42話 師匠
今日は泊まることになったルイとフィーリアがソファーで寝息を立てている。
夜も更けた頃、月明かりを頼りにことりはバルコニーへと抜けだしていた。
母のこと、ドロウのこと……そしてクウのこと。
色々な想いが巡って火照る身体には、冷たい夜の風がとても心地よかった。
「あまり夜風に当たると風邪を引くぞい」
「御館様。お仕事は?」
「ちょいとサボりに来ただけじゃ。義娘のことも心配じゃし」
そしてことりは師と並んで空に浮かぶ地球を眺める。
「話はきいたぞ。クウ坊に三行半をつきつけられたらしいのう」
「そんなこと……いえ、多分そうなんでしょうね」
師の問いかけに搾り出せたのは力のない返事と乾いた笑いだ。
「クウさんに何も言い出せなかった自分が……まるで自分じゃないようで。私……」
震えながら、バルコニーの手すりをすがりつくように強く握った。
言葉を紡げなかった後悔が彼への後ろめたさになり、ひどく落ち着かない。
だからことりは、まるで懺悔をするようにテンに胸中を打ち明ける。
「マジティアに出てマジティアージュになる。そしてイヴレコードで願いを叶える。
そうすれば皆を笑顔にする最高の魔法使いになれる……と思っていました」
何故ならばことりは信じていたからだ。
魔法は皆を幸せにする為に生まれてきたという母の教えを。
この言葉があったから今日までことりは挫けずに頑張ってこられたのだ。
けれど知ってしまった――この力のもう一つの側面を。
「でもドロウさんの記憶で視た世界では……魔法は全く別のものだったんです」
人を欺き、命を奪う。ドロドロとした闇の世界で人々を不幸にしていく道具。
魔法によって姉を失い、自身の身も汚し、そして尊敬する師すらも奪われる。
ドロウのかつて体験した惨劇が、少女の信じるものを否定する。
「今まで幸せだと感じていたものが、もしかすると偽物なのかもしれないと思ってしまって……
そうしたら、何もかもが急に怖くなってクウさんに何も言えなかった」
でもそれは違うのだ。そして違うと伝えなければいけなかったのだ。
なぜなら彼女は知っている――
「でもそんなことないのに。クウさんの魔法のおかげで、ルイさんのミニオンになって、フィーリアさんと空を飛んで、私はいっぱい幸せな気持ちになれたのに!
そしてこれからも、マジティアでもっともっと幸せな気持ちを感じていたいのに!」
クウの魔法がくれたものは、自分にとって大切なものばかりだ。
ドロウの過去を経ても――魔法の別の顔を知っても、それは決して変わらない。
なのに自分は臆してしまった。
伝えるべき言葉はちゃんとあったはずなのに――
「クウさんの力は私を傷つけたりなんてしません。クウさんは馬鹿です!
そしてそれを一瞬でも疑ってしまった私はもっと大馬鹿者です!」
言い終えると同時に、ことりは師の胸にしがみつき咽び泣いた。
彼に届け損ねた想いは、今頃になって悲壮な雫となり頬を零れ落ちていく。
「ごめんなさい。ごめんなさい」と自分でも誰に向けているのかわからぬ言葉と、抑えきれない泣き声をテンの体に預けて、少女は枯れ果てるまで涙を流し続けた。
そしてテラスの扉の向こうでは、ジャージ姿の人影がずっと己の掌を見つめていた。
薄光する地球の下で、全ての感情を吐露し終えて鼻をすする愛義娘。
テンはそんな彼女の冷えた肩へ薄手のカーディガンをかけると、
「自分の力で他人が傷つく。それはクウ坊のトラウマじゃからのう」
遠くを見つめ、「お主は知っておくべきじゃ」と前置きして語り始める。
クウは四年前、ルイと遊んでいる時にある魔術組織に攫われたらしい。
その組織の規模はかなり大きく。ミックスリードとワーズワールド、ダブルデルタズの二人が手を組まねばならないと判断する程の強敵だったそうだ。
ドロウも救出作戦に参加しており、マナホルダーのことを知ったのはこの時だ。
「じゃが当時、救出に駆けつけた時にはすでに組織はなくなっておった」
「どういうことですか?」
