フレグランスオイルの小瓶
この作品は『“厨二”と宙に舞う少女の物語』の後日談のひとつの結末です。
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合わせてお読みいただければ幸いです。
「お互い大人なんだから、そんなに照れないでください」
そう言いながら私は…
その人の肌着のボタン状のマジックテープを外していく。
露わになった胸は…かつてはそこに鋼のような筋肉があった事を忍ばせる深いたるみ皺が刻み込まれていた。
そう言えば真鈴義姉様がおっしゃっていた。
「あの人…旧横浜ファルコンズでフッカーやってたの…補欠だったけど…まあこんな昔のラグビーの事なんかご存じないのでしょうけど…」と…
「お背中、お拭きしますね」
「ありがとうございます…少なくとも前は…自分でできますから」
「ハイハイ」
まるで幼子をあやすような言い方をしてしまい…ご不快に思われたかしらと
背中越しにそっと様子を窺がったが…その人は目を閉じて俯いている…
「お体、痛みますか?」
「いいえ、緩和ケアに来て…それは随分楽になりました。 それまでは…昔痛めた首などの痛みも重かったのですが…」
「真鈴義姉様からお聞きしました。昔、ラグビーの選手だったと…その時のお怪我ですか?」
「ええ。私は上背は180ありませんでしたが…当時は100㎏くらいあって…肉弾のぶつかり合いをしておりました」
「それは勇ましいですね」
「いいえ、私は勇ましくなどありません。真に勇ましい人間は、物事に真摯に向き合うものです。私はそれを…まるでして来なかった。きっとこれは…その天罰なのでしょう」
「ご病気の事を…そのようにおっしゃってはいけません。お気持ちをしっかり持って! そうしなければ!!…」
「私は自分の病気の事を言っているわけではないのですよ。それとは別の事です」
私の関心を避けるように窓の外に目を向けるその人の事を
気が付くといつも…私は目で追っていた。
大恩のある真鈴義姉様の実兄であられるから?
重い病気を患ってらっしゃるから?
最初はもちろん
そう思っていた。
けれども…
そうではない“何かが”
私を“あの人”に振り向かせる。
胸の奥に…
切ない“何かを”感じさせる…
それはきっと
物心つく前に死に別れた“父親”への慕情なのだろう…
生きていれば…
この人と同じ年回りだ。
「ダンナ様はいつ海外からお戻りですか?」
窓の外に目を向けたままその人は世間話を始める。
「ええ、明後日に帰国予定です」
「じゃあ、もうすぐですね。長い間…心待ちだったでしょう。今は色々と準備でご多忙なのでは? そんな中…くたびれた私なぞの為に時間をお取りいただき本当に申し訳ないです」
「そんな!!くたびれただなんて…」
言葉ではそう答えたけど…
この人の持ち物、着ている物は…そのロゴやタグから“良い物”である事は窺い知れたが…どれも使い古されていた。
そう、あそこに掛けられているジャケットも…袖がほつれてボタンは糸1本でぶら下がっている状態…
「明日、お裁縫道具を持って来ますね」
窓から振り返ったその人は私の視線の先に気付いた。
「…だらしなくてすみません」
「いいえ、いい物を長く大切に着てらっしゃる証です。だからそれをお直しできるのは嬉しい事です」
その人はうっすらとため息をついて微笑んだ。
「私は…この刹那にあなたとお会いできて…とても嬉しいです。あなたは今、お幸せですか?」
「えっ?」
私は言葉の意味を測りかねて問い直してしまう。
「いえ!…ダンナ様は優しいですか?」
突然“コウくん”の事を尋ねられて私は思わず赤くなる。
「…ええ…とても…けれどカレとの結婚は…色々ありましたの…その節は真鈴義姉様にもずいぶんとお世話をいただきました」
そうなのだ…カレとは一目会ったその時から…
互いに“運命”を感じたのだけど…
カレとはあまりにも“家柄”が違い過ぎて、結婚には高い高い障壁があった。
そんな時、カレの長兄の兄嫁であられる真鈴義姉様が私の味方となって尽力していただき無事、カレと結婚できた。
結婚してからも真鈴義姉様はいつも気遣いを下さり、そのおかげで“親戚”付き合いも何とか切り抜けている。
だから今回、真鈴義姉様の二人のお子様が大学、高校受験と重なって大変と伺って“お兄様”の“お見舞い”を買って出たのだ。
思わず畳みかけるような私の話しっぷりにその人は静かに微笑んだ。
「それはとても幸せな事ですね。私と亡くなった家内の間にはそれが無かった。最後までね…私は持てず仕舞いだったが…そのうち子供が出来て…更なる幸せがあなたを包むのでしょう」
そう言われて私は頬を染めて…
のはずなのに!!
心が
ざわざわして
キューン!と締め付けられる。
そう、初めてコウくんと出会った時の…
あの時の感覚に
似ている!
いったいどういう事だろう?!!
