三分
母:真紀
父:慎二
弟:浩
「実香、お母さんが死んだ。」
喉に何かを詰まらせたような聞いたことの無い父の声だった。
それからのことははっきりと覚えていない。冷凍庫にあった炒飯を食べたことと、翌日のお葬式に参列したこと、気が付けば涙が流れていたことくらいの記憶しか残っていない。悲しいと実感できる程頭の整理は追いついていなかったが、母の死を告げた父の声が頭の中で繰り返される度涙が流れていた。
母が死んだのは11月2日の明け方のことである。お葬式は翌日の3日に行われ、4日はぼーっと過ごした。忌引になるのは1週間なため、9日には学校に行かなければならないのか、そうしたら母がいなくなったいつも通りの生活が始まり、いずれそれに慣れてしまうのだろうかなどと考えをめぐらせていた。こんなにも虚無感に襲われているのに少しは考えをめぐらせることが出来るものだとほんの少しだけ安心したりもした。お腹がすくという感覚はないが一応適当に何かを胃に入れようと思いカップラーメンにお湯を注いだ。実香の勉強机の上に置かれたデジタル時計が示している時刻は11月5日の5時28分。特に何をするでもなく31分を待つ。その間にも涙が零れていたが、涙が流れていることが当たり前になっていたので特に気にとめない。デジタル時計が31分を表示したのでゆっくりと蓋を捲りカップラーメンを口に運んだ。涙で薄まっているだけでは説明できないくらい味のしないカップラーメンだった。ダイエットをしている実香はカップラーメンのスープはいつも流していた。今は痩せたいなどという感情は持ち合わせていなかったがスープをシンクに流す。そしてスープを流して姿を現したカップの底に残っていた短い麺を食べる。体に染み付いた習慣はどんな状況になっても変わらないものだ。自室に戻った実香はやはり涙を流しながらベットの上に三角座りをしてただ白い部屋の壁を眺めていた。11月5日の5:30を示したデジタル時計も視界に入っていたが特に気にとめることなく壁を眺めていた。どれくらいの間そうしていたのか分からない。実香の部屋は窓が1つあるが母が死んだ日は雨が降っていた為雨戸が閉められていて、今まで開けようという気分にもならなかったので美香が日付と時間を確認する手段はデジタル時計のみであった。ふと弟と父はどのような生活を送っているのかを確認しようと思い、自分のからだであるのが分からないからだをまず父の部屋に運ぶ。父はベッドで寝ているようだった。実香の父は実香が高校一年生の時に母が再婚をした相手で、実香とは会ってからまだ一年も経っていない。だから正直父のことはよく知らないし言葉を選ばないのであればあまり興味はない。それでも一応どのようにしているかは気になった。まあ一応奥さんが亡くなったのだから寝込むのも無理はないかなどと他人事のように考えて父の部屋を出た。それから弟の部屋へ向かった。弟はベッドに座って壁を眺めていた。やはり同じ母から生まれただけの事はあり私に似ているなどと考えていたら「これからどうなるのかな?」という声が聞こえた。「分からない。でもお父さんがいるから大丈夫だよ。何とかなるよ。」などと答えた。本音であったし、弟は父に懐いていると感じていたので大丈夫だろうと思っていた。ただまだ中学二年生の弟にとって母親の死というのは相当辛いだろうとこれまた他人事のように考えていたら「うん。」という心細い返事が帰ってきたので「お腹空いてなくても何か食べるんだよ」と告げて弟の部屋を出た。それから行くつもりはなかった母の部屋にからだは勝手に向かっていた。母親の部屋に入ると酷く懐かしい感じがした。正直実香は友達を作るのが苦手で学校では教室移動を共にする友達くらいなら居たが、特に仲のいい友達というものを作ることが出来なかった。そんな中実香の心の拠り所といえば母親ひとりであった。どこかに遊びに行くとなってもひとりで行くか母と二人で行くかであった。母の部屋を目の前にして自分がどれだけ大きな存在を失ったのかに気付かされた。そのまま立ち尽くしどれほどの時が流れたか分からない。実香はこの世にあるのか分からない自分の体らしきものを自室に運んだ。
デジタル時計は11月5日の5:32を示していた。それを確認してまたベッドに座り壁を眺める。今度はクラスメイトのことが何となく頭に浮かぶ。特に仲が良かった訳では無いが悪い人たちではないなぁなどと思いをはせて、デジタル時計に目をやった。11月5日の5:30を示していた。
―ここで実香はやっと違和感に気づいた。
