あくまで経験則です
第2章:スピン技のノイ
(サクラは転校先への行き方、またカロム部が存在すること、部室までの通り道を教えてもらった)。
上下左右から歴史がおそいかかってくる学校だわ。また地下に降りるんですか?
もう何度、立ち止まってまわりを確認したかわからない。そのたびにアイナがくれたメモに目を落とす。
本当にきれいな紙だわ。アイナさんの「花に嵐」が左下に印刷されてて、四つに折ると手のひらに収まるサイズになる。和紙みたいな柔らかい、でも毛羽立っていない感触で、折り目がほとんど付かないから、手を広げて待っていると自然に広がってくれて見やすい。
それにこの文字も読みやすい。カフェのオーダー取る大きめの、ゴールドの万年筆かなアレ、立ったままかいてくれたんだよね。黒だけじゃなくてブルー味あるから、背景のペールピンクやライトグリーンの上に乗るとアートじゃねー。
サクラがブルーブラック、という単語を知らないのが残念である。
あれ? サクラは立ち止まり、「クリスタルパレス」を取り出した。かすかに光っている。そして手書きの「カロム部」表示を発見した。
なんとなく足早に行き過ぎる。振り返って、なんていう? こんにちは、はじめまして、あやしい者ではありません、いや違うだろ。
戸が開いて、制服の女の子がこちらを見ている。肩にかかる茶髪は、染めていないとすぐわかる。大きくて頭の良さそうな二つの瞳がサクラをじっと見つめ、笑顔になった。
「入部希望ですか? どうぞ、どうぞ」
サクラはどうも、とか口の中で言って敷居をまたいだ。名にたがわず、センターのテーブルにカロムのボードがセットされている。他にも、壁に立てかけてあるボードがいくつかある。
「ノイ、といいます。みんなそう呼んでくれるから、たまに本名を忘れるときもあって」
「サクラです。転校してきました」
「経験者よね?」と、ノイはサクラの手の中の「クリスタルパレス」に目を向ける。
「ルールとか基本的な感じは。えと、今ここ」と、サクラは左手をあげた。「ちょっとうまく使えなくて。右で打てるようになれますか」
「ケガ?」
ノイさんに聞かれて、あたしは微妙に固まった。
「私は副部長でティーチング担当だから、聞いてね」
さっきの「ケガ」っていうときのノイさんの聞き方、心配そうだった。
「じゃあこれ、打ってみて」
エリアラインの右のはじに「クリスタルパレス」をセットして、同サイド中央のパックをポケットした。
ノイは次にセンターに的玉をセットした。
サクラの「クリスタルパレス」が輝く。左の壁で反射して、なんとかポケットに沈めた。
ノイはパックをボードのポケットから取り出すと、少し考えて、もう一度センターにセットした。
「今度はそちらから打ってみてください」
指示通り、エリアライン左のはじにストライカーを置く。少し体のポジションを左に変えて。うん、成功。まっすぐ行った。ノイさん、なんでなにも言ってくれないの?
「スイングがね」と、ノイが口を開く。「一定していないような」
スイングって?
「ストライカーを打ち出す、この指の動き」と、ノイは手を握り、はなした。「グーを作ってみてください」
はい。
「サクラの好きな宝石はなに?」
呼び捨てうれしい。
「水晶」
クリスタルパレスだし。
「じゃあ、ナチュラルクォーツひとつかみの定額販売があるとイメージして、もう一度」
やったことないけど、看板というかディスプレイは見たことある。ビー玉の小さいサイズくらいの水晶が透明ケースにざらっと入ってるやつ。定額なら、たくさんゲットした方がお得で。
「そのまま打つ!」
え? ええ、右手史上、最高にまっすぐ!
「……名づけて水晶拳」
名づけなくていいです。
「女子ってメイクしたり、髪の毛あみあみしたりするやん」と、ノイは指を動かす。
言い方かわいい。
「『小麦粉ひとつかみ』の握り方。手指をそろえて第二関節を曲げる。親指は人差し指の横をカバーしているわね。でもさっきはちがう動きだった。思い出して」
サクラは右手に目を落とす。クォーツをたくさんゲットしたくて、親指と小指を広げた「パー」にして、そうだ、指の付け根から閉じるように動かしたよ。
ノイはストライカーを自陣中央にセットし、まっすぐ対面の壁に強く打った。反射して右斜め前に返ってくる。
「サクラ、まっすぐ打ったらまっすぐ返ってくる……、と思うでしょ。でもそうじゃないのは、スピンがかかってるから。ストライカーはね」と、ノイは左手にストライカーを乗せた。「こう、左回りにぐるぐる回転しながら進んでいるの」
へーっ。
「『指を曲げ、伸ばしてストライカーを押し出す』のではなく」と、ノイはストライカーをボード上に戻す。「『留め指で打ち指を留めてしならせ、そのしなりでストライカーを加速する』。『その加速は、初期は第三関節を前方方向に伸ばすことで直線的におこなわれるが、続いて第二および第一関節にシームレスにつながる動きの上で、ストライカーは回転させられる』。」
ノイの打ったストライカーはパックに当たった地点にピタリと止まり、打たれたパックは弾かれたようにポケットに直進した。
あたしだったら、とサクラは思った。ストライカーさんがあっちに飛んでいったりする。あんなキレイに絶対いかない。
「ということは」と、ノイはパックとストライカーを戻しながら言った。「まず第三関節、つまり指の付け根がねらった進行方向に解放され、続いて、進行方向とは違う、斜め右に開く指運びがストライカーをスピンさせる。ホウキで空き缶を転がそうとするとき、ホウキの柄の回転とは別に、ホウキの穂先も回転して空き缶を押し続ける。だとしたら」
だとしたら?