気が付くと、この人は…
じっと私を見つめている…
手が伸びて…
「えっ?!えっ?!」
と、ドキマギする私の髪にその人の指が触れ、すーっと滑る。
「あっ!」
なんとも言えない言葉が漏れ出た私の目の前に白い糸くずが示される。
「あなたの髪に付いていました。きっと私のボロ着の成れの果てでしょう…」
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お暇した病室の引き戸の外で…
私はトートバッグを抱えていた。
トクトクトクと胸が早鐘を打っていた。
その日の夜
夢を見た。
私は我慢できずに空港のタラップでコウ君を待ち構え
下りて来たカレの首筋に飛び付いてキスの雨を降らせ…
脇がベッドなのでそのままインした。
“歓喜”の声を上げ
その“状態”でキスがしたくて
キスが欲しくて
顔を見たら
“その人”だった。
でも私
なんの疑念も持たずに
そのままキスして
深く腰を沈めた。
目が覚めてからがパニックだった。
どこもかしこも!!
そして何より
この激情は何なのか??!!!
あの…お父さんと同じ年回りの人と??
悲しいけど
とてもとても
悲しいけど
命の火が消えそうな“あの人”と…
夢の中で
“あんな“事を…
えっ??
今、私
とてもとても
悲しいって…
そりゃ
真鈴義姉様のお兄様だけど…
そこまで悲しいって思ってしまう私って!!
訳が分からない!!
訳が分からないけど
私
恋に落ちてる…
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相変らずその人は私を避け、窓の外を眺めている。
それがつれなく思えるのと…胸がドキドキ高鳴るのとで…
私の手元は何度がブレて
針先で指を刺し
ようやくと手元の震えを止める有様だった。
「できました」
あの人にそう声を掛けると返事が返って来た。
「ありがとう。ついでにあなたのハサミで…内襟の掛け紐を切ってもらえますか?」
見ると鮮やかな赤い組み紐が残虐なほどの頑丈さで内襟に縫い付けられている。
「お義兄様は…意外とそそっかしい方なんですか?」
「ああ、その縫い付けは家内がやったものです…私と家内の“ほころび”そのものですね…」
「この綺麗な組み紐…本当に切ってもよろしいんですか?」
「お願いします」
シャキン!とハサミを入れた時、
ハサミからビリッ!と電気が走る感覚と
文字通りぶら下がっている糸が切れて
ストン!と地面に着地したような気がした。
どういう事??
その人はベッドサイドの引き出しから
1枚の古めかしい大判写真を取り出して
私に示した。
それはジェットコースターに乗っている若い二人の写真…
一人には“お義兄様”の面影があり…
もう一人の女の子は…
どこか懐かしい顔立ちだった…
お母さん??
違う…
誰??
いや、それはどうでもいい!!
問題は…相手の女の子はお義兄様の何なのかという事!!
「ひょっとして…お義兄様の恋人ですか?」
この人はそれには直接答えなかった。
「この写真…家内に…何度も破かれそうになりました…」
私には…“奥様”のそのお気持ちが痛いほど分かった。
だって!! 今!!
私は胸の内を
同じように嫉妬で焦がしているのだから
そう! まるで自分の今までの事、コウ君の事を棚上げして!!
この人が好き!!
どうしようもなく!!
私、破りたくなる発作をどうにか抑えてベッドサイドテーブルに写真を置き、
この人の胸に飛び込んだ。
「私を見て!! 私だけを見て!!!」と
私は狂っていた。
嫉妬が更なる油を注いだ。
抗う力が萎えている病人を
力ずくで
ベッドの上に押し倒し
目からこぼれる涙とキスの両方の雨を
カレの上に降り注いだ。
そしてカレの口に吸い付いて
カレを飲み干そうとした。
そんな私を
あやすように
カレは抱いた。
「もう大丈夫。いずれ波は遠ざかるよ… もう大丈夫」
何が大丈夫なのか私には全然分からない。
ただ、狂った想いが全身を駆け巡っているだけだ。
なのにカレは
私の手をブロックして
何もさせてくれない!!
「お願い!!
どうか私に!!
あなたの愛を下さい!!
どうしてもどうしても
欲しいのです!!」
そう懇願したら
カレは手のひらにリボンの付いた小さな包みをのせてくれた。
「今は便利な世の中だね…寝ながらにしてプレゼントが買える」
包みを開けてみると
それはジュエリーでも何でも無かったけれど…
『金木犀ボディ&ヘアオイル』と書かれた小瓶だった。
私はカレの手のひらを取って瓶の中身をいっぱいに振りかけた。
「どうかあなたの手で…この香りで…私を包んで下さい」
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熱いシャワーをいっぱいに浴びて“金木犀”を飛ばした後は、コウくんの好きなチャンス オー タンドゥルを身に纏う。
今からコウくんを迎えに行きます。
あなたは最期に
「もう糸は切ったよ」
とおっしゃった。
きっと…
あなたなりのやり方で
あなたはそれを確かめたのでしょう。
確かに…金木犀の香りと共に…
あなたへの思慕も流れ去った気がする。
だから…
私は…
私は!!
コウくんの事で
忙しいから…
お通夜には
行きませんね。
おしまい
ただ自分の為に書いてしまった感じです…(途中から泣きながら書いていました)
あまり読んではいただけないのでしょうが…(^^;)
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