「言葉のままじゃ。組織は一人残らず全滅しておったのじゃ」
原因は味方同士の殺し合い。
ドロウ達が到着した現場は、死屍累々という言葉がぴったりな状態だったらしい。
クウのギフトを求め、欲望のままに魔術師達は組織内で命を奪いあったのだ。
「そしてクウ坊は囚われた独房の中で、醜い殺し合いを目の当たりにしておった。
当時のあやつの魔術への絶望はそりゃあ見るも耐えんかったわい」
「―――っ」
「じゃから、その心の傷が癒えるまでワシはあやつを屋敷で匿おうと決めたんじゃ。
例え、何年かかろうとのう」
ルイが昔話をした時の態度を思い出す。クウはこのことを知られたくなかったのだ。
そして魔法使い達の悪意からことりを遠ざけるために、彼は自ら身を引いたのだ。
様々な真実を知り――理解する。
すると、ことりの胸にはある疑問が生まれていた。
「魔法で辛い経験をした人たちにとって、魔法で皆を笑顔にするという私の夢は――
もしかしてとても迷惑なことなのでしょうか……」
クウは不関を、ドロウは復讐を――
全く異なる二人なのに出した答えの根幹は同じ――魔法の力の拒絶だ。
魔法を拒絶する人達を、魔法で幸せにするというのはとても矛盾している。
「それはワシがここで答えても何も解決せんよ。言霊と同じで、ただ形だけ与えられた答えなど、何の意味もない。少なくとも今のお主にとってはのう」
弟子への返答は、師匠からの朗らかな笑みだ。
「魔法使いのまゆたまも、人と人とのつながりも、結局は同じじゃ。触れ合うことでしか前には進まん。じゃから焦らず畏れず、一つ一つ答えを出してゆきなさい。人生は長い、時には迷うこともある。じゃが、おぬし達は二人で一人の魔法使いなんじゃろ」
老人は知っている。自分の義娘には前に進める『勇気』があると。
「いつでも話し合いなさい、二人でのう。ワシの目の黒いうちは嫁になんぞ出す気はさらさらないが、お主とクウ坊がとっても仲良しさんなのはワシも知っておる。今は互いに傷つけ合うことに恐れをなしとるが、いつものように向き合えば必ず解決できるわい」
だからテンはこの幼い背中を未来へと送り出すことが出来る。
この子なら、いつか必ずその答えにたどり着けると信じているから――
「それにクウ坊はワシの予想よりも早く自らの足で立ち上がった。
お主に自分の力を託すためにのう。それもこれも全ては―――」
言いかけて、老人はごほんと咳払いをする。
「ここから先は、ワシが言うのも野暮じゃのう。自分で確かめなさい」
そしていつものように豪快に笑い、ことりの頭を快活に撫で回した。
大きな掌に振り回さていると、ことりは穏やかな気持ちに満たされる。
胸にぽっかりと空いた穴に、パチッとパズルのピースがはまる音がしていた。
今すぐクウと話したい。
そうして駆け出した少女へ、テンはあることを言い残した。
「お主には教えておこう。明日、確実にドロウはテラソフィア内部に現れるじゃろう」
元々、研究所で使用していた再封印の術を作ったのはミックスリードなのだ。彼女は逆に封印の解き方も熟知しており、すでに手段は目星がついているらしい。
「だからあとはタイミングの問題じゃ。もちろん警備は強化するが、変身宝具は見破るのが難しい……最悪の場合はテラソフィアごと封印処理するよう指示がきとる」
「それって――それじゃあ中の魔法使いさんたちは!?」
「魔物と一緒に封印することになるじゃろうな」
「そんな……五十名近くの方がいらっしゃるんですよ!」
「逆じゃ。たったそれだけの犠牲で、全てを終わらせることができる」
地球照の逆光で、テンの表情は見えない。
「まあ、万が一の場合じゃよ。ただの老人の独り言じゃと思っておけばええ」
いつものように愉快痛快と笑っているのか。それとも――
「しかし……己の大事なものを奪ったものに惑わされ、利用されるとは悲しい男じゃ。
いや、それだけ純粋に信じておったからこそなのかもしれんのう」
老人の最後の呟きは、静まり返ったバルコニーでひっそりと漂っていた。




