37話 蹂躙の刻
突然、尻餅をつき、大地が背に強く当たる。状況も、理由も何もわからない。
ただ――反射的に視界に入った者の名前をことりは唱えた。
「クウ……さん……?」
「動けるか? さっさと逃げるぞ!」
銃の引き金が引かれる刹那、クウが婚姻届の力でことりを転ばせたのだ。
おかげで弾は空を切り、雑木林へと消えていた。
ドロウはクウの顔を見て、忌々しそうに舌を鳴らす。
「……やはりマナホルダーの小僧が関わっていたか」
呪わしい憎しみと暴力的な怒りの感情が、まっすぐにことり達へ向けられた。
張り裂けるような殺気が周囲に漂い、生まれた恐れに身がすくむ。
さらに銃という非日常の存在が芽生えた感情を加速させ、ことりの唇が蒼ざめる。
全身からは汗が吹き出し、目の前の現実を受け入れられずにいた。
「お、お兄さん……どうして」
「言っただろう。魔法が憎い――ただそれだけだ。そして魔法への復讐の為には……貴様達の力が邪魔だ。だからここでその力を刈り取らせてもらう」
傍に駆け寄るクウに縋りつき、ことりは言葉を失っていた。
イナク体ではない、生身での命の危機。
空を飛んでいた時に感じたものとは明らかに異質な身の毛のよだつ感情。
それは少女が生まれて初めて体験する本物の――『恐怖』だった。
体の芯から底冷えし、ガタガタと震る。全身の血が凍ったような感覚に襲われ、手足を自由に動かすことすらもままならない。自分の吐く息ですら今は気持ち悪い。
動けぬことりに向けて、かちゃり。と撃鉄が再び引かれる。
もうだめだ。そう悟り、ことりは目をつぶり、クウは少女に覆いかぶさった。
そしてドロウが引き金を引いた瞬間――
「うち砕け、祈祷拳! 大丈夫か、蒼井君、旦那君」
輝く右拳が弾丸の魔法を相殺し、『ザ・ナックル』バル・ホーマーが立ちはだかった。
「状況はわからんが、俺の友人達に危害を加えることは許さん!」
「解呪師バル・ホーマーか。ちょうどよかった……」
卑しい笑いを浮かべるドロウへ、バルは間髪入れずに飛び込んだ。
相手の獲物は銃だ。距離が開いた時点で、徒手のバルは詰んでしまう。
故に二撃目を放とうとするドロウの懐に一足飛びに踏み込み、強烈なアッパーを放つ。
突き上げた拳は構えた銃を見事に消し去った。男の銃は『魔道の杖』、つまり魔力で生まれた魔法銃であることをバルは見抜いて先手を打ったのだ。
どんな術師でも魔導の杖を失えば魔力のコントロールが難しくなるのは常識だ。
勝った。そう確信するバルの腹部で、かちゃりと撃鉄を起こす音が鳴った。
「狙いはいい。だが残念なことに、俺は二丁使いだ」
「しまっ―――!?」
逆手の銃口から衝撃波が放たれ、バルの体が大きく吹き飛ぶ。
宙を舞った体は受け止めた公園のベンチを破壊し、金網のフェンスへめり込んだ。
「計画には貴様が一番邪魔だ。ここで消えろ」
バルが撃たれる。それを感じた瞬間、「やめて!」と、ことりは叫んでいた。
ドロウは一瞬少女に目を止めると小さく舌打ちし、魔法銃のスロットへギアカードを再装填――
そして呪文を開放した。
「眠れ、ルーカディア最高の解呪師よ。オープン 永久への凍魔弾」
魔法が直撃すると、バルはまるで凍ったように動かなくなってしまった。
その光景に、ことりは最悪の事態を連想して涙を滲ませる。
「私にとって、邪魔なのは二人。解呪師と――マナホルダーの持つ力」
男の悪意は終わらない。ことりとクウへ魔法銃の銃口を向け――
そして呪文を解放しようとする……刹那。
「オープン 風撃」
「オープン 掌強化」
ルイとフィーリア。駆けつけた二人の魔術がドロウへと炸裂した。
天空と大地の呪文の凄まじい威力が、暴風と砂煙となって吹き荒れる。
「バル、大丈夫!? しっかり!!」
「ことり、クウ。二人共、怪我は無い!?」
すぐに二人はことり達へと駆け寄っていく。
術は確実にドロウへ直撃した。この威力に耐えれるはずがない。
何よりバルとクウ、そしてことりを心配する気持ちが……二人の魔女の判断を狂わせた。
目を離した先には、光の盾に守られたドロウの無傷の姿があり――
「対魔法防御シールドロウ。そしてこれが超重力の弾丸、グラビドロウだ」
未熟者達へ諭すように呟き、ドロウは反撃の魔術を起動させる。
二丁拳銃から放たれた漆黒の弾丸はルイ達に直撃する。そして二人の魔女は弾丸から広がる黒いオーラに身体を包まれ、自然の合理を外れた圧力に押しつぶされた。
「な、なに、これ……体が重くて動けないよ」
「くっ、恐らく重力魔法ね。体感重力が何倍にも跳ね上がっているわ」
マジティアでも実力者の三人が一瞬で敗北する。
信じがたいドロウの実力に、全員が言葉を失っていた。
意識を失ったバル、超重力に囚われ地面に頭を垂れるルイとフィーリア――
そして恐怖に身を凍らせる少女を見渡し、ドロウは無気力に呟いた。
「本当はあまり減らしたくはないのだがな……まあいい。ここで全員リタイアだ」
だがトドメの為に一歩を踏み込んだ男の動きが急に止まる。
瞬刻、ライトの光がドロウを覆い――
「そこまでじゃ。百撃のカラーレス、ドロウ・フォバー」
聞き馴染んだ老人の声が響き渡った。
「御館様……!!」
ことりが師を目視すると同時に、周囲を魔法警察ガーディアンクル達が囲んだ。
訝しむドロウを前に、ライトの逆光の中で老人はいつもの様に笑った。
「ワシは特務魔道執行官レーヴァテインのナンバースリー。テン・セルツアー。うちの弟子を可愛がってくれた落とし前も含めて、ここでお主のお縄をちょうだいするぞい」




