手紙
ポンコツの神様 その2
「それで、一応お詫びはしておいたけど、
特にトウマさんも気にしてる感じはないから大丈夫だと思うよ。」
「・・・すみません。」
あの後、ハルは更衣室に逃げ込み、
完全に引きこもりモードになってしまい出てこなかった。
トウマはアキトといくらか話をしてすぐに帰ったものの、
ハルが更衣室から出てこれるようになるまでには既に日が暮れ、
他の社員が全て帰ってしまった頃だった。
「それでね、トウマさんはハルちゃんに絵の依頼をされたいそうなんだ。」
「私の絵ですか?」
「今度の新作アルバムのジャケットとかでいくつか使いたいらしくてね。
すでにハルちゃんが描いてくれてたサンプル集は渡してあるし。
気に入ったのがあったり、希望するものがあれば連絡してくれるから。」
「あの、すみません、ありがとうございます。」
「今日はどうする?もう帰る?」
「い、いえ、仕事全然進んで無いし、もう少し終わらせてから帰ります。」
「わかった、僕は先に帰るけど戸締りはよろしくね。」
アキトが帰った後、しんと静まり返った室内で作業を進めるハル。
だけど、いまいち進まない。
一つ、ため息をつくと引き出しから液晶タブレットを取り出した。
電源を入れていつものように操作して真っ白な画面を映し出す。
画面を撫でるように指を動かしていく、
様々な色に色を重ねて、白い画面を彩っていく。
こうしている時がハルにとってとても安らぐ時間だ。
時間が経つのも忘れて夢中で描いていく。
ハルの絵が独特過ぎるのか、誰にも興味を示されなかった。
だがある時描いた絵に興味を示してくれたのはアキトだった。
当時、どんな仕事をやっても上手くいかず、途方にくれていたハルだったが、
この会社に入ってからは周りの人間のサポートが厚いのもあってか、
何とか仕事をこなせるようになり、生活をしていけるようにはなった。
絵の方もそれほど生産出来るものではないものの、
それらしいものが出来る度にアキトに見せ、
彼が窓口となってあちこちで使ってもらえるようになった。
ハルは本当に感謝している、アキトにもナッちゃんや他のメンバーにも。
描いているうちに気持ちが落ち着いてきた。
全てを吐き出すように一吐き、ため息をついて、背もたれに体を預ける。
「お見事ですね。」
その声に固まる。
頭の真横から聞こえた。
立ち上がろうとしたが、何故か肩をがっちりつかまれて動けない。
「すみません、驚かせてしまいました。」
淡々と話すその声にようやく顔を向ける。
「い、いえっ、あのっ、そのっ、」
間違いも無くトウマの姿がそこにあった。
いつの間にそこにいたのか、
全く気が付けなかった。
「あ、あ、あ、アキトさんっ、ならっ、もう帰ってっ」
「いえ、あなたに用があったのです。」
ポンとデスクに置かれた小さめのケーキ箱。
「昼間に驚かせてしまったのでお詫びにと思いまして。
ただ、それだけです。それではお邪魔しました。」
そう言って颯爽とドアに去っていく。
「あ、」
ドアを開けた時、思い出したようにトウマは立ち止まった。
「今描いていた新作、完成したら是非一番に見せていただけますか?」
声が出ず、首を縦に一生懸命振る。
「楽しみにしています。」
柔らかく笑ったトウマはそのままさらっと姿を消した。
「これ、私の好きなケーキ屋さんの・・・」
アキトが教えたのだろうか。
開けるとこれまた好きなラインナップ揃いである。
そして、汚れないように隅っこに一通の上品な封筒を見つけた。
綺麗な色の封筒を開くと丁寧な字で書かれた手紙が入っていた。
ハル様
突然、声をかけてしまったことをお許しください。
以前とある雑誌でお見かけしたハル様の絵に一目ぼれしました。
白を基調にしたその絵はとても優しくて温かくて、
ずっと見ていたくなるような美しさを感じました。
どのような方が描かれているのか、
どのようなお気持ちで描いていらっしゃるのか、
そう言ったことが気になり、
アキト様にお願いした次第でございます。
繊細な方であることは聞いていたのですが、
お聞きしたい気持ちが高ぶってしまい思わず声をおかけしてしまいました。
サンプルも選ぶのが難しいほど、素敵なものばかりで悩んでおります。
新作の音源を同封いたしますので、
もしよろしければ、お聞きいただければと思います。
トウマ
一緒に入っていたメモリを取り出す。
パソコンにつなげてイヤホンをセットする。
ピアノの流れるような音楽が耳から全身に染み渡るような感覚。
大好きなケーキを食べるのも忘れ、ハルはタブレットを手に取って、
指を画面で動かしていく。
その日、日付が変わっても彼女の指が止まることは無かった。
翌日、一番先に出勤したアキトが見たのは、
自分のデスクにイヤホンをしたまま爆睡しているハルの姿だった