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其の肆

 朝食を済ませてから、トオルと民江は踊りの打合せをした。

 女形だと自分が目立たないから、トオルに男踊りを押し付けたのは、明日からもこの土地で、芸者として生きていかなければならない、民江にとっては当然のことだ。

 着物は、入院中の箱屋のゲンさんのものを、借りることにした。

 少し幅広だったが、腰紐を使って、なんとか誤魔化せる程度なのは助かった。

 柄が地味なものばかりなのは、ゲンさんがそれなりの年齢だからだろう。

 演歌のCDを流しながらの打合せは、結局は、お互いに合わせるということで、三十分ほどで終わった。

「さすがは役者ね」

 民江は感心してみせたが、トオルは、民江の豹変ともいえる艶っぽさに、舌を巻いていた。

「あんたこそ役者だよ」

 もちろん口には出さなかった。

 夕方になって、トオルと民江、琴子の三人は、徒歩で温泉場に向かった。

 二キロほどの道程を、民江を先頭に琴子、トオルの順で進む。

 しんがりのトオルは、地味な着物を着て、民江の荷物を持たされていた。

 芸者の身の回りの世話をする、箱屋の役どころだが、それは君江にとって、地元の芸者としての大切な見栄であり、若い箱屋を連れて歩くことは、喜びでもあった。

 舞台のある温泉旅館ではすでに宴会が始まっていた。

 踊りの衣装に着替えた民江が、舞台で挨拶する頃には、適度に酒も進み、あちらこちらで笑い声も上がっている。

 数人のコンパニオンも含めて、総勢四十人ほどの酒席だ。

「本日はお声を掛けていただきまして、誠にありがとうございます。本川ほんかわの民江でございます」

 本川とは、民江と琴子が席を置く、置屋の屋号だ。

「それでは舞わせていただきます」

 民江に手招かれたトオルが、下手しもてから舞台に登場し、ふたりが立ち位置を決めた。

 琴子が、宿に備え付けのCDプレーヤーのスタートボタンを押そうとした、そのときだった。

 舞台の正面の一番遠い所に座っている男性客が、「ウッ」と胸のあたりを押さえ、目の前の膳に突っ伏すように崩れ落ちた。

 コンパニオンたちが悲鳴を上げた。

 近くにいた人間は、何があったのかわからず、倒れこんだ男の近くには、ぽっかりと空間が出来た。

 と、ひとりのコンパニオンが、倒れた男のもとに駆け寄った。

「わかりますか?大丈夫ですか?」

 はっきりとした、美しい声だ。

 声をかけながら、脈をとり、頬を口の近くに寄せて、呼吸を確認している。

 一連の動きは無駄がなく、訓練を積んだ人間のそれだった。

 ヒイヒイと苦しそうに息をしている男の背中に手をおいて、

「どなたか、お水をください」

 りんとした声が、宴会場に響いた。

 誰もがすくんでいるとき、素早い動きをみせたのは、琴子だった。

 舞台から飛び降りると、着物の裾の乱れなど気にもとめず、宴会場の隅に置いてあった水割り用のペットボトルをとり、素早くキャップをはずして、コンパニオンに手渡した。

「ありがとうございます」

 受け取ったペットボトルを、男の口元に持っていき、

「飲んでください。ゆっくりでいいですから」

 気道を確保するように、背中に膝をあてて、口の中に水を流し込んだ゜

 琴子は男の首を支えている。

「どなたか、救急車を」

 コンパニオンが叫んだ。

「もう、呼んだわよ」

 民江が携帯電話を帯の間に挟みながら、悠然と答えた。

 救急車が来て、男はストレッチャー乗せられた。

「私も行きます」

 救急隊員に申し出たコンパニオンが、立ち上がったときに、胸のコサージュが落ちた。

 拾い上げた琴子が渡そうとすると、

「差し上げます」

 そう言い残し、倒れた男の表情を覗きこみながら、ストレッチャーに付き添って、宴会場を出ていった。他の客はまだ茫然としていた。

 当然宴会はお流れになり、三人は本川に戻った。

 皆が長火鉢の周りに集まっている。

 琴子が、貰ったコサージュを手に、

「この花、何かな」

 くんくんと、仔犬のように、匂いを嗅いでいる。

「クレマチスですよ。でも、もう花が終わる季節かな」

 当たり前ように言ったトオルを、まじまじと見詰めながら、民江が鼻から長く息をはく。なんなのこの子、どうして花の名前なんか知ってるの?といった意味の呼吸だ。

「それにしても、琴ちゃん、すごい活躍だったね」

 トオルは「見直した」という言葉を、グッと飲み込んだ。

 見直すといことは、それまで評価が低かったことを意味するのだから、使い方に注意が必要な表現なのだ。

「この娘はね、こう見えても女暴走族の親分だったのよ。修羅場には慣れているのよ」

「レディースのヘッド」

 琴子が唇をとがらせて、言い直した。

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