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其の陸

 翌日は、見事なまでの晴天だった。

 時折吹く風は、半袖のシャツから出た腕を包み込むように柔らかく、淡い水色をしているように錯覚させる。

 北の国の生命が、本格的に動き始めていることを示していた。

 一宿一飯の恩返しをと考え、トオルは朝から廊下の雑巾がけや長押の埃取りをしていた。

 じんわり滲む汗を拭いながら、女主人の入れてくれたお茶をすすっている傍らで、民江が団扇でトオルに風を送っている。昨晩の出来事を少しは申し訳ないと感じているためか、女らしい優しい風だった。

 玄関で案内を乞う、どこかで聞いたことのある声がした。

「あら、クマ、どうしたの?」

 民江が無愛想に迎えた。

 訪ねる用事もないし、まして訪ねられる覚えなどさらさらない、といった風情である。

「この人が、この家探してるってがら、連れてきたんだす」

 民江に少し遅れて玄関出たトオルが、クマの横に立っているウマを見つけた。

「ウマさん、待ってたよ」

 軽く手を上げると、民江がウマとクマをしげしげと眺めた。

「えっ、クマがウマを連れて来たの?」

 民江のかん高い笑い声が、しばらくのあいだ、家の中に響いた。

「うまいもんだ。これならうちの看板も描けるぞ」

 ウマが、琴子の書いた似顔絵をしげしげと眺め、

「それで、こいつを探せばいいんだな」

 民江が、腕組みをしているウマの横顔を覗き込むようにしなを作って、

「そうなんですよ、でも見つかるかしら」

 年上の、それも男には丁寧な言葉遣いになるのは、民江の芸者としての習性のようだ。

「駅の表示板に書いてあったけど、この町は美園町みそのちょうっていうのかい?」

 ウマは、どんどん話を進めた。

「ええ、そうですよ」

 どうして当たり前のことを聞くのか、といった調子の女主人の言葉をつないで、

「名前はきれいだけど、なんにもないところです」

 民江が、わざとらしく、悲しげな溜息をついて、首を振った。

「それじゃ、この町にヤクザの事務所みたいなものは、あるかい?」

「ええ、ありますよ」

 女主人が、ふたたびなぜ聞くのか、という風情で答える。

 田舎の、それも温泉場となれば、そこを仕切るヤクザがいるのは当然と言えば言えないこともない。

 まだこの町が炭坑で賑わっていたころからある組だ、と女主人が説明した。

吾道組ごどうぐみと言って、親分の本名は後藤ごとうだそうです」

 民江の説明を受け取って、ウマはしばらく何かを考えている様子だったが、

「その組はどこにあるんだい」

 なにか心に決めたようだ。

「すぐですよ、駅を通り越して、牛乳屋の角を曲がった所です」

 民江が、駅の方角を目線で示した。

「そうか、ボン行くぞ」

「行くって、ウマさん、どこへ?」

「そのヤクザの事務所だ」

 普通ではないことを言い出し、そしてやってしまうのがウマだった。トオルはもう驚かなくなっていた。

 牛乳屋といっても煙草と清涼飲料水の自動販売機が何台か並んでいるだけで、シャッターは下ろされ、商売をしている様子はない。

 通りに面した部分の壁面だけがコンクリートになっている店の角を曲がると、吾道組の事務所はすぐにわかった。

 五、六段の階段を降りたところにある入口は板戸になっているが、いかにも安く、そして脆そうな材質で、もしなにか闘争があっても役に立ちそうもない粗末な作りだ。

 軒先の板看板には丸に寿の紋が彫りこまれている。およそヤクザらしくない家紋だ。

 入口を入ると若い男が漫画本を読んでいる。その奥では挟み将棋に興じている。緊張感などとは無縁の、町の青年団の寄り合い所のような雰囲気だ。

「親分はいるかい?」

 対する相手によって言葉を使い分けるほど、ウマは器用ではなかった。

 高飛車なウマの態度に、漫画本から目を転じた男が、

「なんだ、オメエ」

 と言ってから「さん」を付けて言い直した。

「オメエさんどちらさんですか?親分になんか用事ですか?」

 若い組員を自然と敬語にさせる威圧感を、ウマは持っている。

「ああ、ちょっとな」

「ここがどこだかわかっているのか?」

 まともに相手をしないウマに、若い組員は、さすがに声を荒げた。

「うるせえなあ、昼寝もさしてくんねえのか?」

 玄関先の騒ぎを聞きつけて、ジャージー姿の男が出てきた。

 この土地では、リラックスタイムにはジャージーを着るらしい。

 年齢と言葉遣いから親分だと推察できたが、少し背が足りないな、とトオルは思った。

「おお、やっぱり後藤か。久しぶりだなあ」

 ウマが懐かしそうに話しかけた。

「えっ、あっ、新井の兄貴ですか」

 男は一瞬硬直したが、すぐにウマに飛びつくようにして、両手を握って振りまわした。

「兄貴、来てくれたんだ、来てくれたんだ」

 涙声になっている。

「お前のくれた手紙に、この町の名前が書いてあったろう。似合わない名前だと思って、だから覚えていたんだ」

「親分、こちらどなたですか?」

 ぞんざいに扱わなくて良かったと思ったのか、ほっとした顔で組員が後藤に尋ねた。

「俺の命の恩人だ」

 それだけ答えると後藤はウマを家の中へと案内した。トオルもそれに続いた。


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