『三年生の文化祭』で唄うために精一杯自分の想いを紡いだ。同時にハルを探すことも懸命に行った。

 ハルの母親の実家を訪ねたり、ハルと母親に所縁のありそうなところへ積極的に訪れた。

(来年の四月からはまた学校が始まってしまう。その前に手がかりだけでも……)

焦る葵だったが、結局何一つ手がかりがつかめなかった。

 四月になり、二回目の高校三年生を迎えた。友達は皆卒業してしまい、知っている顔はなかった。休み時間や放課後になると誰もいないはずの旧校舎に向かう葵のことを同級生は気味悪く感じていた。

『旧校舎の天才』

ハルのあだ名を思い出した。

「ハルはいつもどういう気持ちだったんだろう?」

旧校舎の美術室でギターを鳴らしながらそんなことを考えた。

「さしずめ私は旧校舎の落ちこぼれかな」

葵は曲作りを続けた。

 夏休み前にその曲は完成した。学園祭での演奏許可もいただき、後はハルを見つけるだけだった。

 いつもの帰り道、海に沈む夕陽を眺めながら歩いた。

(夏休み。ここで見つけないと間に合わない)

葵は自分の言葉に何か引っかかるものを感じた。

(夏休み。夏休み……)

『夏休みは山に行こう。ここくらいの高さから海に沈む夕陽を眺められるところがあるんだ。 ……大切な場所。そこに葵と一緒に行きたい』

ハルの言葉が聞こえた。

「山。海。大切な場所」

単語を抜き出して反芻した。

(ハルの大切な場所……)

『良いんだよ。ここは父さんとの思い出が詰まった大切な場所だから』

(お父さんとの思い出の場所)

葵はハッとすると、間髪いれずに駆け出した。

(馬鹿だった。ハルの事ばかり考えて、お母さんとの印象が強くてお父さんのことまで頭が回らなかった)

もしかしたら葵の両親が健在だったら両方の生家が頭に浮かんだかもしれない。しかし、片親の葵には片方の実家ばかりが頭に浮かんだ。

 家に戻ると葵はすぐにパソコンを開いた。ハルの父親は有名な演奏家ではなかったが、それでも出身くらいはあるだろうと期待した。

「確か一ノ瀬アキラ」

いくつかのキーワードを打つと、ようやく欲しい情報にたどり着いた。ハルの父親の出身地、そして、付近にある病院。

 山の上にある病院で該当するのは一件だけだった。


 翌日、葵は早速その病院へ向かった。

 電車で半日以上かかる道中、葵は不安に胸を締め付けられながら向かった。

(もし、ここも違ったらどうしよう。もし、そこにハルがいたとして、どんな顔をして合えば良い?)

あの事故の日に見たハルの顔を思い返した。そして、すぐさま荒れた美術室が脳裏をよぎった。

(会ってもらえないかもしれない)

ギターを抱きしめると、深く息をした。

 美術室の壁に描かれた絵を思い返し、あんな風に笑おう。そう強く決意した。

 葵が病院に到着すると、陽が傾き始めていた。

 受付でハルが入院しているかを確認すると、確かに一ノ瀬ハルという人間が入院しているとのことだった。

 葵は嬉しくて今にも泣き出しそうな表情を浮かべたが、看護婦の言葉にその表情はすぐさま曇った。

 ハルの病気の都合で面会謝絶とされていた。面会する場合は母親に許可を取らなければならなかった。

「それで、彼のお母さんは?」

「今は病室にいると思いますよ。呼びましょうか?」

看護婦の言葉に葵は少し戸惑った。ハルは何も言わずにいなくなった。それはあの日間違えなくハルを傷つけたからだろう。そんな自分を彼の母親はどう思っているのかが怖かった。

