01話 いずれ伝説になる少女
大衆より発する歓声と、立ち込める熱気がドーム内で凶暴な渦を巻き、まるで落雷のような轟音がその中心で猛り狂った。
結果、生まれた体の芯までを揺らす激しい衝撃によって、遥か遠方へと旅立っていた少女の意識は、現実へと引き戻される。
風で舞い上がる土煙がつんと鼻腔を刺激し、無機質な土の味が口の中いっぱいに広がると、脳が徐々に覚醒していき――見開く眼前には赤銅色に染まった荒野が広がっていた。
ここは正確には現実の世界ではない。ある目的の為に作られた仮想世界である。
だから至って普通の女の子である自分が、戦場のように爆撃音が飛び交い続ける世界で目を覚ましても不思議ではない。問題は『なぜ自分は寝てしまったのか』という点だ。
少女は腕を組んで考え――
そして重大な事実に気づくと幼い声を張り上げる。
「あれ……し、試合は!?」
「やっと気づいたか。ちょうど終わるとこだよ」
混乱する頭の中に少年の声が響く。
そして同時に、状況は一変する。
大地震を彷彿させる重い振動音が耳をつんざき、目の前に巨人の足が振り下ろされた。
硬質的な鋼を思わせる漆黒色に、強力な戦闘力を連想させるゴツゴツとした岩肌。そして少女の体など簡単に踏み潰せる重量感あふれる巨体が、目と鼻の距離で戦闘中だ。
地響く大地に必死にすがりつき、煤だらけの顔を見上げれば試合も大詰め。
超弩級の質量を持つ岩の巨人が、くすんだ赤い空へ激越な咆哮を放つ。
その怒声に相対するのは同じくビルのように巨大な水の大蛇だ。
激しい水流が身を寄せ合って顕現した蛇の召喚獣が、巨人を食い千切らんと大牙を穿つ。
自然の摂理をあざ笑い、圧倒的な存在感を放つ彼らを生み出しているもの。
それはすなわち魔法の力――
至上の魔術によって生まれた両雄は、主の放つ命令式を全身全霊で受け止め、湧き上がる魔力を原動力に、地形すら屠る戦闘力を発揮する。
巻き起こる数度に渡る巨体同士の激突。クライマックスに相応しい高度な技の応酬。
日常とは異質な光景にフィールドの外では観客達が眼を見開き、手に汗を握る。
石の巨人の名はタタロス。
タタロスを操る魔女が、巨人の肩の上で必殺の魔術を開放する。
「ギアカードオープン 拳強化
砕け! タタロス」
するとタタロスの右拳に眩い輝きが宿り、水霊の大蛇を凄まじい衝撃が貫いた。
強靭な巨拳による頭部破壊。
それに耐え切れず崩れ落ちた大蛇は、反撃を試みようと体を揺らせたが、やがて力尽き、最後は光の粒子となって消滅していく。
大魔術の衝突によって生まれた魔法力の残滓が、キラキラと幻想的な煌きとなり、フィールドを包み込む――
そう、勝負が決したのだ。
「私の方が、硬い!!」
巨人の主が決め台詞を放つと、天空にバトル終了の文字が刻まれる。
そして同時に、仮想世界の景色は変化を迎えた。
荒れた大地は熱湯を注がれたアイスのように淡く溶け、視界は白い輝きに包まれる。
帰還した場所は、現実世界にある巨大なドームの中心に設置された舞台の上だ。
周囲は数万に及ぶ観客達の拍手に囲まれ、光あふれるカメラのフラッシュが、次々と会場の中心へと注がれていく。煌々とライトの光が石巨人へと向けられ、その熱気と輝きの焦点では、勝利を手にした女性魔道士が手を振り続けていた。
彼女のドレスは脚光により鮮烈に純白を際立たせ、天に掲げた黄金の魔杖は魅惑的な色合いを反照させる。その姿は会場の視線を思うままに独占し、喝采へと応えていた。
その栄光の遥か遠くから、少女・蒼井ことりは本日何度目かのため息をついた。
「私達は今日も役立たずでしたね」
切りそろえた黒髪のショートヘアは泥と煤にまみれ、所々で焦げた小さな体躯をさらにちっぽけに縮める。切なげな黒い瞳を絢爛豪華な情景へと向け、もう一度のため息。
まだまだ幼い甘ったるい声色も、理想と現実のギャップを前に深く沈む。
「あほか、一緒にするな」
追い討ちをかけるように、ことりの頭の中で少年の冷めた声が響いた。
「開始二秒で自滅する馬鹿は、元から戦力に入ってねえよ」
「ク、クウさん。その件は無かった方向でいきましょう……」
