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365日の初恋  作者: 川本流華
5/8

背中

 年が明けても、相変わらず二人は旧校舎にいた。とは言うもののハルは三月から演奏旅行があるということで、旧校舎に来る頻度は減っていた。二人で出かけたと言えば元旦に初詣へ出かけたくらいだった。

 それでも朝からハルに会えること、おはようと挨拶できることに葵は充分すぎる幸せを感じた。

 しかし、二人で過ごせる時間を幸せに感じる一方で、

『俺は二人が付き合うまで諦めないよ』

と、綾瀬の言葉が時折頭に浮かび、二人の関係にもどかしさも感じていた。

 ハルはいつもどおりの笑顔をくれるが、あれ以来手を繋ぐことも無かった。

「演奏旅行はいつまで?」

いつもの帰り道で葵はハルに尋ねた。

「三ヶ月だから帰ってくるのは六月だよ」

「長いなぁ」

「三ヶ月なんてすぐだよ」

穏やかに微笑むハルに対して、長いよ……、と葵は少し俯き口を尖らせた。

 一歩先を歩くハルの影に自分の影が重なって手を繋いでいるように見えた。

「影はいいなぁ」

葵はマフラーに顔を埋めて小声でつぶやいた。

「ん?」

「うんん、なんでもないよ」

顔を上げると葵は遠くを見つめた。ハルは一度葵の顔を見て目線を戻そうとした。そして、並んだ影を見て穏やかな笑顔を作った。

「夏休みは山に行こう。ここくらいの高さから海に沈む夕陽を眺められるところがあるんだ。 ……大切な場所。そこに葵と一緒に行きたい」

ハルは真っ直ぐを見ながら葵の手を握った。

 葵は驚いたようにハルの顔を見ると、ハルの顔は夕陽色に染まっていた。葵はフフフと笑うと同じように顔を赤らめた。

「うん」

やっぱりハルが好きだ、その気持ちを伝えるように葵はその手を強く握り返した。

 二月になるとハルは学校に来ることが更に減った。三月になると一度も来ることが無かった。

 そして、三月十四日。ハルは明日日本を発つ予定だった。バレンタインにはチョコレートを渡すことができたが、ホワイトデーの今日は会うことさえできないかもしれないと葵はあからさまに淋しい顔を浮かべた。

「電話くらいくれてもいいのに……」

何一つメッセージのない携帯電話を開いては、ため息をつくばかりだった。

 葵が帰り道を一人で歩いていると、いつも二人が別れる道にハルはいた。葵の表情は一瞬で明るくなり、小走りでハルの元へ向かった。

 ハルは駆けてくる葵をいつもどおりの笑顔で迎え入れた。

「どうして?」

「どうしてって……」

ハルはポケットから小包を取り出すと、葵に手渡した。

「お返し」

もう一つ微笑むと大した会話もしないうちにハルは背を向けた。葵はハルの背中を見つめながら目頭を熱くさせた。

 もう行くの?

 私はこんなに会いたかったんだよ

 ハルは寂しくなかったの?

色々な想いが溢れ、最後には、好き、と一言呟いた。そして、立ち止まるハルの背中に続けた。

「好きなの。付き合って欲しい」

ハルが振り返ると、葵は大粒の涙を溢していた。辛そうに苦しそうに顔を歪めながら泣いていた。

 ハルはどうしたらよいか、どうすべきかわからないまま再び背を向けた。

「帰ってきたら話そう」

ハルはそのまま歩き始めた。ハルもまた涙を流しながら、しかし、それを気付かれないように装いながら真っ直ぐ歩いていった。

「……待って」

葵の言葉に立ち止まることなく、いつもの笑顔を浮かべることなく遠ざかっていくハルの背中を見て葵はその場に泣き崩れた。

「なんで? ハルの気持ちがわからないよ」

ハルからもらった小包が葵の手の中で涙に濡れた。


 春になりクラス替えが行われると、葵とハルは同じクラスになった。もともとハルは授業にほとんど出席しない上、六月までは海外にいるので顔を合わせる機会はほとんどない。同じクラスと言っても旧校舎に行かなければ会話をすることさえないような存在だった。

(いつも邪魔に思っていたのかな?)

ホワイトデーの時のことを思い出すたび、葵は不安に押しつぶされそうになった。

(……ハルに会うのが怖い)

そんなことばかり考えながら、新学期を過ごしていった。

 学校が終わると実家の喫茶店でギターを弾き、週末は駅前に立って弾き語りを行った。気を紛らわせるように母が生前唄っていた歌を一生懸命唄っていた。中にはミュージシャンとしての母を知っている人もおり、思い出話などを聞かせてもらうこともあった。

 ゴールデンウィークは毎日駅前で唄った。流れていく雑踏を前に思いをこめて、想いを伝えようと一生懸命唄った。

 最後の歌を始めようとしたとき、

『自分では作らないの?』

いつか言われたハルの言葉を思い出し、葵はギターを鳴らした。そして、ハルと初めて出会った日に唄った歌を唄った。もともと即興で唄ったものだったので、正確には唄えていなかっただろうが、その時を思い、丁寧に歌い上げた。