 しかし、そんな戸惑いはその場で一蹴された。

「葵ちゃん?」

横から葵を呼ぶ声がした。葵は恐る恐る声がする方向に顔を向けた。

 そこには驚いた顔をしたハルの母親がいた。しかし、すぐさま彼女は穏やかに微笑んだ。いつものように。ハルのように。

 葵の目から涙が溢れた。

「ごめんなさい」

嗚咽を堪えながら、あごを震わせながら葵は頭を下げた。

 ハルの母親はゆっくりと歩み寄ると、葵の肩を抱いた。

「こちらこそ、ごめんなさい」

ハルの母親は葵の身体を抱き寄せた。

 二人はロビーのソファに腰掛けた。

「病気のことはもっと早く葵ちゃんに伝えるべきだった」

ハルの母親は俯きながら話し始めた。葵はまだ泣き続けていたが、それでも一心にその話に耳を傾けた。

「病気の兆候は子供の頃から少しずつ出ていたのだけれど、つい二年前に担当医に余命宣告されたの。わかっていたことだとあの子は普段どおりに振舞っていたけれど、どうにも覇気がなかった。でも、ある日活き活きとして学校から帰ってきたわ。どうしたの? って聞くと、ただ夕陽が綺麗だったって」

ハルの母親は可笑しそうに笑った。

「今まで沈んでいたのが嘘みたいに、宣告を受ける前みたいに、まぁ、もともと嬉々としている感じはなかったのだけれど、でも、凄く楽しそうだった」

葵はハルと二人で屋上から眺めた景色を思い出した。

「前までは音楽のほうが主体だったのに、あの日からは絵を描くことが主体に変わっていった。本人は『命に限りがあるなら、誰かの曲を演奏するのではなく、少しでも多く自分の作品を残したい』って言っていたけれど、きっとそれは口実ね。あなたといるのが楽しかったのだと思う。だから……」

ハルの母親はそういうと口をこもらせた。だから、病気のことは言えなかった。しかし、それは親としてのエゴだとわかっていた。

 葵は顔を上げた。

「他の人からキスをされているところをハルに見られました」

泣きつかれた顔で葵は告げた。

「ハルを追いかけようとして、そしたら車に轢かれそうになって、代わりにその人が轢かれて……」

ばらばらになった言葉を並べることが精一杯だったが、あの日あったことを、思ったことを在りのままに伝えた。

「ハルに背中を向けられて、それが怖くて、一生懸命名前を呼んでも届かなくて……」

再度涙を溢しながら、震える声で、ごめんなさい、と呟いた。

 ハルの母親は葵の肩を抱き寄せると、強く抱きしめた。

「私は遺伝するかもしれないとわかっていながらあの子を産んでしまった。生まれながらにして死ぬ恐怖を与えてしまった。でもね、ここに入院してすぐに言ってくれたの。 ……産んでくれてありがとうって」

ハルの母親が震えているのを感じた。葵が顔を向けると、鼻をすすりながら穏やかに微笑んだ。

「ここを教えなかったのはあの子が希望したから。雨の日に、おそらく葵ちゃんがキスされているのを見た日にショックを受けたのだろうけれど、すぐに気を持ち直したと思う。あの子は自分が葵ちゃんを幸せに出来ないとわかっているから、離れて思い出になろうとしたんじゃないかな」

「でも、私はハルが好きで……」

言いかけたところでハルの母親に肩を叩かれた。先ほどまでの表情とは打って変わり、哀しみに満ちた表情だった。

「あの子を見る?」

会いに行くではなく、見るという言葉に違和感を覚えた。まるで動物園にいる動物を見るかのような話し方だった。

「はい。会いたいです」

わざわざ言い直すと二人は支えあうように立ち上がった。

 病室のドアを開けると、ベッドの上で身体を起こしているハルの姿があった。

「ハル……」

歩み寄ろうとする葵だったがすぐに母親の言葉の意味を痛感した。

「あの子の病気は五感が麻痺するもの。今はもう感覚の何も残っていないの」

ベッドにいるハルは微動だにしなかった。動物園にいる動物ではなく、植物園の植物を見るようなと言うほうが的を射ていた。いや、そもそも生きているのかさえ感じ取れなかった。まるで出来の良いマネキンが置いてあるように生物性がなかった。