「大会の最短退場記録を更新だぞ。ばっちり歴史に残るわ」
「ふええー、そうでしたぁー!!」
脳内で響く指摘に、ことりはその場でへなへなと崩れ落ちた。
試合開始と同時に唱えた術が暴走し、自爆した。そして目覚めると全てが終わっていた。
あまりにもお間抜けな状況に、少女のぱっちりお目目から自然と涙があふれてくる。
「そもそも、クウさんが急かすからぁー」
「開始直後にぶっ放すってルイと一緒に作戦立てただろ。ただでさえ試合が長引いたら初心者のお前はボロが出るんだぞ」
クウの説教にグウの音も出せず、ことりは小さく唸りを上げる。
今回の試合は『陣取り合戦』。各エリアを奪い合い、獲得した土地面積を競う内容だ。
クウの指摘通り、ことりはデビューしたばかりの未熟者の魔法使いであある。
だから皆で初手速攻の作戦をとり、相手を潰す戦略にでたのだ。
「あわよくばダメージ。悪くても牽制で相手の出足を鈍らせるはずだったのになぁ」
「まさか何もせずにリタイアするとは思いませんでしたよ……」
己の不器用さにうんざりしながら、ことりはクウと呼ばれる声の主に応えた。
クウの姿はこの場にはない。依然として、声だけがことりの頭に響いている。
周囲からは独り言だと思われているが、これが彼女達の魔法スタイルだ。
半べそをかきながら、ことりは頭部の両側面にある翼の形の髪飾りに触れた。
構成元素は火。丸っこくデフォルメされた翼は紅の炎で形を成し、自然現象とは違えた異質の力を象徴している。これは魔術を起動した際に顕現する儀式具『魔導の杖』だ。
自分もやっと魔法が使えるようになった。
その事実だけがことりをギリギリで支えているのだが、姿の見えない相棒は容赦なく心を折りにくる。
「お前、ネットで自分が何て呼ばれてるか知ってるか?」
瞬時に理解し、ことりは頭を抱え込で泣いた。
「ひーん、また書き込まれるんですね。爆裂アホウドリとか、こけし爆弾とか」
「もう完全に芸人扱いだぞ。お前って本当に……プッ」
「言いたい事があるのなら、はっきり言って下さい」
「ざまあ」
「三文字でまとめろとは言ってないです。クウさんのくせに、クウさんのくせにぃ!」
「八つ当たりで人をディスるな」
火翼の髪飾りが少女の心情を反映し、ぶるぶると小刻みに震えている。
「ううう、やっと夢にまでみたマジティアに参加できたのに……」
とうとう空ろな瞳で俯き始めた相棒に、クウはやれやれとため息をついた。
「そんな調子じゃ最高の魔法使いなんて夢のまた夢だぞ。絶対になるんだろ、アレにさ」
彼の言葉に後押しされ、ことりは涙を拭い、顔を上げる。
開かれたドームの先には青く雄大な星が圧倒的な存在感を放っていた。
明るく天に浮かぶ星の名は太陽系第三惑星。つまり人間の母なる大地――地球だ。
太陽の光を反射して生まれた地球照が、神々しい光となってドーム内を明るく照らし、その光の中心にあるオブジェクトをことりは力強く見つめた。
それは大きな鳥を台座に、杖を天に構えた創世の魔女イヴの黄金像だ。
「もちろんです。私は絶対になってみせます」
人類史上最高の魔女であるイヴを、人々は敬意を込めてとある名前で呼んでいた。
そしてその名は現在、最高の魔法使いに送られる称号となっている。
ことりはその称号を胸の中で呟くと、決意を込めて大きく頷いた。
少女には目指すものがある。あの日に誓った叶えたい夢がある。
だから立ち止まってなんていられない。
「お母さんと目指した夢。皆を笑顔にする最高の魔法使いに――」
イヴレコードへと至り、願いを叶える魔法使いに――
「マジティアージュになる為に、ことりは飛びます!」
場所は魔法の遊園地、月面国家ルーカディア
舞台はまゆたまの輝く、魔法演舞マジティア
さあ物語を始めよう
子供達に優しく語るお話の中に、燦然と並ぶベストセラーの書籍の中に、
誰にも見向きもされない映画の中に、そして誰もが憧れる伝説の中に、
いつか必ず登場することになる少女の話を始めよう。
彼女の名前は蒼井ことり
十三歳にて人妻である
次話、時系列が少し過去に戻ります。
詳しい世界観や魔法についての設定は4話ぐらいから踏み込みます。