5話 歪んだ過去のこと 前編
千尋側の回想。
あの頃、と言うのは、わたしにとっての嘆きの時。
目の前のことすべてがモノクロ。
かといって中のことはカラーなのかと言うと、モノクロ。
中一の6月。
いつもみたく学校が終わって、空を見上げながら帰っていた。
その日はやけに上機嫌。
好きな人とたくさん話せたから。
背の小さかった彼は、もうわたしを見下ろしていて。
なのに声変わりしてない声が細くて綺麗と思った。
おかしいの。とても可愛いかった。
髪で隠してしまえる小振りなイヤホンからは、
これまた好きなバンドの好きな歌。
『愛してるという声が、泣いているように聞こえた。
こころがいつか嘘を、吐くのをボクは何処かで 知っていたの?』
綺麗な声が好き。
ギターやドラムの音が好き。
共感できる歌詞が好き。
優しい感じが好き。
口ずさむ。
メロディ。
音符と音符。
上機嫌。
足取り。
軽い。
上機嫌。
けれど、モノクロ。
白と黒。
一人でいる時と、皆と一緒の時って、やっぱさ。
テンション違うから。
普段はギャーギャー言う役だけど、今は一人だから。
一人の時って落ち着いて、静かな、・・・秋みたいな感じでいたいの。
晩秋の空気、みたいに。
だから、浮かれてても白と黒。
それはこころの中だけ。
こころの中で、ぎゅうって、思う存分独り占めしたいから。
できるだけ嬉しいのは顔に出したくない。
変かな?
変だな。
自分でも分かる。けど、それがわたし。
仕方ない。
浮かれて帰る道。
今日は一人でぶらぶらゆっくり歩いて。
頼りなさ気な、日の沈んだ空。
浮かれ、浮かれて、上機嫌。
不意に、・・・歪む景色。
大型トラック・そして、母の姿。
母はママチャリにまたがって、恐らく買い物に出かける様子だ。
その真後ろから、大型トラックはやって来た。
失速する様子もなく、ただただスピードは増すばかり。
日の沈んだほうへ向かって行く母は、まだ、気づかない。
血の気が一気に引く。
ざぁっと音がするくらいに、頭が働かなくなりそうだった。
けれど、「死」の単語を浮かべた途端にハッとする。
「母さんよけて!!」
母は振り返る。
若作りな母の顔の一部、瞳が大きく見開かれる。
恐怖。
こわい。
コワイ。
怖い。
わたしも、母も、同じ気持ちだっただろう。
『神様』
わたしはそんなに信心深いもんじゃない。
キリストか仏教かと聞かれると仏教だけど、それとは関係ない。
そういう神観念が好きじゃないから。
だけど人が最後に泣きつくのは、やっぱり神様だった。
人の勝手な思い込みで疎まれ、憎まれ、薄れようとも。
最後に泣きつく場所を作ってくれてるように思える。
わたしにとっての神様。
信じちゃいない。期待もしてない。
けど、もし願えるなら・・・・
母は、轢かれた。
だけど、とてもとても運が良いことに死に至ることは無かった。
骨折。右手と、左足。
「バランスとって折れたねぇ」
病院のベッドにねている母に、すこし嫌味を言ってみる。
ほんとはとてもほっとしたのに。
「ふふ、千尋?」
小さく笑って、不意に千尋の方を見る。
いくら若作りだからと言えど、齢には抗えない。
目じりに現れたシワも、頬の丸みが感じられる線も、
すこしずつ蝕むように増えていくんだろう。
「うん?」
「舐めて貰っちゃあ、困るよ。母さんこんくらいじゃ死なないもの。」
左手でピース。
満面の笑みにまた、ほっとした。
「父さんも、昨日来てくれたのよ。」
とうさん。
「・・・そう、良かったね。
やぁ〜、なんか愛されてて良いね。
お兄ちゃんも、父さんもわたしも、毎日毎日来てるよ?」
「そうよ、皆来てくれるの。コレなんて、ほら。」
母は嬉しそうに枕の隣に置かれたモノを指差す。
それは可愛いくまのぬいぐるみだった。
首に大きな赤いリボンをした、茶色いくま。
「父さんがね、・・・持って来てくれたの。
わたしだって子どもじゃないのにね、笑えちゃうでしょう?」
「・・・そう。」
父さんが、と母はくすぐったい表情をする。
あえてけなしてる言い方をしていたが。
愛し合うふたりが、哀しかった。
だってもうわたしは、
「父さん」、と呼べそうに無い、から。