番外編:水龍の聖域と、騎士団長の「お洗濯」強行軍
お洗濯がしたかっただけ。
魔王軍四天王デスガルドを浄化し、聖女の衣が世界を救う力を持つと証明された翌朝。アルベルトの屋敷は、戦場のような緊張感に包まれていた。
早朝:アルベルト邸門扉付近にて
「……マユ殿。見てください、この無惨な姿を。私の不徳の致すところだ」
アルベルトが、絹の手袋をはめた手で恭しく掲げているのは、昨夜の激闘でデスガルドの呪詛をモロに浴び、さらにアルベルトの超高密度魔力を通されたせいで、心なしか「くたっ」としたグレーのスウェットだった。
「いや、全然大丈夫ですよ。ちょっと柔軟剤の匂いが飛んだかな、くらいで。……それよりアルベルトさん、朝っぱらからフル装備でどこ行くんですか?」
アルベルトは、普段の演習でも見せないような白銀のフルプレートアーマーに身を包み、背中には「壊れ物注意」と書かれた厳重な革のケースを背負っている。
「決まっている。貴女の聖衣を浄化するための『究極の洗浄水』を汲みに行くのだ。……この国の水道水など、マユ殿の繊維を傷つける不純物の塊にすぎん!」
「えっ、ただの洗濯ですよ!? 普通の水で十分……」
「……隣国の『水龍の聖域』には、一滴で不治の病をも癒やすという純水の源泉がある。……そこへ行ってくる。マユ殿、私が戻るまで、その……その重たいドレスで、どうか辛抱してほしい!」
アルベルトは、真由が止める間もなくスウェットをケースに仕舞うと、愛馬に飛び乗り、爆風を残して門外へと消えていった。
「……あ、行っちゃった。……っていうか、重い。本当に重いんだけど」
静まり返った玄関ホールで、真由は自分の肩に食い込む鈍い重量感に顔をしかめた。
アルベルトが「聖女の威厳」を守るために選んだそのドレスは、幾重にも重なった高級ベルベットに、魔力を帯びた真珠や金糸がこれでもかと刺繍されている。一歩歩くたびに「ズシン」と響くその重みは、もはや衣類というよりは「着る拷問器具」だ。
「……スウェットなら、今頃ソファで丸まって二度寝できてたのに……。今の私は、直立不動でいるだけで精一杯の、豪華な漬物石だよ」
首を回そうとすれば、宝石ジャラジャラの襟が喉を圧迫し、腕を上げようとすれば袖の装飾が重力に従って真由を床へと引きずり込もうとする。真由は、遠くで上がる砂埃を見つめながら、数日間続くであろう「筋肉痛確定のドレス生活」に、魂が抜けたような溜息をついた。
隣国:水龍の聖域にて
三日後。隣国の禁域「水龍の聖域」では、数千年の眠りを守る守護者たちが、かつてない恐怖に震えていた。
「待て、人間よ! ここは神聖なる水龍の眠る場所……。何ゆえに剣を抜き、結界を力任せに粉砕して突き進む! 望みは何だ、王の座か!? 永遠の命か!?」
現れた巨大な水龍が、天空を震わせる声で問う。アルベルトは、龍の放つ威圧感を真っ向から跳ね返し、小脇に抱えた「グレーの聖体」を高く掲げた。
「――お洗濯だ!!」
「…………は?」
「この御衣の繊維に付着した、魔族のドロドロとした残留思念と表面の不純物(ポテチの粉)……それを、貴公の鼻の穴から出る鼻水よりも清らかな、あの源泉の純水で洗い流したい! 邪魔立てするならば、この国ごと浄化してくれる!!」
団長は、正しく狂っていた。
しかし、水龍は、数千年の生の中でこれほどまでに理不尽な、そして凄まじい「愛」を秘めた瞳を見たことがなかった。龍は圧倒的な気圧差に気圧され、震える声で言った。
「……勝手にしろ。ただし、源泉の水を汚すことだけは……」
「汚すだと!? 貴公、マユ殿の衣が『汚物』だとでも言うつもりか! むしろこの水が、聖衣に触れることで聖水へと昇華されるのだ!!」
アルベルトは、絶句する水龍を尻目に、最高品質のクリスタル瓶に「水龍の涙(源泉水)」を詰めると、風のように去っていった。
帰還:そして「絶望」へ
さらに数日後。アルベルトは朝ごはん途中の真由を拐い、勝利の咆哮を上げながら王立魔導研究所へと乱入する。
「セドリック! 息災か! 隣国から『水龍の涙』を持ち帰ったぞ!」
――――
セドリックが「魔導なんて必要ない……」と杖を捨てる背後で、アルベルトだけが「さあ、この水で最高のお洗濯を始めよう!」と、どこまでも晴れやかな笑顔でスウェットを広げるのであった。




