ホワイト魔王の嘆きと、アルベルト邸のクリーニング交渉
晩餐会という名の「広域洗浄テロ」を終え、真由はようやくアルベルトの屋敷にある客間へと戻っていた。
だが、彼女はまだ知らなかった。あの「黄金台座付きスウェット」が放った浄化の光は、単なる照明現象ではなかったことを。
それは、この世のあらゆる淀みを感知して自動的に中和する、物理法則を超えた広域洗浄波動となって大陸を駆け抜けたのである。
その波動は、物理的な壁など一切無視し、遥か彼方の険しい岩山にそびえ立つ「魔王城」にまで到達していた。
魔王城の玉座の間。そこには、数千年の間、この世のあらゆる絶望を煮詰めたような瘴気の霧が、粘り気のある黒い帳となって立ち込めていたはずだった。
だが今、そこには高原の朝のような、清涼なマイナスイオンが吹き荒れている。
「……報告しろ。これは、何の嫌がらせだ。なぜ城内のカビが、一晩で絶滅している」
玉座に深く腰掛けた魔王・ザルバドスは、引き攣った顔で側近のオークに問いかけた。
魔王ザルバドス。身の丈は二メートルを超え、漆黒の鋼のように鍛え上げられた胸筋、空を裂く巨大な翼、そして古の邪竜を思わせる漆黒の二本の角。その黄金に輝く縦割りの瞳は、かつては睨むだけで小鳥を絶命させたというが――。
今、その瞳は、あまりに城内の空気が澄み渡りすぎて、埃一つ立たないことに戸惑い、心なしか潤んでいる。
「……魔王様。現在、軍の士気が著しく……その、不健全に向上しております。先ほど、人間の王宮の方角から届いた『謎の清らかな波動』を浴びた直後から、最前線のサイクロプス隊が『道端の石ころが危ないから』と、侵攻ルートの舗装工事を始めてしまいました。彼らの棍棒は今、道路を平らにならすための『ローラー』として使われております」
「……舗装だと? 我が軍は土木作業員か?」
「それだけではありません。ゾンビ軍団が自分たちの死臭を気にして、城の地下水で『入念な洗体と泥パック』に没頭しております。腐敗が止まり、肌にハリとツヤが戻った結果、……ただの『顔色の悪いイケメン集団』になってしまいました! 先ほども数名が『これからは美容系魔族として生きたい』と退職届を提出し……!」
魔王は、自らの肩にかかる、先代から受け継いだ呪いのマントを震える手で掴んだ。怨霊が眠りこけ、フカフカになったマントからは、微かに石鹸とおひさまの匂いが漂う。
「……許せん。我が軍のアイデンティティを、これほどまでに清潔に塗り替えるとは。……元凶は、あの王宮に現れたという聖女か!」
その頃、アルベルトの屋敷。
真由は豪華なベッドの端に腰掛け、スプーン一本で膝の黄金ボルトと格闘していた。
「取れない……。セドリックさんの接着魔法、オーバースペックすぎる。これじゃ眩しくて寝られないよ。アルベルトさーん! 誰かー!ペンチ持ってきて……!」
その叫びに応えたのは、屋敷の主ではなく、夜空を切り裂く漆黒の雷鳴だった。
バリィィィィン!! と、特注ステンドグラスが粉砕され、そこから漆黒の巨大な影が舞い降りる。
「――貴様か! 我が軍を、……我が誇り高き魔王城を『癒やしの空間』に変えた元凶は!!」
逆光を背に現れた魔王ザルバドスは、真由が助けを呼ぶより早く、鋭い鉤爪のある両手を突き出して叫んだ。
そして、おもむろに自分のマントを脱ぎ捨て、それを真由の目の前に突き出した。
「見ろ、この無惨な姿を! 呪怨の外套が、今や『最高級のブランケット』だ! 怨霊たちが背中で加湿機能まで発揮し始めたのだぞ! このままでは魔王としてのメンツが丸潰れだ。頼む、これを元の『不快でドロドロした質感』に戻せ! 貴様、何とかしろ!!」
「……えっ、あの、不法侵入した挙句に、お洗濯の苦情ですか……?」
そこへ、壁を突き破ってアルベルトが、続いて穴からセドリックが突入してくる。
「魔王ザルバドス! マユ殿の寝所にまで踏み込むとは、もはや宣戦布告か!」
「団長、魔王、どいてください! マユ殿、その膝のダイヤを魔王のマントに押し当てるのです! 繊維の奥の汚れを消し去り、究極の……『天国の寝心地』を実現するチャンスです!」
「……天国の……寝心地……?」
魔王の黄金の瞳が、一瞬、うっとりと輝いた。
「待ってください! ここ、アルベルトさんの家でしょ!? 勝手に実験場にしないで! あと、セドリックさんはどこから入ってきたの!?」
真由の正論は、またしても無視された。
魔王は「威厳を取り戻す(という名目で、もっとフカフカになりたい)」ため、アルベルトは「マユ殿の力が魔王すら屈服させる」と悦に入るため、セドリックは「新素材の極限」を見るため。
三人の男たちの欲望が、真由の膝にあるダイヤモンドに集束していく。
「……もう嫌だ。この家、セキュリティどうなってるの……」
真由は、マントを膝に擦り付けてくる魔王の角を避けながら、遠い空の向こうにある、自分のアパートを思い出して涙を流すのであった。




