割引シンデレラ
やっと、家に来てくれた。
焼き肉が好き、という情報。
それをもとに、誘った。
『焼き肉食べに来ない?』
それで、すんなり来てくれた。
「家が近いから、良かったよ」
「うん。すぐに来られるからね」
「そうだね」
家に彼女が来たのは、午後5時。
夜は、用事があるらしい。
来てくれた、それだけでいい。
「あー、食べた食べた」
「どうだった?」
「美味しかったよ。特製のタレが絶品で」
「良かった」
「あんな焼き方もあるんだね」
「うん。次は、別の料理も作るからさ」
「ありがとう」
「次は、何食べたい?」
「あっ、ちょっと待って。今何時?」
「6時53分だけど」
「えっあっ、はっほっ」
「どうしたの?」
彼女は、散乱していたミニ扇風機やミニタオルなどを、デカリュックにぶちこんだ。リズムいい声を、出しながら。
「あっ、じゃまた」
「何かあるの?」
「あ、あるよ」
彼女は、財布の小銭を確認しながら、そう言った。『あるよ』の語尾はロケットだった。急激に上へ上へと、向かっていたから。
廊下は走らない。そんな学校での決まりを、この家でも守る彼女。真面目だ。彼女は玄関に、早歩きで向かっていた。
「気を付けてね」
僕は彼女に、そう言った。だけど、耳には何も、入らないみたいだった。
彼女は、一度振り返った。そして、こちらに手を振った。その手には、スマホが握られていた。
彼女のスマホの画面は、ぶれていた。でも、しっかりと分かった。あれは、スーパーのチラシアプリ『スパチラ』だ。色々なスーパーの割引情報が、幅広く見られる。そんなアプリだ。
"キーンバタン"
色々考えている間に、彼女は玄関からいなくなっていた。はやすぎる。
僕に興味ない。ファッションにも、興味ない。食以外、興味ない。そんなの、だいぶ前から、分かっていたことだ。
でも、手を振るとき、僕の目を見てほしかった。スーパーの割引に、僕は負けたのだ。
ボロボロの靴が、玄関に残っていた。カカト部分が、剥がれかかっている靴。薄汚れたピンクの靴。しかも、右だけ。
僕は王子様ではない。だけど、彼女をすぐに、追いかけていた。猫を抱くように、両手で靴をやさしく抱きながら。