かけがえのない者
今でも一人で家を出る時は、キャップ帽をかぶる。
引越しは明日。段ボールに必要な物をつめていたら、ノックが聞こえた。
「どーぞ。」
ガチャリ。ドアからお袋が顔を出した。紙袋を持っている。
「コレ引越し祝いよ。」
中を見ると、真っ赤なパーカーが入っていた。
「あれー?これキヨっちの古着屋?」
「そう。だから、凛の魔法の帽子と交換しましょう?」
「…今お祝いってたよねー。」
「凛にはこの帽子はもう必要ないわ。魔法も使いきっちゃって、凛自身の勇気に変わったじゃない。」
俺の部屋のソファに、のんびりと座るお袋。
「大人になりなさい。一人暮らしするなら、もうこの帽子捨てるわ。母さんにそれくらいの覚悟見せて?」
「なんか、変。どうしたの?」
その日を最後に、お袋は家から姿を消した。
楽しみだった一人暮らしが、自分のせいで母親が姿を消したと思うと、心が痛んだ。
「はぁー。」
「凛…引越したんじゃ無かったのか?」
引越してまだ3日目だと言うのに、竜ちゃんちの木の上にいた。
「遊びに来たー。」
「『来たー』では無いだろ?ほら、新しい部屋を見てやるから下りて来い。」
チャリッと竜ちゃんに鍵を投げた。
「どーぞご勝手にー。」
ドガッという音と共に、振り落とされそうなくらい木が揺れた。そして、竜ちゃんが登って来た。
「帰るぞ。こんな所にいたら、執事の栗林に見つかって連れ戻されるぞ。いいのか?」
「竜ちゃん顔近いって。枝が折れるからー!」
「じゃ、早くしろ。」
竜ちゃんがスタッと飛んだ。
「着地失敗するからダメって言ってるのにー。」
ベチャっと音がしそうな程に体を横に着地。俺はその頭の先に体操選手っぽく華麗に着地した。
「一人で帰れるか?」
「竜ちゃんを特別に招待してあげるー。」
「まったく。凛の事だから片付けまだ終わってないんだろう?」
「ぴんぽーん。」
歩いて10分くらいしか離れてないから、すぐに竜ちゃんも遊びに来てくれそうだ。
ピポパポピポプペパ…
「…暗証番号長いな。」
「いちよー財閥の息子らしいからー、栗林が煩いんだよー。」
「だから、語尾を伸ばすな。」
3つ目の暗証番号を解いてやっと部屋に入れた。
「段ボールの山、山、マウンテンではないか!」
「ちょっと、竜ちゃんが卑下男爵に見えて来た。」
「行くぞ!」
竜ちゃんは腕捲りして、気合いを入れだした。
「俺ちょっと隣の部屋行くわー。」
ガチャ。
「画廊まであるのか。まさか…あの画家の為に?」
「ん。まーね。」
「好きなのか?」
「普通に好きだけどー。人妻だからねー。」
「人妻!?」
「竜ちゃんもう一回言って。」
「人妻?」
「似合う。何か人妻に憧れてなーい?」
あ。竜ちゃんの拳がふるえだした。
「悪いか!一度は憧れるだろ!」
「えー。そっちー?」
「ちゃらんぽらんって言え!」
「ちゃらーんぽらーん?」
「フン!ぴったりだ。」
と言いながら、竜ちゃんは段ボールを開けてテキパキと整理し始めた。
「凛。」
「んー?」
「しょっちゅう来るからな。」
俺に背中を向けているから表情は見えないけど、いつもより低めの声だった。
「んー。椿っちは連れて来ないでよー。」
「あ、当たり前だ。」
「俺が一人が好きって知ってるでしょー?」
「一人が好きなら、わざわざ会いに来ないだろ?」
竜ちゃんの背中に体重をかけて俺も座った。
「俺も手伝おっかなー?」
「お前の部屋だろが!」
元気が無い時、励まし合う俺たち。せっかくの自立の為の一人暮らしの意味ないよな。
「あ。カタツムリあげる。」
「だから!それはナメクジだろう。くっ付けるな!」
「んー?角あるじゃん。ほれ。」
ナメクジ嫌いの竜ちゃんだった。