 葵はその場で腰を落とした。

「ハル……」

這い寄るようにベッドに向かうと、腹の上で組まれた手を握った。

「ハル」

身体をいくら揺すっても為すがままで何一つ反応がなかった。

「四月くらいからその状態になってね。もう、あとはそのまま……」

最後まで言えなかった。すぐに涙が溢れて、言葉を失った。

 夕陽がゆっくりと沈み、病室に闇が広がった。

 誰も口を開かないまま面会時間が終わり、葵は病室から出された。ハルの父親の実家に泊まるよう母親に促され、葵はその申し出を受けることにした。

「明日も来ていいですか?」

葵が尋ねると、ハルの母親は首を横に振った。

「一度で十分。辛くなるだけだから、葵ちゃんはもう帰りなさい」

「まだ、ハルとの約束を果たしていないんです」

真っ直ぐな瞳にハルの母親は深く息をついた。

「……わかった。でも、その約束を果たしたら帰りなさいね」

ハルの母親は実家の住所と簡単な地図を手渡すと病院の中へと戻っていった。

 ハルの母親はハルがあの状態になってからは病室で寝泊りしているとのことだった。元気で活発な姿が随分とくたびれて見えた。

 葵は堪らず空を仰いだ。


 翌日、葵は朝からハルの元を訪れた。

 この一年の出来事、自分が休学して二回目の高校三年生を送っていることなどを笑い話のように話した。

しかし、本当に伝えたい言葉はなかなか伝えられなかった。

 日が昇りきり、少しずつ傾いていった。

 もどかしくしている葵の姿を見て、ハルの母親は席を外した。

「ハルのお母さんって凄い人だね。気配り上手で、強くて、優しくて…… 私もあんな風になれるかな?」

葵はベッドの脇に座ると、窓の外を眺めた。

「私、ハルのことが好き。ずっと好き」

葵は恥ずかしそうに俯きながら、足をパタパタさせた。

「いいよね」

ハルのほうを見て、ニィッと笑顔を作った。

「約束どおり今年の文化祭で唄う歌も作ったんだよ。だから……」

見に来てとは続けなかった。それは自分にとってもハルにとってもあまりに残酷な言葉とわかっていた。

「だから、後で唄ってあげる」

葵はへへへ、と笑った。

 外は突然雨が降り始めた。空自体は明るいのですぐにやむ様子だった。

「二人で屋上に行ったときを思い出すね」

窓の外から視線をハルに移した。無表情のはずなのに、なぜか微笑んでいるように見えた。いつものような、穏やかな顔をしているように感じた。

 葵もまた穏やかに微笑むと小さく頷いた。

 病室のドアが叩かれる音がした。

「秋月さんはいますか?」

看護婦の声に葵は、はい、と答えた。

「ハル君のお母さんから電話がかかってきているから、受付に来てもらえる?」

「あ、はい」

咄嗟のことで慌てて部屋を出た葵は気付くことが出来なかった。残された部屋には目を開き、窓の外に目を向けるハルの姿があった。

 電話の内容はただ外にいるから雨がやんでから戻るとのことだけだった。しかも、話している途中で雨がやんだため、これから戻りますとの内容に変わった。

 葵は笑いながら、はい、と答えると、病室に戻った。

 開きっぱなしになっているドアを見て、いけないと思いながら

「ごめんね、ハル」

と、声をかけながら中に入った。

 しかし、いるはずのベッドにハルの姿はなかった。

「えっ?」

わけもわからず、葵はベッドに駆け寄った。

 周りやベッドの下を見てもハルの姿はなかった。もしやと思い窓の外から下を見たが、そこにもハルの姿はなかった。

 胸を撫で下ろし、目線を戻すと先ほどの雨雲から光が差しているのが見えた。

 あの日のような、二人で屋上から眺めたあの景色のような光景だった。

「まさか……」

葵はそんなはずは無いと思いながらも屋上へと向かった。

 開かれた扉の向こうにその姿はあった。

