(22)2025年8月3日 仕様と紙一重
◇
「へ?」
瞬きしながら、間の抜けた声を発してしまう。
気がつくと、ヒュードラは死骸と化していた。
黒い煙に包まれるヒュードラの死骸を眺めながら、俺は首を傾げる。
「どうして、ヒュードラが死んでいるんだ……?」
たった1回『リフレクトアタック』しただけ。
そのたった1回だけで、俺は水の四天王ヒュードラを倒してしまった。
その事実に俺は違和感を抱く。
こんな事、ゲームではなかった事だ。
雷の棒という切札を用意したとはいえ、こんな簡単に倒せる程、ヒュードラは弱々しい存在じゃない。
リフレクトアタックを10回繰り出さなきゃ、ヒュードラを倒せなかった筈だ。
雷の棒を5本消費しなければ、ヒュードラのHPを削り切れなかった筈だ。
ゲームとは違う事象。
それを目の当たりにして、俺はつい戸惑ってしまう。
まだ何かあるんじゃないかと思い、脳内ステータス画面から雷の棒を引っ張り出してしまう。
雷の棒を構えてしまう。
そんな時だった。
俺の前に管理者を名乗る女が現れたのは。
「ど、どうして、ヒュードラを瞬殺できたのですか……!?」
赤い布を身に纏い、赤いフードを深々と被っている女性が俺に疑問の言葉を投げかける。
その疑問に答えられる程、俺は現状を把握できていなかった。
「アナタに倒されぬよう、ヒュードラの攻撃力の数値を弄ったのに……! どうしてアナタはヒュードラを瞬殺する事ができたのですか……!?」
ヒュードラの攻撃力と防御力を弄った。
その言葉により、俺は気づく。
たった1回リフレクトアタックしただけで、雷の棒が折れた理由を。
そして、ヒュードラを瞬殺できた理由を。
「あんたが攻撃力を弄ったからだよ」
「……は?」
「多分、あんたは知らないだろうけれど、リフレクトアタックでモンスターの弱点属性を突いた場合、ダメージは『モンスターの攻撃力×4』になるんだ」
「……は?」
俺の説明の仕方が悪いのか。
それとも、管理者を名乗る女性の理解力が乏しいのか。
管理者は首を傾げるだけで、俺の説明を理解してくれなかった。
なので、言葉を重ねる。
「ええと、……ヒュードラは水属性だろ? で、水属性はの弱点は雷属性の攻撃だろ? だから、雷属性の武器でヒュードラにリフレクトアタックしたら、ヒュードラの攻撃力4倍分のダメージをヒュードラに与えられるんだよ」
「……そんなの、初耳です」
「だろうな。リフレクトアタックの仕様は攻略本や有志wiki見ないと分からない情報だし」
『リバクエ』におけるリフレクトアタックの仕様を管理者に伝える。
本当に初耳だったらしく、管理者の声は笑えるくらいに震えていた。
「…………何処でその雷の棒を手入れたんですか。雷の棒は『サイナンの島』に行かなければ、拾う事ができない筈です」
「ダール街の鍛冶屋だよ。拾った木の棒と雷の実を鍛冶屋で合成すれば、雷の棒を手に入れる事ができる」
「ぶ、武器の合成には多大なお金がかかる筈です。『リバクエ』に短期間で大金を稼げる方法なんてない。『この世界』が始まって、まだ数日しか経っていないのに何処で大金を稼いだのですか」
「大金なんて稼いでいないし、短期間で大金を稼ぐ手段もない。だから、俺は木の棒と雷の実を使ったんだよ。鉄系の素材を使った合成は多大なお金がかかるけど、木の棒や雷の実みたいな自然由来の素材を使った合成は安価でできる。と言っても、鉄系の合成と比べると、武器の耐久性は落ちるけどな」
次々に管理者の疑問に答えていく。
まだ聞きたい事があるのだろう。
管理者を名乗る女性は歯軋りすると、再び疑問の言葉を口にした。
「……どうして木の棒と雷の実を合成した程度の武器で、ヒュードラの攻撃をリフレクトアタックできたのですか。あのヒュードラはゲームとは違い、攻撃力カンストしていたというのに。雷の棒の耐久性では耐え切れない程の攻撃力を持っている筈なのに……!」
「それもリフレクトアタックの仕様だ。リフレクトアタック発動さえしてしまえば、攻撃は必ず跳ね返るし、プレイヤー前方空間は0.5秒間だけ反射状態になるんだ」
「反射、……状態?」
「つまり、リフレクトアタックさえ発動してしまったら、どんな攻撃だろうが0.5秒の間のみ跳ね返す事ができるんだよ」
狼狽える管理者を見て、俺は確信する。
彼女が『リバクエ』の仕様を把握していない事を。
攻略本や有志wikiを読み漁る程、『リバクエ』というゲームに熱中していない事を。
それを確信しながら、俺は彼女にヒュードラを瞬殺できた理由を話す。
「……リフレクトアタック1回で倒せる程、ヒュードラは柔なモンスターじゃない。にも関わらず、今回、リフレクトアタック1回繰り出しただけで倒せたのは、あんたがヒュードラの攻撃力を弄ったからだ」
「……私が余計な事をしたとでも?」
「結果的にな。だが、狙い自体は悪くなかったと思うぜ」
もしも正攻法──ちゃんとした装備と武器を揃え、ゴリ押しするやり方──で挑んでいたら、確実にゲームオーバーになっていただろう。
攻撃力がカンストしたヒュードラの攻撃を一撃喰らっただけで、HPが全損していただろう。
『ヒュードラは四天王の中で1番弱いから』という理由で見くびっていたら、痛い目に遭っていたのはこっちだったかもしれない。
(今回、俺がヒュードラを瞬殺できたのは偶然だ。仮に管理者が違う策を用意していたら、こっちが負けていたかもしれない)
管理者がヒュードラの攻撃力の数値を弄ると思っていなかった。
予想さえしていなかった。
想定さえできていなかった。
その事実が俺の背に冷や汗を伝わせる。
……本当、紙一重だった。
これからは管理者の介入込みで対策しないといけない。
そう思いながら、俺は表情を強張らせる。
感情が表に出ないよう、必死に平静を装う。
それが気に食わなかったのだろう。
管理者を名乗る女性は口から歯軋りのような音を発すると、赤いフード越しに俺を睨み始めた。
そして、息を短く吐き出すと、捨て台詞を口にした。
「……次は上手くいくと思わないで下さい」
そう言って、管理者は唐突に何の前触れもなく煙のように姿を消す。
残されたのは、俺と幾多の樹木のみ。
管理者が立ち去った。
それを認識した瞬間、俺は肺の中に詰まっていた空気を吐き出すと、その場に座り込んでしまった。