其の参
夕食はあり合わせものが並んだ。女だけの食事は、概して質素なものだ。
トオルを歓迎するための銚子が並べられていたが、いける方ではないトオルは、チビリチビリと、杯の縁を舐めるが精一杯だった。
「おいしいですね、この漬物」
会話に困ったトオルが言う。
田舎で食べ物を褒めてはいけない。
褒められた食べ物は、たちまちにして、褒めた人間の大好物へと昇格してしまうのだ。へたをすると朝昼晩、三食にその料理が食卓に並ぶことになる。
「それはね、燻りガッコ。沢庵の燻製みたいなものよ」
女主人が嬉しそうに説明した。
「到来物だけどね」
燻りガッコ攻めからは逃れられたが、もらいものを意味する『到来物』と、芝居の中でも使われないような懐かしい言葉を、女主人は口にした。
琴子は、トオルにしなだれかかるようにして、銚子を構えている。
胸元の開いたキャミソールと、短すぎるスカートという、安いキャバクラにいそうな格好で、濃いマスカラの奥から上目使いに見られて、対応に困ったトオルは、飲めない酒を舐めるようにしていた。
「琴ちゃん、無理に勧めちゃだめよ」
琴子は、民江の注意を、頭の上数十センチで聞き流した。
「トオルちゃん、あんたお芝居をしてるんですってね。あんたの踊り、お師匠さんもうベタ褒め。歌舞伎の女形でも、なかなかいない踊り手だって。それでさ……」
奇妙な間は、民江が頼み事をするための、変身の儀式のようなものであるらしい。
「あのね、明日、もう一晩泊まっていってほしいの」
上目使いになり、声の調子も猫なで声に変わっている。
「明日ね、温泉場で会合があるの。旅館の旦那衆が集まる親睦会のようなものだけど、そこの舞台が大きいのよ。私一人じゃ、ちょっと間が持たないの」
「私がいるじゃない」
琴子が、頭の上を通った民江の台詞の尻尾を捕まえた。
「なに言ってんのよ、トオルちゃんも見たでしょ、この子の踊り。あれで人前に出せると思う?」
確かに、何かうごめいていたような記憶が、トオルにもあった。
「あんたはね、舞台の前でニコニコしてればいいの」
民江が、とどめをさした。
急ぐ旅ではなかったが、今ひとつ気が乗らなかった。
客席との距離が近いのは、公民館などの舞台でも慣れていたが、酔客の前で踊ったことはない。
「お願い、トオルちゃん」
嫌とは言わせない、民江の目力が怖かった。
その夜、今日のことをいろいろと思い出してみた。
考えれば考えるほど、結局はたいしたことがなかったように思えてくるのだった。
たぶん何事も深くは受け止めない、この土地の人たちの懐の深さなのか、それとも単純さなのか、と考えているうちに自然と眠りに落ちた。