39話 ドロウ・フォバー
これは夢だ。でも……夢じゃない。ことりはそれを理解している。
ゆりかごのような心地よさの中で、いつもよりも明確にこれが夢であることを理解している。
これはそう、あの人から流れ込んできた夢だ。
なんてことはない糞みたいなスラムの片隅で私たち――いや俺達、姉弟は暮らしていた。
両親なんてものはいないのが当たり前。毎日ごみための残飯を漁るだけの生活の中で、唯一姉が笑顔を見せたのが拾ったマナストアで魔法を見せたときだった。
ただ光るだけの子供だまし。正直、その辺のガラス玉を磨いたほうが見栄えはいい。
けれど喜ぶ姉の顔が視たくて魔法にのめり込んだ俺も、結局ガキだったのだろう。
ある日、姉が死んだ。どこかの魔術結社のイカれた魔法使いの流れ弾にあたって。
我を忘れて、俺はそいつを殴った。殴って、殴って、殴って、殴り殺した。
そしてそいつに敵対する組織に拾われた。不幸なことに俺には魔術の才能があったのだ。
だが姉の為に覚えた力を、姉を殺した魔法使いの為に使う。
矛盾したその生き方が、俺から簡単に人間味を奪っていった。
この頃から俺は強烈な違和感に襲われるようになる。
何かが違う。何かを忘れている。その事実に気付きながらも魔法で命を奪い続けた。
ある時、なぜかスラムの瓦礫で姉と一緒に眺めた魔法の光を思い出した。
お世辞にも綺麗とは呼べぬ輝きが妙に気になって……
いつの間にか、その思い出にふけるのが唯一の趣味になっていた。
そして時が過ぎ、魔術の闇に嗚咽を感じなくなったころ、月面行きの指令がでた。
今度の相手はミックスリード。奴からあるものを奪うことが俺の任務だ。
所詮は表の魔法使い。裏社会でのしあがった俺の敵ではない。
瞬殺だった。とんだ化け物だ、この女。
一矢報いて腕に傷をつけたのが、たいそうお気に召したらしい。昆虫をいじり殺す子供の様に、じわじわと俺を嬲り刻んでいく。
このまま死を待つだけなら、いっそのこと自分で――
「ちょっと待って、お――じゃなかったミックスリード様」
そんな時、ほわほわとした声の女が俺達に割って入った。
「魔法使いなんだから、ちゃんとマジティアで決着をつけなきゃ」
何を言っているのだ、この女は。俺は本気でそう思ったし、心の底から見下した。
殺るか、殺られるか、この世界の真実は結局そこに集約される。
まゆたまを鍛える儀式など、死を待つだけの俺にはそもそもする意味すらない。
「それじゃあ、私に勝てたら逃がしてあげるね!」
そしてその女と戦うことになった。何故だ。わけがわからない。
周りの人間も止めることなく、むしろ煽っている。しかも楽しそうに。
どうみてもただの研究所の職員にしか見えないこの女に、何か秘密でもあるのか。
答えを知る為に、そして生き残る為に、俺は迷わず武器を構えた。
数秒後、黒焦げでアフロ頭になった女が目の前で転がっていた。
俺は何もしていない。勝手に爆発した。
「……三回勝負だもん」
プルプルと泣きそうな顔で女は続けた。何度も何度も俺達は魔法をぶつけあう。
すると――変化が起きた。女の力が少しずつ強くなるのだ。
過去にも、こういうタイプはいた。スロースターターは終盤に気持ちが乗ると爆発的に強くなるから厄介だ。だが――変化はそれだけではない。
一撃、一撃が弾けるごとに、何かが……俺の中に流れ込んでくる。
この女の暖かい何かが俺の凍った心を照らして、溶かし流していく。
女はそれを持っていた。俺の無くした何かを持っていたのだ。
「わかるよ。あなたの魔法を通して、あなたの本当の願いが……」
女の笑った顔が、俺の中で誰かと重なる。
もう失ったはずの、あの頃の想いと重なる。
わかってしまった。そして、わかられてしまった。
まゆたまから溢れ出てくるあの頃の無垢な気持ちと陽だまりのように暖かな記憶。