それからデジタル時計を眺めているとどうやら11月5日の5:33の次が5:30に戻っているのである。それに気づいた実香はひどく……わくわくした。どういうわけか11月5日の5:30から5:33を永遠と繰返すこの奇妙な状況を嬉しく感じていた。
それからどれくらいの間デジタル時計を眺めていただろうか。そろそろ何か食べようと思いカップラーメンにお湯を注いだ。5:31の時計を確認し、5:30までだなと考えて時計を眺めていた。5:34を示したらどうしようかなぁと考えていたがやはり5:30に戻ったため、いつものようにカップラーメンを食べた。
それからはただただデジタル時計を眺める生活を送っていた。この三分を何度繰り返したか分からない。それからふとこの状況に父と弟はどうしているのだろうかと思い、まず父の部屋を覗いた。父はパソコンに向き合っていて何やら仕事をしているようだったが、実香が来たことに気付き「どうした?」と尋ねた。母が死んだというのに何事も無かったようだと感じたが実香は暗い話をしても何も無いしなと勝手に納得し「元気そうで良かった」とだけ答えて父の部屋を出ようとしたが口が勝手に動いていた。「そういえば今日は何日?」父の顔が固まったような気がした。「5日」と一言返ってきた。こんなに不思議な現象が起こっているのに、実香と父が交わした会話はまるで平凡な日常のような会話であった。そしてこれ以上聞くとこの不思議な状況が壊れてしまうようなそんな感じを何となく感じ実香は「ありがとう」と一言返して父の部屋を出た。それから弟の部屋に向かうと弟は宿題をしているようだった。そしてまた確認するように「今日って5日だよね?」と尋ねた。「うん」と一言かえってきたので、「ありがとう」と返して弟の部屋を出た。声が震えてような気がしたが気のせいだということにした。それから自室に戻り、ベッドに座ると、またデジタル時計をじっと見つめて過ごした。適当にリビングに行きカップラーメンを食べては自室に戻りデジタル時計を見つめる、そんな生活を繰り返していた。
もう充分かと思い立った私は家の外に出た。あてもなく歩いた。公園の時計を見あげた。16時頃を示していた。何となく気付いていた。三分を繰り返していたのは実香の部屋のデジタル時計だけだったのだ。街に流れていたクリスマスソングが身に染みた。時計が壊れていたのだのと考えながら自室に戻り見慣れたデジタル時計を見た実香は久しぶりに驚いた。12月24日の18時42分を示していた。実香が外に出たと同時に時計が直っていたのだ。
実香は全てを悟った。母が私が前に進むために、外に出ることができるようにするために、実香の部屋の時計を進めないようにしていたのではないか。そして外に出ることが出来たから進めてくれたのではないか。そう考え、母の優しさに胸が締め付けられた。やはり殺しておいてよかったと思った。
そして母のグラスに入れたものと同じ液体を自分のグラスに注ぎ実香は安らかに目を閉じた。その目が開くことはもう二度と無かった。
「慎二へ。
実香が私を殺そうとしています。実香は死にたいけど、死ぬのには私の存在が苦しいのだと思います。私も実香がいない世界で生き続けたいとは思わないし、実香が死ぬのであれば実香に殺されるのが一番幸せなように感じます。なので間違えても実香を責めないでください。私は実香に殺されてよかったと思っています。そしてこの遺書はあの子には見せないようにしてやってください。あと、実香に生きて欲しいとは言わないでやってください。あの子を責めてしまいます。
もうひとつ。この遺書をあなたが読んでいるということは多分私は死んでいるのだと思います。あなたに会えてよかったです。警察には自殺だという内容の遺書だったと伝えてください。
2017年10月20日 真紀」
「お母さんへ。
ごめんなさい。死にたい。私が死にたいと言うとお母さんは止めると思う。私が死んだらお母さんは悲しむと思う。でも私が死んで本当に悲しむのはお母さんだけで、お母さんがいなければ私は死ねると思うの。本当にこんな娘でごめんなさい。
大好き。
2017年10月19日 実香」
「お父さん、浩へ。
お母さんがいない世界で生きていく気になれませんでした。
2017年12月24日 実香」
~エピローグ~
真紀の遺書を読んだ慎二は考えた。直接引き止めはせずに実香をの心を動かす方法を。考えた末に出した方法が真紀の死んだ時間を繰返すようにするというものだった。そして外に出て部屋に戻り、時計が直っていたら実香は母親がの力だと考え、心を動かすことができるのではないか、と。
初めて書いたので、拙いものになりましたがご感想いただけるととても嬉しく思います。
読んでいただき本当にありがとうございました。