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其の伍

 倒れた男は坂崎さかざきといい、民江の上客だという。

 経過を知らせてくれるように電話で頼んでおいた知り合いの看護師によれば、幸い命に別条はないが、四、五日入院することになると言い、なにか毒物を飲まされたようだとも言った。

 電話はその後のコンパニオンの活躍ぶりも伝えた。

「お医者が薬のある場所がわからなくて困ってたんだって。そしたらあの子が、ちょっと龍さんの名取になったんだって」

 民江が目をくるくるさせながら懸命に説明した。

「チオ硫酸ナトリウムですね」

 民江の悲しい間違いを指摘するつもりはなかったが、化学を勉強している人間の性だ。青酸系毒物の中和剤として使われる薬品だ。

「そう、それ。あの子がすぐに場所を見つけたんだって。それにしてもトオルちゃん、あんた何でも良く知ってるわね」

 自信のない話をするとき民江は早口になる。それだけ、正直な女なのだろう。

「毒薬と言うのは青酸カリか何かですね。でも、簡単に入手できる薬品ではありませんよ。紫外線を通さない茶色の瓶に入れて保管しています」

 聞かれる前に説明したほうが早く済みそうだと判断したトオルが、言った。

「それなら、私、見たわよ」

 鼻先にクレマチスを近づけたままで、琴子が言った。

「見たって、琴ちゃん、何を?」

「坂崎の旦那さんのところのバカ養子が、知らない男から茶色の小さな瓶みたいなもの受け取ってたの」

 琴子にバカ呼ばわりされるほどだから、それなりのバカなのだろう、と推察するしかなかった。

 琴子は立ちあがって、時代を感じさせる船箪笥の引き出しから、スーパーのチラシを取り出し、その裏に鉛筆で似顔絵を描き始めた。

 学校の美術の授業で教えられた、デッサンのような筆の運びだ。

「琴ちゃん、うまいね」

 世辞でもなんでもなかった。「見直した」という言葉を、トオルはまた飲み込んだ。

「あたし、美大志望だったの」

 書き上がった絵は、似ているかどうかはわからないが、レベルの高いものだった。

「この子はね、一度見た人間の顔と名前は忘れないの。たったひとつの取り柄なの」

 たったひとつと言いながらも、自分のことのように嬉しそうに、民江が自慢顔になった。

「だったらこの絵を警察に届けたらいいじゃないですか」

 至極当たり前のトオルの意見に、民江は首を振った。

「ここの警察はね、事件があってはいけない警察なの。毎年署長が変わる、昇進の通過のための警察署なのよ。だから、人が死なない限り事件にはしないのよ」

 まして琴子が相手では、と付け加えた。

「だったら、ボクたちで探しましょうよ」

「探すって言ったって、いくら小さい町でも、一万人ぐらいは居るわよ。その中から見つけるの?」

 民江の言うことももっともだ。

 トオルは少し考えてから提案した。

「もうひとり、ここに呼んでもいいですか?探し物のプロというか、その道の達人のような人がいるんですけど」

「構わないわよ、どうせ部屋はたくさん空いているし、でもその人って探偵か何か?」

 女主人が興味津々という顔で聞いた。

「いえ、昔新聞記者をやっていた人で、今はうちの一座の仲間です」

 トオルは、玄関の横の電話で一座の携帯電話に連絡を取った。

 移動の多い一座にとって,携帯電話が唯一の事務所で、その管理は「おりん」に任せられていた。

 おりんは、女子柔道の五輪強化選手に推されながら、何を間違ったか一座に転がり込んできた変わり種だった。もちろん、本名はあるが、その出来事から、オリンピックのおりんと呼ばれていた。

「あっ、ボンさん、久しぶり」

 おりんはトオルのファンだ。

 小躍りしているおりんの姿が目に浮かんだ。

 「ボン」とは一座でのトオルの渾名である。

 ひとしきりおりんの話し相手になってから、トオルは「ウマ」を電話口に出してくれるよう頼んだ。ウマはトオルが交通事故で両親を亡くした小学生の頃に一座に加わった男だ。『ウマ』はもちろん渾名である。

「どうした、ボン。金ならないぞ」

 この男に金の相談だけはしない自信がトオルにはある。

 トオルは事件の大筋を話し、居場所を伝えた。

 列車は乗り過ごしたが、一座の興行先といまトオルのいる場所とは、山ひとつ挟んだ、距離的には近い所だ。

 明日の始発で行くと言って、ウマが電話を切る。ちょっと事件めいたものがあると見過ごせないトオルの性格は、ウマもよく知っている。

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