其の漆
後藤の話によると、ウマがまだ新聞記者をしていたとき、後藤は新宿のヤクザの組に修業に出されていて、そこで知り合ったのだという。
父親の「都会で任侠を学んで来い」という命令で、知り合いの友人のそのまた知り合いの……、という、まことにもって細い糸で紹介された組の使い走りをしていた。
ある日そこの親分から、対立する組の親分の「タマ」、つまり命なのだか、取ってこいと「チャカ」を渡されたという。
初めて任された大きな仕事だったし、あとのことは心配するな、という親分の言葉を信用するしかなかった。それが『イトハン』だと言った。
ところどころに業界用語が登場する。その方面には暗いトオルに後藤はチャカとは拳銃のことで、ハジキの方が一般的だと説明し、イトハンとは糸偏に半、つまり『絆』だと解説した。
言われた通りの場所に行き、対立する組の親分を襲ったが、ボディーガードを兼ねた組員にたちまち組み伏せられ、そのまま東京湾に沈められるところを助けたのがウマだった。
その組を解散に追い込むほどの綿密な取材帳をあっさり渡して、それと引き換えに助けてくれた。だから命の恩人なのだという。
「この馬鹿、チャカを使わずバットで殴りかかったんだ」
後藤がトオルに話しているあいだ、ウマは退屈そうに、飾ってある郷土人形や虎の掛け軸だとか、熊の彫り物を眺めたりさわったりしていたが、話は聞いていたようだ。
「極道の喧嘩は素手でするもんだと親父に言われてましたから」
気の荒い男が集まる炭坑町の、暗黙の掟だったのかもしれない。
そのあと父親が病気をして、故郷に帰ってきた。
父親の死後に組を継いで、いまは温泉場のみかじめ料でやっている。『みかじめ料』とは、旅館や商店が加入する暴力対策保険みたいなものだ、と妙な説明をした。
トオルが納得顔になったのを見て、ウマは琴子の書いた似顔絵を後藤の目の前に置いた。
「こいつを探すの、手伝ってほしいんだ」
「誰ですか?」
「知らん。ただ悪党顔しているだろう、まともな奴じゃないな」
乱暴な説明だが、確かに後藤たちの世界に近い人間であることは間違いないように思われた。
もっともウマもその部類の人相をしていたが、トオルはそれには触れなかった。
本川への帰り道、トオルが不安を口にした。
「もう、ここにはいないってことないのかな。逃げてしまったということはさ」
「それは大丈夫だろう」
自信ありげにウマは続ける。
「あいつらの世界は失敗が許されないんだよ。信用にかかわってくるからな。だから、一回失敗したらおしまいだが、もしそれを取り戻すチャンスがあれば絶対に見逃さないさ」
民江が言った通り、警察は事件を食物のアレルギーとして処理していた。食中毒としなかったのは旅館のことを思ってか、あるいは新聞ネタになるのを恐れたか、いずれにしろ事件にさえしない、見事なまでの保身術だった。
「これから先もあの世界で生きていくためのチャンスだ。やつらは絶対にもう一回やるさ」
まだ陽が高いうちにこの町を歩くのは初めてだった。
あらためて眺めると、料亭のような作りの大きな家が何軒かある。
どれもみな今は商売をしていないが、二階の手すりや庭の背の低い紅葉の樹の横に洗濯物が干してあるのは、その料亭となにかしら縁のある人間が今も住んでいることを示していた。
しもた屋が何軒か続き、商店らしき造作の家がある。しかし仰々しい看板などはなく、土地の人間が相手だから商品の展示もしていない。
映画のセットを思わせる屋並みは、かつてこの町が色町として栄えたことを物語っていた。
石炭の採掘でにわかに誕生したこの種の町に、昔の人間は希望を込めて美しい名前を付けた。新富町、寿町、幸町……、美園町もその類だったのだろう。
ウマはどこか懐かしげな表情で、突然現れる路地や横道を覗きこんだりしている。
好奇心というウマの最大の武器は、新聞記者時代に培われた習性だった。