「ハル?」

呆然と立ち尽くしている後ろ姿に声をかけるが、何一つ反応がなかった。

 葵は横に並ぶと、真っ直ぐに空を眺めているハルの横顔に目を奪われた。

「幸せだよ」

ハルは微かな声で呟くと、満面に笑みを浮かべた。葵はポロポロと大粒の涙を溢すとハルの手を握った。

 ハルは葵のほうに顔を向けると、穏やかに微笑んだ。いつもどおりの優しい、大好きなハルの表情だった。

 ハルは葵の額に自分の額を重ねた。

「……ごめん。愛してる」

そう言うと、寄りかかるように唇を重ねた。

 葵はその身体を強く抱きしめた。

 二人は屋上のベンチに腰掛けた。ハルは葵の膝の上に頭を載せ、脱力していた。

「ねぇ、約束どおり学園祭で唄う歌を聴かせて」

微かに聞こえる言葉に葵は耳を傾けた。その言葉に葵は耳を赤くした。

「どこから意識があったの?」

葵が尋ねると、ハルはフフッと笑った。

「前から思っていたけれど、ハルって意地悪だよね」

葵は頬を膨らませると、同じようにフフッと笑った。

 いつもどこかで互いに遠慮していた気がする。しかし、ようやく二人は同じ目線で同じ方向を向けた気がした。

 葵は一つ咳払いをすると、空に向かって唄い始めた。ギターは病室に置いたままだったので、アカペラで懸命に歌った。

 二人は初めて会った日のことを思い返していた。そして、お互いの思い出を順番に思い返していった。

 最後のサビを歌っている途中で葵の目から涙が溢れた。

 ハルの力が抜けた瞬間を膝で感じた。それでも、最後まで唄いきった。

「……もう、最後まで聴いてよ」

葵はハルの頭を撫でた。そして、何かハルらしいと笑った。

 ハルもまた同じような表情を浮かべていた。

 安らかに逝けるように、葵は声を上げず小さく肩を震わせた。


 文化祭の三日目、葵は旧校舎の美術室にいた。舞台などは何もなく、ギターを片手に壁の前に立っていた。

 先日、老朽化が進む旧校舎は冬休みを利用して取り壊すことが決まった。最後の機会にと生徒や先生もその場所に集まった。そして、ハルの写真を抱えたハルの母親もその場にいた。

 葵はギターのチューニングを終えると、大きく深呼吸をした。


『365日の初恋』


「おはよう」と笑う君の顔を見て

僕は君が好きだと確認する


初めて一緒に夕陽を眺めたあの日から

繰り返されるこの気持ち


君に会うたびに 僕は一目惚れを繰り返す


君の手に触れるたびに

君に名前を呼ばれるたびに


僕は君に恋をする

何度も 何度も

君に初恋を繰り返すんだ


365日

365回の初恋を君にもらった



「またね」と手を振る君を見て

僕は胸が苦しくなる


毎日は一緒にいられないから

繰り返されるもどかしさ


この時間があるから 僕は君を好きでいられるんだね


君の笑顔を思い返して

君の声を思い出して


僕は何度も恋焦がれる

何度も 何度も

君に会える瞬間を待ち遠しく思うんだ


365日

365回の初恋を君に捧げたい


夕陽に並んだ影を見て こんなにも幸せになれるんだ

君の名前を呼ぶだけで こんなにも大好きが溢れるんだ


君に伝えたい大好きが

こんなにも一杯あるんだよ


晴れの日も 雨の日も

世界に一人の君を思い

何度も初恋を繰り返したい


365日の初恋

君を傍に感じながら


君が好き



唄い終わると葵はハルの写真に目を向け、屈託のない笑顔を送った。その表情は壁に描かれた絵と同じものだった。

 きっとハルも同じ顔をしている。そう確信しながら、葵は空を仰いだ。

 雲ひとつない青空が穏やかな暖かさで辺りを包んでいた。

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