「水晶拳」
ノイやめて。
「水晶をゲットするために精一杯指先を伸ばし、最後に指の根元を曲げたんやね。ということは、そこから開くのが理」
あ、ああっ!
「小麦粉をつかむ時とはちがって、指と手の平との間にもすき間があったし、親指も比較的まっすぐだったでしょう」
うん。
「水晶じゃなくて、ミニキャンデーのつかみ取りでもいいわ。最後にぽろぽろこぼしてもいいから、手を大きく広げて」
ぽろぽろ。思い出。
「最初に第二関節を曲げると、打つときに『ひっかく動き・リバース』になっちゃう」
そうか!
「まっすぐ伸ばして打つ、で勝つ人もたくさんいるから間違いではない。決して」と、ノイは言った。「ただ、スピンショットにはメリットがあるの」
ノイはサクラのエリアの中央右にパックを置いた。自陣エリアの右端にストライカーをセットして、打って落とす。
続いてサクラから見てやや左、ノイからは右の位置に置いて打つ。成功して、またストライカーの位置を的玉に近づけて打つ。いくどか続けて、ついに外した。
「曲がったの、分かってくれた?」と、ノイはストライカーを手にしながら言った。
最後のは、直角の半分くらい曲がってたような。
「右打ちだと」と、ノイは言った。「左へ、左へとまわりながらストライカーは進みます。だから左に曲げたいときは、的玉のセンターより右に当たった瞬間、左に押して左に行ってくれるし、右端ぎりぎりに当てられれば、45度近く曲がってくれるの」
まわりながら……。進んでいく。
「こんどはこっちから」と、ノイは的玉をサクラの左に、ストライカーをエリアライン左端にセットした。
さっきと同じようにストライカーを置く位置を変えていくが、今度は3回目で失敗した。
「ストライカーが左に回っているから、ヒットしたときにパックが逃げちゃう。だから右に曲げるときは、かなり左に当てないとだめ。そんで外すかも、って思っちゃうと外す」
わ、わかる。
「スピンオフ、じゃないわ、それだと『ヒロアカ』(*章注)とかになっちゃう。オフスピン得意な子もいるけど、あたしが得意なのはスピンなの」
「そもそも、どうしてスピンする?」
「プロ野球のピッチャーさんだって、足を上げて、肩とヒジと手首を回して、ボールをはなしてる。こんな説明でいい?」
ナイターとか高校野球とか、ときどきアニメの放送をつぶすから敵なんですけど、と、サクラは思い、右手に目をやった。そうか! このみっつの関節が肩やヒジ。あたしがボール投げるとどこ行くかわかんないけど、ピッチャーさんのボールはちゃんと届いてる。曲げたり、伸ばしたりする順番だとかタイミングが大事なんだ……。たぶん。
「サクラ、『センター外し』の練習」と、ノイは言った。「的玉のセンターとストライカーのセンターを合わせる『センター合わせ』よりは使うことないけど、知らないと落とせなくなっちゃう」
ノイはサクラの「クリスタルパレス」をエリアラインの右端ぎりぎりに置き、パックをセンタースポット後方にセットした。
よし、やろう。サクラはボードに近づいて構えた。
「ちょ、ストップ」と、ノイから声がかかる。「なんでネコ背?」
あ。教えてくれるのがうれしくて、頑張ろうと思って今、前に歩いちゃった。
「女の子は『近ければ強い』と思い込みがち」と、ノイは言った。「でもそんなことはなくて、自分で自分を窮屈にしてるだけ。だと思うわ」
ボードに近づきすぎたら、ネコ背になるっすね。
「的玉に当てる位置と、ストライカーとは一直線」と、ノイは言った。「カーブするストライカーなんて見たことないわ……。その直線上に打ち指はあるはず」
ねらうパックの位置に合わせて、あたしの方が立つとこ変えるんだ。あたしの方が。
「留め指で打ち指をしならせる、のよ。だから打ち指に力をためる、『パワーチャージ』がいる。具体的には、中指を強く押す過程が必要」と、ノイは言った。「そのためには、ヒジが伸びていた方がいい」
なぜ?
「イセタンの正面の大きなガラス戸を開けるとき、あなたはどうする?」
こうやってつかんで、腕を伸ばして体重をかけて。ん?
「腕の筋肉は肩までではなく、実は背中の肩甲骨あたりまでつながっている、たぶん」
たぶんかよ。
「バレーでもバドミントンでも、背中から腕をまわしてる」
そうね。
「なら、ヒジが伸びるよう、腕の長さほど離れて。一打ごとに、立ち位置は変わるわ」
「的玉の位置次第でストライカーを置く位置は変わって、そのたびにストライカーを打ち出すベストの位置に移動しなくちゃいけない……」
「そうなのよサクラ、だからね」
あれ、なにか聞こえる? ノイは言葉を切って、腕時計型のストライカーホールドからマイストライカーを取り出した。「メメント・モリ(注)」とうっすら読めた。
「友達だわ!」と、ノイは両手ではさんでうれしそうに言う。「もうすぐ来るのは、ジーちゃんか、先輩か、部長の……」
言い終える前に戸が開いた。
「ジーノ!」
(注):漫画「ぼくのヒーローアカデミア」(堀越耕平)の略。彼女は少年マンガに造詣が深いようだが、ひょっとして腐女子なんだろうか。
(注)メメント・モリ:ラテン語。「死を思え」。収穫用の大鎌を持った骸骨のデザインである。小麦などを刈り取るように、人間の寿命を定める死神のイメージと思われる。