 ハルと見た景色、ハルの笑顔、ハルの声、当時は母を思って唄ったはずだったが、気付くとハルへの想いで溢れていた。

(……私はハルが好きなんだ。好きでいいんだ)

すっきりした目になると、あたりの景色が新鮮に見えた。

 葵はゆっくりと空を仰いだ。

(何か久しぶりに空を見た気がする。 ……恋は盲目って本当だね)

視線を前に戻すと、何人かの人が立ち止まって聞いてくれていることに気がついた。

 パラパラと鳴る拍手の中、葵は照れくさそうに笑うと、深々と頭を下げた。

 六月に入ると雨の日が多くなった。中旬にはハルが帰ってくる予定なのでそうしたらきちんと話を聞こうと葵は小さく決意していた。

 葵は前の別れ方を悔やんでいた。自分は元気だと伝えたくて何度か電話をしてみたが、最初の一回で少し話ができてから連絡がつかなくなっていた。

 自分はいつもどおりに振舞おうと何度も言い聞かせ、気持ちの準備をしていた。その姿は傍から見ればどこか無理をしているように感じられた。

 それから数日後の帰り道。その日も雨が降っていた。いつもハルと別れる道に人影が見えた。

 葵が立ち止まると、その人影は傘から顔をのぞかせた。

「……秋月」

背中に抱えたギターが濡れないように傘を引き気味に構え、綾瀬はゆっくりと笑顔を作った。葵は寂しいような、でもどこか安堵したような表情で笑顔を作った。その表情が綾瀬の心を切なくさせた。

「綾瀬君、久しぶり」

綾瀬が葵に想いを告げてから二人が会話をすることはめっきり減っていた。新学期では別のクラスになり、顔を合わすこと自体久しぶりに感じた。

「うん。 ……秋月を待ってた」

「うん。 ……どうかした?」

ゆっくりとしたテンポの会話に合わせるように、葵はゆっくりと歩みよった。

「俺、どうしても秋月が好きみたいだ。話せなくてもクラスで顔が見られているうちは強く思わなかったけれど、新学期になって顔が見られない日が続いてよくわかった」

「……」

葵は言葉が出なかった。綾瀬の言葉は自分のハルへの想いと同じに思えた。迂闊にかける言葉がそのまま自分に返ってくるような気さえした。

「俺と付き合えないかな?」

今にも泣き出しそうな綾瀬の顔を見て、葵はさらに言葉を失った。思考が停止したと言ってもいいほどに呆然とした。

『好きなの。付き合って欲しい』

あの日この場所でハルに言ったことを思い出した。

 葵は傘を落とすと、真っ直ぐに涙を溢した。

「……秋月?」

綾瀬は自分の傘に葵を入れると心配そうに顔を覗き込んだ。

「あれ? ……ごめんね」

葵は両手の甲で涙を拭った。

「ごめんね、綾瀬君。 ……でも、」

言葉を遮るかのように綾瀬は自分の両手で葵の両手を包み、唇を重ねた。

 葵は突然のことに驚き、目を丸めた。

「いや、……」

手を解き一歩下がる葵に綾瀬は言葉を続けた。

「俺、秋月のこと大切にするから。あいつよりも必ず……」

葵は何度も首を横に振った。涙で視界をにじませながらも真っ直ぐ綾瀬を見据えて何度も何度も首を横に振った。

「ごめん、私はハルが好きなの。どうしたらいいかわからないくらいにハルが……」

葵は車道の向こう側を見て固まった。

 綾瀬もまた促されるように振り返った。

 そこにはハルの姿があった。

「……ハル?」

葵の言葉が発せられた瞬間、綾瀬とハルは背を向けた。綾瀬は葵のほうを向き、ハルは葵に背を向けた。

 フラッシュバックのようにあの日の光景が目に映った。

「待って、ハル」

気持ちがすっかり三ヶ月前に戻ってしまっていた葵にはハルの背中しか見えていなかった。

「ハル!!」

後ろから車が来ていることに気付かずに葵は声を上げて飛び出した。

「秋月!!」

綾瀬は慌てて葵を押し戻した。葵はその場で尻をついたが、一方で綾瀬は反動で車道に押し出された。

 時間が止まったように感じた。

 目の前の同級生が車にはねられる瞬間を脳裏に焼け付けるように、葵はただ呆然とその様子を見ていることしか出来なかった。

 ドンッという鈍い音とともに体感時間が元に戻った。

「……あやせ、くん」

葵は這い寄るように綾瀬に近づいた。綾瀬は頭から血を流し、身動き一つしなかった。

「……いや、」

雨に流れる血が葵の手にかかった。

「嫌―!!」

悲痛な叫びは雨の中に消えた。

 残酷なことにその声はハルの耳に届くことは無かった。

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