卍 それってパラダイムシフトってやつ? 卍
ウィル・スミスのビンタ事件に始まって山上容疑者の安倍元首相殺害事件に至り……ひしひし感じるのはマスコミが言う「なんにせよ暴力で解決するのはいけません」といった常識論はもう通じない世界になったんじゃないか?ということ。
いまだにやってるウクライナ戦争にしても。
橋下徹などはまだ「マスコミが統一教会を叩いたら山上の目論見通りになってしまう(だからいけません)」などとブレーキ論を掲げてますが、そんなのは正論なのか?
きっかけはどうであれ反日金満カルトを叩き潰すことになにを躊躇する必要がある?
というような、もっと単純な考え方の前にはとても空虚なおためごかしに聞こえる。
民はもっとスッキリした信念を求めている。
だから昭和日本人が作り出した巨大なグレーゾーン……旧統一教会だって票田なんだから仲良くやりましょうや的な、分かっちゃいるけどやめられない的な、なあなあぶりはもう通じない。
いまはいわば政府が黒塗り書類を提出するたびに爆弾のタイマーが進むような状況なのだろうが、政府も、マスコミもそれが分かってない気がする。
安倍元首相があのようなかたちで殺されても「大丈夫大丈夫、替えはいくらでもあるしこのまま同じノウハウで行くよー」という調子に見える……
じっさい安倍氏の不在によって情緒的な遺憾の意は表明しても、本気で日本の将来を悲観してる政治家なんてひとりもいない。
そしてしばらくすればすべてが元に戻ると思ってる。その「元」がもう無いかもしれないとはつゆほども思わず。
それがおそろしい。
山上容疑者があと一人か二人現れれば日本の社会は発狂するだろう。
弛緩しきった社会にはそれは止められない。
単純でスッキリした考えというのはイコール暴力だ。
連日のワイドショーの統一教会叩き、あれが視聴率を稼ぐのは視聴者の暴力的な欲求を満たすからだ。
どこかのゲーム会社の人間が山上容疑者を「義士」と呼んで首になったが、あれは大勢にとっての本音であろう。
みんなどこかでそういう人間の再登場を願ってたりしないか?