いつの間にか違えてしまった道が、あの日姉と眺めた魔法の光に照らされ気付く。
俺が魔法で本当にしたかったこと。
それは騙すことでも、奪うことでも、ましてや殺すことでもない。
俺は――この力で姉に笑っていて欲しかっただけなんだ。
今の自分と本当の想い。あまりにもかけ離れた二つを前に俺は戦意を失う。
自然と下げた銃口が、俺の負けを告げていた。
「うん、でもマジティアの決着はちゃんとつけなきゃね」
涙でズタボロの顔を間抜けに上げれば、真っ赤な閃光が視界を埋め尽す。
そしてその日一番の衝撃によって額に十字の傷を与えられ、俺は意識を失った。
あの紅い光の中で、女に頬をおもいっきりぶたれた気がした。
なんだかよくわからないが、俺の身柄はこの国で預かることになったらしい。
スパイにきたやつをそのまま雇うなんて聞いたことがない。
この国は根本的に頭がおかしい。そう伝えると「良い国でしょ」と女は笑っていた。
名前で呼ぶように言われたが、なんだか悔しいので先生と呼ぶことにした。
魔法は下手糞だし、行動も間が抜けているし、イケメンに声をかけられるとフラフラと付いて行ってしまう。完璧とは程遠い女を、俺はなぜか先生と呼ぶのが正しい気がした。
先生は子持ちの未亡人だった。
「私と同じギフトを受け継いだせいで、あの子は大勢の人と関わる所へはいけないの」
人の想いを受信するギフトを持つ幼子が、フロアを駆け回っていた。
先日も、特殊なギフトを持ったせいで魔術に絶望した少年を見たばかりだ。
俺の視ている世界はあまり子供に見せて良いものじゃない。
「それじゃあ、ドロウ君はこれからこの国でいっぱい笑顔になってね。
それでいつか楽しい思い出をあの子にみせてあげて!」
そんなこと出来るわけないだろう。だがそんな時、必ず先生はこう笑う。
「大丈夫。魔法はあなたを幸せにする為に生まれてきたんだから」
先生のことは嫌いじゃない。ミックスリードは人を散々パシらせるが、殺す程ではない。
なれなれしいこの研究所のやつらも、それなりに気に入ってはいる。
この国にいると、いつの間にか大切なものが増えていて不思議と心地よかった。
それが魔法のおかげだというのなら、先生の言葉も……俺は好きだ。
けれど、俺は奪われた。
駆けつけた時には全てが終わっていた。師も、友も全て食われた。
「お母さん、お母さぁぁん」
異界の穴へと吸い込まれる先生を救えず。ただ唯一生き残った女の子を抱えて、俺は逃げることしか出来なかった。必死に頭で否定するが、現実は非情だった。
そして、俺がこの国で得た大切なものは一瞬で無に帰した。
気絶した少女を置き去りに、俺はあてもなく何もなくなった大地をさ迷い歩いた。
何が起こった。何が原因だ。何が悪い。そして俺は何に怒りをぶつければ良い。
咆哮が、風を切り裂き……そして声が聞こえる。
「捧げよ……」
頭に響くその声が、俺に復讐する力を与えると伝える。
「我にまゆたまを捧げよ」
脳裏に先生の言葉がよぎった。
魔法は皆を幸せにするために生まれてきた。と優しく説くあの顔と一緒に。
「数多なる極上のまゆたまを捧げよ」
声が俺の頭の隅々まで響き、生まれ変わったような天啓を得る。
魔法は人々を幸せにするために生まれてきた。
否、先生はその言葉に裏切られた。その魔法に裏切られた。
「さすれば汝の願いを叶えよう」
だから俺はそれを証明しなければならない。
俺から先生を奪った魔法が、本当は皆を幸せにするはずがないと、人々を欺いている罪を暴かねばならない。
魔法が憎い。
その上にのうのうと生きるこの国が憎い。
先生を奪ったこの世界が憎い。
だから俺は手を伸ばす。目の前の悪魔に身を委ね、全てに復讐する為に。
聞こえているか、見ているか。俺の魂を感じているか先生の娘よ。
俺の名はドロウ・フォバー。
誰もが目を背ける魔の罪を白日に晒す――
復讐者にして証明者だ。




