6話 歪んだ過去のこと 中編
回想は長くて字がゴチャゴチャですが、
多めに見てください。
わたしとお兄ちゃんは、「父さん」と血が繋がってない。
父さんは二人目の父さん。
本当の父さんは、小さい頃に心臓の病気で死んでしまった。
お兄ちゃんが6歳で、千尋は3歳の時。
お兄ちゃんもわたしもその時をあまり覚えていない。
けど、
父さんの匂いや、仕草や、笑い方なんかはハッキリ覚えている。
渇いた匂い。
困ったときに前髪を触るクセ。
眉毛を下げて、情けなく笑うとこ。
「おかしいよな、なんか。」
お兄ちゃんは何年か前、突然わたしの部屋に来て、
ぼうっとそう言っていた。
なにが、と訊いてみると頼りなく笑った。
頭の隅っこのさらに隅っこにある、父さんの笑顔にそっくりで。
くすぐったい、変な気持ちになった。
「だってオレら、顔もあんま覚えてねぇだろう。
なのに色んな変なとこ覚えてるよな。
・・・なぁ、母さん再婚すると思う、ちぃ?」
天井に目を向けて、お兄ちゃんは言った。
「うぅん、分かんないなぁ。するんじゃないかな。」
あまりにも適当な返事だと思う。
けれどお兄ちゃんは、そうかもな、と言ってた。
「確かに、ありえるかも。
・・・お前うまくやっていけるかぁ?
オレと違って、順応性が無いもんな。」
「そっくりそのまま返せるんだけど?」
ははっ、と明るく笑ってお兄ちゃんは自分の部屋に帰ってった。
あの時、何かお兄ちゃんなりに考えてることがあったかもしれない。
けれど考えなしのわたしは、そんなこと気づかなかった。
それから、ちょうど二ヵ月後。
母さんが再婚すると言った。
反対ではない。
新しい父さんはむしろ、千尋たち兄妹にとって好ましいものだった。
優しくて静かで、そうだ、笑い方が父さんそっくり。
平凡で楽しくて、新たに形づくられた家庭。
意外とすぐに打ち解けた、
ように見えた。
けれど、
母さんが入院して、家に居なくなり、何日か後。
再婚してからさらに一ヶ月たった、6月のはじめ。
学校から早く帰ってきた日。
その日、父さんの仕事は休みだった。
「ただいまぁ」
がらがら、と勝手口を開けたとき。
熱気に近い、むわっとした空気に違和感を感じた。
酒の臭いだった。
いるだけで酔っ払いそうな濃い空気。
「お、おかえりぃ。」
父さんが飲んでいる。
わたしは、目を疑うのである。
優しい弱々しい頼りない父さんが酒を飲んでおることに。
ビールの缶を何本も空けて、さらに焼酎も開いている。
デジャヴ。
母さんが轢かれたときと、同じ感じ。
視界が不意に歪んで見える。
「父さんどうしたの。こんなに飲んだら体に悪いよ。」
父さんは上機嫌に鼻歌なんか歌っていた。
「ねぇ、父さん?」
プシッ。
「ねぇ、そろそろ止めとかないと。」
ゴグッゴグッゴグッ。
「体壊しちゃうって。」
プハーッ!
「・・・ねぇってば、父さん、」
「うっせぇ!!」
さっき飲み干したビールの缶が千尋めがけて飛んできた。
ガツッ。
頭に当たった。
思っていたほどではなかったものの、やはり痛いことには変わりない。
むしろ中途半端な痛みが、増幅させた。
恐怖。
こわい。
コワイ。
怖い。
「んだよ、文句あるか?」
完全に、目がすわっていた。
怖い。
ぎろりと睨み付けられ、体中に寒いものが走る。
何より認めたくない。
父さんは優しいのだ。
でも、内側を見た。
なんて哀しいんだろう。
なにも慰めることなんて言えなかった。
「お前は似てんだよ、穂波に。」
ほなみ。
母さんの名前だった。
「母さんに?」
「似てるから」
父さんは千尋の腕を掴んだ。
「いッ!」
痛い。
力の限り握られた腕は、筋肉が潰れるような感覚。
それ以上に骨が折れてしまいそうだった。
涙は出ない。
恐怖。
恐怖のせいで涙は出なかった。
「似てるから怖いんだよ。」
「・・・こわい?」
父さんは小さな声で怖いと言い、力をゆるめた。
威圧感が無くなる。
ちらりと見た父さんの顔は、なんでか、泣きそうに笑ってた。
「ごめん。ごめんな、ごめん、ごめん。
ほんとは、手なんて上げたくないよ。
だから酒飲んだんだ。あの人がまた、離れてくんじゃないかって。
もう、・・・・。」
ごとん。
父さんの頭が不意に畳の上に崩れこむ。
寝たみたいだった。
謝ってくれた。
けど、逆効果のような気がする。
頭がグラグラして、ろくな思考ができない。
体の方は痛みに恐怖を覚え、そしてそれがありありと頭に伝わる。
『父さん』。
怖い。
足ががくがくして、頭がくらくらして。
考えるのも怖い。
父さんのことが怖い。
たった1回、頭を打ち、腕をぎゅっと掴まれたくらいなのに。
なんでだろう。
まだ続く、とそんな予感がした。
父さんに酔ったときの記憶は残ってなかった。
完全に酒に飲まれるタイプ。
記憶に残ってなくとも、体にはアザが出来上がった。
ずきずきと痛んで、蝕んでいく。
そして、2日経った日。
今度はたくさん殴られて、流石にかなり痛んだ。
内出血したところもあった。
ぶれたスタンプのようなアザがいくつもできた。
腫れるしなにより、目立つところだった。
けれど。
父さんは覚えてない。
優しく笑ってくれるし、普段は暴力なんて振るうことは無い。
けど、けれど・・・。
それを我慢するたびに削がれていく千尋の心。
きつい。
覚えてないなんて、身勝手。
鬼のような顔をして殴りつけるのに。
仏のような顔をして笑うなんて。
だからどうしようもなかった。
絵梨ちゃんにも、キョウちゃんにも、ナツにも、ユーリにも、
お兄ちゃんにも母さんにも、
誰にも、言えなかった。
そんなのに、母さんは知らないから。
屈託の無い笑みを浮かべて、父さんからの贈り物を可愛がる。
それがとてもとても哀しくてしょうがなかった。