第10話「大成功の夜と、星空の告白」
翔太くんたちの事件の後、私たちのプロジェクトは最終段階へと突入した。
いくつかのトラブルはあったものの、蓮さんの的確な指揮とチームメンバーの結束力で一つひとつ乗り越えていった。私も蓮さんの隣で、自分の持てる力の全てを注ぎ込んだ。
そして、ついにプロジェクトの集大成である新ブランドの発表会の日を迎えた。
会場には国内外から多くのメディアや取引先の関係者が集まり、熱気に満ちていた。
壇上で堂々とプレゼンテーションを行う蓮さんの姿は、眩しいほどに輝いていた。彼の言葉一つひとつが、聴衆の心を掴んで離さない。
私はステージの袖から、誇らしい気持ちでその姿を見守っていた。
(私も、あの人と一緒にこの舞台を作り上げたんだ)
胸の中に、確かな達成感が広がっていく。
発表会は、大成功のうちに幕を閉じた。新ブランドは各方面から絶賛され、予想をはるかに上回る数のオファーが殺到した。
社内は祝賀ムード一色に染まった。
その日の夜、プロジェクトの成功を祝うための祝賀会が市内のホテルで盛大に開かれた。
私はこの日のために新調した、ネイビーのシンプルなドレスに身を包んでいた。少しでも蓮さんの隣に立つにふさわしい女性でありたい。そんな思いからだった。
会場で、多くの人から「白石さん、おめでとう」「君の頑張りは素晴らしかったよ」と声をかけられる。
私はその度に笑顔で頭を下げながら、蓮さんの姿を探した。
彼は社長や役員たちに囲まれ、にこやかに談笑していた。いつもの冷静な彼とは違う、社交的な笑顔。それさえも完璧にこなしてしまう。
(やっぱり、住む世界が違う人だ……)
少しだけ、寂しい気持ちになる。
彼の周りにはいつもたくさんの人がいる。私なんて、その中の一人に過ぎないのかもしれない。先日執務室で聞いた彼の言葉は、もしかしたら私を奮い立たせるためのただのリップサービスだったのではないか。
そんな弱気な考えが頭をよぎる。
パーティーの喧騒から逃れるように、私はそっと会場を抜け出し、ホテルの屋上庭園へと向かった。
ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。
眼下には、宝石を散りばめたような美しい夜景が広がっていた。
(綺麗……)
一人でその景色を眺めていると、ふいに後ろから声をかけられた。
「こんな所にいたのか。探したぞ」
振り返ると、そこに立っていたのは蓮さんだった。
「蓮、さん……。どうして……」
「君が一人でいるのが似合わないと思っただけだ」
彼はそう言うと、私の隣に並んで手すりに肘をついた。
「今日の君は、一段と綺麗だな。そのドレス、よく似合っている」
「……ありがとうございます」
褒められて嬉しいはずなのに、素直に喜べない自分がいた。
「あの……、蓮さん」
「なんだ?」
「先日、執務室でおっしゃっていたこと……。私のことをずっと見ていたというのは……本当、なんですか?」
不安な気持ちを隠すことができなかった。確かめずにはいられなかった。
彼は私の問いに答える代わりに、静かに夜空を見上げた。
「紬さん」
「はい」
「君は、今日でこの会社に入社してちょうど千日目だということを知っているか?」
「え……? そうなんですか?」
全く意識していなかった。
「そして、君が俺の前でうっかりハンカチを落としたのは、今日でちょうど二十五回目だ」
「……えっ!?」
二十五回。
その数字に私は息をのんだ。
私の二十五歳の誕生日。翔太くんとの二十五回目のデート。絶望の象徴だった、あの数字。
「ずっと君だけを見ていた。君がハンカチを落とすたびに、それを拾う機会をうかがっていた。だが、いつも君の隣にはあの男がいた」
彼の声には、抑えきれないほどの長年の想いが滲んでいた。
「君の誕生日に、あの男が君を振るという情報を掴んだ時、私はようやく決心がついた。今度こそ、君を私のものにしよう、と」
「……そんな……」
信じられない。
彼がそんなにも長い間、私だけを見つめ続けてくれていたなんて。
彼が入社式の日に拾ってくれた、あのハンカチ。莉奈ちゃんたちにマニュアルを捨てられた時、悲しくて思わず落としてしまったボールペン。疲れて会社の廊下でよろけた時、落としそうになった書類の束。
思い返せばいつも、私が何かを失いそうになった時、彼の姿が近くにあった気がする。
それは、偶然ではなかったのだ。
「君が地味でつまらない人間なんかじゃないことを、俺が証明してやりたかった。君がどれほど価値のある素晴らしい女性かを、君自身に、そして世界中に知ってほしかった」
蓮さんは私の方に向き直ると、私の両手をそっと握りしめた。その手は少しだけ震えているように感じた。
「紬さん。私は、君を愛している。世界中の誰よりも」
まっすぐな瞳で、彼はそう告げた。
星空の下、二人きりの空間。彼の熱い想いが痛いほどに伝わってくる。
涙が、頬を伝った。
それは悲しみの涙ではなかった。
絶望の淵にいた私を救い上げてくれた、この人。私の価値を信じ、光の中へと導いてくれた、たった一人の人。
「私も……」
声がうまく出ない。
「私も、蓮さんのことが、好きです」
やっとの思いでそう告げると、彼は安堵したように深く息を吐いた。
そして、ゆっくりと私の体をその広い胸の中へと抱きしめた。
彼の腕の中は、信じられないくらい温かくて安心できる場所だった。
二十五という数字は、私にとって絶望の象徴だった。でも今は違う。
それは彼が私を見守り続けてくれた、愛の軌跡の証。
私の人生で最も幸せな数字に変わったのだ。
私は彼の胸に顔をうずめ、ただ静かにその温もりを感じていた。




