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「地味でつまらない」と婚約破棄された25歳の誕生日。実はその裏で、私に執着する完璧エリート専務の壮大な『私を取り戻す計画』が始まっていた  作者: 久遠翠


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第2話「灰色の世界と一筋の光」

 婚約破棄を告げられた翌日。私は鉛のように重い体を引きずり、満員電車に揺られていた。

 一睡もできなかったせいで頭は霧がかかったようにぼんやりとしている。鏡で見た自分の顔は泣きはらした目でひどいありさまだった。慌ててコンシーラーを重ねたけれど、気休めにしかならない。


(会社、行きたくないな……)


 心からの本音だった。でも、生活のためには働かなければならない。それにここで逃げ出したら、本当に翔太くんの言う「つまらない女」を認めることになる。それだけは嫌だった。


 オフィスに足を踏み入れると、いつもと変わらない朝の光景が広がっていた。パソコンの起動音、キーボードを叩く音、同僚たちの穏やかな談笑。でも私の目には、その全てが色褪せたモノクロ映画のように映っていた。

 自分のデスクに着くと、すぐ隣の席の翔太くんがすでに仕事を始めていた。


「……おはよう」


 かろうじて声を絞り出すと、彼は一瞬だけこちらを見て気まずそうに「……おう」とだけ返した。その素っ気ない態度がまた私の胸を締め付ける。


(もう、私たち、他人なんだ)


 その事実を嫌でも突きつけられ、泣きそうになるのをぐっとこらえた。

 すると、フロアの入り口から鈴が鳴るような明るい声が響いた。


「おはようございます!」


 姫川莉奈だ。ふんわりとしたパステルカラーのワンピースに、ゆるく巻かれた髪。完璧な笑顔を振りまきながら、彼女は翔太くんのデスクへ駆け寄った。


「翔太さーん、昨日はありがとうございましたぁ。すっごく楽しかったです♡」


 その言葉は、あきらかに私に聞こえるように言っている。周囲の同僚たちが何事かとこちらを窺う視線を感じた。恥ずかしさと惨めさで顔から火が出そうだ。


「ああ。俺も楽しかったよ」


 翔太くんは、私に見せたことのないような優しい笑顔を莉奈ちゃんに向けている。


(ああ、もう、見たくない)


 私はパソコンの画面に視線を固定し、ひたすら心を無にしようと努めた。でも、二人の楽しそうな会話は嫌でも耳に入ってくる。私の存在など最初からなかったかのように、二人の世界がそこにはあった。


 その日一日、私はまるで透明人間になったような気分だった。誰かに話しかけられても上の空でうまく返事ができず、仕事も手につかず簡単なデータ入力で何度もミスを繰り返した。

 お昼休み、一人で給湯室へ向かうと、同僚の女性社員たちのひそひそ話が聞こえてきた。


「ねえ、見た? 高坂さんと姫川さん、絶対付き合ってるよね」

「白石さんと婚約してなかったっけ? まさか、乗り換えられたとか?」

「ありえるかも。白石さんって、地味だしねぇ……」


 悪意のない、好奇の言葉。でもそれは今の私にとって、鋭いガラスの破片となって突き刺さった。


(やっぱり、みんなそう思ってるんだ。私が、地味でつまらない女だって)


 トイレの個室に駆け込み、声を殺して泣いた。涙が枯れるまで泣いたら少しは楽になるだろうか。それでも、涙は後から後から溢れてきて止まる気配はなかった。

 こんな状態が、これから毎日続くのだろうか。そう思うと目の前が真っ暗になった。


 仕事を辞めよう。本気でそう考え始めた、午後のことだった。

 内線電話が鳴り、受話器を取ると人事部の部長からだった。


「白石さん、ちょっと人事部まで来てもらえるかな」


(まさか、何かミスがばれた……? それとも、辞めたいって気持ちが顔に出てた?)


 不安な気持ちで人事部へ向かうと、部長は意外なことを口にした。


「突然だが、君を新規プロジェクトのメンバーに推薦させてもらった。役員会議で正式に決定したよ」


「え……? プロジェクト、ですか?」


 まったく予想もしていなかった言葉に、私は呆然と聞き返した。


「ああ。当社の社運を懸けた一大プロジェクトだ。全社から優秀な人材を集めている」


 優秀な人材。その言葉が、ひどく自分とは不釣り合いに聞こえた。私が、優秀? いつも目立たず、言われたことを黙々とこなすだけの私が?


「なぜ、私が……? もっと適任の方がいると思います」


 思わずそう言うと、部長は少し困ったように眉を下げた。


「いや、これはトップからのご指名なんだ。特に、君のデータ分析能力と細やかな資料作成能力を高く評価されていてね」


 トップからのご指名? トップとは社長のことだろうか。ますます訳が分からない。私はただ与えられた仕事を真面目にこなしてきただけで、特別なことなんて何もしていない。


「プロジェクトの総責任者は、一条専務だ。明日から、専務直下のチームで動いてもらうことになる。心してかかるように」


「いちじょう、せんむ……」


 その名前を聞いて、心臓が跳ね上がった。

 一条蓮専務。社長の息子であり、海外の大学を首席で卒業後、若くしてこの会社の専務に就任した、まさにエリート中のエリート。その容姿はモデルのようで、社内では彼を一目見ようと女性社員たちが騒ぐほどだ。

 もちろん私も遠くからその姿を見かけたことはあるが、彼が話しているのを聞いたことすらない。住む世界が違いすぎる、雲の上の存在。

 そんな人の、直属のチーム?


(無理だ。絶対に無理)


 パニックに陥る私に、部長は「期待しているよ」と激励の言葉をかけて話を終えた。

 自分のデスクに戻っても、心臓はバクバクと鳴り止まない。


(どうしよう……。私なんかが、一条専務のチームでやっていけるわけがない)


 失恋の痛みも忘れるほどの巨大なプレッシャーがのしかかってくる。

 でも、断るという選択肢はなかった。これは会社の正式な辞令なのだ。

 昨日まで灰色一色だった私の世界に、突然、一条専務という眩しすぎる光が差し込んできた。

 それは希望の光なのか、それとも私を焼き尽くす灼熱の光なのか。

 今の私には、まだ知る由もなかった。

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